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永久に会えない星たち

starfloraの回答

  • starflora
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回答No.14

    基本的に、ibm_111 さんとは、それほど考えていることに差がないということが確認できましたので、この話は、一応、終わりとしたく思います。考えに差がないと言っても、それは、物理学の知見の点で、わたしが、氏の述べておられることを完全に理解できるとか、そういう意味ではありません。     物理学の理論や仮説や実証についての考えの大きな枠で、了解できたという意味です。物理学の理論仮説は、従来の理論では説明できない現象が発見された時、それをどう整合的に説明するかという目的で立てられる仮説であり、普通、数学的モデルの形になります。時に、数学者からすると、でたらめな数学を使うこともあります(ディラックのδ関数がその例でしょう。こんな「関数」はないというのが、数学者の意見でしたが、物理学者は便利であるというのでどんどん使用しました。δ関数を含めて、こういう「おかしな関数」を数学的に基礎付けたのは、ブルバキの一人であるローラン・シュヴァルツなどで、「超関数 dsitribution の理論」として、数学的に納得の行く理論にしました)。     ところで、既存の理論では説明できない現象に対し、整合的な説明仮説理論を立てるというのは、理論物理学者の仕事である訳です。その仮説理論の妥当性というのは、問題の現象を説明できるということで決まる訳ではないのですが(何故なら、その現象を説明するために理論を造ったからです)、しかし、仮説理論が美しいとか、調和が取れているとか、適用可能性が大きいように思えるという「見込み」で、理論物理学者は、仮説理論は非常に有望だと考えます。     しかし、物理の実証理論は、もう一つステップが必要です。それは、説明するための現象とは、一応、独立していると思える現象について、仮説理論が、理論の帰結として「予言」を行い、この予言が、実験検証により、確認された場合です。この場合、仮説理論はこれでそのまま「真理」になるのではありませんが、「物理理論として実証された」とします。無論、その理論から出てくる別の帰結が、実験検証で違った結果になる時は、理論はどこかに欠陥があるということになります。     物理(科学)の理論というのは、永遠に仮説だというのは、科学の方法論でポパー以外の人も言っていることです。それは、新しい理論に乗り越えられるためにあるとも云えるでしょう。物理の理論は、常に「暫定的に確認されている理論」ということになります。     理論物理学ではしかし、理論を造ることが重要で、或る理論を造って、高い評価を得て、多くの人が、その仮説理論を称賛していると、その理論を提唱した当人が、自分の理論の欠陥を見いだし、新しい改善された仮説理論を立てることがあります。つまり、実験検証される以前の理論が、理論内部の矛盾等で、より優れた仮説理論にとって変わられるという歴史が、理論物理学では幾らでもあるということです。そして、これが、理論物理学での理論の進化あるいは進展だともなります。     理論仮説は、いかにもっともらしく思えても、検証がないと仮説に留まっているのです。しかし、その仮説理論を正しいとする前提で更に別の仮説理論が立てられ、その仮説理論を正しいとして、更に別の仮説理論を立てるという操作があるのです。この場合、極端には、最初のもっともらしかった仮説が崩れると、それを正しいとして築いた仮説理論が、全部崩れるという可能性もあります。「机上の空論の上の空論」というのは、仮説理論は最悪、「机上の空論」である可能性があるのです。その理論を前提に築いた仮説理論は、「空論の上の空論」だとも比喩的には云えるということです。     整合的で美しく、宇宙の構造を解明するような理論を築くことは、大いに有意義なことで、物理学の発展のためというだけでなく、人間の知的好奇心、宇宙を理解したいという要求を満たす営みでしょう。だから、理論物理学の仮説理論の構築はポジティヴな価値があると云えるのです。しかし、それは、理論物理学者が、どう妥当で正しいと信念を持っても、検証されなければ、仮説に留まっているのです。     この場合、直接には観測できない変数や構造を、理論的に措定することには何の問題もないと言うべきです。問題は、理論の抽象性にではなく、抽象構造と、具象的観測可能性・検証可能性が、どこかで繋がっていなければならないということです。「検証実験」があるのであるが、色々な理由から実験ができないというのが理論物理学では多々あります。実験に費用がかかり過ぎるとか、高エネルギーが必要で、そんな加速器は世界にないとか、十万年ぐらい実験していると結果が出てくるとか、検証実験の方法を提示できても、現実に実験して確認できない可能性が多々あるのです。近年の素粒子物理学や宇宙論関係では、そういう話が非常に多いのです。     (地球の公転軌道ぐらいの大きさの加速器だと、検証できるとかいう話があったように思います。地球の赤道を一周するような加速器なら、予算などの関係で実現しませんでしたが、計画としては現実にありました。しかし、公転軌道規模となると、「リング・ワールド」を造れるぐらいの文明なら可能かも知れませんが、現人類には、まず無理です)。     しかし、観測実験で検証されていないものは、やはり、仮説に留まると言うべきだというのが、わたしの見解で、仮説に留まるからと言って、それが無意味であるとは思っていないとは、わたしはこれまで短くですが述べて来たと思います。こういう物理学の考え方については、ibm_111 さんとは、それほど食い違っていないというのが、得られた印象です。     そこで、ここまでが長い前置きです。わたしは、No.5 で次のように記したのです:     >物質の移動速度は、光速が上限であるが、空間の移動速度は光速を超えることができるというのは、考え込みましたが、違っているように思います。     >稚拙なイメージかも知れませんが、ハッブル膨張する宇宙で、閉じていて、等方で等質な空間を考えると、モデルとしては、直径Rの四次元の超球が考えられ、この表面の超球面が、この三次元の宇宙だというモデルになり、ハッブル膨張は、超球のRが、時間と共に増大していることだとなります。     >すると、或る空間点Aと別の空間点Bが、光速を越えた速度で離れて行くということも起こり得ます。「空間は超光速で移動できる」とは、こういうことを言うのだろうと思いますが、空間はそもそも「移動するのか」という疑問があります。空間をマーキングできるのは、内部の物質で、電場や磁場、電磁場です。     ここで、最初の段落で、「考え込みました」と書いているのは、下に書いているように、ハッブル膨張で、銀河が、互いの間隔を、超光速で離れて言っていると言う可能性があるからです。しかし、特殊相対性理論では、質量ある天体は、超光速で、互いの間隔を離れて行くことができないはずです。     つまり、「何を考え込んだ」かと言うと、その後の ibm_111 さんの言葉で云うと、二つの銀河があるのが、ミンコフスキー空間であるなら、二つの銀河が超光速で、離れているということはありえない。しかし、ハッブル膨張では、そういうことがありえるということになる、ということです。ミンコフスキー空間での質量ある物体の「間隔の開き」は、ミンコフスキー空間内の物体の運動によるもので、ハッブルの膨張宇宙での、「間隔の開き」は、「空間の間隔の開き」で、ハッブルの膨張宇宙の空間は、ミンコフスキー時空ではないという結果がここで出てくるのです。     しかし、寡聞かつ無知にして、わたしは、超光速で、銀河が移動しているということが「確認された」という話は聞いたことがなかったのです。「超光速の空間の移動」とは、その空間に含まれる銀河の移動のことになるのです。従って、超光速で銀河が移動しているという実証はあるのかという話の前提に、空間のマーキングの話が出てきているのです。「超光速で銀河が移動している」という回答があれば、それは、いかにして、直接的または間接的に検証されているのか、という質問に繋がって行くのです。     もし、この質問に対し、肯定的な答え、肯定的な検証があるという場合は、宇宙論のモデルにおいて、この質問に対し、「ある宇宙論では光が届くこともありえる」とはならないのです。「光が届かないという宇宙論のモデルが正しいと検証されている」となるからです。     理論的なモデルが多数あるのは周知であり、しかし、それらのどれが妥当なのか、実はよく分からないというべきでしょう。宇宙論を考えるにおいて、RW計量を使わないと考えようがないというのは、そうかも知れませんが(と言って、何かが分かった上で、そう言っているのではなく、物理学の理論構成から、そういう風に考えられるのです)、しかし、宇宙論モデルによっては、光が到達することもあるという回答になるのは、宇宙論モデルが、理論的構想のなかにあるということを意味しているのです。     わたしは、特殊相対性理論は、非常に安定した信頼の置ける理論として、物理学の基本位置にあるという考えなので、ハッブル膨張で、超光速で移動する銀河が出てきた時、この銀河の運動空間は、ミンコフスキー時空ではないと言うことになると思ったのですが、そちらは、「仮説理論」だとして、ミンコフスキー時空の方で考え、更に、そう考えることの問題について、尋ねたのです。     結果的に、ミンコフスキー時空で考えるのは、膨張を前提とした宇宙論では、もはや素朴過ぎるというのが、理論物理学の一般常識だと、朧に思ったのです。(しかし、ド・ジッターの宇宙論とは。あれは相対論を使った最初の宇宙論のはずで、すると、わたくしは、途轍もないアナクロニズムなのでしょうか)。     おそらく、光が到達できないという答えが正しい「可能性が高い」のでしょう。ミンコフスキー空間は、膨張リーマン空間の接空間だというのが、正しいのでしょう。しかし、その結果が、ただちに、光が到達できない、ということになるのでもないと思います。そうである可能性が非常に高いと思いますが、そうだ、と断定できるのは、まだまだ検証し、確認しなければならない色々な高い隔壁があるというのが実状ではないのか、ということです。理論物理学者でなく、実験物理学者は、そういうのではないかとも思います。     これで、どうでしょうか?> ibm_111 さん。  

hubble
質問者

お礼

回答および討論ありがとうございました。 私の分野でも理論が理論通りにいかない事はよく解かっています。色々な意味で勉強になりました。

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