- ベストアンサー
坂本龍馬の実力
はじめまして。最近竜馬をいくを読みました。そこで疑問なのですが、 結局坂本龍馬は剣術が強かったのでしょうか?世間では真偽様々な意見があるようです。 しかし目録(しかも長刀)しかとってない人が小千葉の塾頭になれるもんでしょうか。本道場との絡みを考えるととても龍馬を気に入っただけで塾頭にしてもらえると思えません。 竜馬が行くを読んでいると父親宛への武市の手紙が紹介されており『竜馬が桂に勝って良かった』と記されていました。 そこで私は小説ほどまでにはいかなくても、ある程度は強かったと思うのです。 ただあえて疑問を言えば武市の手紙で桂の事を木戸とかいてありそこが不自然に感じました。 みなさんはどう思いますか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (3)
- fukkatsu-biz
- ベストアンサー率27% (50/185)
- tyr134
- ベストアンサー率51% (851/1656)
- fe-shokugyou
- ベストアンサー率6% (16/240)
関連するQ&A
- 坂本龍馬は2流の剣術使いだと思いますか?
坂本龍馬は2流の剣術使いだと思いますか? 最近2流に思えてなりません。 よく言われている根拠ばかりかもしれませんが、 1、千葉道場の目録免許は薙刀のものだったと判明。 2、桂を破った剣術試合は、桂は別の場所にいるはずなので武市のデマ。 3、名刀を持っているにも関わらず短銃を愛用。 相手を切らずに脅かせ、事を収めるには良いとは思いますが。。。 4、当時では長身のようですが、食生活からかひょろい。ひょろすぎる。 暗殺時も刀の鞘で受け止めているが押し切られて頭を打たれている。 まったく根拠はないですが剣豪宮本武蔵は打たれ強かったという話も聞きます。 やはり人間、漫画やスーパーマンではありません。 敵に囲まれたらやられます。 人物像についても司馬さんの影響からかもう定着しちゃってますよね。 昨今嫌になほどの龍馬ブームですが、 家族を捨てて脱藩、当時他藩のことは外国のようでしたから、 今でいえば土佐藩以外のことを考えるのは日本を離れて海外へ向かうようなもの。 結果論からは勿論素晴らしいことでしたが、、、ありえないと思います。 街中を女性と手を繋ぐとかもありえないようですね。 現在でいえば電車内でいちゃいちゃしたりするようなものではないでしょうか。 他人の目を気にせず、マナーとかルールとかあまり気にしない、 今で言う駄目人間、世捨て人とかなんというか。 みなさんどう思われますか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 坂本龍馬が薩長同盟を締結させた???
「坂本龍馬」司馬遼太郎創造説という内容の本を読みました。 つまり、実際の坂本龍馬が歴史上果たした意義、さらには龍馬自身の人物像は、司馬遼太郎の誇張によるところがかなり大きいとういう内容です。 実際、司馬遼太郎本人も 『あれは僕の竜馬なんだよ。「竜馬がゆく」は小説だから、史実の龍馬と区別するために「竜馬」という字を使ったんだ。』 と対談集で言っていました。 この「坂本龍馬」司馬遼太郎創造説を知って以来、「竜馬がゆく」をそのまま信じて 「坂本龍馬が薩長同盟を締結させた。」 というのは間違った歴史観だと思えてきました。 小説のように龍馬が日本を救うための薩長同盟をひらめき、薩摩も長州も嫌がっているのに、ムリヤリ同盟締結をしたのでしょうか? 薩長同盟は少なくとも西郷と桂に代表される実質的な指導者層が必要性を感じていなければ坂本龍馬がいくら周旋したところで成功はなかったでしょう。 やはり薩摩もしくは長州に同盟に意志があり、同盟締結のための一つの手段として龍馬を使ったという方が納得できませんか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 坂本龍馬が訪れた丸亀藩矢野道場を教えてください。
文久元年「1861」坂本龍馬は長州への剣術修行の名目で土佐藩より国暇を許され出国しました。途中、丸亀藩 矢野道場に立ち寄ったと記録にあるそうです。その矢野道場について詳しい場所などを教えてください。
- 締切済み
- 歴史
- 坂本龍馬の実資料の本
坂本龍馬に関する実資料の記載された本あれば教えてください。 理由は 実在の坂本龍馬と小説・ドラマの竜馬とは全く別と思っています。 (1)薩長同盟には立会い人として資料残っているが、折衝・交渉に関しては資料がない。 (2)殺害されたときは、ピストルで官憲殺害後なので、犯人は名乗り出れば良いはず。 又「暗殺」との表現はおかしい。又犯人が6年で出所している。近藤勇は打ち首で曝されて いる。 (3)船中八策の実資料が分からない。(出展忘れましたが、誰かが鍋島藩の誰それに出した手紙を託され、後に江戸でそのデッドコピー3部書いたのがそれらしい?) (4)お龍さんが事後、龍馬実家や薩摩藩から厄介者扱いされている様に感じる。薩長にいくらでも再婚相手居ると思うが、どこかの商人と再婚している。 以上の疑問で、実資料探すのですが分からないです。本出しても売れないからだと思いますが。
- ベストアンサー
- 歴史
- NHKの龍馬伝では、例えば龍馬は「西郷さん」 「高杉さん」と、さん付け
NHKの龍馬伝では、例えば龍馬は「西郷さん」 「高杉さん」と、さん付けで呼んでます。方や桂さんや千葉道場の先生は「坂本君」と君付けでよんでいます。時代劇では「様、殿、氏(うじ)」が定番です。江戸時代末に本当に「さん、君」が使われてたのか、ドラマの中だけなのか、どうなんでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 龍馬暗殺の新事実について教えてください。
龍馬暗殺の新事実について教えてください。 私は歴史研究家であり、特に坂本龍馬を専門とする者です。 先日とあるジャーナリストが集結した討論番組でとある 信頼のおける若手の新進気鋭のジャーナリストが龍馬の暗殺者の 首謀者は「千葉さな子」だとパネルに書いていました。 江戸に遊学に来ていたときに剣道の練習をした千葉道場の娘さんです。 とても美人であり剣の腕前も一流だったそうです。 一説によると龍馬と結婚をしていたとも言われています。 しかし、結局は離れ離れになり龍馬はお良と結婚しました。 千葉さな子は、学習院の寮母をやったり鍼灸医院をしたりして一生独身をつらぬきました。 ちなみに幼馴染の土佐のかこさんは、土佐勤皇等の隊士と結婚してその人は警視総監まで やりました。とても幸せな人生を送れたのではないかと思うとります。 幕末の最大の謎である 龍馬暗殺をした犯人は、はたして千葉さな子の可能性は、どれだけあるのでしょうか? よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 何故薩長同盟を結べたのでしょう
対立していた薩摩と長州は坂本竜馬の仲介で同盟を結んで倒幕に動き出しました… しかし…藩主同士(薩摩の島津公と長州の毛利公)で話し合って締結 と言うなら分かりますが 同盟交渉に当たったのは1薩摩藩士の西郷と1長州藩士の桂(木戸)です まして 土佐を脱藩してお尋ね者だった坂本竜馬が仲介に入って ですから余計に不思議です 西郷と桂は藩から藩主の名代みたいな形で交渉に出たのでしょうか? もしそうじゃないとしたら この2人が勝手に交渉して同盟結んだ事にもなります お互いの藩主は納得と言うか受け入れたのでしょうか? そして坂本竜馬の仲介は信用できたのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 龍馬伝をみて疑問と質問
龍馬伝をみて疑問と質問 岩崎は千葉さな子と、接点があったのでしょうか。 ドラマの演出上のフィクションでしょうか。 高杉が料亭にてハンドガンを天井に向けて2回発砲していますが、 当時の銃は連射可能だったのでしょうか。 坂本は江戸、長崎、神戸、越前?等、 とにかく行ったり来たりしていますが、基本歩きですよね? 東京~千葉間を自転車で行くのが限界な私にとっては、 すごいとしか言いようがありません ドラマだとルーラですが、これ実際、当時の路面状況等考慮すると どれくらいの期間、お金がかかったのでしょうか? 高知は当然航路も利用したはずですよね。 また、花緒(広末)、岩崎からの手紙を受け取り、行動を 起こしますが、 事件が起こり、その内容を記した手紙を受け取るまでの タイムラグはどれくらいだったのでしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
お礼
御回答ありがとうございます。 たしかに言われてみれば龍馬が剣術の達人である必要はありませんよね。小説を見ると実力があるのに剣を使わずに最後に剣によって暗殺されてしまった龍馬に不思議さと魅力を感じた次第です。 もともと坂本龍馬を歴史で習った時は『薩長連合』の項であずか一行たらずの紹介でした。もちろん耳学問で多少の知識はあったのですが、最近、龍馬をいくを読む機会があったのでその時に様々な点で感銘を受けました。仮に小説よりも剣が弱かったとしても、逆に私にとっては凄さを感じてしまいます。新撰組やらいる京都に何度もいってるわけですから。。。。 >>江戸の小千葉道場で修業をしたのが一年半ほどです 確かにいかに才能があってもそのくらいの日数では剣を極めるのは難しいですね。高杉晋作も剣術ではなくピストルを愛用した聞いているので、両者にはやはり時代をみる力がすぐれていたのでしょうね。 大変勉強になりました。 どうもありがとうございました。