解決済みの質問
http://www.toride.com/~sansui/posthumous-name/mokuji05.html
このページの「加後号」を見ますといろいろ判りますよ。
投稿日時 - 2007-02-03 11:57:28
お礼
URLとても参考になりました、URLによると後醍醐というのは「諡号」ではなく「追号」の中の「加後号」で、天皇が崩御された後、「諡号」と同様に「院号定」という皇室の規定により会議が開かれ役人により決められたということですね、
つまり、天皇本人は後醍醐という名前が後に付くかはまったく知らず、あくまでも今上天皇として在位していたのですね、但し天皇が醍醐天皇の世を理想としていたことを生前側近が聞き崩御後開かれた「院号定」に具申したということは考えられますね、
大変ありがとうございました、
投稿日時 - 2007-02-03 14:09:30
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ベストアンサー以外の回答(4件中 1~4件目)
NO.2です。NO.2の最後の方で言いかけて止めたことを、やっぱり
補足しておきます。
後のついた天皇名ですが、親子関係が一致するか似通っているパタ
ーンがけっこうあり、気になっています。
完全一致
嵯峨・後仁明 → 後嵯峨・後深草
宇多・醍醐・村上 → 後宇多・後醍醐・後村上
桓武・平城 → 後柏原・後奈良
親子逆転
清和・陽成 → 後陽成・後水尾
どうどうめぐり
白河・堀河・鳥羽・後白河・高倉・後鳥羽・※後高倉・後堀河天皇
※の「後高倉」太上天皇は後鳥羽天皇の兄で、承久の乱の戦後処理
で息子の後堀河天皇が擁立されることになったものの、幼少の為、
父である後高倉が太上天皇として院政を行う形をとったものです。
なお、厳密に言うと、後鳥羽天皇の号は最初は「顕徳」でした。
投稿日時 - 2007-02-03 14:09:54
お礼
二回もご回答いただき、ありがとうございました、
参考になりました、
投稿日時 - 2007-02-03 14:17:31
みなさんおっしゃっておられるように後醍醐天皇は延喜天暦の治こそ天皇新政の理想時代と考えていたためとされています。延喜の治の天皇は醍醐天皇です。
他の天皇ですが、後村上天皇も上記と同じ理由とされていますが、他の天皇についての因果関係は不明です。
宇多天皇 後宇多天皇
伏見天皇 後伏見天皇
村上天皇 後村上天皇
花園天皇 後花園天皇
円融天皇 後円融天皇
光厳天皇 後光厳天皇
三条天皇 後三条天皇
一条天皇 後一条天皇
思い当たるのはこれぐらいですが・・・あまり共通点もないですね。
投稿日時 - 2007-02-03 13:09:40
お礼
ありがとうございました、
投稿日時 - 2007-02-03 14:15:29
当時、延喜・天暦の治といって、醍醐・村上天皇の時代を理想的な
時代とする認識がありました。(実際に理想的な時代であったかどう
かは別の問題) 後醍醐天皇はそれにあやかろうとして、「醍醐」の
名前を継承?しようとした、というのがよく言われる説明です。
ちなみに、次の後村上天皇も同じ理由で追号されたとのこと。
ただ、私個人としては若干引っかかるものもありまして、醍醐・後
醍醐天皇の父も宇多・後宇多天皇なんですね。何か関係があるのか
どうか‥
投稿日時 - 2007-02-03 11:07:53
お礼
ありがとうございました、
投稿日時 - 2007-02-03 14:14:03