• 締切済み

常に異性に愛されたい=自己愛が強い

 常に異性に愛されていたい。  愛するというのもいいが、それよりも、愛されていたい。  誰か自分に特別の行為を持っていると幸福感を感じる。  こういう精神状態は「自己愛」が非常に強い人の一つのタイプだ、というのをある本で読んだことがあります。  これについてどう思いますか?  また、「自己愛」が非常に強い人間、というのをもっとわかりたいのですが、どういう人間なのでしょうか?

  • taiyo7
  • お礼率60% (821/1358)

みんなの回答

noname#117439
noname#117439
回答No.3

見返りを求めずただ愛するだけの真実の愛に対する反発です。 心理学の初期に「ミラー」と言う何が何でも自らの意思に反発する感情が発見されましたが、その一種でしょう。 男性の場合この手の愛情に対する裏切りは性欲の形で現れることのほうが多いです。 女性は性欲は簡単に抑圧できますが代わりに、求める愛が抑え切れなくなります。 よく愛が憎しみに変わるなどと言いますが真実の愛とそれに反発する「ミラー」とでコンプレックス(観念の複合体の意味)を形成している以上最終的に破局を迎えるような愛し方しか出来なくなります。 あまりうれしくないアドバイスだろうと思いますが、コンプレックスを振りほどくのはかなり大変ですよ。 求める愛を悪意に基づく非人間的感情と認め否定する必要があります。 多分自己否定と区別が付かなくて混乱するのではないかと思います。 この手の葛藤は無意識だけで水面下でやってもらうのが一番いいです。

taiyo7
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  とても深いですね。  少し私には難しいので、再読し、ゆっくりと考えて見ます。  

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.2

人間であれば誰しも持っている感情と言えそうですが、これが過度になったものが「自己愛性人格障碍」と呼ばれているものかもしれません。 ◇ 自分のことにしか関心がなく、自分を特別な人間と思い込む。 当然、傲慢になり見かけを取り繕うために嘘も多くなる。 人の話を遮ってでも自分のことを話したがります。 恵まれた環境になくとも、例えば昔の奴隷などでもこのような傾向が現われることはあります。 自分の仕えている主人がどんなに素晴らしいかを奴隷同士で自慢し合うような行為がそれに当てはまるでしょう。 それだけ素晴らしいご主人に仕えている自分も素晴らしいのだということを主張したいわけなのです。 似たような例は現代でも当然あります。 程度問題ではありますが、スターの追っかけ、熱狂的野球ファンやサッカーのサポーター、宗教の狂信的信者などが該当するのではないでしょうか。 無論、特に何かに熱中しているわけではない普通の方に当てはまる場合もあります。 ◇ このような傾向は誰でも持っているわけですが、それが病的になってしまうのはやはり幼児期体験の影響と言わざるを得ないでしょう。 最も考えられるのは親からの愛情を十分に享受できず、「見捨てられ感」が刷り込まれている場合ではないかと思われます。 つまり、自己に対する愛情を他者に強要するというのがこの障碍の本質であろうと考える次第です。

taiyo7
質問者

お礼

 だいぶわかってきました。  ありがとうございました。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.1

その3行だけだと、健康な若者であれば、半分以上が該当しますから、 「自己愛が非常に強い」 とまではいかないでしょう。 ナルシズムや自己愛(←用語として必ずしも同一でないみたい)の異常に強い人というのは、 ・自分を肯定しない人を認めない 性的な面では ・異常な自慰行為をする などです。

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