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人の死後について

eienの回答

  • eien
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回答No.20

「過去世の記憶と永遠の生命」 イエスは言われています「死者に死者を葬らしめよ」この意味は棺を担いでいる人々も過去世の記憶を持っておらず、半分、死んでいるという意味です普通人の90%以上の人々は、自分の過去世の記憶を思い出すことが出来ません。この事は前世においても心と宇宙の意識(叡智、命、神、魂、潜在意識)との分離があって、心だけで生きていたからです。宇宙の意識は本人の過去世からの永続部分で過去世の記憶を保っているのです。 御自分の過去世からの数々の記憶を思い出し永遠の生命を得たいと思うなら心のエゴ(貪欲、利己主義、怒り、支配欲、憎悪等)を取り除き宇宙の意識と融合して宇宙の意識の過去世の記録の部屋のドアーを開けてもらわねば、なりません。そうしなければ前世の記憶を思い出すことは不可能です。永遠の生命を得るには宇宙的な過去世の記憶を培養する事が基本になります。イエスは「私はこの世にいるが、この世から出たものではない」 又、弟子達の事も「彼らもこの世の者ではない」と言われています。彼らは他の惑星からの教化の為の転生者で、あったのです。イエスは御自分の宇宙の意識と心を融合をされていましたので御自分の過去世の記憶を保持されておられたのですし、弟子達の過去世も過去世のの透視で見抜かれていたのです。私達も自己の宇宙の意識(神)に対する強い信頼と確信を持たねば、なりませんし生涯の伴侶として共に暮らさねば、なりません。 心のエゴ(不和、分裂、非難、貪欲、利己主義等)を捨て去り、心の意志を空しくして、御自分の宇宙の意識の意志や指示(直感、映像、警告、閃き、衝動、アイデアー等)に委ねるのです。そして宇宙の意識眼で見る事です。(注意、警戒感を持って見る事)そして心は宇宙の意識の完全な召使になり発達進化して行くのです。そうすれば過去世の記録の書が貴方の脳裡の映像として思い出されるでしょう。ある時は寝室でうつら々している時等に脳裡の映像として蘇るでしょう。 この事はイエスが言われた「自分の生命を失う物は永遠の生命を見出すであろう」の意味です。この事は永遠の生命を得ようとする時や過去世のの記憶を得る時に重要な事柄です。私達は今生で初対面の人と会った時に何故か親密に感じたりする事が、ありますが、これらの印象は過去世の生涯での親しい親族や友人や知人等である場合が多く、又、旅行等で初めて行かれた場所なのに何故か以前から知っているような場所や建物等の記憶は真実の 過去世(宇宙的)の記憶です。それは貴方の魂や潜在意識(宇宙の意識)がその事を記憶しているからです。又、世界の民族音楽や衣装、建物等でも前世の記憶の映像の断片を思い出すことがあります。私は個人的に自分の過去世の生涯を約20回ほど、記憶を思い出しました。

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