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グリム童話とリア王が似ている!
グリム童話とリア王で似ている話がありますよね? タイトルは忘れましたが、王さまが3人娘に、王様をどれくらい愛しているかたとえさせました。 末娘だけが、言葉に表せないといい、ついには「塩のようにお父様を愛してます」と言って父の逆鱗に触れます。 これは欧州共通の童話なのでしょうか?どちらかが先なのでしょうか?
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グリム童話のタイトルは、 「泉のそば [ほとり] の鵞鳥番の女 [少女] 」( Die Gänsehirtin am Brunnen : KHM179 ) ですね。 英訳 : http://www.gutenberg.org/dirs/etext04/grimm10a.txt 末娘が父親に 「塩のように愛している」 とこたえる話は、ヨーロッパのほかにインドにもあるそうです。 http://www.pitt.edu/~dash/salt.html イギリスには、Cap O' Rushes という話などがあります。 http://en.wikipedia.org/wiki/Cap_O'_Rushes これらのバリエーションの多くは、末娘が塩味のきいた料理あるいは逆に塩気をなくした料理をつくることによって父親に真意を悟らせる、というパターンになっています。グリム童話では 「塩」 の意味が不明確になっているので、比較的後から成立した話ではないかという気がします。 これらの民間のバリエーションが採録されたのは、19世紀になってからです。一方 「リア王」(c.1605) のエピソードは、12世紀に書かれた 「ブリテン王列伝」 という歴史書にあらわれる、当時有名だった伝説にもとづくものです。 http://en.wikipedia.org/wiki/Leir_of_Britain http://en.wikipedia.org/wiki/Historia_Regum_Britanniae 「ブリテン王列伝」 は歴史的には正確なものとはいえないらしいので、同じフォークロアの採録の先駆けということになるのかもしれません。
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- siapa
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おもしろいですね。はじめて気づきましたよ。そりゃあ、作品の現れた順でしょうねえ。
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