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日本の考古学の素人向け入門書はありませんか?

2s00t5の回答

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  • 2s00t5
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回答No.4

講談社のもう10年くらいまえの出版ですが、『歴史発掘』シリーズが良いと思います。写真が多く使われていて『古代史発掘』→『古代史復元』シリーズの後継シリーズです。図書館にはあると思います。そのほかは、明治大学考古学博物館編の『市民の考古学』シリーズ(名著出版)は一般向けの講演会の記録集で学史的な話しもでています。学生社の『シンポジウム日本の考古学』シリーズは各時代ごとに座談会形式になっており読みやすいかなと思います。専門的なものでは、角川の『古代の日本』シリーズがあります。これは地域ごとに通史的に扱っています。あとは各県史などは最近のものはカラーが豊富なので具体例を知るには便利だと思います。例えば千葉県史の資料編は各時代の県内の代表的な資料紹介が主ですが、簡単な概説も書いており概略をしるにはよいのではと思います。 北海道新聞社の『新北海道の古代』シリーズ、岩手日報の『いわて未来への遺産』シリーズ、『群馬の遺跡』シリーズなど新聞社などでだしているものもあります。古いものでは、至文堂の『日本の美術』にも各時代ごとのシリーズがあります。単行書では堤隆『黒曜石3万年の旅』NHKブックスはおすすめです。講談社メチエにも『縄文論争』といった本があるので、さがしてみたらいかがでしょうか。

dollar
質問者

お礼

『縄文論争』を買いました。今から読んでみたいと思います。 「歴史発掘」も今から探してみます。ありがとうございました。

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