• ベストアンサー

太陽暦で1月1日はどうして決められたのか

太陰暦では、新月の日を1日にしていました。太陽暦では、1月1日をどのようにして決めたのでしょうか

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • gootaroh
  • ベストアンサー率47% (396/826)
回答No.1

昔は冬至が季節の基点でした。正月を季節の良い春分とする習慣もありましたが、その季節を正確に知るために、太陽の動きを観測するには、冬至を基点とする方が影が最も長くなり観測しやすいので合理的だったわけです。 また、特に欧州の場合は、一陽来復という意味も在って、冬至を重視していました。クリスマスも元は冬至祭であったといわれます。 では、元日も冬至日にすればよいではないか、と思いますが、そう簡単ではないのです。 昔、ローマではミトラ教というのがあり、ミトラ教では、主神の太陽の神ミトラが冬至に死んで、その3日後(つまり12/25)に復活することになっていました。それがキリスト生誕の日として受け継がれたわけです。キリストは生誕から8日目にユダヤ教の割礼を受けたといわれています。ですので、12/25を第1日目とした第8日目を元日としたわけです。ですので、「冬至年初」ではなく、正確には「割礼年初」といいます。 下記URLもご参考になさってください。

参考URL:
http://astro.ysc.go.jp/izumo/shogatu.html
291da
質問者

お礼

早速の回答有難うございます。 私の考えでは、冬至の後の新月の日を元日にしたのかなと思っていました。 しかし、どうも月齢と元日が会わないのでわかりませんでした。 あなたの回答で納得しました。 本当に有難うございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (1)

  • moby_dick
  • ベストアンサー率33% (77/228)
回答No.2

元々は、春分を含む月、今の3月が1月でした。 今の3月1日が1月1日でした。 基本的には、春分の前の新月の頃です。 太陽暦では新月の日は変動しますから、平均的な新月の日の頃と言えます。 それで、その1月1日は春の始めの意味があります。 その後、ローマ皇帝のシーザーが暦の制度を替え、 旧1月1日を新3月1日に、旧12月1日を新2月1日に、旧11月1日を新1月1日にと2ヶ月ずらしました。 シーザーがそれをしたのは、自分の誕生月、旧5月を年の真ん中(新7月)になるようにする為だったと言われています。 それで、今の1月1日は、旧11月1日の意味しかありません。 春の始めの新月の頃から、2ヶ月前の日です。

291da
質問者

お礼

早速の回答有難うございます。 説得力のある話です。 1年の始まりは、もともと3月だったという話は聞いたことがあります。 しかし、はっきりした基点がどこにあるのかわかりません。 うるう年などを決めるためにも、明確な日を決めなくてはならないと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • グレゴリオ歴の初日が1月1日は何が元になってるのですか

    太陰暦は新月が基準は分かりますが、太陽暦における1月1日は地球の公転との関係は何か、黄道上との関連は?

  • 太陰暦と太陽暦

    太陰暦と太陽暦、太陰太陽暦について、おおまかな理解はしていると思うのですが、 いくつか細かな点で分からないところがあります。 暦、日本史について詳しい方いらっしゃいましたら教えて下さい。 太陰暦、月の朔望を基準に、一ヶ月を29日ないしは30日とする暦。 太陽暦、地球の太陽周回を基準に、一ヶ月を28日、30日ないしは31日とする暦。24節気と対応。 太陰暦は、1年につき約11日、3年で約33日(約1ヶ月分)、暦と季節がずれてしまいます。 そこで、3年に約1回(19年に7回)閏月をいれることで、暦と季節のずれを調整した。 太陰太陽暦は、月の地球周回と地球の太陽周回という二つの、それぞれに独立した自然現象を基準に、人間が、時間をはかるために併せ用いていたということだと思います。 そこで質問です。 太陰暦における基準点、一日は朔日(新月の日)ですよね。 睦月の朔日、如月の朔日、弥生の朔日、、、が、29日か30日に一回やってくると。 では、太陽暦における基準点は、どこですか? 閏月のことを考えると、太陰太陽暦では、睦月の朔日が、太陽暦の基準点がきもちよくぴったり重なる日が三年に一回あるということになると思うのですが、この理解で間違っていませんか? (西暦何年に、それがぴったり重なったとかっていう正確な記述があれば、ついでに教えてもらいたいです。)

  • カレンダーにある旧暦

     カレンダーの中には旧暦の一日とか新月半月満月を記号で示しているものがありますが、旧暦というのは明治初めまで使われていた太陰太陽暦のことでしょうか?月の満ち欠けを記号で表しているのは潮の満ち干を知るのに便利だからだと思いますが、それなら太陰太陽暦より純粋の太陰暦のほうがずれが少なくて良いと思うのですがどうなのでしょうか? 

  • 太陽暦と太陰暦について…。

    太陰暦は近頃まったく使いませんが、日本も昔は太陰暦を使っていましたよね。 それで閏月の7月29日は現在では何月何日になるのでしょうか。 そして太陽暦(現在世界中で使われている方で)3月8日は太陰暦では何月何日になるでしょうか? マニアックな質問で申し訳ないのですが、ご回答いただけるとうれしいです。

  • 一月一日はどのようにして決まっているのですか?

    題記のように,一月一日の始まりの決め方を教えて下さい,冬至の後の最初の新月の日と思っていましたが,違うようです,また,午前0時の始まりの取り決めも教えて下さい。

  • 太陽と月がノードか遠地点が直線上にある

    太陽と月がノードと直線上にあるとき、満月か新月になって日食か月食になりますよね? また、遠地点と太陽と月が直線上にあるときも新月か満月になりますよね? でも遠地点とノードはイコールにはならないですよね? この違いはどのようになっているからでしょうか?

  • 1月1日の決め方

    太陽暦なのに、なぜ中途半端な日(冬至や春分ではなく)が1月1日なのでしょうか?    太陽を基準にしているならその日のほうが自然な気がするのですが。 まぁ昔の人がそう決めたからと言われたらそれまでですが。 ご存知の方いましたらお教え下さい。

  • 改めて教えて下さい。「大寒」が依拠する暦は「太陽暦」か?

    改めて皆さんのお知恵をお借りしたいんです。はじめに、私は英語を通して海外の方に日本文化を紹介することに興味のある者です。ただし、天文学や暦などにはほとんどといって良いほど知識はありません。 (1)私の疑問は「大寒」という季節の区切り、特に今年であれば1月20日の日を日本文化に詳しくない外国の人に説明しようとしたときに、文字通り(「大寒」)1年のうちで最も寒い日とされている根拠は、わかりやすく暦のうちの二分法でいうところの「太陽暦」なのか、それとも「太陰暦」なのか、という点です。この疑問の背景については、この同じカテゴリーの私の質問(No.1184027)をご覧ください。 (2)以前の私の質問(No.1184027)に回答を下さった4人の方の(1)に対する端的な答えは「太陽暦」である、という点で一致されていました。 さて、改めてある事典を引いてみて気づいたことがあります。「二十四節気」を引いてみると、それは「太陰暦の日付と季節を一致させる為に考案されたもので、明治5年まで使用された太陰太陽暦のひとつ、天保暦もこれを使用していました。現在「旧暦」と呼んでいる暦もこの天保暦の焼き直しです」とありました。さらに、辞書(広辞苑)で「太陰暦」を引いてみると、「広義には太陰太陽暦を含めていう」とありました。 ということは、あくまで広辞苑に基づけば、の話ですが、 大寒 ← 二十四節気 ← 太陰太陽暦(広義では「大陰暦」) ということになり、(1)の答えは「太陽暦」(solar calendar)ではなく「太陰暦」(lunar calendar)となるように思いますが、いかがでしょうか?

  • 「大寒」は太陽暦に基づいたもの?

    1月20日付けのある英字新聞(The Japan Times第1面)に「大寒」の説明がありました。太陽暦に基づくもので一年のうちで最も寒い日(the coldest day of the year according to the solar calendar)という説明でした。  私は大寒や立春といった二十四節気は太陰暦に基づいたものとばっかり思っていました。が、今日辞書や事典を見てみましたら、太陰太陽暦に基づくものという説明になっていました。    外国の人に「大寒」の説明をするときに「太陽暦に基づくもので一年のうちで最も寒い日(the coldest day of the year according to the solar calendar)」という説明は妥当なのでしょうか?

  • 太陽暦について

    太陽暦はいつ誰が考え出したのですか? 太陰暦はシュメール人によって発明されたようで、太陽暦もそのあたりの時代に考え出されているようですが、太陽暦はシュメール人が考え出したわけではないのでしょうか。 詳しい方、回答お願いします><!