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神様はいますかヽ(´ー`)/

hakobuluの回答

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  • hakobulu
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回答No.59

おっとり刀で参加させていただきます。 基本的には【神を信じる】ということは論理性放棄に過ぎないと考えています。 ◇ 人智の及ばぬ宇宙の摂理に基づき人間の言動も含めた森羅万象の起承転結は営まれています。 そして『人智の及ばぬこと』を怖れ、何とか『及ぶこと』にしたいという欲求を人間は持ちます。 これを論理的、あるいは科学的に解明するには時間が必要ですし、ひょっとすると永遠に不可能なことかもしれません。 不安のあまりそれを待ちきれず、論理的(科学的)解明を放棄して「人智の及ばぬ宇宙の摂理」を神と名付けることで納得しようとした、ということだろうと思います。 わからぬことは「神の御業」と言えば済むのですから安心できるわけです。 つまり、全てを理解する能力を未だ持たない人間が拙速に全てを理解(把握)したがる結果として神が捏造されたということです。 理解できないものを強引に理解した気になる、という点で宗教ほど傲慢なものはないだろうというのが私の見解でもあります。 それは、人間の精神の可能性をひたすら矮小化する結果をもたらしているように思います。 必要なのは 「わからないものはわからないものとして」 「全てをあるがままに」 見つめる勇気でしょう。 ただ、方便と割り切っての宗教は認めたいと思います。 宇宙の摂理という我々には理解不能なことがある、という大前提を認めた上で、それを便宜上「神」と呼ぶことに何の差支えもないからです。 似ているようですが、「神こそ宇宙の摂理」という思考手順とは正逆のものと言えるでしょう。 ◇ 「神様」と呼びたいような現象や人が存在した、あるいは存在する、ということはあるでしょう。 ただ、それも「宇宙の摂理」の一部にすぎないわけです。 この一部と全部を同一と見做す大きな論理破綻によって人間が生み出したものが宗教であり「神様」と言えるのかもしれません。 「不在証明」としては、 『大いなる未知を超えるものは存在し得ないから、「神」という名称が与えられた時点で最早「絶対的な存在」ということはできない。 しかし、その絶対性ゆえに名付けられたのが「神」という呼称であるはずだ。 結果として矛盾が生じ、「絶対的存在としての神」は存在しないことになる』 といったところになるでしょうか・・・。 「大いなる未知」自体を神と言うのだ、という声もありそうですが、なぜその未知に神という呼称を与えなければならないのかという疑問に対する答えは恐らくないと思われます。 まず最初に神がいた、という考え方もありそうですが、【「最初」の前】はやはり「未知(あるいは無)」であったはずですから、たとえ神と言えども未知の宇宙摂理を凌駕することはできないということになります。

mogurayama
質問者

お礼

こんにちは。 お仕事の関係でお返事が遅くなりました ごめんなさい。 久々の神様不在さんですね。 すっすごくわかりやすい!! 非常に分かりやすく教えていただいてありがたいです。 文章のまとめ方も圧巻ですね(゜Д゜;) 回答ありがとうございました。 そんなhakobuluさんに伺いたいです。 人は社会性のある生き物でコミニュティを 作って生きたがります。 圧倒的多くの人類が、今まで宗教を通して 善悪の基準や道徳を教わり受け継ぎます。 宗教に変わる道徳心を育むとしたら 何に求めるべきだと考えますか?

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