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神様はいますかヽ(´ー`)/

tokytimeの回答

  • tokytime
  • ベストアンサー率37% (43/114)
回答No.36

No.34です。 科学至上主義がなにをもたらしたか・・ 科学は人類の生活レベルを飛躍的に向上させました。 しかし、それと共にあらゆる弊害をもたらしました。 環境破壊、公害、殺戮的武器・・・ 知的に進化したはずの人間がなぜこうも次々に問題を作り出し、苦しめられているのか・・ なぜならば、知性と霊性(精神性)のレベルが釣り合っていないからだと思います。 折角の知的産物も、それに見合った霊性があってこそ正しく人類の幸福のために使われるのであって、知性だけ突出し、それに比して霊性の劣った人類が自ら招いた業だと思います。 でもおそらく徐々に精神性も進歩していき、何れ知性と霊性が共に程よくバランスした時代がきて地球全体がもっと幸福な状態にシフトすると信じています。 そのために不可欠なのが「霊性」に対する理解だと思います。 科学至上主義では精神の問題は何も解決されません。 最近、医学の分野においても西洋医学と東洋医学の融合の必要性が特に欧米において喧伝されています。 人は肉体だけではない存在です。 精神が肉体に与える影響は、今まで西洋医学において考えられていたよりも、はるかに大きいことが切実に分かってきた昨今、目に見えない人体のエネルギーやチャクラ、つぼを扱った東洋医学に蓄積された治療のノウハウの貴重さが認められたからです。 医療現場だけではありません。 最近の物理学者たちは、実験において研究者の実験に対する予測(期待)が結果に影響を与えることを認めています。 これを何と説明しましょうか。 「心のエネルギー」とでも科学的に説明しましょうか。 ではそのエネルギーは科学的に計量できるのでしょうか。 存在が確認されながら科学で説明できないとするならば、その科学は不完全です。 発展途上でしかありません。 心のエネルギーが存在するならば、自然の摂理の中にもそのエネルギーが存在しなければなりません。 人の心の中だけにしか存在しないとなれば、人の心だけが自然の摂理から乖離していることになってしまいます。 そのエネルギーをも含めて自然の摂理を「神」と称するのだと思います。 神=自然の摂理+霊的エネルギー とでも書けば分かりやすいでしょうか。

mogurayama
質問者

お礼

こんにちは♪ たびたびの回答ありがとうございます。 できれば前回の回答に対するお礼を確認して いただけると幸いです。 さて、知性という言葉の使い方が気になります。 知性とは・・・物事を考え、理解し、判断する能力。        感覚によって得られた素材を整理・統一して、        新しい認識を形成する精神のはたらき です。(GOO辞書) 知性と知識を混同しているように思えます。 そして、今足りないのはまさしく知性だと考えませんか。 知性はまさしく精神(人間の心。心のはたらき。) だと思います。ヽ(´ー`)/

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