OKWAVEのAI「あい」が美容・健康の悩みに最適な回答をご提案!
-PR-
締切り
済み

心の支え

  • 暇なときにでも
  • 質問No.224446
  • 閲覧数569
  • ありがとう数25
  • 気になる数0
  • 回答数21
  • コメント数0

お礼率 92% (186/202)

「人」という字は、それぞれ支え支えられている、とよく言われますね。

一般論および共通論でもよいのですが、できれば、あなた自身の考え(個人論)を聞きたいと思います。回答について、「真理」や「真知」など、曖昧な言葉を使うときには、あなたが考える「真理」・「真知」の方向性および内容を教えて欲しく思います。

「心」がなくなると、もしくは「支え」がなくなると、どのようなことが考えられるでしょうか。影響および、内容を教えてください。
通報する
  • 回答数21
  • 気になる
    質問をブックマークします。
    マイページでまとめて確認できます。

回答 (全21件)

  • 回答No.6
レベル11

ベストアンサー率 13% (14/106)

●人という字の由来はともかく  人は それぞれ支え支えられている という考察はとても普通のことです。  だから それぞれ支え支えられるために ちゃんとそのことのために  言葉が 存在しているのです。 その言葉とは・・・  まごころ  です。自問自答してみてください。「私のまごころって何だ?」と・・・  それぞれ支え支えられていることの 支えが無くなるということは  それぞれの ま ...続きを読む
●人という字の由来はともかく
 人は それぞれ支え支えられている という考察はとても普通のことです。

 だから それぞれ支え支えられるために ちゃんとそのことのために
 言葉が 存在しているのです。 その言葉とは・・・

 まごころ

 です。自問自答してみてください。「私のまごころって何だ?」と・・・
 それぞれ支え支えられていることの 支えが無くなるということは
 それぞれの まごころが 無くなることです。
 まごころが無くなっても生きてはいけます。
 またコンビニの「いらっしゃいませー。こんにちわー。」のように
 システムで「まごころらしく」を構築することで快適な生活も可能です。
 しかし「まごころ」とは 真善美のように はっきりと分る感覚です。
 まごころのないところには 愛も友情も信頼もありません。

 多くを求めることはむずかしいことです。それでも肉親以外の「愛」だけは
 抱きしめてから 死んでも(寿命を終える)いいのではないでしょうか。
 ひとつの「愛」から学べることの 大きさを痛感しております。
 ひとつの「愛」を抱きしめるためには 「まごころ」は必須の要素です。
お礼コメント
beginnersan

お礼率 92% (186/202)

chihokoさん、ありがとうございます。

う~ん。chihokoさんの「愛」とはどのようなものでしょうか。

「まごころ」と「こころ」は違うのですか?
投稿日時 - 2002-02-26 21:16:14
  • 回答No.7
レベル11

ベストアンサー率 29% (74/253)

興味を引く質問ですね。参加させていただきます。 その前にbeginnnersanの質問を明確にしたいので、補足要求します。 1.「心」がなくなるとはどういう状態を指しますか。   死ぬか、意識不明の植物人間になるまで、人間の精神活動は   止まりません。心がなくなるという言葉の意味を、具体的に   示してください。 2.「支え」がなくなるとは、ある人が自分が頼りにしている何かが ...続きを読む
興味を引く質問ですね。参加させていただきます。

その前にbeginnnersanの質問を明確にしたいので、補足要求します。

1.「心」がなくなるとはどういう状態を指しますか。
  死ぬか、意識不明の植物人間になるまで、人間の精神活動は
  止まりません。心がなくなるという言葉の意味を、具体的に
  示してください。

2.「支え」がなくなるとは、ある人が自分が頼りにしている何かが
  失われた時に、どういう精神状態になるか、ということを
  指していると考えてよいでしょうか。
お礼コメント
beginnersan

お礼率 92% (186/202)

cse_riさん、ありがとうございます。

1.私にとって「心」がなくなることは、自分を見失うことだと思います。
最近、何のために生きているのかわからないのをよく考えます。
よく考えるというのは、自分でも答えには行き当たらないと結論は
でているものの、囚われているというのでしょうか。
いろいろ可能性を考えてしまう、今日この頃です。

2.「心の支え」において、何が心を支えているかよくわかりません。
本当に支えているのか。支えてもらっていると感じているけど、
本当の所は、支え自体も心なのか、わからずに使っている次第です。

無責任なのですが、みなさんの思っているように答えてもらって
結構です。疑問に思うこと、引っかかることは順次突っ込ませていただきます。
投稿日時 - 2002-02-26 21:27:22
  • 回答No.8
レベル4

ベストアンサー率 0% (0/0)

はじめましてbeginnerさん。 とても考え深いテーマですね。 心がなくなったとき、私はどうなってしまうんだろう。 まず、「私」と言う人格がなくなりますね。 心と言うのは大体はあいまいな感情でできていると思います。 だから、もう「私」は感情を感じることができなくなります。 「思う」、と言う事ができなくなるのではないでしょうか?? だからそのうちの自分の体は意味を持たなくなってしまう。 物 ...続きを読む
はじめましてbeginnerさん。
とても考え深いテーマですね。
心がなくなったとき、私はどうなってしまうんだろう。
まず、「私」と言う人格がなくなりますね。
心と言うのは大体はあいまいな感情でできていると思います。
だから、もう「私」は感情を感じることができなくなります。
「思う」、と言う事ができなくなるのではないでしょうか??
だからそのうちの自分の体は意味を持たなくなってしまう。
物質的にそこにあるけれど、物としてしかあることができないと思う。

こんな回答でごめんなさい。
お礼コメント
beginnersan

お礼率 92% (186/202)

meinaさん、ありがとうございます。

どんな回答でも結構ですよ。私は思考にはレベルなんてないように思える
のです。焦らず、わかるところまで、ゆっくり行きましょう。

「感情」で引っかかります。感情には「喜怒哀楽」があると思いますが、
このように考えると、心は4つにわかれているものだと思いますか。
投稿日時 - 2002-02-26 21:34:04
  • 回答No.9
レベル11

ベストアンサー率 9% (31/325)

>瀕死の病気にかかって、病気と闘っているとき  体は死にかけていますが、心が生きようとするという状況 について、どのように考えているのですか? ということですが、何故、身体を根本に考えられるのでしょうか?  精神が死にかけているから、身体が衰えるのでしょ。  何等、矛盾しているとは、思いません。  如何でしょうか? ...続きを読む
>瀕死の病気にかかって、病気と闘っているとき
 体は死にかけていますが、心が生きようとするという状況 について、どのように考えているのですか?

ということですが、何故、身体を根本に考えられるのでしょうか?
 精神が死にかけているから、身体が衰えるのでしょ。
 何等、矛盾しているとは、思いません。
 如何でしょうか?
お礼コメント
beginnersan

お礼率 92% (186/202)

odd-artさん、ありがとうございます。

>精神が死にかけているから、身体が衰えるのでしょ。
 が引っかかります。何を持って「精神の死」とするのでしょうか。
簡潔にお願いします。
この文章自体、矛盾に思えます。「~だから、~である」
精神と身体が分離しているようにも思えます。(できれば簡潔、
もしくは平易に説明お願いします。できれば、現代風に…)
投稿日時 - 2002-02-26 22:03:37
  • 回答No.5
レベル11

ベストアンサー率 9% (31/325)

 「心」がないとは、もはや「人でなし」です。  色心不二により、成り立っているのですから、そんなのは、もとより無いのであります。 ...続きを読む
 「心」がないとは、もはや「人でなし」です。
 色心不二により、成り立っているのですから、そんなのは、もとより無いのであります。
お礼コメント
beginnersan

お礼率 92% (186/202)

odd-artさん、ありがとうございます。

仏法生命論でよろしいのでしょうか。心と体は一体である
というのですね。でも、矛盾を感じます。

瀕死の病気にかかって、病気と闘っているとき
 体は死にかけていますが、心が生きようとするという状況
について、どのように考えているのですか?
投稿日時 - 2002-02-26 21:13:08
  • 回答No.4
レベル12

ベストアンサー率 22% (121/539)

こんにちは。 私にとっての心の支えとは「自分を大切にして生きてよいのだ」という 信頼のようなもの。 これは、これまでに子供時代の保護者(親に限らず)や、 成人してからでも周囲から受けたよい反応、おおざっぱに 言えば「愛」を基にしているのだと思います。 「支え」がなくなると、どうなるか。 今の日本人のようになります。 いやこれは言いすぎですが。 パターンや段階はいろいろあると思います。 ...続きを読む
こんにちは。
私にとっての心の支えとは「自分を大切にして生きてよいのだ」という
信頼のようなもの。
これは、これまでに子供時代の保護者(親に限らず)や、
成人してからでも周囲から受けたよい反応、おおざっぱに
言えば「愛」を基にしているのだと思います。

「支え」がなくなると、どうなるか。
今の日本人のようになります。
いやこれは言いすぎですが。
パターンや段階はいろいろあると思います。
・自分が傷つかないためのさまざまなスキルを身につけ、
 寂しさや怒りを溜め込みながら頑張って暮らす
・溜め込んだ負の感情を爆発させ犯罪行為や自殺に走る
・「私は寂しい。あなたも寂しいでしょ」と相手を見つけようとし、
 尽くしてみたり多大な見返りを望んだり、場合によっては
 相手を周囲から孤立させて追い込んでまで同じ心境にさせて
 共依存の世界へ持ち込もうとする
・「私には生きる価値がない」と感じ、うつ病になる
など。
いずれにしても、「支え」になりそうなものが見つかれば、
それが自分に悪影響を与えそうなものでも、かなり見境なく
突っ走る状態にあり、危険だと思います。

「心」がなくなった状態というのは植物人間とか脳死とか、
このへんのボーダーラインは微妙なのでわたしは断定できませんが
とにかく感情や判断の機能がストップして、ヒトとして生活できない
形態のことを指すと思います。
お礼コメント
beginnersan

お礼率 92% (186/202)

mimosa2001さん、ありがとうございます。

>私にとっての心の支えとは「自分を大切にして生きてよいのだ」という
>信頼のようなもの。

「甘え」というものでしょうか?

(「甘え」が良い悪いは別にしてくだいね。でも、できれば「甘え」
の考察もお願いします)
投稿日時 - 2002-02-26 21:07:15
  • 回答No.1
レベル12

ベストアンサー率 36% (334/910)

他人事のように書くしかないのですが。 二つのパターンに分かれると思います。 一つ目は、自暴自棄型。 支えも何もないのだから、まさに「こわいもの」がありません。自らを守るという回路がなくなっているのですから、犯罪へと走る可能性が極めて高くなります。だって、心がないんですよ。 二つ目は、再構築型。 なくなったのならば、もう一度作ればよい、という発想回路。支えがなくなったとはいえ、支えによ ...続きを読む
他人事のように書くしかないのですが。

二つのパターンに分かれると思います。
一つ目は、自暴自棄型。
支えも何もないのだから、まさに「こわいもの」がありません。自らを守るという回路がなくなっているのですから、犯罪へと走る可能性が極めて高くなります。だって、心がないんですよ。

二つ目は、再構築型。

なくなったのならば、もう一度作ればよい、という発想回路。支えがなくなったとはいえ、支えによって、かつては自分を奮い立たせ、誇りを持って生きていたのだという記憶さえ残っていれば、もう一度、自分の生きる支え、すなわち誇りとなるものを創り出そうとするでしょう。そこに心が生まれ、生きる力が生まれます。

でも、それまでの人生で、「自分はこれだけのことができる人間だ」と誇れるだけの努力、実績がないと、このパターンにはなりません。自暴自棄型に直行でしょう。
補足コメント
beginnersan

お礼率 92% (186/202)

質問文が抜けていたので補足しておきます。「あなたの心の支えは何ですか?」が抜けていました。よろしくお願いします。
投稿日時 - 2002-02-25 02:19:17
お礼コメント
beginnersan

お礼率 92% (186/202)

songbookさん、ありがとうございます。

>一つ目は、自暴自棄型。 
 について、思うのですが、心がなくなるとどうして、犯罪を行うのでしょうか。心がないと、自分を見つけることができないから、自殺を行うというのはどうでしょうか。

自分を見つける…世界に対する存在性。自分がここに存在しているという確信から「生」を実行しているということだと思います。(わかりにくいのであれば補足させていただきます。)
投稿日時 - 2002-02-25 02:41:55
  • 回答No.2
レベル11

ベストアンサー率 9% (31/325)

 孤立無援ということでしょうか?  一時は、こういうことを願っており、出家も志しております。心がなくなるということは、冷酷な人間ということでしょう。  支えがなくなるということは、独立独歩、他をあてにせず、我が身、我がものとして、エゴになるということでしょ。  所詮は、片輪者になることです。人間らしくなく、悪の権化ですね。でも、そんなに精神の強い者はいません。いるとすれば、狂人ということでしょう。犯 ...続きを読む
 孤立無援ということでしょうか?
 一時は、こういうことを願っており、出家も志しております。心がなくなるということは、冷酷な人間ということでしょう。
 支えがなくなるということは、独立独歩、他をあてにせず、我が身、我がものとして、エゴになるということでしょ。
 所詮は、片輪者になることです。人間らしくなく、悪の権化ですね。でも、そんなに精神の強い者はいません。いるとすれば、狂人ということでしょう。犯罪者となって、何もかも破壊することになるやもしれません。鬼畜、畜生ということか。
 人は弱いもので、周りの影響も受けやすい。それが、人間らしいのではないでしょうか?
 それを否定して、どうするのでしょう。如何ですか?
お礼コメント
beginnersan

お礼率 92% (186/202)

odd-artさん、ありがとうございます。

>心がなくなるということは、冷酷な人間ということでしょう。
  「心がなくなる=冷酷非情」を考える傾向にあるのでしょうか。

>支えがなくなるということは、独立独歩、他をあてにせず、我が身、我がものとして、エゴになるということでしょ。
  「時間」http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=214544
  「満足について」http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=215081
  でエゴについて私の意見を述べております。参考にしていただければ幸いに思います。かなり、はしょりますが、エゴとはエゴでないように思えます。スキーマ自体がエゴだと思うのです。(「満足について」No.41付近参照でお願いします)

>それを否定して、どうするのでしょう。如何ですか?
  確かに、私の場合、否定から思考が始ります。否定し、比較することによって、自己が確立しているように思えます。(私の意見は、ころころ変わったり、矛盾しますが、ご指摘など、よろしくお願いします。)

ps.大学のテストの答え方の基本は「否定」にあると思います。
投稿日時 - 2002-02-25 02:59:52
  • 回答No.3
レベル12

ベストアンサー率 36% (334/910)

補足を受けます。 急に他人事ではなくなってしまいました(汗)。 心の支えと一言で言っても、たくさんありますので、特定したり、一くくりにしたりはできません。 例えば、とりあえず健康が保たれている身体でもあるし、自分の場合ですと、音楽によって受けた喜びと自分なりの音楽に対する哲学だったり。もちろん家族や財産もそうです。 支えを無くすとは、それらすべてを失うこと?だとすれば、非常に想像が難し ...続きを読む
補足を受けます。
急に他人事ではなくなってしまいました(汗)。

心の支えと一言で言っても、たくさんありますので、特定したり、一くくりにしたりはできません。

例えば、とりあえず健康が保たれている身体でもあるし、自分の場合ですと、音楽によって受けた喜びと自分なりの音楽に対する哲学だったり。もちろん家族や財産もそうです。

支えを無くすとは、それらすべてを失うこと?だとすれば、非常に想像が難しい。

それでも私だったら、今まで受けてきた幸せへの記憶と快感、自分が作り上げてきたものへのわずかな誇りがあるので、再びそこに向かっての努力をはじめるように思います。時間はかかるでしょうが。

心を失ってしまったとしたら、まあ、何も残りませんな。
お礼コメント
beginnersan

お礼率 92% (186/202)

songbookさん、ありがとうございます。

以前、「時間」http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=214544
の、No.27の回答(中ごろ)で、「すでに知っている事が最たる知(真知)~」という回答があったので、引っかかっております。

「真知」にはこのような定義づけはなされているのですか。哲学書をあまり見ないので、真偽がわからないのです。

songbookさんの言うようであれば、「真知」は矛盾するように思いますがどうでしょうか。
投稿日時 - 2002-02-25 03:17:10
  • 回答No.10
レベル11

ベストアンサー率 9% (31/325)

>何を持って「精神の死」とするのでしょうか。 ということですが、  仏法では、世の中のあらゆる存在を、「有情」と「非情」とに分けています。  「有情」とは、人間や動物のように、自分の感情、精神作用、思考能力を持っている存在の事で、「非情」とは、これらの働きを持たない存在のことです。  有情である人間の生命が死んだら、有情でなくなれば非情になる、つまり、有情から非情へと切り替わることを「 ...続きを読む
>何を持って「精神の死」とするのでしょうか。

ということですが、
 仏法では、世の中のあらゆる存在を、「有情」と「非情」とに分けています。
 「有情」とは、人間や動物のように、自分の感情、精神作用、思考能力を持っている存在の事で、「非情」とは、これらの働きを持たない存在のことです。
 有情である人間の生命が死んだら、有情でなくなれば非情になる、つまり、有情から非情へと切り替わることを「死」というのであります。
 とはいえ、この「有情から非情に切り替わる」という意味は、死によって、我々の肉体が、生命活動をなくした非情の遺体・遺骨になり、そこに死後の生命が留まっているということではなく、死によって、有情としての命を終え、非情に切り替わる、その祭に、生前、どのような生き方をして、どのような業因を作ったか、それによって、どのような果報を得るかが、異なってくるのであります。
 そして、非情に切り替わってしまえば、その生命がどこにあるかは、分からないものです。
 あるのだけど、明確に「どこそこにある」と断定することはできないし、掴みようがない、こうした状態を、仏法では「空」と呼んでいます。
 つまり、「有」でもなければ「無」でもない、それでいて、「有」でもあり「無」でもある状態、これを「空」というのです。如何でしょうか?
お礼コメント
beginnersan

お礼率 92% (186/202)

odd-artさん、ありがとうございます。

「精神の死」=非情でよろしいのですか。肉体が死ぬことによって、精神も死ぬ、非情になるという意味でとってもいいのですか。

心は空であるとらえてもよいですか。
投稿日時 - 2002-02-27 05:51:19
21件中 1~10件目を表示
このQ&Aのテーマ
このQ&Aで解決しましたか?
関連するQ&A
-PR-
-PR-
このQ&Aにこう思った!同じようなことあった!感想や体験を書こう
このQ&Aにはまだコメントがありません。
あなたの思ったこと、知っていることをここにコメントしてみましょう。

その他の関連するQ&A、テーマをキーワードで探す

キーワードでQ&A、テーマを検索する
-PR-
-PR-
-PR-

特集


いま みんなが気になるQ&A

関連するQ&A

-PR-

ピックアップ

-PR-
ページ先頭へ