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エホバの証人という宗教について、その2

starfloraの回答

  • starflora
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回答No.9

    参考URLに、「エホバの証人」について、少しまとまったことを記しています。彼らが、自分たちに都合のよいように、「聖書原文」を改竄している事実なども書いています。また、参考URLのわたしの回答文書は、彼らに対し、かなり「好意的な」表現になっています。この理由は、多くのエホバの証人は、(と言って、そんなに大勢知りませんが。せいぜい数人です)、「良心的な人」で、「真面目」で、そして困ったことに「視野が狭く」、「性格が硬直ぎみ」かつ「潔癖性」であるので、一旦信仰に入ると、それを撤回するのをよしとしないと言う頑迷な性格を持つことです。     「潔癖性」であるので、矛盾した教義であっても、一旦信徒になると、教義が矛盾しているのではなく、「矛盾を感じる自分が未熟なのだ」と考えます。自分自身で疑問を持っても、自分の未熟さや信仰の足りなさで答えにするのですから、一旦、信徒になると、他人の批判など、何とも思いません。というより、批判され、否定されると、逆に、本当に「憐れみの心」で「神に救い」を祈ったりしています。つまり、正しい信仰が分からないで、エホバの証人を否定している人たちが、救われないことは、悲しいことなのです。     「潔癖性」と「自分自身への正直さ」や「視野の狭さ」「人間的な正直さ」が輻輳すると、横から見ると、「欺瞞・虚飾・支離滅裂・利己主義・ご都合主義」としか、見えないことが、少しもおかしいことに見えなく、思えなくなって来ます。エホバの証人の人たちは、非常に哀れな人たちだとも云えます。貴重な人生を、「妄想」で無駄にしていると極論しても差し支えありません。しかし、彼らがそれで納得しているなら問題はないのですが、参考URLのなかて記したのですが、近所迷惑なのは、まだ大人として色々な人がいるのですから、それはましとして、子どもとか、判断能力がない状態の人について、その人の個人の尊厳を蹂躙する行動があるということです。     こういうことは、実は、他の宗教でもあるのです。例えば、カトリック信者の人は、普通、自分の子どもを「幼児洗礼」させますが、「洗礼」というのは、わたしにしてみれば、もの凄く重要な意味を持ちます。本来、子どもが受けるものではないのです。判断力ができて、自分で信仰を選べる時になって、初めて、この信仰を受け入れるかどうか、決定し、そして「洗礼」とするべきなのですが、慣習的に、幼児洗礼が行われています(キリスト教国では一般にそうです)。     しかし、カトリックは、「信仰の自己による選択」ということを、確認するため、相応の年齢になると、「堅信」を行います。幼児洗礼の場合、プロテスタントも同様です。     エホバの証人の場合、子どもに対する「洗脳」は普通の宗教の比でないので、大体、エホバの証人になりますが、しかし、やはり大勢、おかしいと思う子どもがいて、離教するようです。だから、問題は、まだ、信仰を自己判断し、自己決定で選んでいない未成年について、親が生殺与奪件など持ってはならないということです。幼児洗礼によって、子どもは別に死ぬことはありませんし、死亡の危険性もありません。     「エホバの証人の宗教」は、端的に言って「カルト」に当たります。彼ら個人個人は、上に言ったような、善良な視野の狭い、潔癖性の極端に強い人たちなのですが、それ故、一度、妄信・狂信に陥ると、カルトからの脱洗脳の困難さという問題になります。     質問されている「彼」については、現在の段階は、「学習中」ということで、信徒でも何でもありません。また、学習期間が終わっても、彼の考え方や性格によりますが、カルト宗教の典型である、強引な勧誘や入信の極度に大げさな称賛などの誘惑状態を乗り越えて、入信しない場合は、別に問題はありません。     闘う相手は、彼が学んでいるエホバの証人と、その背後の王国会館の人々です。エホバの証人の集会というのは、信徒にとっては、非常に快いものになっています。そして、人間は、そう極端におかしいことを信じ、それに従って生活していて、矛盾が出てこない訳はありませんから、それを乗り越えている信徒たちは、みな、或る意味で、矛盾した、ご都合主義の塊のような人たちなのですが、彼らの教えの世界のヴィジョンのなかでは、非常に善良な人で、実際に、上でも述べたように、善良な人が、エホバの証人になってしまうのです。本当に狡猾で、ご都合主義な人は、エホバの証人などにはならないのです。全然、得なところがない宗教ではないかと、大抵の世間的に狡猾な人は感じてしまうのです。     彼が、証人になるとすると、彼が潔癖性でナイーヴで、性格が硬直して、正義や真実や美を、文字通り信じようとし、信じたいと切実に願っているからです。こういう場合、信徒になるのを引き留めるのは、もの凄く難しいです。また、エホバの証人と結婚して、エホバの証人に自分もならない場合、破綻します。あまりにおかしいので、破綻せざるを得なくなります。(例えば、5歳ぐらいの子どもが、王国会館に通っているうちに、信徒でない親に向かい、「貴方は間違っている」などと説教します)。     もし、そういう性格や人格でない場合は、信徒になるかどうか、迷います。多くの人は、信徒になりません。子どもでない場合、世間を少しでも知っていると、エホバの証人のシステムは、正気と思えなくなります。中世のカトリック教会は、信徒が信仰のあまり、極端なことをし、庶民生活、家庭生活をないがしろにしないように教えました。聖フランシスコは、世俗信徒が、信仰熱心のあまり、日常生活が破綻しないよう考慮して、「第三会」を承認し設立しました。第三会員となり、修道士に準じて戒律を受け、その戒律には、日常生活をおろそかにしないと言う規定が入っていたはずです。     エホバの証人は、世俗信徒でありながら、日常生活を破綻させるようなことを勧め、そういう信徒を称賛しています。     彼らにとっては、新しい信徒を目覚めさせることが、地上の王国での榮光に繋がるので、極端に熱心に伝道し、現在の「彼」のような人は、容易に、信徒からこぼれないよう、入信させるため、色々なことを行うはずです。     だから、いま勉強中なら、貴方のカトリック信徒としての考えを大いに述べ、「視野」を広くするよう説得し、「完全は神にはあるが」、「人間には完全はない」ことを、大いに訴えねばならないでしょう。カトリックの教皇でさえ、おそらく信仰を疑う時があり、その試練を受けて、あらためて、考え直し、自分は人間であって、真理を知ってなどいないという「限界性」を痛感するはずです。     教皇ヨハネスXXIII世は、そのような寛容な広い心を持っていたからこそ、第二ヴァティカン公会議を開くことができたのでしょうし、カトリック教会は、二十世紀を乗り越え、二十一世紀へと、進んで来たのでしょう。     信仰とは、疑いがあり、試練があり、反省があり、学習があっての信仰だと思います。エホバの証人の場合、一旦、信徒になると、協会の発行物しか読まなくなり、それが純粋な信仰だということになります。しかし、外部の違った意見や、違った知識を知り、その上で、自己の信仰を問いかけて、信徒であることを続けるというのが、現代では、健全な宗教のありようです。     地上の楽園があるとか、最終解脱があるとか、誰がそんなことを知っているのでしょうか。ダンテの『神曲』のなかでは、当時有名であって、逝去した教皇の霊が、煉獄にあって苦しんでいるという描写があったはずです。     エホバの証人というか、ものみの塔協会は、それに向いた性格の人を信者にして取り込み、その人の人生を台無しにしてしまうカルト宗教だというのが、その姿でしょう。簡単に信徒をやめるような人は、元々信徒にならないとも云えます。また、信徒を続けて、疲労困憊して離教した頃には、被った被害があまりに大きく、何と時間や色々なものを無駄にしてしまったのかという後悔しか残らないでしょう。カトリックを離教しても、信徒であった期間は、それなりに有意義なときであったと評価できますし、信者であることをやめても、中世ではなく現在は、信者に留まっている人と交際しても別に問題はありませんし、教会も、離教した人が、礼拝に来ても、これをとがめることはしないはずです。しかし、エホバの証人は違うところがあります。     「人間には、究極的な真理を知ることはできないのだ」という、常識で説得して、駄目なら、或る程度、同じ説得を行ってもよいでしょうが、信徒になってしまって、やめることがないのでしたら、もう人間の力では、難しいということになると思います。      >No.154249 質問:エホバの証人について-白内障手術ー   >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=154249   

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=154249
pobbit
質問者

お礼

お返事送れまして、すみません。 一度、参考URLは覗かせていただきました。 そこまで、深く読んではいなかったのですが、思うことありまして ちゃんとした時間がとれれば、またお礼をしたいと思います。 まずはご意見ありがとうございました。

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