• ベストアンサー

ノブレス・オブリージュという言葉

asterの回答

  • ベストアンサー
  • aster
  • ベストアンサー率70% (374/533)
回答No.3

  No.2 の方の提示されましたURLのページを読んでみましたが、OED(オックスフォード英語辞典)からの言葉の初出典拠に従い、1837年にケンブルなる人物が、手紙のなかで、「高貴な者が慈善(施し)をするなら、王族は、それ以上のことをせねばならない」という文脈で使用されており、単なる「慈善をする」というだけの意味示唆でなかったことになります。 そのことの例として、チェコ共和国の旧高級貴族の子孫であったマーティン・ロブコヴィッツという人の取った行動として、王政崩壊で没収された祖先の財産を彼は、共和国に返還要請した所、莫大な財産が帰って来て、彼は、想像を絶する「文化財」の所有者になったという経緯が出てきます。 ロブコヴィッツは、これらの文化資産を売却して、何百万ドルもの金銭を得ることもできたが、Noblesse Oblige という社会的規範が彼をして、チェコの国民的資産として、これらの文化資産を後世に残すため、売却などの道は取らなかったということが記されています。 ロブコヴィッツには、「社会的圧力」がかかっていたのだとも、筆者は述べています。この例は、「富んだ者・身分高い者は、慈善する」という意味を越えていて、「富んだ者は、社会のために自己の利益を犠牲にせねばならない」つまり「高貴な者の義務」という意味が、この言葉にはなお含まれているということを示していることになります。 フランス革命は、初期の頃は穏やかに進んだのであり、穏健派が粛正されてジャコバン派が主導権を握るようになると、特権階級の無差別虐殺が始まったとも言えます。従って、特権身分の者や富者が、革命に対する自己保身のため、「慈善」を強調したとすれば、それは、フランス革命初期の頃になるはずです。 それはとまれ、noblisse oblige という言葉には、元々は「高貴な者・地位ある者の義務」という意味はないと、先にわたしは述べました。身分ある者・富者が、施し・慈善(チャリティ)をするというのは、西欧では、中世以来からの伝統的な習慣で、キリスト教の七つの美徳(Seven Virtues)にも、「チャリティ」は美徳して入っています。 決して高貴な者や大金持ちだけでなく、貧しくとも、更に貧しい人には、慈善をする、施しをするというのが、この美徳の意味です。1837年のケンブル(フランス人だと、キャンブル)の手紙の趣旨は、「王族は多くの義務を負う」というのが中心で、noblesse oblige は、当然なこととして挙げられているのだと考えられます。 中世西欧では、noblesse oblige とは言わなかった(あるいは、言ったとしても、諺として定着しなかった)としても、「慈善(チャリティ)」の美徳性は、一貫して存在したとも言えます。この意味の「ノブレス・オブリージュ」は、そういう表現がなかっただけで、伝統的に慣習として定着していたことになります。言い換えれば「慈善は(キリスト教徒にとって)美徳である」ということです。 そして、この「慈善の美徳」は、古代社会の王侯や支配者や優越者の庶民に対する、当然求められる行為・徳としてあったということも事実です。 しかし、大英帝国の官僚やエリート、貴族・地位のある者などは、上の「慈善の美徳」とは違う意味で、この言葉を使っており、また行動で示したということがあるのです。帝国や王国のエリートたちは、「公僕」とも呼べる人たちだったともなります。公僕は、国家と国民の為に尽くす「義務がある」というのが、イギリスのエリートのあいだでの「ノブレス・オブリージュ」の意味です。 どうしてこういう意味や用法がイギリスでは出てきたのかということの起源として、ホッブスなどが唱えた「王権神授説」が関係するのではないかと説明しました。この説は、英国のジェイムズ二世が信奉者で、フランスではルイ十四世がその主張者です。ルイは「朕は国家なり」とも言ったとされます。 絶対王権国家は、イギリスでは名誉革命で崩れ、王権を掣肘する議会の権限としての「コモン・ロー」の原則が再度確認されます。フランスでは、フランス革命で、絶対王権は崩れますが、微妙なバランスに立ったナポレオンが「法典」を編纂させます。そしてナポレオンを排斥した後、再度ブルボンの王がフランスに君臨することになります。 ホッブスの思想などでは、社会は一個の人体にも喩えられ、それぞれの部分がそれぞれの役割義務を果たすことが、社会にとって最適であるとされます。神から統治権限を授かった王は、王としての義務が社会に対しあり、貴族や、高い地位の者や、その他、優れた所ある者は、その分に応じて、社会に尽くす義務があるという思想になります。 イギリスでは、このような社会の成員それぞれは、自己の分に応じて社会・国家に尽くさねばならない義務があるという思想が継続し、それがとりわけエリートたちにとってのゾルレンとなって、このような「義務意識」を、Noblesse Oblige で表現したのだとも考えられるのです。 元チェコ貴族ロブコヴィッツの例は、ロブコヴィッツは王族ではありませんが、それに近い者として、通常の慈善以上の「義務」が社会から求められたのだとも言えるのです。 「ノブレス・オブリージュ」は、中世以来、または古代からの「チャリティ(慈善)の美徳」というキリスト教社会の規範を、こういう言葉で表現したということで、近年、企業なども、社会還元としてのチャリティを宣伝し、それを、noblisse oblige と呼んでいるのは、この延長上にあると言えます。 しかし、英語、特にイギリス英語では、「エリート=公僕は、国家・国民のために尽くす義務がある」という意味での諺として使われて来たと事実があるのです。 英語での noblesse oblige の意味を調べると、第一義的には、「地位ある者・高貴な者の義務」が出てきます。そして拡大された意味として、「慈善(チャリティ)を施す美徳」の意味が出てきます。英語においては、「エリートの義務」が明確に含意されており、慈善の美徳も、それと共に意味されていたのだということだと思います。  

関連するQ&A

  • 【御御御付(おみおつけ)】

    【御御御付(おみおつけ)】 友人が『「御御御付」って言葉は金持ちっぽい・貴族っぽい』と言っていましたが、『御御御付』(=味噌汁)はある特定の階級・社会的地位や特定の地域の人のみが使う言葉なのでしょうか?それとも今はあまり使われていない言葉だからそういう印象があるのでしょうか? ちなみにその友人は愛知県出身ですが、新潟県出身の他の友人はこの言葉を知りませんでした(友人は二人とも20代) 教えていただければ幸いです。 どうぞよろしくお願い申し上げます。

  • 『気さくな』の言葉の意味と使い方

    『気さくな』という言葉の意味は辞書で調べると「人柄や態度がさっぱりして明るく、物事にこだわらないこと」「親しみやすいさま」という意味が書かれています。 使い方として《社会的地位のある人(ノーベル賞受賞者、総理大臣、天皇など)》が《一般の人(若い学生など)》に接する態度について「(社会的地位のある人は)気さくな人だ」という使い方をする場合はあると思います。 その逆はあるのでしょうか? つまり、《一般の人(若い学生など)》が《社会的地位のある人(ノーベル賞受賞者、総理大臣、天皇など)》に接する態度を「(一般の人は)気さくな人だ」という使い方をする場合はあるでしょうか? 私は「ない」と思います。そういう場合は「ものおじしない」とか、下手すると「礼儀知らず」という表現になると思うのですが、私の解釈は間違っているでしょうか?

  • 維新と革命

    一応、国語の意味としては下記のように出てきます。 維新:すべてのことが改められて、すっかり新しくなること。 革命:支配者階級が握っていた国家権力を被支配者階級が奪い取って、政治や経済の社会構造を根本的に覆す変革。    既成の制度や価値を根本的に変革すること。 明治維新は武力により徳川幕府を倒したものではありませんか? 維新という言葉と革命という言葉と何が違うのですか? 明治維新というものは明治革命とか日本革命と言い換えてはいけないのですか? 維新といえば良いようなイメージ、革命と言えば怖いようなイメージ。 単にイメージの違いですか?

  • 昔の軍人の社会的地位は、医者弁護士より上?下?

    元自衛官の方の書かれたブログや書籍を読むと「普通の国」や「戦前の日本」では軍人の地位が高かったらしいのです。何か功績のある英雄というわけでもなくただその地位にあるというだけで昔の軍人は世間では尊敬されたらしいのですが、その尊敬の程度ってどれくらいでしょうか? 「普通の国」や「戦前の日本」で幹部以上の階級にある軍人がどういう特権を持っているのか、医者や弁護士、高級官僚、そのほか社会的地位の高いエリート的な職業と比較してかつての士官の序列はどの位置にあったのか、わかるところだけでいいので教えてください。

  • 「自由」という言葉の歴史について教えてください。

    「自由」という言葉の歴史について教えてください。 私は以前から、この言葉の概念はもともと日本にはなかったもので、明治の自由民権運動の頃に、欧米の思想を輸入して、それを中国の漢字を借りて表記し使いだしたものだろうと漠然と考えていました。ところが、、最近入手しました平安時代の11世紀後半のものと思われる貴族の家訓書のような文書(漢字平仮名交じり文)のなかに、「ごたい自由」とか「不自由にて」という表記で出てくるのです。      そこで、これは古代に中国からきた言葉であり、その頃から日本にあるものではないかと思いネットで調べましたところ、岩波文庫の某書のなかに、「中国には、自由を意味する言葉がない。」と書いてあり、結局どう解釈すれば良いのかわからなくなってしまいました。  質問をまとめますと。  1、日本では、江戸時代より以前にも「自由」という言葉があったのかどうか。もしあったとしたら、   一般的にはいつ頃からのことなのだろうか。  2、「中国には、自由を意味する言葉がない」ということは事実なのだろうか、それは、現在はないが    古い昔にはあって、それが日本に来ていたということなのだろうか。 というようなことになりますが、ご教授宜しくお願いいたします。  

  • 知識を身につける意味

    衒学的というのか、知識をいたずらにつけることっていうのは、意味があるのでしょうか?いわば、知識をつける趣味です。特に、自分の生活上有利になるとか言うことではなく、まったく自分の人生に関係ないカルチャー的な知識、そういうものを蓄積していく意味というのはあるでしょうか? これが昔の貴族社会とか上流階級社会だといみがありました。サロンなどで、機転の利いた会話ができることが、人脈的にも実利的にも有利に働いたということもあったでしょう。ところが今日的に、一庶民が博学であったところで何の得があるのか、さっぱりわからなくなります。むなしさと紙一重なきさえしてしまいますが、どう考えたらいいのでしょうか。

  • 「日本人のホンネとタテマエ」という言葉を聞いて思い浮かべるもの

    「日本人はホンネとタテマエを使い分ける」と巷で耳にします。 一部の人が面白おかしく取り上げているだけかも知れませんが、 (外国人の発言として取り上げられていたりする。) 皆さんは上のような発言を聞いたことがありますでしょうか? ある方は、 【質問】 この言葉を聞いてどのようなものを思い浮かべますか? ちなみに小生の意見を言うと、、、 外国人が本当にそんなことを言うかは疑問ですが、 巷で私が耳にしたのは、酒の席などを例に出すもの。 日本人は本当の考えをあまり言わない、などとという解釈です。 「おいおい、冗談ではないぞ!」と思いました。 これは決して日本人特異なものではないはず。 (程度の差はあっても) 当事者である一部の日本人が、 勝手に意味を『矮小化』しているような気がしてなりません。 日本人に「ホンネとタテマエの使い分け」があるというならば、 私は『社会的な二重基準』の存在を思い浮かべます。 法律上無罪でも、 実社会的には罪人扱いされたり差別されるというのが好例。 犯罪者を取り押さえた際に犯人が死亡したという事件が 最近相次ぎましたが、法的に問題なしとされても、 民間会社への就職が困難になる等、 実社会的には抹殺されるといっても過言ではありません。 この二重基準・曖昧さの強さこそが、 日本人の「悪しき特徴」であると私は考えます。 日本人の「曖昧さ」も本来は、 周囲との和を保つための先人の知恵なんでしょうが、 現在では社会の支配層の人間が被支配層を支配するための 「都合の良い手段」に成り下がってしまった気がします。 私は文化学者ではないので正確なことはわかりません。 ただ、実際に上のような勘違いな矮小化が実在するとすれば、 二重の意味で滑稽(こっけい)で、 一愛国者として嘆かわしいです。 皆さんはどう思いますか?

  • 格差社会化で特権階級の貴族化は起こると思いますか?

    格差社会化で特権階級の貴族化は起こると思いますか? 日本では店員などの民間人が万引き犯を死なせると、 かなり高い確率で逮捕されます。 しかし警察官などの公務員が 同様の取り押さえ死亡事故を起こしても、 まず滅多に処罰されません。 そして、庶民が傷害などで逮捕されると、 その後に裁判で正当防衛が認められても、 なかなかホワイトカラーには就職できません。 一方、官僚が国民の年金を“つまみ食い”しても、 官僚社会の権力が絡んでいるせいなのか、 逮捕者はわずかしか出ません。 このように現代の日本では、 一般人が何か目立ったことをすると 一瞬にして人生が破滅に追いやられます。 他方、一度偉くなってしまった人間は、 悪いことをしても制裁を受けない “不逮捕特権”を手にするようです。 (A) このように、「何をしたか」よりも、 「誰がしたか」によって、 犯罪の成否やその後の社会的処遇が決まる傾向が、 日本でも最近強くなってきています。 (B) さらに、男性としては悲しいかな、 マスコミ社員や公務員などの“特権階級”の男性が、 最近女性から結婚相談所などで人気のようです。 【質問】 日本では今後、格差社会が進むといわれます。 格差社会が進んだ将来において、これらの傾向は、 今よりさらに顕著になるとあなたは思いますか? (A)と(B)のそれぞれについて回答し、 その理由をあなたなりに分析願います。

  • 挺身(挺身隊)という言葉の起源、由来、英訳について

    (1)挺身という言葉は本来日本語として存在していた言葉でしょうか、それとも明治以降の欧米語からの輸入訳語でしょうか。後者の場合元の英語は何でしょうか。(2)挺身隊についてはいかがでしょうか。(3)挺身隊の英訳はvolunteer corsですが、日本語の挺身隊が「決死の覚悟、全力で物事を遂行する組織」という意味からすると、少し違う感じがするのですがいかがでしょうか。

  • 格差とは

    格差と言う言葉が流行っています。が、私が疑問に思うのは格差と言う言葉と只の違い(差)と言う言葉を、きちんと区別してるのだろうかと言うことです。私の認識している格差とは、社会の階級の分化に伴い生じる違いであって、従って、外国と違い階級社会でない日本では、格差が存在しないと思っています。 例えば、所謂所得格差は単に所得の多寡がありますよと言ってるだけで、それが格差にどうつながるのか良く分かりません。 マスコミでは、言葉の意味の違いを理解していないのでしょうか。それとも、誤解させるためわざと使っているのでしょうか。