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全能の神は 難問を解けるのか?

  • 暇なときにでも
  • 質問No.200652
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お礼率 90% (423/469)

全能の神でも仏様でも教祖様でも いいです。
●四色問題は 彼等に解けるでしょうか?

 また いままでそのように崇拝された存在が その存在だけでなければ
 解けなかった設問は あるのでしょうか? あるとしたらなんですか?

 経典には あたりまえのこともしくは既存の概念
 しか書かれてないんじゃないでしょうか。

 みなさんのお考えを教えてください。
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回答 (全29件)

  • 回答No.9
レベル11

ベストアンサー率 17% (31/182)

おつかれさせてしまうかもしれないので、よければ読んでください。 >その言葉が 聞きたいんですよ。 では聞けばいいじゃないですか。 あなたに響く言葉はあなたに聞かされるからです。 あなたが、まず、求めているので、いずれ聞くでしょう。←宗教臭いね♪ 以下特に疲れるので、特に薦めません。 >オリジナリティあふれる 論理を教えていただきたい。 希少性のある論理ですか?現代人には受けない方が希少で ...続きを読む
おつかれさせてしまうかもしれないので、よければ読んでください。
>その言葉が 聞きたいんですよ。
では聞けばいいじゃないですか。
あなたに響く言葉はあなたに聞かされるからです。
あなたが、まず、求めているので、いずれ聞くでしょう。←宗教臭いね♪

以下特に疲れるので、特に薦めません。
>オリジナリティあふれる 論理を教えていただきたい。
希少性のある論理ですか?現代人には受けない方が希少ですよ。最初の僕の回答じゃダメですか?数式まで書いたのに、。1)の答えは、蓮華でスープを飲んでます。一般的な人のように論理的です。解るはずです。僕が説明度下手ですが、。
2)の回答は、現代のフツーの人がその人を見ると、「まだ飲んでない」のに、「もう飲んだ」と、その人は言います。確かに飲んでます。
>神様が人間より能力低いという考え方もありだと思っています。
神を全てとするなら、低いも高いも無いので、低くも高くも無い事も無い。もちろん、大きくも小さくも無い。だから、はかろうとしてはいけない。図れる者でない事は解っておられるはずです。自分についてもそうでしょう?
「神を試すのか?」と、イエスが言うのは、それがうまく行かないどころか、ダメなほうに行くからです。
>具体的に 考察していかないと結局幻想とか妄想の域をでませんよ。
リアルな思考ですよ、。具体的に考察すると言うのに、箸でスープを飲み続ける気ですか?思考が、本物なのです。覚えもしないし、忘れもしません。知るとはそう言う感覚です。

>すべてだってーんじゃ いてもいなくても同じだよそれって。
ちがうじゃん(笑)いないからいるんですよ。いてもいなくても同じだよって、何か神に意味を求めてるんですか?意味は無いから、全ての意味をもつんです。
ないものはないんです。だから、隙間無くあるんです。すべてが。いてもいなくてもという表現が、追いつかないことがわかりますか?何故なら、追う者でないからです。
>じっさいに行って見せれば 疑いは薄らぎますよね。
多分疑いは膨らんで、迷いも膨らむと思いますよ。うまく行かないと思います。今の人間はそういう風に感じるはずです。なぜなら、他から見せられる事によって、自分を見ることを忘れるからです。個人を得る前はそのようなことは不適切です。
個人から個人を離そうとするのは、虚偽です。たくさん、見れば見るだけあります。だから、限られています。
 
魔貫光殺法ぐらい、人間にもうてると思います。幻想ですか?箸でスープを飲むような者ですよ?かるくうてます。宇宙人とかうってそう←幻想。
全てに何を求めるのか?
神と、あなたと、比べるような者ではありません。
あなたが得るものはあなたが得るべきです。
僕は、何をゆっていいか分らなくなりました。
次に会うときは何時でしょうね。そのときは、何かゆえたらいいんだけど。
あなたは言葉を必要ない人と、僕は常々感じています。
 じゃあもし、次またこれたら、あなたに言います。
よければ気にしないで下さい。
そのときがあるように、。 
  
お礼コメント
chihoko

お礼率 90% (423/469)

●あなたのいうことは観念なのです。
 観念をたのしむなら それはそれでいいでしょう。
 それでおしまいのことなのですから。
●わたしが必要としているのは 幸せなんです。
 幸せへのメソッドなのです。だからどうするのか?
 の どうするかが 知りたいわけです。

 それを ひとつも言えない神なんて まぎらわしいだけですよ。
 ないほうが まだましです。
投稿日時 - 2002-01-19 22:06:31
  • 回答No.8
レベル11

ベストアンサー率 17% (31/182)

URLはやさしく書かれた法華経と、現代語訳、維摩経です。 維摩経はわかるけれど、法華経はわかりません。 維摩経は哲学で、考えればわかります。が、法華経は「信仰」です。 法華経を理解するには、法華経があることを、「知らなければならない。」 僕は法華経を知りません。しかし、知ってないとも言いません。 このスタンスは、重要です。 僕が、「」の、カギカッコ自体の内側を見たいと言っていましたよね。何かあ ...続きを読む
URLはやさしく書かれた法華経と、現代語訳、維摩経です。
維摩経はわかるけれど、法華経はわかりません。
維摩経は哲学で、考えればわかります。が、法華経は「信仰」です。
法華経を理解するには、法華経があることを、「知らなければならない。」
僕は法華経を知りません。しかし、知ってないとも言いません。
このスタンスは、重要です。
僕が、「」の、カギカッコ自体の内側を見たいと言っていましたよね。何かあるのがわかっていたからです。
その時の僕の言語に対するスタンスと、法華経に対するスタンスは同じ感覚です。 当時、あなたや助言たちが現れたように、今、すでにそれは現れています。
僕はその者らに逢うでしょう。
 
維摩経:http://www.hi-ho.ne.jp/universe/yuima/yuima0.html

哲学が許されるなら、維摩経は許されます。
その時、法華に気付きます。
 
キリストは叫んだ
「我が神!我が神!何故、私をお見捨てになったのですかっ!」
そしてもう一度叫んで、「っ。」とうなだれた。
 
これがイエスのあかしです。
このあかしに対する僕のスタンスも、又、同じです。
出逢うでしょう。
 
お礼コメント
chihoko

お礼率 90% (423/469)

●どうも話が 思う方向にいかないんで 誘導させてください。

 宗教とは あたりまえのこと+既成の概念+幻想 だと・・・。

 いやいや 悟った人や 神を見た もしくは逢った もしくは感じた人は
 こんなにすごい「輝く言葉」を手に入れたのですよ!

 その言葉が 聞きたいんですよ。
 維摩経でも 法華でも キリストの言ったことでも なんでもいいです。
 オリジナリティあふれる 論理を教えていただきたい。
投稿日時 - 2002-01-19 00:39:41
  • 回答No.10
レベル13

ベストアンサー率 23% (441/1845)

> その女を言うことを聞かせるように改造できると思います。 これは明らかにルール違反ですよ。 例えば教師が生徒に問題を出して、その教師がその問題を解くときには勝手に問題を変えていいことにはならないでしょ。 「言うことを聞かせる」ことと「言うことを聞くように改造すること」というのは違いますよ。 ...続きを読む
> その女を言うことを聞かせるように改造できると思います。

これは明らかにルール違反ですよ。
例えば教師が生徒に問題を出して、その教師がその問題を解くときには勝手に問題を変えていいことにはならないでしょ。
「言うことを聞かせる」ことと「言うことを聞くように改造すること」というのは違いますよ。
お礼コメント
chihoko

お礼率 90% (423/469)

●No6のかたの 盾と矛の 設問と同じひっかかりなので 
 いちどに かるく説明させてもらいます。

 A:絶対射抜けない盾がある=なんでも射抜ける矛はない
 B:なんでも射抜ける矛がある=絶対射抜けない盾はない

 AとBが 同時に起こることを命題としているわけです。
 つまり 絶対射抜けない盾がある と
     絶対射抜けない盾はない が
     同時に起こることを命題にしているわけです。

●ある=ないでない ●ない=あるでない これは公理です。
これ以上説明ができないこの公理により論理展開しているわけです。
だから AとBが 同時に起こることを命題とすることは論理が破綻しているのです。
●ここまでは 分かりますか? わからなきゃこの話題には不向きです。

●さて 全能の神はこの論理破綻はどうでもいいのです。
 だから なんでもありです。
 だからこそ そのことが幸せを指向しているのか?と疑問におもうわけです。
 とりあえず 人類がとけなかった難問でも解いていたらすごいでしょ!
 たぶん といてねーぞーー! って感じの設問なんですよ。
 次のステージにすすんでね。
投稿日時 - 2002-01-19 21:17:48
  • 回答No.11
レベル12

ベストアンサー率 22% (121/539)

神様の手ごたえが欲しいということですかね。。 「全能の神がいるのなら、究極のカレーライスを今ここに出せ!」と 言っているのと同じ感じがします。 あなたにその手ごたえが感じられる日は、神の思し召しで決まるのかも。 ...続きを読む
神様の手ごたえが欲しいということですかね。。
「全能の神がいるのなら、究極のカレーライスを今ここに出せ!」と
言っているのと同じ感じがします。

あなたにその手ごたえが感じられる日は、神の思し召しで決まるのかも。
お礼コメント
chihoko

お礼率 90% (423/469)

●手ごたえなんか ほしくないです。
 うそを 信じさせて ひとをコントロールした時代を終えたいだけです。
 真理をうそで 隠して うそを信じ込ませることほど罪なことはありません。
投稿日時 - 2002-01-19 21:25:30
  • 回答No.13
レベル11

ベストアンサー率 9% (31/325)

 卓越した教義として、『法華経如来寿量品』には、 仏法に説かれる宇宙・天体の姿  「譬えば、五百千万億那由佗阿僧祗の三千大千世界を、仮使人有って、抹して微塵と為して、東方五百千万億那由佗阿僧祗の国を過ぎて、乃ち一塵を下し、是の如く東に行きて是の微塵を尽くさんが如き・・・是の諸の世界は、無量無辺にして、算数の知る所に非ず」 とある。まず『三千大千世界』とは、太陽を中心とする、月、地球、他の惑星 ...続きを読む
 卓越した教義として、『法華経如来寿量品』には、

仏法に説かれる宇宙・天体の姿

 「譬えば、五百千万億那由佗阿僧祗の三千大千世界を、仮使人有って、抹して微塵と為して、東方五百千万億那由佗阿僧祗の国を過ぎて、乃ち一塵を下し、是の如く東に行きて是の微塵を尽くさんが如き・・・是の諸の世界は、無量無辺にして、算数の知る所に非ず」
とある。まず『三千大千世界』とは、太陽を中心とする、月、地球、他の惑星等を、ひっくるめて一世界とし、これを一千万集めたものを一小千世界、さらに、これを千個集めたものを中千世界、そしてさらに、これを千個集めたものを大千世界、もしくは三千大千世界というのである。また、『五百千万億那由佗阿僧祗』とは、五×百×千×万×億(今日の単位でいえば十万)×那由佗(今日の単位でいえば一千億)×阿僧祗(今日の単位でいえば一兆の四乗×千)ということであるから、『五百千万億那由佗阿僧祗の三千大千世界』とは、三千大千世界が、五×百×千×万×十万×一千億×一兆の四乗×千個も集まった世界をさすことになる。そして、このような世界が、さらに無数に集まって、無限の大宇宙をおりなしている、と説かれているのである。
 今日の天文学によれば、太陽を中心とする我々の太陽系のような惑星群、それが約千億も集まって、直径約十万光年という巨大な銀河系の星雲となり、この小宇宙とも呼ぶべき星雲が、さらに数十から数千乃至数百億個も集まって、大きな星雲団を構成していることが確認されている。しかも、この宇宙には、そうした大星雲団が無数に存在しているというのであるが、現在の天文学は、いまだ、その全貌を観測するまでには至っていないのである。こうして仏法に説かれた宇宙観と、近代天文学によって確認されつつある宇宙観とを比較してみるとき、細かな数値の違いはともかく、基本的な宇宙観については、両者のあまりに正確な符合に驚かされるのである。しかも、片や、望遠鏡も何もない三千年前に説かれた仏典であり、片や、現代の天文学がようやく到達した観測結果なのであるから、まさに驚愕に値するではないか。

三世十方の国土観と生物の存在

 この宇宙観に関連して、仏法には、三世十方という概念がある。それについて日蓮大聖人は、
 「法華経は十方三世の諸仏の御師なり、十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏なり、三世の仏と申すは過去・荘厳劫の千仏・現在・賢劫の千仏・未来・星宿劫の千仏」
と仰せられている。すなわち、この娑婆世界(地球)を中心としてみた場合、東・西・南・北の四方に東南・西南・西北・東北を加えた八方、それに、さらに上・下を加えた十方の世界に、それぞれの先覚者(仏)が出生して仏法を説き、民衆を教化救済しており、しかも、それは過去から現在・未来にわたって行なわれている、というのである。このことは、地球からみた十方・・・宇宙のいたるところに、地球上と同じうな、無数の国土・社会が存在していることを、明確に示したものといえよう。一方、今日の天文学においても、この地球と同じ条件を具えていると思われる、高等生物の存在しうる可能性のある惑星が、数多、発見されつつある。それは、いまだ天体望遠鏡を通じた彼方の世界のことであるが、それらの惑星に、我々人間と同様の衆生が存在するとしても、まったく不思議はないし、将来にわたる研究・観測によって、やがて、その実在が確認さえる日も訪れるかもしれない。いずれにせよ、生命を、この地上かぎりのものとし、夜空の星を小さな宝石のごとく思いこんでいた時代に、仏法では、このような卓越した宇宙観、国土観を説き示していたのである。

成住壊空と無常即常住の概念

 また次に、仏法には、成住壊空という原理が説かれている。これは、万物の生成の始まりから死滅に至る変化相を示したもので、仮に、ひとつの惑星にたとえていえば、最初、その惑星が形づくられた誕生期が”成”、そして数十億年が経過し、人間でいえば壮年期に入った状態が”住”、それが、やがて崩壊する時を迎えた状態が”壊”、そして、惑星を形成していた元素が飛び散り、もとの惑星の形が完全に消滅してしまった状態が”空”にあたる。ここで留意すべきは、最後の”空”という概念である。すなわち、この例でいうならば、惑星としての形は消滅したものの、惑星を構成していた元素自体はなくなってしまったのではなく、形を変えただけで、宇宙のいずこかに存在しているのである。したがって、”空”という状態は、ある面においては無のようであり、また別の面からは有のようであるといった、有・無を限定できない、しかも有・無に偏した状態といえよう。しかして、成から始まった変化相は空に至って終わるかのごとくみえるが、じつは、宇宙の万物は、成住壊空の四段階を繰り返しつつ、常に変化を続けながら存在しているのである。前の例でいえば、空の段階
となり、宇宙に飛散した惑星の元素は、やがて、あるいは再び小惑星を形成したり、あるいは塵となって宇宙を漂うといった、まったく新たな成の段階を迎え、さらに住、壊、空へと変化していく、ということである。このように、宇宙には、永遠に変化せず、そのままの形でいるものは何ひとつとしてなく、すべてが、成住壊空の変化相を連鎖しつつ、永遠に存在している、というのが仏法で説く無常即常住の存在観なのである。さて、近代の物理学においては、ある物体に、いかなる物理的あるいは化学的変化が起きても、全体としての質量及びエネルギーは不変である、との質量(あるいはエネルギー)不変の法則が発見され、物理学の根本的原理のひとつとなっている。この物理学における質量不変の法則は、まさに仏法で説く成住壊空、無常即常住の存在観の一端を明確に証明しているのである。また、そればかりではなく、近年の天文学における恒星進化論、あるいは膨張宇宙論なども、恒星さらには宇宙そのものまでが、成住壊空の四段階を繰り返しつつ存在していることを示唆しており、今後の研究の進展によって、さらに仏法の卓見の偉大さが、裏付けられていくであろう。

草木・国土・宇宙と衆生の関係

 こうして、仏法の教義内容のうち、科学の成果によって立証されてきたのは、なにも宇宙観にかぎったことではない。宇宙における人間の存在、宇宙と人間の関係についても、科学を超越した、仏法の勝れた叡智に深く感慨をおぼえるのである。すなわち、仏法においては、宇宙万物が地・水・火・風の四大元素から構成されるとしており、我々人間の身体についても、
「必ず四大を以てつくれり一大かけなば人にあらじ」
と説いて、やはり四大から成っていることを明かしている。さらに、また、
「夫十方は依報なり・衆生は正報なり・・・正報をば依報をもつて此れをつくる」
と、宇宙を依報、我々衆生を正報として、正報は依報によって形成される、とも説いている。つまり、この大宇宙を構成する諸元素と、我々の身体を構成する諸元素とは同一のものである、というよりも、むしろ、大宇宙を構成する諸元素そのものによって、我々の身体が構成されている、というのである。むろん、ここで挙げた四大という元素は、きわめて哲学的意味合いを表わしており、今日でいうところの分子や素粒子などといった単位とは、おのずと異なるものである。しかしながら、この我々の身体を構成している元素が、はるか昔においては、他の惑星や恒星を構成していた物質であり、あるいは、いずこかに繁茂していた植物の一部でもあることは、今日の科学が指し示す厳然たる事実なのであって、単位の違いこそあれ、仏法の説く宇宙と人間との関わりの一面を、みごとに証明しているものといえるであろう。また、このことに関連して、仏法においては、我々衆生も、草木国土も、本来は同一のものが二つの形に現われたものである、と説いている。生物学でも、かつては生物と無生物とを絶対的に区別してきたが、研究が進むにつれて、生物と無生物の中間的存在ともいえるビールスが発見されるなど、最近では、生物・無生物の区別がかえって混沌としてきている。このことは、仏法で説くごとく、我々衆生と草木国土とが、まったく異なるものではなく、根底の本質が同一であればこそ、ともいえるのである。

仏法は科学を凌駕する極説

 以上、いくつかの事例をもって、仏法に説かれる宇宙観、生命観等が、科学研究の成果によって証明されつつあることを述べてきたが、ここに挙げた事例は、まだまだ、その、ごく一部にしかすぎぬことを付言しておきたい。そして、しかも、こうした仏法に説かれる卓越した宇宙観、生命観等も、けっして仏法の極理そのものではなく、これらを基礎・初門として、さらに、その上に、人生と社会とを真に救済する、究竟の極説が開顕されていることを知らねばならぬのである。まさに、科学をも凌駕する真の宗教・・・その実在を、我々は、今こそ拝信すべきである。
 如何でしょうか?
お礼コメント
chihoko

お礼率 90% (423/469)

●あなたは 法華経如来寿量品に記されたことを
 ことのほか 驚かれているようですが
 よく見聞きすれば 言えることだと思いませんか?
 たとえば植物や動物や太陽やよぞらの星々を感じる
 植物や動物を自分の手でとって食べるんですよ。
 そのようにして生きてる人間には わかるものです。
 お釈迦様でなくとも 十分に語れる世界観だと思います。
 言うか言わないかの違いだけでしょう。
 お釈迦様は言える環境に居たんでしょう。
 望遠鏡のなかった時代の人々をあまくみてはいけません
 お釈迦様がいたということは それくらいにかんがえれるひとが
 ほかにも大勢いたと考えるほうが 自然です。

 究竟の極説 とやらを ご紹介いただきたいものです。
投稿日時 - 2002-01-19 22:44:28
  • 回答No.12
レベル11

ベストアンサー率 9% (31/325)

 では、まず、このことがご理解出来るでしょうか?  釈尊の本意は何であったか!?  仏教をよく知らない人々は、「仏教であれば、どれも同じお釈迦様の教えである」と思っているようですが、それぞれの宗派でまったく違う教え、異なる本尊を立てている以上、どれも同じ釈尊の教えであることに変わりはない、などという馬鹿なことはない筈で、釈尊の真意はただ一つの筈であります。釈尊は、一代五十年間にわたり、膨大な教 ...続きを読む
 では、まず、このことがご理解出来るでしょうか?

 釈尊の本意は何であったか!?

 仏教をよく知らない人々は、「仏教であれば、どれも同じお釈迦様の教えである」と思っているようですが、それぞれの宗派でまったく違う教え、異なる本尊を立てている以上、どれも同じ釈尊の教えであることに変わりはない、などという馬鹿なことはない筈で、釈尊の真意はただ一つの筈であります。釈尊は、一代五十年間にわたり、膨大な教えを説いていますが、その四十二年目に説いた『無量義経』という経典の中で、
「自分は、かって菩提樹の下で端坐黙想し、この世の中の真理というものを悟った。そして、この真理を人々に説こうと思い、思惟したが、これを、そのまま説くことは思い止まった。何故ならば、人々の素養・理解力が低く、また、まちまちであることを知ったからである。そこで、まず、人々の理解力や、それぞれの素養に合わせ、真理の中の一分一分を種々の経として説くことにした。かくて説いてきた教えは、いわば真実へ導くための方便であり、これまでの四十余年間においては、いまだ真理の全てを説き顕わしていないのである」(無量義経説法品第二)
と述べています。また、『無量義経』に続き、最後の八年間で説かれた『法華経』という経典においては、
「人々の状態に応じて教えを説いてきたところの、その真意というものは、なかなか人々には理解できぬであろう」(法華経方便品第二)
「今こそ、まさに、これまでの方便の教えを捨てて、最高真実の教えを説くであろう」(法華経方便品第二)
「自分が説いた経は膨大な量であるが、その、すでに説いた経、今まさに説いた経、これから説くであろう経の中で、この法華経こそは最第一の経である」(法華経法師品第十)
等と宣言し、『法華経』こそが、釈尊の悟った真理をそのまま説き明かした、最高真実の教えである、と述べているのです。
 このように、釈尊の真意が法華経にある以上、法華経こそが真の仏教であることは明白です。

 法華経の文底に前代未聞の大仏法が

 さて、その法華経の中には、
「悪世末法の時」(法華経分別功徳品第十七)
「後の末世の法滅せんと欲する時」(法華経安楽行品第十四)
等々と、「末法」という時代のことが説かれています。「釈尊が亡くなって後、およそ二千年が過ぎると、末法といって、人の心が非常に濁った、泥沼のような時代が訪れる。その時には、仏教も分裂・混乱し、世の中にも争いが相次いで、釈尊の遺した仏法が民衆を救済する力を失ってしまう」というものです。では、末法時代の人々はもはや救われないのか、と申しますと、釈尊は、この悪世末法の時こそ、釈迦仏法に替わり、法華経の文の底に秘められた前代未聞の大仏法が出現すべき時であり、末法時代の人々は、この大仏法によってのみ救われる、ということを説いています。しかして、その新時代の大仏法を弘める御方は、どのような御姿、御振舞いをもって出現するのか、ということまで、細かく法華経の中(観持品第十三、如来神力品第二十一、薬王菩薩本事品第二十三等)に予証されているのです。これを、現実の歴史に照らして検討してみますと、この釈尊の予証と完璧に一致する御方は、古今東西にただひとり、日蓮大聖人をおいてありません。したがって、今、末法の時代に適する最高真実の教えとは、日蓮大聖人によって取り出だされた、法華経の文底の大仏法「南無妙法蓮華経」なのであります。
 如何でしょうか?

 既存の概念ごときで推し測れるものではありません。
 相当、自分をおごられておられるようですね。
お礼コメント
chihoko

お礼率 90% (423/469)

●ご回答いただいた内容はたいへんよくわかりました。

 たかだか2000年のスパンなんですね。
 縄文の人々は平和な(環境を汚さない生活)時代を一万年つづけていました。
 稲作がおこなわれて 富の集積がおこなわれるようになってから
 環境は破壊されはじめたのです。
 お釈迦さんが なんていってるかよくは知りませんが
 縄文の人々の生き方に いきることのヒントがあるような気がしてなりません。

●前代未聞の大仏法を予言した。
 弥生時代から自然の破壊は 進み 富の集積による
 欲が欲を産む構造は かなり地球がだめになるまで修正できないものでしょう。
 いずれここまでかって言うところに来て ひとは気づくのです。
 だからそのとき 大仏法が出現すると言えるわけですね。
 でもそれは 南無妙法蓮華経 では無いと思います。
 わたしの感では サイバースペースに生まれる 世界をひとつにイメージさせる
 マネーと理念が結びついた「憲章」のようなものだと思います。
 そうです ひらたくいえばA.I.です。
 その世界をひとつにイメージさせる意思「憲章」は
 地球を元どうりのすばらしい命あふれる方向にみちびいてくれます。
 もちろん みちびくだけの力(パワー)をその意思はもっています。
 そのパワーと知恵は わたしたち人間の願いの結晶なのです。

 ご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-01-19 21:54:09
  • 回答No.7
レベル11

ベストアンサー率 17% (31/182)

最後の4行が主文です。しんどければそれだけどうぞ、。 そうですか、数学者は箸でスープを飲みきったんですね(笑 飲んだって言うよりなめたと言うほうがいいかもしれません。偉大ですね。そういうのもありでしょう。箸で釘も打てそうですね。その内、三本使っても、「箸」だと言うようになります。彼らはそういうのとくいです。(笑  まぁ、箸もしがめば何か飲めるという、いつか蝿も捕まえてみせようという、こだわりの精神で ...続きを読む
最後の4行が主文です。しんどければそれだけどうぞ、。
そうですか、数学者は箸でスープを飲みきったんですね(笑
飲んだって言うよりなめたと言うほうがいいかもしれません。偉大ですね。そういうのもありでしょう。箸で釘も打てそうですね。その内、三本使っても、「箸」だと言うようになります。彼らはそういうのとくいです。(笑 
まぁ、箸もしがめば何か飲めるという、いつか蝿も捕まえてみせようという、こだわりの精神ですね。網を使ってしまえば意味が無いのです。箸で蝿を取ることが、すごいと、思ってるんです。その内、ラクダも針の穴に通すかもしれません。ホイポイカプセルも出来そうですね。やればやった分だけ出来るでしょう。そのため限られているでしょう。すでにやっている事を知れば、限られません。
 
仏教の因果律が優れているのは、原因が他にあるのではなく、自分にあるからです。結果もまた自分にあります。だから正しいんです。さらに行くと、因も果であり果もまた因です。何故なら、最初と最後は同じだからです。
最初の因は最後の果です。因果の無い事はありません。
 
神は並ぶ者のない言葉です。全ての事なので、全てに含まれないものはありません。あなたも、石コロも、全てに含まれるのです。空もまたすべてです。終わりであり最初であるのはそういうためであり、そうであるからです。理由が事実です。

また、人間は、知ることにより忘れたのです。エデンの知恵の実の話はそういう話でしょう。忘れを知ったともいえますね(笑 「すべて」を忘れたのです。
皆が神と言ってるのは、創造神もまた神であるし、羞恥心もまた神です。なぜなら、全てに含まれないものはないからです。だから、全能なのです。あなたがあなたであるように、全てもまた全てであるのです。だから同時に無いのです。創造神、破壊神、慈愛神、石ころ神に、カワヤ神、あなた神に、何でも神。

つまり、神は無い。
 
だから、ありなのです。すべてなのです。
しかし、神、全ては嘘を嘘と明らかに。ほんとをほんとと明らかに。します。
知る事で、ほんとを嘘とするのは人間です。
しかしそれもまた、神はそうするのです。それもまた神であるからです。
神が、解らないようにあれないわけがない。全てなのに。同時ですし、ばらばらです。すべてです。また無です。

全てから離れるものはありません。
 
皆が誤解しているのは、「すべて」が最も大きい包括的カテゴリだと思っている点です。
ちがいます。カテゴリそのもであり、何でもあり、すべてであります。
言葉は要りません。
しかし、ドコからも全てに繋がっているので、言葉でもいいです。
皆は神を誤解している。
神は全てです。全能の神もまたすべてです。

中観とは、天秤のバランスを取るようにあるのではなく、そうなくもない。と思うことです。
中は内です。なかの意味です。バランスのとれている事ではありません。中庸をバランスと言うのは間違いです。中観を得るのに基準はいりません。
その時なかはなかになり、そとはそとになります。中を指でさせます。外はさせないです。中は点でそとは広がりです。宇宙空間で、空間を指ではさせません。
それと同じような事ですが、真の外は空間を指でさせます。空間もまた中であるからです。真の外に隙間はありません。

その外、真です。
 
神に、「ないものはない」
何故なら神はすべての事だからです。
僕の神の解釈は、全てであると言う事です。
誤解の課程は以下のようです。
みかんをくりと呼べばそうなります。そのくりはすっぱいでしょうね。
すっぱいをからいと言えば、みかんはからいですね。意味がやいこしいでしょう。
ほとんどの知識人がこのようにこんがらがってます。
名前に惑わされてはいけない。
 
自分を知れ。そして器を知ると言う意味がわかる。
自分が器なのか、中身なのか、両方なのか、
答えは全てです。
僕の回答にも囚われてはいけない。捕らえるようなものは、虚偽です。
解らない事にも悩んではいけない。解らない事は解らない事です。それが解ればいい。
 
僕の言った事で、経典に書かれていないことはありません。
しかし、経典に書いてある事でゆっていないことはあります。そりゃそうだ(笑
聖書も経典も、理解できれば両方間違っていないのです。
なぜなら、理解するものは知っているからです。
知っているから理解するんです。理解するから知ってるんです。
ここにもまた因果律があります。
法華経は解りません。知識しかありません。とりあえず行き止まりですね。
空をとべる事を知れば、解るでしょう。解る事もまた知れるからです。
イエスならわかると思います。なんか、言っていることそっくりですもん。
山に動いて海に入れと信じて疑わなければそうなる(笑
どの宗教、宗派も、方便ですし、事実です。方便である事を知らなければ成りません。
 
イエスが若いころ経典を読み漁ったって言うのはホントなんでしょうか(笑
どうでもいいですけど、
どっちがどっちなんて、、、、。、。、。ねぇ?
あっちこっち(笑
お礼コメント
chihoko

お礼率 90% (423/469)

●神はすべて ねえ まあ なんでもいいんですけど。
 そういう考え方って かんこいいと思いますか?
 なんか そういう神って 忙しそうだし たいへんそうだねえ
 わたしの感では そういう考え方は 現代人には受けないなあ・・・たぶん。
 救世主のほうが かっこいいよ ネオみたいにね。
 自分が救世主であることを信じることで 精神世界(MATRIX)での
 死から復活してみせたんだよ。
 あと おんなを発情させるおとこの神とか
 男をたたせる おんなの神とかのほうが うけるね。
●あなたの言う「神」がカメハメハでもやってみせるんなら おもしろいけど。
 すべてだってーんじゃ いてもいなくても同じだよそれって。
 今 地球は人間によって汚されてるよね あなたの神はどうおもってんの?
 よごれたのもまた「神」ですってーんじゃ 話にならないよ。
投稿日時 - 2002-01-19 00:28:00
  • 回答No.6
レベル8

ベストアンサー率 18% (7/38)

「全能の神」というのは人間が考え出したものです。 「いかなる難問をも解き得るもの(物・者・人物・神・仏)」を空想したのです。 「4色問題」だって、「全能」であるからには解けるはずです。 しかし「全能の神」は人間の前で人間に解るようにそれを示すことをしません。 全能であるからには、どんな盾でも射抜く事のできる矛と、どんな矛を以っても射抜けない盾を 同時に存在させるといった事ができるはずです ...続きを読む
「全能の神」というのは人間が考え出したものです。
「いかなる難問をも解き得るもの(物・者・人物・神・仏)」を空想したのです。

「4色問題」だって、「全能」であるからには解けるはずです。
しかし「全能の神」は人間の前で人間に解るようにそれを示すことをしません。

全能であるからには、どんな盾でも射抜く事のできる矛と、どんな矛を以っても射抜けない盾を
同時に存在させるといった事ができるはずです。
しかし「全能の神」は、可能ではあってもあえて実行しないのです。
いや仮に実行したとしましょう、しかし人間には、そんな盾と矛を同時に観測する事はできないかもしれません。
「できる」ということと「じっさいに行なう(行なって見せる)」ということは同じではないのです。
お礼コメント
chihoko

お礼率 90% (423/469)

●じっさいに行って見せれば 疑いは薄らぎますよね。
 できるんなら できることを論理でわからせてほしいですね。

●盾側から見れば射抜かれてなく 矛側から見れば射抜けてて
 その中間からみれば 射抜いているようでもあり射抜いていないようでもある
 そんなところで いいんじゃないですか。

 ご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-01-18 23:45:02
  • 回答No.2
レベル13

ベストアンサー率 23% (293/1250)

宗教によって違うかもしれないけど、 神様が全てを創ったわけでしょ。 てことは、 その難題自体を考えた人間も神様が作ったわけだから、 その難問自体、神様が作った物って事になるじゃない。 で、「問題」っていうのは、 作った人が正解だといえば、それが正解なんです。 なので、神様が何か答を言えば、それが正解です。 つまり、答えられない問題は無いことになります。 そもそも、「全てを作った」とい ...続きを読む
宗教によって違うかもしれないけど、
神様が全てを創ったわけでしょ。
てことは、
その難題自体を考えた人間も神様が作ったわけだから、
その難問自体、神様が作った物って事になるじゃない。
で、「問題」っていうのは、
作った人が正解だといえば、それが正解なんです。
なので、神様が何か答を言えば、それが正解です。
つまり、答えられない問題は無いことになります。

そもそも、「全てを作った」という時点で、
創造者である神様自身を超えるものは存在しないはずです。
というか、自分より能力の低いものを作ります。
そうしないと「神」として存在できないから。
お礼コメント
chihoko

お礼率 90% (423/469)

●そのような具体例があれば 神様のとらえかたが
 さらにはっきりするかな? という設問です。
 
 神様が人間より能力低いという考え方もありだと思っています。
 ご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-01-18 22:45:47
  • 回答No.1
レベル13

ベストアンサー率 23% (441/1845)

田中芳樹さんの銀河英雄伝説にこんなセリフがありました。 「全能の神がいるなら「誰の言うことも聞かないわがまま女」を作ってもらいたいものだ、もしその女に言うことを聞かせられないなら全能じゃないし、その女に言うことを聞かせられるなら「誰の言うことも聞かない・・・」という女を作れなかったことになる。だから全能なんてあり得ない。」 ...続きを読む
田中芳樹さんの銀河英雄伝説にこんなセリフがありました。
「全能の神がいるなら「誰の言うことも聞かないわがまま女」を作ってもらいたいものだ、もしその女に言うことを聞かせられないなら全能じゃないし、その女に言うことを聞かせられるなら「誰の言うことも聞かない・・・」という女を作れなかったことになる。だから全能なんてあり得ない。」
お礼コメント
chihoko

お礼率 90% (423/469)

●全能の神なら 誰の言うことも聞かない女をつくることもできるし
 その女を言うことを聞かせるように改造できると思います。
 田中芳樹さんのセリフには時間のレトリックがあります。

 ご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-01-18 22:41:18
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