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主語 述語 目的語

これらの意味は直感的に理解できるのですが 文法論ではどこまで説明されているのでしょうか? 1. 形式的な説明についてはもう少し厳密に説明されている 2. 哲学的に深い考察がある。(例えば以下のような)   原因や結果を基に考えて説明されている   原因を生む客体が主語で   結果の対象が目的語で   原因から結果までの作用の様子を表しているのが   述語とか 3. 直感的な理解だけで済ませ深入りしていない。 4. その他

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noname#19923
noname#19923
回答No.1

1. 形式的な説明 もう少しどころか,むちゃくちゃ厳密かつ専門的すぎて,とてもここではかけません。 文法論は科学であり,この分野全体を知らないと,理解不可能です。たとえばある文法理論では, 主語=TP指定部にある要素 目的語=vP指定部にある要素 また別の文法理論では,主語や目的語にプロタイプを設けて,云々という議論もあります。 ね,訳が分からないでしょ? 私もです。 2. 哲学的に深い考察 哲学といっても,こういうことを扱うのは論理哲学とか述語論理学とか,非常に形式的で記号を駆使する分野です。たとえば, λx, λy, x saw y とかね。 とにかく,主語・目的語・述語などを単に意味から定義することは不可能です。 たとえば,以下の関係が表せなくなります。 John hit Mary. → Mary was hit by John. John rolled the ball. → The ball rolled. また,下の John は意味上は不定詞の主語ですが,形式上は want / believe の目的語です。 I want/believe John to be honest. 上で少しのべたプロトタイプ論はそれに対する挑戦ですが,やはり論理学や認知言語学を知らないと,理解不能です。 「数」だって日常的な理解と数学的説明では全く違います。 なぜ雨が降るのかを科学的に説明しようと思ったら,大学でみっちり一週間はかかるでしょう。

SariGEnNu
質問者

お礼

ありがとうございます。 1. 形式的な説明 もう少しどころか,むちゃくちゃ厳密かつ専門的すぎて,とてもここではかけません。 とても興味を持ちました。ですが大変そうです。 何か参考サイトとか参考書籍もあると嬉しいです。 かいつまんだ説明があるのも助かりますが やはり難しいのでしょうか。

その他の回答 (1)

noname#19923
noname#19923
回答No.2

>何か参考サイトとか参考書籍もあると嬉しいです。 SariGEnNu さんのことを存じ上げない以上,一般的な入門書を挙げるくらいしかできませんが。 先にも申し上げましたとおり,理論の全体像を見ない限り無意味ですので,遠回りのようですが,これしかありません。 『はじめての認知言語学』 吉村 公宏 (著)(2004) \2,310 研究社 『生成日本語学入門』 長谷川 信子 (著)(1999) \1,890 大修館書店 『生成言語学入門』 井上 和子 ほか(著)(1999) \2,415 大修館書店 他にもアマゾンなどで検索されれば,よろしいかと。 サイトに関しては,認知言語学で検索すれば,たくさん出てきます。

SariGEnNu
質問者

お礼

ありがとうございます。 私の専門外なので大変そうですが 少しずつ理解を積み重ねたいと思います。

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