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種子島銃のその後

種子島銃に始まる火縄銃は日本史のなかではどの年代まで使用されたのでしょうか?火縄・単発式から薬きょうを使用する連発式の銃に取って代わったのはいつ頃だったのでしょうか?

  • 歴史
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みんなの回答

  • caesar-x2
  • ベストアンサー率46% (251/542)
回答No.8

No4と5が疑問を呈していたので補足しただけです。 しかしNo7をらさらに混乱させてしまったようです。 鳥撃銃というのは、ポルトガル人が持ってきたもの、 アラビアより東の地域の植民地を中心に広く普及していたものと 説明させていただいたわけなので、 日本国内でそう呼ばれていたわけじゃないです。 鳥撃銃とされていたものが、日本では火縄銃という軍用銃として たいへんもてはやされたという論旨だったわけですから 少し考えれば、道理がわかると思います。 私がなんで”世界史的皮肉”と言っているか、ぐらいは読んでください。 ・・・全部読んですらいないとしたら論外ですよ。 フリントロック式の登場とは、当然、ヨーロッパでの話です。 その直前の文章はヨーロッパのスタンダードについて語っていて、 さらに日本でフリントロックが入ってきたのは”1860年代”と 前に言っていたわけですから、これまた当然でしょう。 もうちょっと落ち着いて読んでほしいと思います。 私の書いている回答の中に「戦国」の二文字はありませんし、 どこにも戦国時代の話は書いてません。 文意を無視してピンポントに曲解されてもこまりますね・・・。 「ではフリントロックが登場する前の銃は誕生以前から狩猟用の銃であったのでしょうか? しかも植民地で?」 この文章であなたが何を言いたいのか意味がよくわかりません。 フリントロックが登場する前はなんだったのかということですか? まずあなたの場合、点火方式が銃の形式の全てだと考えている点が間違いです。 フリントロック式でも、マッチロック式でも、 さまざまな形態があるので、それプラスで銃口の形状(ラッパ銃、多重銃身銃)や 銃床の形状、弾の大小種類などで、用途が違ってくるのは 少しか考えれば分かると思います。 基本的に”ヨーロッパ”での軍用銃は”肩撃式”という、 ま、今の平凡な小銃と同じような銃床のものです。反動を肩で受けます。 これに対して火縄銃は頬撃式といって、頬に銃を当てて照準するものです。 ものによっては、大口径のものは股のつけにに当てて発砲するような ものもありますが、あれはむしろ日本独特の形態。 ま、肩撃式か脚のついたマッチロック式が、フリントロック普及前の 軍用銃ということです。 ちなみに肩撃式はもう15世紀の終わりには登場していたので、 小銃の普及とほぼ前後するようなかたちです。 前回書いたように、マッチロック式というのはただの点火方式ですから その同様の点火方式のなかに軍用もあれば狩猟用もあるし、 アラブの騎兵やムガール兵が使っていたような民族情緒あふれる さまざまな銃があるわけです。 No7さんは書くのも読むのも落ちついて、全体を見て、考えてから、 次に進むのが良いでしょう。アドバイスですが。

hirarno36
質問者

お礼

申し訳ないですが、残念な事態になりつつあるので、これをもって閉めさせていただきます。私は歴史が好きです。いろんなことを知りたいのでここを利用させていただいています。知識欲があり、それに答えてくださる知識人の方々のご協力あればこそ、ここが成り立っているのではないのでしょうか。それ以外は望むところではないだけに残念と言わざるをえません(ポイントもつけづらくなり、すみませんがこのままで閉じます)。私自身こんな事態は初めてでうろたえてしまいました。 この後は、一部の回答者様が質問者となり、一部の回答者様と意見を交換されてはいかがでしょうか? これに懲りずにまたご教授願うこともあろうかと思いますが、よろしくお願いします。たくさんの回答ありがとうございました。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.7

ここで回答者同士議論することはマナー違反ですが、どうやら#6は私に向けられた回答のようなので再補足します。 まず鳥撃銃という名称ですが、この名称が戦国時代に使われていたとは寡聞にして聞きません。明治期以降であれば知っていますが。因みに、明治期には「火縄銃」という江戸川乱歩の小説(書かれたのは大正初期)で火縄銃が狩猟用の銃として出てきます。 次に、火打ち式銃ですが、要するに、火薬に火をつける構造を外側から火をつけてふたを閉める(ちょっと違うのですが)方法から、内側の火打ち石で火をつけるように改良したものです。基本構造ですが、大雑把に三つに分けられます。 ・ホイールロック イメージでいうと、ジッポライターの着火部分で火薬に火をつけている様なもの。大体1500年頃には存在した。 ・スナップハンス ジッポの逆に、丸い方を固定させて棒の方を動かす方式で、これも1550年頃には存在ました ・フリントロック これが#6の回答にある「安価な」火打ち式銃であり、文献的な初出が1550年頃のスウェーデン、普及はもう百年ほど遅い17c中盤のことです。 この方式は、ヨーロッパでは歴史的な意味を持っているのですが、日本では精々幕末にちらりと顔を出す程度ですから、質問者の方をはじめとする普通の方(銃マニア以外の方)は、あまり気にしなくともよいと思います。 それから。 > フリントロックが登場するのは1610年ごろと言われていますが、 と#6で書かれていますが、この年は大阪の陣前夜に当たります。ではフリントロックが登場する前の銃は誕生以前から狩猟用の銃であったのでしょうか? しかも植民地で? 私にはとても信じられません。

hirarno36
質問者

お礼

回答(?)ありがとうございました。火縄という方式から火打ちという方式に変わったのは頭の悪い私にも解りました。その後も狩猟用に火縄が使われたのも事実でしょう。狩猟用と戦争用に区別されてきたのも、生産者側の都合もあるのでしょうね(くっきり区別されたわけではないのでしょうが・・・)。フリントロック方式登場時期についてはもとより知識の無い私ごときが口を挟むつもりはありません。あくまでも「私が質問者」なのですから。ありがとうございました。

  • caesar-x2
  • ベストアンサー率46% (251/542)
回答No.6

何人か誤解しているようなので補足です。 私が火縄銃と言っている場合、それは 前装式マッチロック銃で銃床が頬撃式のものです。 つまりは私たちがよくイメージする火縄銃の形態のことですが、 単に点火方式がマッチロックであるだけのことを、 さしていっているわけでありません。 この形態、つまりポルトガル人が日本に伝えた火縄銃は、 アラビア・アジアを中心に広く生産されたものと同型です。 いわゆる肩撃ち式の西洋の軍用銃とは違います。 この形態を”鳥撃銃”というのは、別に私が新説を披露しているわけでも、 新たな考えをのべているわけでもなくて、 一般的にそういう名称が”ある”のです。 これは銃の歴史を少しは知っていれば、 かなり知られている事実なのでわかるはずなのですが、 ご存じないのでしょう。 ちなみに 猟兵、イェーガー、猟騎兵やユサールを、”狩猟兵”などと訳すのはただの誤訳です。 歴史的用語の知識が足らないずぶの素人訳者の手によるものでしょう。 それはこの時点で論外と思います。 フリントロック(火打ち式)が普及した背景には 大量生産・大量使用の必要性がでたことが大きいです。 つまりマッチロック式の場合どうしても火種の確保が必要で それは人数が多くなればなるほど困難になります。 フリントロックは(構造は多種多様な形式があるが)板バネの力で 火打石を火皿にたたきつけて起こした火花を点火薬に着火・爆発させた熱/火が火門を通って発射薬を爆発させるという構造で、 確実性が低い(不発の可能性)のと、バネを動かすために引き金が重く 反動もあるなど、数々の欠点もあったのですが、 ともかく弾薬を入れて、銃身が十分に乾いていれば、 どこでもいつでもすぐに発砲できるという”簡易性”が尊ばれ、 17-18世紀に一気にヨーロッパのスタンダードになりました。 フリントロックが登場するのは1610年ごろと言われていますが、 同じく火打石をつかるホイールロック(歯車式)のように複雑な構造のものが100年前先に登場し、 それから徐々に構造が単純化、部品が少なくなって、量産可能となり、 本格的な歩兵の主力小銃という地位になりました。 それで厳密に言うと、高価なのはホイールロックやスナップハンスなど 部品の多い前時代のものだけです。 一般にフリントロックと呼ばれるものは安価なものです。問題は構造。

hirarno36
質問者

お礼

回答ありがとうございます。丁寧な回答でありがたいのですが、一気に銃の構造的お話になり素人の私の理解を超えてきました。難しいです。ともあれ大量生産のための部品の簡略化は避けて通れない問題だったようです。大量生産すれば当然安価で供給可能な訳も解ります。ありがとうございました。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.5

#2です。ちょっとだけ補足。 > 「早合」(「そうごう」って読んで良いのでしょうか?) 「はやごう」と読みます。 火薬を油紙に包んでいたのは織田家も同様で、日本は湿気が強いので湿気に弱い黒色火薬は油紙に包むなどの湿気対策をする必要があります。 早合はその名の通り「早く弾込めをする」為の道具で、遅くとも江戸期には存在しています。江戸初期のものが現存していますが、この種のもので現存するものは実用品というよりも美術品という意味合いが強いものが多いです。 #3、#4の回答を受けて、ちょっとだけ銃の歴史を簡単に。 まず火縄銃ですが、戦国時代末期頃に日本に伝わったのはご存じの通り。 この銃は、簡単にいうと鉄パイプに丸い玉と火薬を詰めて、後ろから火をつける、という構造で、火縄銃は火縄で火をつける(直接銃の中に突っ込むわけではありませんが)のですが、これが後に火打ち石に変えられますが、この構造自体は1750年頃まで全く変わらず残ります。 この後に雷汞(らいこう)という物質が発見されます。この物質は衝撃を与えると爆発する性質があり、この物質を金属製の容器に納めたのが雷管で、1800年頃に発明され、この直後からいわゆる「管打銃」が制作されます。その後改良を加えられて、最初のボルトアクション銃であるドライゼ銃が1841年に、最初の連発銃であるスペンサー銃が1860年に登場します。 因みに1860年頃には、多銃身連射銃のガドリング砲が発明されていますし、戊辰戦争でも使われた記録があります(これが戦場での連射砲使用世界初)。 日本に大量に入ってくるのは、マスケット銃の最後期のゲベール銃やライフル銃の最初期のヤーゲル銃(この2つは銃身にライフリングが入っているかどうか程度の違いしかない)からで、大体1800年代(19c)中盤の話です。 因みに戊辰戦争で最も多く使われた銃の一つであるミニエー銃も同時期に入ってきていますが、この銃名は「ミニエー弾」と呼ばれる椎実弾を打つ銃というほどの意味で、オランダ製、フランス製、イギリス製、アメリカ製など様々なタイプがありました。が、すべて単発銃です。 このミニエー銃の最後期型がスナイドル銃で、イギリスでは1866年に制式採用されています。村田銃までは陸軍の制式銃です。 銃の使用、ということなのですが、火縄銃が日本に入ってきた当時、欧米では狩猟用であった、という話は寡聞にして聞きません。おそらく銃を持っていた歩兵部隊のことを「狩猟兵」と訳すことからきたものと思いますが・・・。 一応火打ち式の銃は1500年頃にはあったことはあったのですが、高価だったので普及していません。 それから、幕末にまともな兵器工場があったのは、薩摩ではなく肥前鍋島藩で、銃・大砲・蒸気船などを製造しています。薩摩のは幕末の頃には島津久光の手で閉鎖されてしまいます。

hirarno36
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます。「はやごう」覚えました。美術品になるぐらいだから何か工芸的装飾があったのでしょうね。雷管ってよく耳にしますが、物質から作られたための名称だったのですか。連射式のガドリング砲が最初に戦争に使われたのは日本だった。これって実戦世界初ってことですか。すごいです。 村田銃って西南戦争の薩軍にいた村田新八隊長となにか関連があるのでしょうか?彼が考案(?)したので村田銃と呼ばれたのでしょうか? 島津久光は西郷と仲が悪かったと知りました。兵器工場を閉鎖したのとなにか関連があるのでしょうか。種子島とは話題がそれてしまいましたが、なかなか面白いです。参考になりました。

  • yakyutuku
  • ベストアンサー率14% (267/1890)
回答No.4

薩摩は薩英戦争後いち早く、旋盤機械の導入を始めています。(どれだけ稼動したか胡散臭いですが。) 基本的には、火縄銃、アメリカの中古(ゲーベル、ミニエー等)、工場生産と考えてよいと思います。鉄砲鍛冶の多くは、廃業というか、鉄砲以外のものを作るようになったのではないでしょうか? 狩猟用の銃がそのまま広まったという説ですが、日本や弓の時代から狙撃が中心で、面制圧的な兵器の使用はされないので、狙撃に適した形のまま広まったのは当然かと思います。銃に対する要求だって、より長射程のものが好まれるわけですから、変化の余地は少ないでしょう。

hirarno36
質問者

お礼

やはり薩摩でしたか。旋盤機械を導入したのなら鉄砲鍛冶は廃業、もしくは堺の包丁のようにくら替えしたのかも。 狙撃を暗殺に使用した(未遂も含めて)は良く記述にある話ですね。 回答ありがとうございました。

  • caesar-x2
  • ベストアンサー率46% (251/542)
回答No.3

おそらくアバウトに言っていると思いますが、 「1800年代」ではありません。 少なくとも「1860年代」です。 半世紀以上違いますよ。 覚えやすいのは、1860年が桜田門外の変なんので、 これでおぼえるといいでしょう。 明治元年が1867年ですし、この間に薩英戦争ほか 多くの衝突があり、国内の軍事情勢が変化しました。 あとアメリカの南北戦争が1861~1865年とあり、 この戦争で余った、あるいは廃棄された兵器が 大量に日本に流れてきたということも留意すべきです。 要するにアメリカ南北戦争でパーカッション式の 新式銃が登場したので、フリントロック他の旧式銃の備蓄が 不要となって、武器商人が安くそれらを仕入れて 日本の各藩に高く売りつけたわけです。 だから明治維新の初期には日本ではかなり古い輸入銃が 広く使われていて、新旧入り混じった状態でした。 あとボルトアクションや無煙火薬の開発も 1870-80年代のことであって、 金属薬莢が1860年代に登場するのは パーカッション式の普及に関係してのことです。 金属薬莢は、点火装置を内包させることで初めて 実用的になるので、これはセットで考える必要があります。 有名な村田銃も1880年の製作。 さて、火縄銃はもともとポルトガル人がアジア植民地で用いていた 狩猟用、はっきりいうと鳥撃銃だったため 狩猟用として日本では明治以降もつかわれました。 この銃の特徴は狙いやすく、発射動作が静かで、 口径が小さく、威力が弱いものの精確なので、 まさに”鳥”を撃つのに最適だったのです。 軍事用ではもともとないのに日本でああも普及したのは 世界史的皮肉というべきものですね。 軍事用としての火縄銃は、維新・戊辰戦争をとおして 海外から輸入武器が大量に流入する過程で更新されていきました。 だから1860年代です。 ただし火縄銃から旧式のフリントロックや前装式のパーカッションなど 若干の進歩がある武器に進んだだけで、全体的にはあまり進歩はありませんでした。 とはいえ、戦術的には西欧の方式が入ってかなり様相がかわり 銃撃・砲撃戦が中心の戦いにかわります。 西南戦争でも大量の弾薬が消費されました。 連発式は、後装式の普及がまず先に来るのですが、 ま、それも1880年代前後です。 この金属薬莢、無煙火薬、パーカッション、後装式という すべての発明がそろって初めて近代的な連続発射可能な 小銃が登場するわけです。

hirarno36
質問者

お礼

詳しい回答ありがとうございます。まず、アバウトではなく1860年を覚えておきます。 日本が明治維新を迎え、西南戦争の発端の要因に弾薬の移動を巡って官・薩が対立した、とあるのをみても、当時かなりの弾薬が必要とされていたのでしょうね(最近知りました)。また、間違った知識であればご教授願えれば幸いです。 同時期にアメリカ南北戦争があり、旧式(日本にとっては新式)銃が余り、それが日本に渡る。国家を超えて需要と供給が見事に一致した時期だったのですね。歴史は深いと改めて感じました。新旧の銃が当然併用されていたことは、過渡期では当たり前のことですが、想像すると不思議な光景です。 ポルトガル人も鳥の狩猟用だった火縄がこうも合戦に大量使用されるとは思ってもみなかったのでしょうね。連射式にいたっては1880年だったのですね。勉強になりました。 詳しい記述ありがとうございました。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.2

幕末の戊辰戦争まで(西南戦争ころまでは反乱側に使われたという話もあるが未確認)、というのが普通の理解でしょう。 というか、日本に限らず江戸時代はずっと戦争していた欧米にしても火縄銃から抜け出す(薬莢の使用・後装式の採用・球形弾からの脱却・黒色火薬からの脱却)のは1800年以降です。 古い映画などで日本軍などが使っている銃の形式をボルトアクションといいますが、あれですら1840年頃の発明品です。まだ薬莢は採用されていなく、日本でいう「早合(紙製の薬莢みたいなものです)」を使っていました。因みに早合自体は関ヶ原の昔から存在しています。

hirarno36
質問者

お礼

回答ありがとうございます。1800年代。結構遅い発明だったのですね。「早合」(「そうごう」って読んで良いのでしょうか?)は歴史小説で読んだことがあります。まあ小説なので話半分としても、以下のようです。 <紀州雑賀衆が信長に立ち向かうため、雨・水に強い紙(油紙?)に火薬を包んで持ち歩いた>と言う話です。 上の話の真偽はともかくとして、火縄は案外、欧米でも進化していなかったのがわかりました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

幕末までです。 基本的に江戸時代では火器の技術進歩はフリーズです

hirarno36
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。新式の銃は明治維新と共にやってきたのでしょうか?旧式火縄の生産者はその後新式銃の生産に切り替えることができたのでしょうか?技術的にすぐには無理でしょうから、当面は輸入に頼ったのでしょうね。ありがとうございました。

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