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自分が<自分>であることがなぜわかるのか

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  • 質問No.200385
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お礼率 70% (42/60)

 言葉で言い表せないかもしれません。自分というものはどうやって成り立つことが出来ているのでしょうか。たとえば、なぜ、私は<私>であって、あなたではないといいきれるのでしょうか。私が自分のことを意識しているということは、どういうことなのでしょうか。自分から出た、ものが自分にかえってくるのでしょうか。自分はなぜ<自分>なのですか?どなたかお答えいただけませんでしょうか?すみません。十分に、この感覚が言語化できなくて。言語化できないことを質問するなど間違っているかもしれませんが、ずっと疑問でした。
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回答 (全15件)

  • 回答No.5
レベル11

ベストアンサー率 29% (74/253)

質問『自分が<自分>であることがなぜわかるのか』 では逆から考えてみましょう。 本当に私たちは、自分という存在を認識できているのでしょうか。 何かを認識するということは、その何かを自分の対象物としてみる ことから始まります。 身の回りにあるもの、本やペン、マンガ、パソコンなど自分以外の物 を認識することは簡単にできます。 目には見えませんが、電気・空気・磁気といった存在も、そ ...続きを読む
質問『自分が<自分>であることがなぜわかるのか』

では逆から考えてみましょう。
本当に私たちは、自分という存在を認識できているのでしょうか。

何かを認識するということは、その何かを自分の対象物としてみる
ことから始まります。

身の回りにあるもの、本やペン、マンガ、パソコンなど自分以外の物
を認識することは簡単にできます。

目には見えませんが、電気・空気・磁気といった存在も、それらの
作用を通して認識することができます。


では、自分はどうやって認識できますか。
自分の体は、鏡でみたり、体重計に乗ったりして、確認することができます。
しかし「自分自身」は認識できるのでしょうか。

自分はこういう人間だ、どこで生まれ、どうやって育ち、今何の仕事をしている
というようなことを考えることはできます。
しかしそれは「考えられている自分」であって、本当の自分ではないのです。
自分はこうだと考え始めた瞬間、その「考えられている自分」は考えている
主体の自分から離れ、対象的な存在となってしまいます。
「本当の自分」というのは認識できないのではないか、これが私の結論です。

この問題は昔から多くの聖賢たちの論議の対象となっていました。
インドでは何千年も前から、こういう問題を考えていました。そしてその内容
の一部がヴェーダ哲学にまとめられています。

それからギリシャ哲学の祖であるソクラテスもそうです。ソクラテスは若い頃
神託を出すある神殿にいきますが、そこで「汝自身を知れ」という言葉を見て
びっくりします。これが大変な難問であることに気づいたからです。そして
ソクラテスは、その後哲学者の道を歩むようになります。

では認識することのできない「本当の自分」の正体とはいったい何でしょうか。
インド哲学では「アートマン」[日本語では真我(たぶん)]という存在を
述べていますが、説明が難しいのでここでは省略します。


上記で述べた内容については、「ソクラテス最後の13日」(PHP研究所)
で詳しく述べられています。興味がありましたらご一読してみてはどうでしょうか。
  • 回答No.6
レベル11

ベストアンサー率 17% (31/182)

自分は無い。 ないものはない。 だからすべてである。 だから自分である。 だから、自分は無い。   最初に何故あることが解るのか? それは誤解だ。まず 「ない」と知りなさい。同時に「すべて」を知るからです。
自分は無い。
ないものはない。
だからすべてである。
だから自分である。
だから、自分は無い。
 
最初に何故あることが解るのか?
それは誤解だ。まず 「ない」と知りなさい。同時に「すべて」を知るからです。
  • 回答No.4
レベル10

ベストアンサー率 20% (6/30)

、  僕もいつぞや、そういうことを考えたことがありました。でもいまは全くそんなこと考えないようになりました。何がきっかけかはわかりません。でもせっかくだし、ここで、何が原因なのかいろいろ仮説をつらつらと、思いつくまま述べていこうと思います。参考にならないかもしれませんが。  Q なぜ自分が「自分」と僕(richan)が分かったのだろう (自問自答)  1.長きにわたる、生きて ...続きを読む


 僕もいつぞや、そういうことを考えたことがありました。でもいまは全くそんなこと考えないようになりました。何がきっかけかはわかりません。でもせっかくだし、ここで、何が原因なのかいろいろ仮説をつらつらと、思いつくまま述べていこうと思います。参考にならないかもしれませんが。 



Q なぜ自分が「自分」と僕(richan)が分かったのだろう (自問自答)


 1.長きにわたる、生きてきて、できたたくさんの思い出。
 その頭の片隅にひょいと残っているものが、形にふれることのできない「自分」について、一筋の光にあたるような… (意味ぷー) 
 
 まー、自分が自分たらしめるのは、自分の「思い出」とか「経験」ってことかなー。 ☆ピーン(効果音) そう、自分とは、つまり、自分の経験の集合体!!  だからあんまり経験の積み重ねのないころは、自分の実感がないのかったりしてー。    ハイおしまい(なんかDeepになりそうだし)

 2.自分の将来について悩み、そのために自分をいろいろ考えた。もしくは、(ハイデッカーさんの実存主義じゃないけど) 死に直面し、もうだめだと思ったときに、助かり、生き延びたことで、「生きる」ということの実感を得た。


 実は、僕はいっぺん、人の顔だけが見えなるというおかしなことになり、脳腫瘍の疑いをかけられた体験があります。その日は一日中、言葉にはできない、心苦しさや孤独、恐怖、を感じました。そして一日中、いままでの(十数年の)人生をふりかえりまくって「悔いはないじゃないか!」って結論づけたり、「もし生きれたら、したいこと」を考えまくったり、好きだった人への愛こそが自分の存在意義だと結論づけたり、死んだペットや家族は死ぬときどーだったのだろーと考えたり・・・などなど。

 その後、なんか「自分」が確立したような気がする・・・ような・・・しないような・・・  (しかも1.より、さらにDeepになってしまったような)


3.個性が確立した。他人に染まった生き方をしなくなった。



一流学校に進学し、そこでのいわば「エリート」たちに会った。「エリート」は一般にいう「大衆」とは対をなしたもので、全てを自分で考え、常に「大衆」に対して疑いの目を向けていた。自分も彼らの影響を受け、それができるようになってきたから???かな???


 ちょっと、時間の都合上ここで切ります。まだ書きたいし、他の方々の回答も見たいです。 ではまた。
  • 回答No.3
レベル12

ベストアンサー率 36% (334/910)

もしかして、デカルトさんのお出ましなのでしょうか? 「われ思う、ゆえにわれあり」 森羅万象すべてに疑いの目を向けて、いろんな側面から真実を見つけ出そうとした彼が、欲望を持ったり、感じたりしている自分という対象にだけは、疑いを持とうにも持ちようのないところがある、ということに気づいたそうです。 そこで行き着いた境地、「われ思う、ゆえにわれあり。」 それこそが、自分というものを証明する ...続きを読む
もしかして、デカルトさんのお出ましなのでしょうか?

「われ思う、ゆえにわれあり」

森羅万象すべてに疑いの目を向けて、いろんな側面から真実を見つけ出そうとした彼が、欲望を持ったり、感じたりしている自分という対象にだけは、疑いを持とうにも持ちようのないところがある、ということに気づいたそうです。

そこで行き着いた境地、「われ思う、ゆえにわれあり。」

それこそが、自分というものを証明するものである、ということでした。

これを学んだ高校時代は、感動して授業を受けていた記憶があります。20年も前の話です。でも今改めて考えると、多少詭弁臭い匂いも感じる。彼の業績は大きいが、その後も哲学者が同じテーマに挑みつづけたのは、完璧な理論ではない部分がどこかにあったからでしょう。

でも、凡人の私は、このレベルで十分満足です。
  • 回答No.1
レベル13

ベストアンサー率 26% (267/1014)

>ずっと疑問でした。 その感覚は、わからないでもありません。 回答ではないので、申し訳ないのですが。 ご質問の主旨は、「自分は<自分>であることが(わかっている)」ということが大前提ですね。 私は、「自分は<自分>ではない可能性がある」と考えています。 目前にしているこの部屋の風景、さっき食べたサラミソーセージの食感、お湯割ウヰスキィののど越し、すべてがレンタルビデオから写し取った感 ...続きを読む
>ずっと疑問でした。
その感覚は、わからないでもありません。

回答ではないので、申し訳ないのですが。

ご質問の主旨は、「自分は<自分>であることが(わかっている)」ということが大前提ですね。

私は、「自分は<自分>ではない可能性がある」と考えています。
目前にしているこの部屋の風景、さっき食べたサラミソーセージの食感、お湯割ウヰスキィののど越し、すべてがレンタルビデオから写し取った感覚か、精密にプログラムされた電気信号を脳に流し込んでる体感ゲームマシンや医療機器である可能性です。
また、宇宙の意思としての「神」が、小手先で描いた落書きかもしれない。

「自分は<自分>である」とは、<自分>を中心に考えた世界に限定された幻想かもしれません。

#とまぁ、難しい質問には、ワケワカ回答を出してしまうのは、やっぱオレなんだなぁ。

popup2002さんとともに、識者のご意見を待たせていただきたく思います。
お礼コメント
popup2002

お礼率 70% (42/60)

自分は<自分>であることがわかっているということが前提にあるのも不思議です。ないこともあるはずなのにです。<自分>を中心にした舞台にいて、みんな演技してくれているのかもしれません。この感覚が理解できる方がいらっしゃって嬉しいです。ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-01-17 22:58:18
  • 回答No.2
レベル9

ベストアンサー率 13% (13/100)

こんな事に明瞭に回答できる人いるのでしょうか? 私もykkw_2001さんと同じく「自分が<自分>であることがなぜわかるのか」以前に「自分が<自分>であることがわかっているのか」と思いました。 まあ、少し強引で、回答とも違うちんぷんかんぷんな事かも知れませんが、 popup2002さんをぶん殴って「痛いのは誰だ」と聞きます。 できるのはそれぐらいです。勘弁してください。
こんな事に明瞭に回答できる人いるのでしょうか?
私もykkw_2001さんと同じく「自分が<自分>であることがなぜわかるのか」以前に「自分が<自分>であることがわかっているのか」と思いました。

まあ、少し強引で、回答とも違うちんぷんかんぷんな事かも知れませんが、
popup2002さんをぶん殴って「痛いのは誰だ」と聞きます。
できるのはそれぐらいです。勘弁してください。
  • 回答No.7
レベル11

ベストアンサー率 20% (58/281)

人とかかわりを持つことで自分と認識。 思春期の頃、自分って何????自分?何?、体と心が分離したような感覚に陥ってブルーになっていた頃がありました。 テープに録音した声と自分が体を通して聞いている声が違うのだということに気付いて(知って)から、余計、自分とは何だろーといろいろ考えこんでしまったのですね。自分では自分は認識できないんだな・・と。鏡に映っているのも、自分にとっては反転されたもので、 ...続きを読む
人とかかわりを持つことで自分と認識。

思春期の頃、自分って何????自分?何?、体と心が分離したような感覚に陥ってブルーになっていた頃がありました。

テープに録音した声と自分が体を通して聞いている声が違うのだということに気付いて(知って)から、余計、自分とは何だろーといろいろ考えこんでしまったのですね。自分では自分は認識できないんだな・・と。鏡に映っているのも、自分にとっては反転されたもので、本当の自分は自分には一生みれないのだなーとか。。。いろいろ。自分なのに、他人みたいな感覚に陥る。。。

だから、自分はこーだと思い込んでいたことが、他人が自分に持つ印象によっても、形成や影響されていくというか・・・・。

なんか、全然、回答になってなくてごめんなさい。この質問をみていて、思春期の頃の自分の感覚が蘇ってきたから。。
  • 回答No.8
レベル11

ベストアンサー率 9% (31/325)

 有に執われるものが見惑と思惑であります。  見惑とは理というものについて迷う惑であります。自分自身の命が実際に有ると思っている考え方、これは何人もそう思っていますが、まあ、デカルトという哲学者は、  「我思う。故に我有り」 といったけれども、仏教はそんなものではありません。もう一歩深いのです。結局、道の正しい思索にもう一歩入ると、はたして本当に自分が存在するや否やという問題があるわけでありますが、 ...続きを読む
 有に執われるものが見惑と思惑であります。
 見惑とは理というものについて迷う惑であります。自分自身の命が実際に有ると思っている考え方、これは何人もそう思っていますが、まあ、デカルトという哲学者は、
 「我思う。故に我有り」
といったけれども、仏教はそんなものではありません。もう一歩深いのです。結局、道の正しい思索にもう一歩入ると、はたして本当に自分が存在するや否やという問題があるわけでありますが、しかし、自己を「実有」と思うところに空という真理を無視し、これを否定する考え方が出てきます。
 これらは思想的な惑いですけれども、自分自身が存在する、有であるという考え方のなかから、今度はその自分自身というものが元になって、いわゆる断見・・・生まれてくる前は存在していない。お父さん、お母さんの因縁によって、その時に初めて自分の命が出来たのだと考える見方もあります。今の医学の人達が科学的な見地から言うのもそのような考え方かもしれませんが、初めてそこから出来て、そして生まれて大きくなり、死んでしまえばそれで無くなってしまう、生前も死後も全く無いのだというのが断見であります。
 それに対して、生まれる前も自我として、霊魂として存在し、死んでからも自我として、霊魂として存在していくという、常に世に存在するというのは常見という惑いであり、この二つとも真実の見解ではありません。そして、この二つを離れたところに仏法で説く中道の生命が存するのであります。

 以上のように、「我」という考え方があり、外道の我見でありますが、これは間違いである、ということであります。
 また、「常見」という見方も、外道では色々と論じていますが、そういう考え方自体が実は大きな誤りなのであります。
 大乗の中道から見ると、これも「不常亦不断」であって、常でもなければ断でもありません。常に我々の命として必ず「我」があって、我から我に移っていくものでもなければ、我と言うもの自体が無いのだと説くのであります。
 いわゆる「常ならず」ということであります。また、「断ならず」で、無くなってしまうということでもないというのです。ですから「不常亦不断」のところに中道の存在、いわゆる生命のそれぞれの在り方があるのである、ということであります。

 以前の質問にも類似した回答なのですが、
 小乗仏教では、自分自身という「我」だけは無いのだと説きます。しかし、法としての宇宙のなかで、あらゆるものが移り変わり、転変していくところの元をなす色心の法というものは存在しておるということはいうのであります。いわゆる「我空法有」であります。
 しかし、大乗教になると、そういうように法が有ると考えることは執われであるとし、一切ことごとく、これは生ならず、滅ならず、また一ならず、二ならずというところに、人のみならず法もまた空であるとして、一切の情執、差別の考え方をことごとく打ち破ってしまうのであり、その打ち破ることによって現れてくるところの実相が中道である、ということを示しておるのであります。
 如何でしょうか?
 念を押して、書かせて戴きました。
  • 回答No.13

イヤー面白いです。 本当に、遠い昔から考えられてきた問題ですね。 そこで、私も参戦。 「自分」の自覚方法に限って。 哲学的なことは、皆さんの回答でほぼ出揃ったようなので。 簡単なことです。 ナイフでもなんでも宜しいですから、先の鋭いもので、指先を刺してください。 鋭い痛みがあります。 この痛みは、他の誰かには知覚されないものです。 痛みを自覚するのは、自分以外にいません。 ...続きを読む
イヤー面白いです。

本当に、遠い昔から考えられてきた問題ですね。
そこで、私も参戦。

「自分」の自覚方法に限って。
哲学的なことは、皆さんの回答でほぼ出揃ったようなので。

簡単なことです。
ナイフでもなんでも宜しいですから、先の鋭いもので、指先を刺してください。
鋭い痛みがあります。
この痛みは、他の誰かには知覚されないものです。
痛みを自覚するのは、自分以外にいません。
ゆえに、「自分」を認識できます。
  • 回答No.14
レベル8

ベストアンサー率 7% (1/13)

大切な人がいるから、、
大切な人がいるから、、
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