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「奇跡体験アンビリーバボー」歴史考証に疑問?

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お礼率 94% (56/59)

さて?このカテゴリーにするかテレビにするか迷ったんですが・・・

先日のTV番組「奇跡体験アンビリーバボー」でまたまた陰陽師ものをやってました。その中で女性に憑いていた霊が
「江戸時代の幕府に仕える剣術指南のお家柄のお姫様。父親が謀反の疑いをかけられて同族に夜討ちをかけられて家族全員(犬まで)惨死。その夜討ちをかけた同族の子孫に祟りをもたらした」
といわれていました。
が、戦国時代ならともかく、江戸時代に謀反の疑いをかけられて「同族により」「夜討ちで」「家族全員」殺されるなどということがありえたのでしょうか?江戸時代には裁判というか評定というか、ともかく弁明の機会を与えられ、それでもだめなら当主が切腹、お家取り潰しが基本パターンだと思うんですが・・・

江戸時代の歴史に詳しい方、教えてくださいませ!
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質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.3
レベル13

ベストアンサー率 61% (647/1050)

 
  こういうTV番組は、内容からしてあまり芳しくないものが多く、時に目に余るものもあります。(昔、UFO特集などと称して、ドキュメンタリーのような体裁で、なかに、フィクションの画像を挿入していましたが、宇宙人の目撃者が、こう云っているという紹介と、その主張を元に、俳優を使って、道具を使い、その主張の情景を再現して、いかにも本当に実写のように放送するのは、完全に問題だと思ったことがあります。「完全に問題だ」というのは、目撃談と、そのドラマ化・映像化は意味が違うので、 子どもや、よく事情を知らない人が見ると、現実と錯覚しかねないからです)。
 
  それはとまれ、前世記憶についての超心理学的な解釈は色々あり、わたしは一概に否定しきれないと思っていますが、実際には、立証はもの凄く難しく、TVで放送されるようなものは、まず眉唾だと考えて間違いないでしょう。視聴者も「興味本位」と分かって「醒めている」という意見もありますが、そうでない場合の方が、問題で、そうでない方の可能性が高いと思います。「醒めている」というのは、視聴者アンケートを採れば、そういう結果が出るでしょうが、実際は、無意識は、そう明瞭に事実とフィクションの区別はしていないのです。これは、暴力シーンを見て育った子どもは暴力的になるというのと、似た問題です。そんなことはないという主張と、そうだという主張があり、やはり、影響はかなりあるのです。
 
  とまれ本題に戻りますと、江戸時代に、云われているようなことがありえたかですが、先の人も言っていますように、江戸時代も時代によって色々で、大きく、前半と後半、そして、そのあいだの中間の移行期に分かれると思います。それぞれの時代で、社会の状況が違っています。
 
  前半は、江戸幕府の創立から、土台の確立に必死だった時期で、数は忘れましたが、大体五代将軍の頃までに、取りつぶしにあった藩はかなりな数に昇ります。藩が取りつぶしになるということは、支配階級の武士にとっては、死活問題で、必死に藩を守ったはずです。江戸時代前半、幕府は、外様の大小藩の取りつぶしを画策し、これに、譜代・親藩も加えられます。藩を取りつぶしたり、取りつぶしの前段階または大名の力を殺ぐための方法としての転封などを行うには、それなりの理由が必要になります。
 
  徳川幕府初期の1世紀近くで、取りつぶしになった藩の取りつぶし理由として、藩主の責任能力なし、というのが多くあります。藩主が暴虐だとか、狂乱しているとか、風紀紊乱だとか、とまれ、藩主が「狂っている」という理由で、かなりの藩が潰されているはずです。これは数として異常なので、二つ理由が考えられます。一つは、本当に藩主が狂っていた場合と、別に狂ってなどいないのに、理由をこじつけられた場合です。この両者は非常に近いです。
 
  幕府は、隠密などの他にも、色々な方法で、大名や藩主や藩を監視していて、前半期は、重箱のすみをつつくように、何かと理由をこじつけては、藩の取りつぶしを画策しました。藩の取りつぶしは、武士にとって生死にかかわるので、藩主や、藩の重臣、武士たちも、もの凄く神経質になったとも言えます。特に藩主は、幕府から藩の責任者として、責任を問われる立場にある他方、藩内でも、藩主におかしなことをされては困るというので、藩取りつぶしの原因になりそうな藩主は、藩の重臣たちの謀略で、ひそかかに暗殺されたというようなこともあった可能性があります。無能な藩主、性格的に問題のある藩主だと、取りつぶしの口実になるので、藩のためには、藩主も犠牲にされたということです。
 
  この結果、藩の武士や重臣、とりわけ藩主への精神的プレッシャーは、もの凄く大きなものになり、幕府に腹を切らされるか、家臣に殺されるか、普通の人間だと、絶え間ない緊張の連続で、藩主が精神的におかしくなって当然というような事態が江戸初期にはあったのです。狂っているという理由で、藩がつぶされた例が多いのは、通常であれば、精神的バランスが取れた人でも、発狂するか、重度の神経症になるような状況に藩主がおかれていたということで、また、藩主は何とか自己を支えていたが、些細なことで幕府が因縁を付け、藩主狂乱により、藩取りつぶしとした例もあったはずです。
 
  こういう時代だと、藩主も、家臣から暗殺されるのですから、藩取りつぶしのリスクのある場合は、藩の家臣一家皆殺しというのも十分ありえたのです。その場合、同族にやらせるのが、相手も疑わないし、また忠誠度も確認できるので、敢えて、同族に成敗を命じた可能性も高いです。
 
  ただ、この「霊」は、「幕府に仕える剣術指南のお家柄のお姫様。父親が謀反の疑いをかけられ」ですから、藩の家臣ではありません。幕臣だということになります。幕臣は、旗本と御家人と、もう一つ、藩主がそうです。藩主も幕臣だということになるのです。幕府の家臣である藩主の家臣は、幕府直属の武士ではないので、陪臣と云ったのです。この場合、藩主は、幕府に忠誠を誓った幕臣になるのです。しかし、「剣術指南の幕臣」となると、藩主ではないでしょう。柳生家が藩主である剣術指南の幕臣で、柳生家内部の争いの話なら、この「霊」の話は合っています。
 
  しかし、幕府剣術指南というと、普通は、大きくて、五百石ぐらいの旗本でしょう。その場合、江戸前期なら、謀反の疑いで、同族によって、幕府の命令で、一族全員誅殺されたという例はありえたと思えます。剣術指南というのは、将軍に近いところにいるので、力もあり、また、危ない人間でもあるのです。その結果、政争に巻き込まれ、謀反を名目に一家誅殺という例もあったでしょう。将軍そのものが、後継者をめぐって、二代将軍秀忠は、兄弟たちを殺しまくったようですし(不審な死に方をしている兄弟が多いのです。また秀忠は長男ではなく次男です。正確には三男で、上は、不審な死に方をしています)、三代将軍家光の時も、弟とのあいだで将軍位をめぐって死闘がありました(弟の駿河大納言は、結果的に詰め腹を切らされています)。四代・五代になると、後継者の死闘・暗闘はなかったようですが、そもそも徳川宗家の後継者が殺し合いでいなくなっていたのです。六代・七代は、不自然な形で将軍になり、不自然に死に、そして八代になると、遂に徳川宗家は滅び、尾張と紀伊で、後継宗家の座をめぐって暗闘しますし、紀州藩内では、後継者が、その支持勢力の思惑もあって暗闘し合います。八代将軍吉宗は、非常に運がよいとされますが、「お庭番」というか、幕府内部・外部をひそかに監察する特別職の隠密組織を作ったのは吉宗で、吉宗は、そういう勢力に支持され、名君として期待されたのですから、紀州家で、吉宗の兄たちが若死にしたのは、謀殺である可能性が高いです。三男で、しかも母の身分の卑しい庶子の吉宗が、紀州藩主に上りつめ、更に、八代将軍の座をめぐって優位にあった尾張を出し抜いたのは、運がよいとかいう話ではないと思います。
 
  吉宗は、改革を行いますが、これがまさに江戸前期と後期を明瞭に分けます。名君吉宗が必要とされた社会状況があり(そういう状況であったので、紀州藩主の座からさえ、遠い位置にいた吉宗が、必要とされて藩主となり、更に将軍になったとも言えます。出自よりも実力が必要とされたのです)、それは、農業封建制の上に立った幕藩体制が、商業の展開や貨幣経済の進展と共に、体制そのものの基盤が崩れ、武士階級の存在意義が消えて行き始めたということです。吉宗は名君ですが、スパイを大量に駆使した独裁君主でもあり、そういう聡明な君主のもとでは、暗殺・謀殺・誅殺は、非常に巧妙に行われたはずで、粛正などが実際にあったなか、誅殺事件もかなりあった可能性があります。
 
  江戸後期になると、商人階級の擡頭は誰の目にも明瞭で、武士階級の没落も明らかでした。吉宗の改革が、そもそも江戸幕府の破綻を意味していたのです。吉宗が「武」を好んだのは、彼自身、戦士としても一流であった他に、武士階級の没落をくい止めるため、意図的に、武士の精神的地位を高め、そのような気風を造るため、武芸を奨励したというのもあるのです。
 
  江戸後期、吉宗没後数代は、前期のような殺伐とした誅殺などはなかったでしょうが、幕臣の謀殺や、藩家臣の謀殺などは、ひそかにあった可能性があります。そして江戸末期になって来ると、違う意味で、藩主の暗殺や、不都合な家臣・幕臣の謀殺が画策され実行されます。大老井伊が、御三家の水戸家の藩士に公然と暗殺されるのですから、表にでない謀殺事件は他にもあったというべきでしょう。
 
  長い話ですが、「霊」とかの云った事件は、江戸時代全期を通じて、形態や方法や理由などは違っていたかも知れませんが、何時でもありえたということになります。前期の方が比較的ありそうですが、吉宗の中期は、ひそかかに暗殺・謀殺を幕府が行っていた可能性のある時代で、後期になると、またそれなりの事情で(藩経済体制の破綻を糊塗するためとか)謀殺や成敗はあったと考えるのが自然です。
 
お礼コメント
nosukenosuke

お礼率 94% (56/59)

番組の内容に関してはさておき、長文でのご回答大変ありがとうございました。はっきりいって聞きたいこと以上に勉強になりました。
どのようにお礼を返したらいいのか・・・?学がないので「なるほど!」とえらそうに解ったふりも出来ず、かといって「ありがとうございました」だけでは、この長文に報いることは出来ないし・・・
う~ん・・・
いや何はともあれかたじけのうござった!!
starflora殿!このご恩、拙者終生忘れませぬぞ!
投稿日時 - 2002-01-04 21:15:04
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  • 回答No.1
レベル11

ベストアンサー率 23% (108/457)

時代的背景にある、お家取り潰し等は確かにありえる場合があります。しかし、現実的なものとして、謀反の場合(疑いも含む)その藩自体では、そのような情報がもれないようにする可能性があります。謀反、脱藩等による藩主への責任問題は思ったよりも大きいように思われます。そのため、闇討ちとはいかなくても、それに近い部分(藩からの消滅等)により、一族をなくす可能性があるでしょう。 ...続きを読む
時代的背景にある、お家取り潰し等は確かにありえる場合があります。しかし、現実的なものとして、謀反の場合(疑いも含む)その藩自体では、そのような情報がもれないようにする可能性があります。謀反、脱藩等による藩主への責任問題は思ったよりも大きいように思われます。そのため、闇討ちとはいかなくても、それに近い部分(藩からの消滅等)により、一族をなくす可能性があるでしょう。
お礼コメント
nosukenosuke

お礼率 94% (56/59)

すばやいご回答ありがとうございます。
なるほど。藩は今の県などとは違って「国」に近いものなんでしたよね。口裏を合わせるのも容易だったんでしょうね。
そういえば確か「尾張」とかいってましたので、徳川御三家ということで一層厳しく闇に葬ろうとした可能性はありますよねぇ。
ふむふむ・・・
投稿日時 - 2001-12-28 15:58:21
  • 回答No.2
レベル14

ベストアンサー率 56% (1020/1799)

 私は詳しいわけではないので、書きにくいのですが、少しだけ参加させてください。  一口に江戸時代といっても、さまざまな情勢を含んでいます。例えば、その初期には大阪夏の陣・冬の陣と呼ばれる戦乱期もありました。関ヶ原の戦いから少なくとも15年は、地方に分散する非徳川勢力の存在もあり、安定政権というにはほど遠い世情だったと思います。  そのような初期を経て、平和な時代が到来したのかというと意外にそう ...続きを読む
 私は詳しいわけではないので、書きにくいのですが、少しだけ参加させてください。

 一口に江戸時代といっても、さまざまな情勢を含んでいます。例えば、その初期には大阪夏の陣・冬の陣と呼ばれる戦乱期もありました。関ヶ原の戦いから少なくとも15年は、地方に分散する非徳川勢力の存在もあり、安定政権というにはほど遠い世情だったと思います。

 そのような初期を経て、平和な時代が到来したのかというと意外にそうでもなく、キリシタンの生きたままの試し切りなど理不尽な人の死は世にあふれかえっていたらしいのです。罪人の死刑などは日常茶飯事とも言える状況が、氏家幹人著「大江戸死体考」(平凡社文庫)に詳しく紹介されています。現代の死刑執行状況と比べると一目瞭然でしょう。

 一方では、二代将軍秀忠の時には武家諸法度が定められ、とりあえずの社会秩序が構築され、一定の法制度のもと、表面的には平穏な武家社会がもたらされたと想像します。しかし、その陰では戦乱による死者こそは少なかったものの、政治犯の死刑や治安当局が手を焼くほどの常習的軽犯罪者などに加えられた死刑など「合法的な殺人」は思いの外多かったのかも知れません。一時期アフガンを支配していたタリバン政権を思い出させます。

 つまり強固な幕藩体制を築くために、数知れぬ人の死がもたらされたことは想像に難くありません。確かに中期から幕末にかけての江戸の商業地域では集金に出かけた大店の丁稚がお金をほったらかして遊んでいても盗られることはなかったというくらい治安は安定していた、という話を聞いたことがあります。しかしそういう現象は、法治国家としての道徳が人々に浸透していたからと言うよりは、発達した経済自体が原理的に導いた現象だと私は捉えています。

 ですから、ご質問にあげられた極端な因縁話が江戸時代すべての時代を通じて全くなかったかというと、一概には否定できないのかもしれません。

 ご質問からはそれますが、そういう話とは関係なく、TVなどで人の生活上の悩みを、事実かどうか全く検証しようのない昔のエピソードに無理矢理結びつけ、それによって解決できるかのようなふりをする風潮はいかがなものかと思います。そのような占いのスタイルをなりわいにしたいと思っている人が大勢いるのは仕方ないとしても、多くの人が見る時間帯にそのような番組を無批判に放送するTV局の姿勢こそ目に余ると感じます。(見なきゃいいんですけどね)

 ただ、そのような風潮は全く否定されるべきかと言うとそうとも言えないと思います。江戸時代に負けず劣らず不条理が横行する今の世の中、そういう不条理を一身に被り理由もなく不幸を背負ってしまった人たちにとって、せめて唯一の癒しや慰めとなるなら、おかしなオカルチックな雰囲気にも一定の存在意義は認めてあげたいような気持ちはあります。

 それにしても、ものごとにはほどほど、という線がなんにでもあると私は思うのですが。
お礼コメント
nosukenosuke

お礼率 94% (56/59)

私自身、事(江戸時代の話が本当にあったかどうか)や除霊の真偽云々が最重要なのではなく「番組の『フリ』として成立してるのか?」ということが謎だったのでご質問させていただきました。まぁ、あくまでバラエティーですから少々の着色やヤラセはしょうがないにしても、その背景そのもので「ありえないこと」があったら面白くないなぁと思ったのです。(霊とかいう時点で「ありえないこと」というのはこの際置いといてください)

なるほど、番組中では300年前と言ってたので、1700年代後半と考えれば・・・う~ん・・・落ち着いてるような気もするんですが・・・う~ん・・・テレビでは暴れん坊将軍も暴れてることだし同じテレビの中の話として、「あり」としとこう・・・(まじめなご解答いただいたのに失礼かな?すいません)

年をこしてお礼を差し上げたことをお許しください。
ありがとうございました!
投稿日時 - 2002-01-04 13:25:44
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