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「死」について考えることがあります

noname#80116の回答

noname#80116
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回答No.7

死については 小学六年のときに 祖母がなくなって 実感として 捉えました。自分のこととしてではなく かのじょは いま 存在しておらず どこに行ったかなどでした。 その結果は なにやら暗い広い縦の洞穴をさかさまに落ちていくさまでした。いま思うと気持ち悪いですが ただその時は それは あまり恐くなかった。ああそんなものかという受け取りでした。 その後 おそらくこの体験が 意識せずとも 生きるということにとって 意味あるものと思っていたのでしょう 哲学というよりも いわゆる宗教に関心を持つようになりました。 もっとも けっきょくは 三十歳まで 彷徨はつづきました。恐くはなかったとしても なんとなく しっくりしなかったのです。それにわたくしは その同じ歳まで 世の中が 西も東も分からなかったのです。 たとえば 世間の人の話す言語は わたしと違っている それは アマテラス語弁論術によっていると 批判的に分かったというような意味です。建て前と本音といった理解でも納得しなかったわけです。 死についても納得しました。 その前に 信仰を持った(与えられた)とも言っておきます。宗教とは 群れる行為であり この宗教から自由であることが 信仰であると。 死については 結論として言って いづれ これで死のうと思ったときにわたしは死ぬというものでした。 参考になればいいのですが。

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