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西洋や中国の兵士は、どうやって敵を見分けていた?

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お礼率 89% (659/739)

 突然ですが、西洋の騎士などはどうやって敵と味方を見分けていたのですか。

 この前、どこかの局でやっていた「ジャンヌダルク」を何となく見ていてそのような疑問が沸き起こりました。
 なぜなら、フランス軍とイギリス軍の見分けが自分には全くつかなかったからです。日本なら、旗指物やなにやらで見分けがつくようなものですが、少なくとも映画の中では西洋の騎士達は別に旗とかを背負っているわけでもありません。まさか敵味方の別無くただ暴れていたわけでもないでしょうから、何らかの識別方法があったのでしょうが、映画を見る限りでは全く分かりません。

 それから、題には「中国の」とも書いてますが、これは中国に関しても同時に疑問に思ったからです。確か、以前読んだ三国志の漫画では特に各軍の区別が無かったのをその時に思い出したからです。
 強いて言えば、作中では兜の形が違っていたような気もしますが、現物が手元に無いので定かではありません。

 実際には、彼らはどうやって敵と味方を区別していたんでしょうか。歴史に詳しい方、よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー

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レベル13

ベストアンサー率 61% (647/1050)

 
  どの規模の敵を見分けるのかで、答えが違って来ます。例えば、千人からなる軍隊なら、旗も当然掲げていますし、指揮官や士官級軍人の軍装や、軍事装備、武器などを見れば、どこの軍隊か、一目瞭然のはずです。無論、そういう知識のない人には分かりませんが、戦場で、まず、敵味方の区別の知識が最初に重要になります。間違って、味方同士で戦うことほど愚かなことはないからです。
 
  一番基本的な識別手段は、西欧でも中国でも、兵士の纏う「軍装」でしょう。どんな戦闘服を着ているか、どんな目印の布などを首のまわりや、飾りとして、背中にひっかけているか、どんなはちまきをしめているか、どんな武具を持っているかなどです。中国で、「黄巾の乱」というのは、叛乱を起こした叛徒たちが、互いを識別するため、黄色い布を目印に身体に纏ったからです。また「赤眉の乱」というのも、叛徒が、眉を赤く染めて、仲間を識別したので、こういう名が付いています。
 
  「黄巾の乱」や「赤眉の乱」に加わったのは、統制のない農民雑兵で、正規軍兵士ではなかったので、とりあえず、敵味方を分かり易くするため、こういう簡単な識別法を選んだのです。
 
  正規軍の場合は、制服が支給されますし、身分に応じて、その軍装が変化したり、飾りが決まっていたりしますし、武具も、或る程度、整えられた共通のものであったはずで、これは、武具も組織的に支給されたからです。また、身振りとか、戦いの時の態度のようなものも、訓練で、段々決まってきます。「忠臣蔵」で出てきますが、念のため、「合い言葉」も用意していたでしょう。
 
  西欧中世の騎士は、日本の武士と同じで、闘い方に「様式」があります。日本の武士は、「名を名乗れ」とか言って、「我こそは、どこそこの何々なる」とか叫んでいたのと同じで、騎士は、騎士同士で闘います。騎士が普通騎乗であり、その従者は徒です。騎士は、無論、自己の家紋や象徴などを、楯にも軍装にも、それと分かるように示し、従者たちも、それぞれ、騎士の従者だと分かるような印を軍装に付けています。従って、どこの誰かが分かるのです。
 
  ただ、乱戦・混戦・肉弾戦になってくると、誰が誰か分からなくなります。その場合でも、軍装や軍備などで、大体の見当を付けたのでしょうが、間違って、味方同士で闘うということも、乱戦の場合はあったでしょうし、どこの誰か、騎士であっても分からなくなったはずです。チェーザレ・ボルジアが乱戦のなか戦死した時、誰も気づかず、彼が見事な鎧を纏っていたので、戦利品として鎧を剥いで持ち帰った敵兵が、城に帰ってよく見ると、鎧に、「ヴァレンティーノ公爵チェーザレ・ボルジア」とあったので、驚いて敵の指揮官が遺体を探しに行って、夥しい戦死者のなかから、見つけたという話を、塩野七生が書いていたと思います。
 
  しかし軍事戦術的には、意図して、そうする場合は別に、乱戦・混戦になるのは、戦術の失敗です。軍を機能別グループに分け、さっと攻撃して、引かせると同時に別のグループが別の方向から攻撃し、という形で、幾何学的に、整然と軍を動かして戦うので、総攻撃=乱戦=混戦というのは、ドラマではよく出てきますが、そう簡単には行わないはずです。
 
  (「赤揃え」というのが、戦国時代にありました。武装を赤い色に揃えることで、はっきりどの軍かが分かります。大坂夏の陣で、真田幸村麾下の軍は「真田の赤揃え」で戦ったと言われています。幸村は無論、戦死覚悟で、家康の首を奪うことに一戦をかけたので、これはもう混戦覚悟ですが、そのなかで、幸村は見事に部下を統率して、家康は、辛うじて身一つで戦場を逃げ出し助かったと言います。家康を守っていた旗本もみな蹴散らされたのです)。
 
  この戦いに勝機ありと見た時、一気に敵を押しつぶすために総攻撃するか、または、最後の活路を見いだすため、総攻撃するとか、乱戦・混戦になるといくさの帰趨が分からなくなるので、それは一般に、戦術上避けるものでしょう。また、この総攻撃のタイミングの測り方の上手な武将が、勝利したのだとも云えます。
 
  中世西欧の戦争は、名前が有名な割りに、参加戦闘員が少ないということがあります(ノルマン・コンクエスト最大の戦闘は、千人ほどが戦っただけであったか、あるいは、ノルマンの征服というのは、千人ぐらいが、侵攻しただけであったという話もあります。……無論、その後、ノルマン人がかなり大勢イングランドにやって来るのですが)。
 
  日本の「関ヶ原の戦い」でも、東軍西軍で約十万づつと言われていますが、参加大名ごとで陣を敷いていて、更に、軍を小区分して分けているので、内部では、味方かどうかはよく見知っていたということです。また、戦いは、組織的に行うのであり、五十人ぐらいの兵には、小隊長とかその補佐というような、士官・下士官が付いていて、あそこを攻撃せよとか、部下に命じていたのです。「旗さしもの」は、この下士官クラスが付けていたもので、普通の兵は、そんな邪魔なものは付けていなかったし、これは指揮官の印でもあるので、勝手に付けることも許されなかったということです。この指揮官クラスの下士官や士官が戦死すると、小隊は、どう行動すれば分からなくなり、混戦・乱戦になるのです(または、こちらが多いですが、敗走です)。
 
  また、西欧も、中国も、日本も、指揮官のランクが上がると、軍装が華やかになり、敵にも味方にも、それと分かるようになるので、兵士も下士官も、そういう大物を討ち取ることを目指したのだとも云えます。逆に言うと、近代軍隊以前の軍隊は、指揮官が前線で戦いの見本を見せると、兵士たちが付いて来るのであり、また、敵の指揮官を討ち取ろうと戦闘が起こるのです。従って、有力な指揮官が討たれて戦死したりすると、軍が敗走したり、戦いにならないことがあります。
 
お礼コメント
ikazuti

お礼率 89% (659/739)

 詳しい説明ありがとうございます。

 合言葉、制服、身振り、態度、家紋に紋章……確かめる方法は結構ありますね。あの映画では、そんな細かいことまで描かれてはいなかったので。

 昔の戦争の様子がよく分かりました。
投稿日時 - 2002-03-04 14:27:38
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  • 回答No.1
レベル9

ベストアンサー率 26% (32/119)

>突然ですが、西洋の騎士などはどうやって敵と味方を見分けていたのですか ジャンヌダルクの場合、英対仏の場合は、英語対仏語だから叫び声でわかるのでは?あと、よろいの型、や紋章というのもあります。  究極的には、自分を攻撃するものが敵と分かるのでは? 中国については、中国製の三国志ビデオを見ればわかりますが、各軍旗指しをもっていますし、各軍統一の服装をしています。敵と味方を間違えるのは夜戦 ...続きを読む
>突然ですが、西洋の騎士などはどうやって敵と味方を見分けていたのですか

ジャンヌダルクの場合、英対仏の場合は、英語対仏語だから叫び声でわかるのでは?あと、よろいの型、や紋章というのもあります。
 究極的には、自分を攻撃するものが敵と分かるのでは?

中国については、中国製の三国志ビデオを見ればわかりますが、各軍旗指しをもっていますし、各軍統一の服装をしています。敵と味方を間違えるのは夜戦以外ないみたいです。あと、訛りみたいのもあったような?

以上私見にて間違っていたらごめんなさい。
お礼コメント
ikazuti

お礼率 89% (659/739)

 言葉ですか。そういえばそうですね、考えてみれば……
 映画では吹き替えのため、両軍とも同じ言葉をしゃべってるように錯覚してました。
 中国では各軍統一した服装をしていたのですか。
 ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-03-04 14:13:37


  • 回答No.2
レベル10

ベストアンサー率 26% (37/140)

例えば乱戦の中、他の兵士と一対一になった時、敵か味方かは視覚的に明確に判別できるようにしていた筈です。所属不明の兵士は、たいがい敵からも味方からも問答無用で襲い掛かられることになると思います(誰何してたら自分が危ないですから)。 装備が似ている軍同士の戦争の場合、やはり旗や紋章による判別が主だったと思います。兵士が小旗を付けた槍や矛を持っている絵もよく目にしますし、騎士クラスになると盾や鎧に描かれた紋章 ...続きを読む
例えば乱戦の中、他の兵士と一対一になった時、敵か味方かは視覚的に明確に判別できるようにしていた筈です。所属不明の兵士は、たいがい敵からも味方からも問答無用で襲い掛かられることになると思います(誰何してたら自分が危ないですから)。
装備が似ている軍同士の戦争の場合、やはり旗や紋章による判別が主だったと思います。兵士が小旗を付けた槍や矛を持っている絵もよく目にしますし、騎士クラスになると盾や鎧に描かれた紋章によって個人識別も可能だったと言いますね。全面が紋章になっている盾を見たことがあると思います(もっとも、これは競技会などで自分を誇示する目的が大きいようです)。また、西洋にも戦場で使う軍団旗は当然存在します。識別というよりは軍の指揮のためでしょうけれど。
テレビや映画でこの点を注意して見たことがあまりないのですが、そのあたりが描写されてないとすれば、あまり必要性を感じていないのか手抜きなのか…小道具が使い回しにくいからとか。想像ですが。
日本の合戦について同じような質問がありましたので、そちらも参考になれば。
お礼コメント
ikazuti

お礼率 89% (659/739)

 やっぱり、きちんとしていたんですね。映画ではジャンヌ以外、旗を持ってる人間なんぞほとんどいなかった上に、イギリス兵とフランス兵の鎧が似たようなものだったので、もし映画のような乱闘が起こったら絶対に区別がつかないだろうな、と思ったのがこの質問をするきっかけだったのです。

 結構な話題作なので作りこんでいるのかと思ったのですが、それほどでもないんでしょうかね。戦闘シーンには金をかけなかったとか……よく分かりませんが。

 ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-03-04 14:20:15
  • 回答No.4

紋章や旗印は当然です。日本の場合は、味方の軍(それぞれの殿様の連合軍なので)合い印をつけました。これは小さな布地を肩に掛ける物です。 最も簡単な物は、「色の付いた布地をそれぞれ着ける」でしょう。 これだとが異国の傭兵やイレギュラー軍に出会っても見分けがつきます。 支配者が裕福となったときには軍隊すべてを統一規格(現代の軍隊のように軍服や、軍装など)にしてみわけがつきました。  しかし、戦といっても ...続きを読む
紋章や旗印は当然です。日本の場合は、味方の軍(それぞれの殿様の連合軍なので)合い印をつけました。これは小さな布地を肩に掛ける物です。
最も簡単な物は、「色の付いた布地をそれぞれ着ける」でしょう。
これだとが異国の傭兵やイレギュラー軍に出会っても見分けがつきます。
支配者が裕福となったときには軍隊すべてを統一規格(現代の軍隊のように軍服や、軍装など)にしてみわけがつきました。
 しかし、戦といっても規模も時代も場所も様々で、混戦状態となったとき、目前の人間がどちらの側なのか瞬時に見分ける必要が当然あります。
古い時代、つまりまだ軍隊が組織されず氏族の連合のような時代には(盾武器は自前)このような統一がなされていないので、民族衣装(スコットランドのキルトなど)や民族独特の武器、言語(かけ声)など、あるいは戦いの戦化粧などは重要だったのだと思います。
 中国の場合はかなり初期から軍隊の規律、組織といった物が重要視されていますから、軍を統一することでこの問題は解決したはずです。
お礼コメント
ikazuti

お礼率 89% (659/739)

 分かりやすい説明、ありがとうございました。

 なるほど、民族衣装というのもありますね。参考になりました。
投稿日時 - 2002-03-07 17:18:00
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