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河合隼雄と村上陽一郎の文章について

starfloraの回答

  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.1

    河合隼雄の村上陽一郎批判とは、どういうことを批判していたのか、説明してください。貴方の理解できた範囲で構いません。他者に分かるように説明してください(他者に分かるように説明する文章を書くというのも、現代文の訓練というか、学習の一部ですよ)。念のため、数行とかではなく、最低でも4行か5行は書いてください。数行で説明できるものとできないものがあります。この場合は、できないはずなのです。また、しても、他者にうまく伝わりません。  

karen914
質問者

補足

ご返答ありがとうございます。 河合曰く、人間の科学こそが人間の学問としてふさわしい.なぜなら、村上式の人間科学では人間は分析され、もののように扱われ、本来の自分も人間であるということを欠いている。 人間の科学というのは、対等な立場で対象(この場合人間)を扱って初めて、この学問は成立するのだ。 という解釈でした。合ってるかは定かではないです(涙) でも、人間科学と人間の科学は違うのだという事が重要と思われます. そこで、今まで村上の本を読んでいた私は「え?ダメなの、村上の科学哲学?」と驚いたので他者のご意見を伺いたかったのです. 科学的な哲学っておもしろいなと思っていたのですが、他のものはソクラテスとラケスの対話とか、別物って感じだったので。 でも、ソクラテス大好きです。 未熟な補足ご容赦下さい.

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