• 締切済み

僧侶と性

悟りにいたるために、あらゆる煩悩を捨てて修行に明け暮れなければならないというのはわかるのですが・・・ 女人に触れるなという戒律があるくらいだから、性的行為は当然ダメだと思うのですが、そうなると子孫を残すことが出来ないのではないのでしょうか? これだと種の保存を無視しなければいけないということなのでしょうか?

みんなの回答

  • lightgrid
  • ベストアンサー率26% (11/42)
回答No.7

 根本仏教または南伝仏教では、出家僧は、性的行為は禁止されています。在家は性的行為は禁止されていません。  家族を持って子供が一人前になった後で、出家すれば、誰でも子孫は残せます。  大乗仏教はヒンズー教化された仏教であり、大乗仏教の僧は本来の出家僧ではありません。  人類は因縁によっていずれ滅びますから、人類の種の保存にこだわることはないでしょう。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#30044
noname#30044
回答No.6

こんにちは >そうなると子孫を残すことが出来ないので・・ これって、出家と在家での戒律は違いますよ。 いわゆる、お寺のお坊さんは在家??なので、結婚もしているし、子供もいる、ただし、本質的に良いか、どうかは不明ですが。 出家の場合、"子孫を残す"=子供への愛着ですから、当然、否定しなければいけません。 例えば、死を迎え、来世に移行する段階で、妻、子供とは絶対に別れなければてけませんよね!??、この時、妻、子供、恋人と瞬間的に別れた時に、苦しまないといけないでしよ。 で、在家の場合は、悟りというステージが、高いところを目指していないので多少、許されるのです。でも、苦しむことは事実なので、愛着を弱める=無頓着の意識を可能なかぎり作るように、修行をしているものと、想像で恐縮ですが、感じます。 悟りは、『すべては無常を根本とする』という言葉が、ありますが、少なくても、死を迎えた段階で、すべての愛着していた名誉、財産、妻、恋人、子供を手放さなければ、いけません、だから、死を前提に考えたら、これらの愛着は、ある意味、意味が、ないのです。 なお、仏教で読んだ本の知識で回答してみました。 私は無宗教ですので、あしからず。 以上

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • jun95
  • ベストアンサー率26% (519/1946)
回答No.5

僧侶といっても、近所の寺の住職を見てみれば、たいてい結婚していて子どももいるでしょう。また、ホモの坊主だと、女性には触れたくないでしょうし、生まれながらにして、子孫は残せないのです。 僧侶で結婚はおろか、お触りもできないのは、タイの僧侶です。Hがしたくても我慢していくうちに、Hをしたくても、そのままの気持ちで暮らせるようになります。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#37852
noname#37852
回答No.4

#2です。余談。 子孫繁栄とは目的が違うんですが、「立川流」というのを聞いたことがあります。 これは性交する宗派。 私は中沢新一さんの本・・・・『仏教が好き!』か何かで読んだだけでよく知りませんが、なんだか大変そうです。 鎌倉時代あたりの密教で、陰陽の力を重視するらしい。 7年間、毎日ご本尊の前で真言を唱えながら男女が交わり、というものだったそうです。 大真面目な儀式だったのでしょう。 http://www8.ocn.ne.jp/~giyoh/chusei-17.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E6%B5%81_(%E5%AF%86%E6%95%99)

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • chakariki
  • ベストアンサー率50% (29/57)
回答No.3

僧侶は、自分自身の種の保存を考えなくてもよいのです。本能で生きるのではなく、真理で生きるのです。 衆生に対して、種の保存を考えることはできるでしょう。衆生の幸福は考えなければいけませんから。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#37852
noname#37852
回答No.2

仏教ですよね? 妻帯OKの宗派があります。 その場合は子孫も残すし、修行もするでしょう。 妻帯しないのが基本のところも、信徒の全員が出家するわけじゃないですから、人類は存続します。 子孫を残すことよりも精神的な向上を選ぶのが出家者なのでは? 出家は俗世間を捨てるんですから、子孫繁栄はもはや関係ないのでしょう。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E5%AE%B6
全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • dexi
  • ベストアンサー率14% (318/2128)
回答No.1

その戒律のあるところに出家(?)するのであれば、そうなんでしょうね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 僧侶の方に質問です。

    先日、高野山で修行した友人の僧侶と話をしていたんですが元来僧侶は商売で行うのではなく生き方そのものだと聞かされました。特に十善戒と言うものを守り日々精進を重ねて生きて行くものと言ってました。そこでその友人の僧侶に十善戒を守っている僧侶はいるのかと尋ねたところ(居られない)と答えられました。じゃあ何のための戒律かと尋ねたら修行を行うときだけ守れば良いと言われました。例えば総本山や奥の院などで働く僧侶達ですら精進料理など普段は食べず夜になれば居酒屋などで生臭で宴会をしていると聞かされました。私も父親を亡くしてから冥福を祈るためお布施を収めてきましたがそのような事に使われてたと思うと複雑な心境になり質問しました。生臭で宴会などするのは駄目じゃないか?お布施などいらないのではないのか?と尋ねると誰も僧侶を志す者が現われなくなると言われました。友人の主張が正しいのであれば僧侶のしている事を在家に置き換えれば僧侶と言うのは商売でお布施は税金の掛からない売り上げで檀家さんはお客さんと言うことになる。僧侶もただの人間だけど修行をしたから在家より偉い修行中だけ十善戒など決め事を守ればあとは守らなくても良いとなれば凡人と僧侶は何が違うのでしょうか?またこの様な事は真言宗だけなんでしょうか?教えてください。

  • 親鸞の「横に超える」とは?

    親鸞について読んでいたら、「横超」という考え方を目にしました。 仏教で悟りを求めて、修行をして、戒律を守って自分を高めて 縦に超えて行くのはイメージとしてよくわかるのですが、 親鸞の横に超えるというのは、正直よくわかりませんでした。 どなたか親鸞に詳しい方の解説をお願いします。

  • 鎌倉時代の新仏教と旧仏教

    鎌倉時代の新仏教と旧仏教の違いについてききたいです。 新仏教は、たとえば浄土宗で、専修念仏を唱えていれば、人は救われる。また臨済宗では公案解決により悟りに達して救われる。というように易行で民衆を救うというものだと思います。それに対し旧仏教の華厳宗や法相宗では、易行では民衆を救うことはできず、きちんと戒律を守って、厳しい修行を積んだ結果、悟りに達して救われるというもの。おおまかに分ければ、こんなかんじでいいでしょうか?また、救われるというのは、悟りに達することを指しているのですか?

  • 煩悩(ぼんのう)

    >(国語)ぼんのう ―なう0 3【煩悩】 (三省堂「大辞林 第二版」より) 〔仏〕 人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。「三毒」「九十八随眠」「百八煩悩」「八万四千煩悩」などと分類され、これらを仏道の修行によって消滅させることによって悟りを開く。染(ぜん)。漏。結。暴流(ぼる)。使。塵労。随眠。垢。 と有りますが、貴方の煩悩とは何ですか? 教えて下さい、お願いします

  • 般若心経における悟りとは何でしょう

    私は無宗教ですが、般若心経について少し興味があるので教えてください。 「悟りとか煩悩の克服にこだわると悟れない」とあるサイトに書いてありました。経を唱えるとか、写経とか、修行とか座禅などは悟りの境地に近づくためにするもの、つまりこだわっているものだと思っていたのですが、このへんがよく理解できません。 また、「悟りを得るための仏教の教義にこだわることも間違い」という説明もありました。仏教の教えを守ろうとすることも間違いという意味なのでしょうか? 「一切のこだわりがない状態が良い」というのが教えだとしたら、般若心経の教えを理解しようとする気持ちもない状態が良いということになるのでしょうか。また、仏様を崇拝する気持ちもない方がよいということなのでしょうか。

  • 煩悩の中で外せないものは。

    煩悩は108種ある、その中で絶対外せないものがある。 生まれてから死ぬまでに、金欲と性欲ではないかと思う。 今の時代、安定した金額さえ有れば、贅沢さえしなけれ ば、普通の生活が出来る。富豪になると親は良いが子は 苦労知らずのバカボンになる可能性がある。性欲は動物 の本能で子孫を残そうとする遺伝子がある。この二つが 欠けると、生きていけないと思います。この二点から全 てが繋がっているように思えますが、質問です。金欲と 性欲以外で煩悩の中で、外せないのは有りますか?

  • クリスチャンの教えってそんなユルかったっけ?

    私の知り合いにガチガチのクリスチャンがいました。お父さんの代から少し変わったのかな?それまでは、結婚前に男女が行為に及んではダメ。男性は一人行為もダメ、 結婚してから結ばれる等々、仏教徒の戒律より厳しいのに、いつどう変わったか、ヨーロッパの大半はクリスチャンやカトリックのなかで、公園でイチャラブしたり、結婚前に行為に及んだり、キリストさんの禁欲的な戒律無視してない?ってなってるけど、あれって、確かにカトリックやプロテスタントのなかでも○○派とか○○協会とか、イエズスやらナザレンやら、「俺らの解釈はこうやで!」で正統派がいなくなった末路なんでしょうか? うちの知り合いの敬虔なクリスチャンとまた違う教えなんかな?とたまに思います。 アーミッシュもその敬虔なクリスチャンのひとつなんでしょうか? 仏教徒だけど酒タバコしますよ。 だって。うちの経典には書いてないもん~みたいなもんですか?

  • 親鸞はなぜ妻帯したのですか。

    親鸞上人は比叡山で厳しい修行を積むも悟りを開くことができず下山。 六画堂に参篭したところ、夢枕に久世観音の化身である聖徳太子がたち 「今まで僧侶は結婚してはいけないという戒律があったが、 今こそそれを破るべきです。 私は玉のように美しい女性となってあなたを生涯助けます。」 と告げたのでしたね。 で、結婚して多くの子宝に恵まれたようです。 伝説では聖徳太子の夢のお告げがあったので妻帯したということになっていますが 実際のところはどうだったのでしょう。 自説、トンデモ説も大歓迎します。 ぜひ意見を聞かせてください。

  • 性行為に於ける「挿入」の位置づけ(女性のご意見を)

    タイトルが何やら論文の課題みたいになってしまいましたがお許し下さい。 地球上の生物の性行為は、元はと言えば「種の保存」「子孫を残す」為の行為なのですが、人間のソレには神様の悪戯か「快感」を伴う様にされてしまいました。 男性はセックスと言うと先ず「女性との一体」を頭に浮かべ、性的興奮によって、体の一部もそれが可能な状態になります。 ところが女性はそうでもないらしく、今、適切な言葉が見当たりませんが、簡単に申し上げますと「男性がソレを望むから受け入れる」と言った感じに思われるのです。 男性がソレが不可能になった時の焦り、失望感は女性の想像を絶するものがありますが、果たしてこのセックスに於いての男性器の挿入、女性はどの様に考えておられるのでしょう? この質問の域をもっと広げますと「セックスをどの様に考えておられるのでしょう?」と無限大のテーマになってしまいますので、敢えて質問範囲を絞らせていただきました。 単に「気持ちが良いから」でも「本当は苦痛なのだけど愛する彼が望むから仕方無く」でも構いません。 女性の率直なご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。

  • 種の保存

    生物が子孫を残す種の保存は本能だというのと本能ではないという意見を目にしましたがどちらが正解ですか?