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日本の人口がもっと少なかったら

先日、テレビで戦後間もない小学校授業風景のフィルムを放映していました。とにかくすし詰めで、最前列と教師の間がほとんどなく、あれでは黒板も満足に見られません。そういう過酷な環境のようでした。 これは、つきつめれば、日本経済の規模と人口がアンバランスであると言うことなのでしょうか。 戦前戦後、どういう政策でもって「埋め増やせ」を奨励したか、大陸植民地がなくなったのになぜその政策をやめなかったのか、政府が少しは考えたのか知りません。それとも、政府の力ではなく、維新以来の急激な発展がこの急激な増加をもたらしたのでしょうか。しかし、この民族が一億人を越えるようなことは、なにか無理があったのではないでしょうか。 もし、6千千万くらいでピークを迎えたとしたら、その後いろいろな問題が少なかったのではないでしょうか。 今また”多老人”の問題が出ています。

noname#41852
noname#41852

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.2

明治の新聞で人口が5千万を超えたことに危機感に満ちた記事があります。 工場で田舎の余剰人口が回されて、地方はまた減った余剰人口が戻るようになった。 朝鮮半島や満州へは国内の余剰人口を減らす政策でもありました。 南米や東インド諸島への移民も一緒です。 戦後、世界各地の日本人が大挙して押し寄せたので人口過剰になったのです。 さらに、日本占領で敗戦国を食いに来た外国人や米ソ冷戦による難民で十万単位の外国人が日本へ押し寄せました。 公務員の収入は税金。頭数が増えれば自動的に税金が増えるのです。 人口が増えれば自分たちも潤う。という計算ですよ。 だから、マトモに商売が出来ないので、新たな産業開発なんて夢のまた夢。 公務員は自分たちで商売の魂を捨ててるのですから。

noname#41852
質問者

お礼

公務員の陰謀もあるのですね。 人口が増えてしまう事に、危惧を抱かなかったわけではない、それは非常にいいお話です。

その他の回答 (4)

  • 63ma
  • ベストアンサー率20% (265/1321)
回答No.5

あまり日本語になってない質問で、分かりにくいのですが、国土の狭い日本での理想的な人口の事でしょうか。 そうでしたら、確かに1億人超は少し多いような気がします。 ただ、日本が第一次産業立国(農林業)なら労力としての国民は多い方がいいかと思います。 また、第二次産業(生産業)・第三次産業(サービス業)立国でしたら、効率性を考えれば、1億人未満の方がいいかと思います。 しかし、この事は、>”多老人”の問題<????・・・・少子高齢化の事かと思いますが、関係ないと思います。

noname#41852
質問者

お礼

農業国であれば、もっと少なくないと困るでしょうね。 少子高齢はあります。過去の付けです。

  • blackhill
  • ベストアンサー率35% (585/1658)
回答No.4

 質問の趣旨がよく理解できません。 戦災で、多くの学校が焼けました。そこに疎開や引揚げで子どもたちが帰ってきたので、すし詰め学級があったのは確かです。しかし、住宅はもっと大変でした。食料事情も厳しく、それに比べれば学校は天国でした。空襲警報もなく、家族も揃ったので、毎日が希望に満ちていたと言うのが実感です。偏差値もなく、進学競争もありません。交通事故の心配もなかったので、日が暮れるまで友達と遊んでいました。現代の小学生の環境のほうが、ずっと苛酷だね。  若い男女は、やがて子どもを作りはじめました。いわゆるベビーブームの時期です。前途に希望があるからこそ、子どもに未来を託したのです。これも、現在とは違います。  人口の急増に危険を感じた政府は、人工中絶を事実上公認する政策に転じました。世界各国でベビーブームが起こりましたが、日本ほど急速に終わった国はありません。  昭和30年代以降の経済の高度成長は、生めよ増やせよ時代の出生者が労働力人口に加わったことが大きな要因です。高齢者と年少人口、すなわち扶養人口の割合が極めて小さかったことに注目してください。  さて、人口が6千万だったら、どうなっていたか。恐らく、貧しいけど平和な農業国になっていたでしょう。清貧の国ですね。これも悪くない。でも、有能で野心のある人材は、とっくに海外に逃げているでしょう。日本全体が過疎地域化した状態です。

noname#41852
質問者

お礼

すし詰めの学校は天国ではありません。それに本当に前途があるという実感があったのか、それが本当に子供を作る動機になるのか、どうも実感がわきません。6千万でも4千万でも、今の構造の縮小で、いいところのほうが悪いところを上回ったという事にならないでしょうか。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6343)
回答No.3

あなたの質問からちょっとずれちゃうけど、ぼくは日本の人口は八千万くらいがいいと思うね。少子化歓迎です。 ま、たしかに急速に減ると年金や健康保険の問題が出てくるからあまり急ピッチは困るけど・・・ 日本はね、平野が少ないんです。たとえばオランダやベルギーも人口密度は高いけど平野ばかりで山がない。日本は山だらけだ。そんな国土だから一億2千万は多すぎる。日本はもう少し一戸建てを減らしてマンションを増やす必要がある。ごめんね、質問とずれた答えで。

noname#41852
質問者

お礼

八千万でもいいですね! そのくらいで止まっているのが一番です。

  • songbook
  • ベストアンサー率36% (334/910)
回答No.1

政府にとって、どれぐらい深い意図があったのかはわからないのですが、庶民にとっては、それほど難しい話ではないと思います。 子どもは、国民の宝だったからです。 親の子であると同時に、国の子であり、国の子がたくさんいることは、国のために働いてくれる子が多いということ。簡単に言えば、「国力アップ」につながるわけです。 特に戦争直後は、戦地に赴いて亡くなった若い男性が多く、労働力不足がはっきりと目に見えていました。平和な世の中がやってくる期待感もあったでしょう。 農地改革で小作制がなくなって、みんなが独立した農家として生きていく基盤がつくられました。医学が進歩して長生きができるようになり、食料の確保もできるようになってきました。 戦前の貧しさに比べれば、家族に子どもが増えたって全く心配がなかったでしょう。今のように、一人当たりの育児費など、ほとんどかからなかったはずです。60年後がどのようになっているか、など、考えてもいなかったことは明白です。戦後は混乱の時代でした。まずは、今を生きることが優先されたのですね。

noname#41852
質問者

お礼

国力すなわり人口という図式はあるのでしょうね。 当時の雰囲気考え方よく分かってきました。 養育費をかけないでいいというのはいいことだかわるいことだか難しいですね。

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