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ドイツの社会情勢

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お礼率 4% (18/423)

東西ドイツがベルリンの壁の崩壊によって冷戦が終わったという風に習ったのですが
ドイツのついて何にもわからない自分を恥ずかしく思います。
特に東西ドイツがどのような国であったか
東と西ではまったく違った社会のようですが・・・
見当がつきません。社会主義と資本主義の対立がドイツでも起こっていたのですか?ドイツ人はどのような生活をしていたのか・・・なぜそんな社会になってしまったのか?
ナチスとのかかわりなど。このできそこないに教えてください
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質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.5
レベル14

ベストアンサー率 41% (1452/3497)

ナチスドイツ時代にはヒトラーユーゲントという子供達で構成された軍隊予備軍がありました。けれども、これはイギリスで発生したボーイスカウトも同様の経緯をたどってきた(元々は少年兵による斥候部隊として発生しましたよネ)ものですから、目新しいというわけではありませんでした。
ナチス時代の管理は大管区、中管区、小管区といった具合に地域を細分化し、最小単位は日本の隣組のような数軒単位で互いに監視しあうというシステムでした。国民の相互監視というものも重視していました。
国民だけでなく、連合軍や占領下の人々までを恐怖に陥れた国家秘密警察(ゲシュタポ)は無制限の逮捕権や拷問権を持っており、その対象は一般人だけでなく軍や政治の上層部にまで及んでいました。
この強権がシュタージにそのまま引き継がれたと考えるか、或いは、旧東ドイツの指導者であった旧ソ連のKGBの方針を引き継いだものと考えるかというところでしょう。
ところで、ナチス(国家社会主義労働党)が政権をとったのは、形としてはあくまでも民主主義的なものですネ。第一次大戦の敗戦による天文学的な賠償金(当時の国家予算の30年分に相当する1320億金貨マルク)によって、事実上国としての存在を否定される程の『いじめ』にあったドイツ国民にとってナチスは希望の光であったわけですネ。
当初はイギリスの弱腰外交によって無血占領で領土を増やし、続いてのポーランド侵攻、フランス占領‥怒涛の如く領土を拡大し続けていったナチスドイツですが、独ソ不可侵条約を一方的に破棄し、スターリングラードまで侵攻し、ナポレオンと同様に冬将軍に敗れてしまいました。不可侵条約の破棄がなくとも、おそらく旧ソ連はベルリンに向けて侵攻したでしょうが、そのタイミングを早める結果となったと言えるでしょうネ。
東西ドイツが統一された後、ネオナチが非常に多くなりました。というよりも表面化していますネ。第二次大戦の後はドイツでハーケンクロイツ(鉤十字)やナチ式敬礼、ルーン文字のSS、ナチスの軍歌等を公共の場で示すことは禁じられています。しかし、東西統合後は主として旧東ドイツ人のネオナチが表面化していますネ。
以上kawakawaでした
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その他の回答 (全4件)

  • 回答No.1
レベル14

ベストアンサー率 34% (1527/4434)

 下記URLに、色々掲載されていますので、参考にして下さい。 ...続きを読む
 下記URLに、色々掲載されていますので、参考にして下さい。
  • 回答No.2
レベル14

ベストアンサー率 41% (1452/3497)

旧西ドイツは終戦時にはソ連以外の連合国の占領下にありましたが、旧東ドイツはソ連の占領下にありました。これは領土を拡張したかった旧ソ連と西側諸国との争いの結果ですネ。 ベルリンは旧東ドイツ領土内にあったのですが、東ベルリンは旧ソ連、西ベルリンは米英の管轄下に置かれたのですネ。そして、東ベルリンから西ベルリンへの亡命者が多いことに怒ったソ連がベルリンの壁を作ったのです。 旧東ドイツはソ連の影響を受けた東ヨ ...続きを読む
旧西ドイツは終戦時にはソ連以外の連合国の占領下にありましたが、旧東ドイツはソ連の占領下にありました。これは領土を拡張したかった旧ソ連と西側諸国との争いの結果ですネ。
ベルリンは旧東ドイツ領土内にあったのですが、東ベルリンは旧ソ連、西ベルリンは米英の管轄下に置かれたのですネ。そして、東ベルリンから西ベルリンへの亡命者が多いことに怒ったソ連がベルリンの壁を作ったのです。
旧東ドイツはソ連の影響を受けた東ヨーロッパ諸国の中でも模範生的な存在でした。ソ連の指示を忠実に守りぬいた優等生だったのです。チェコのような反乱も起こらず、旧東ドイツ版KGBであった国家保安省(シュタージ)による徹底的な管理によって人々の生活は非常に抑圧されたものでした。
シュタージが行なっていた盗聴・拷問・制限のない逮捕権等については、大戦中のナチスドイツにおけるゲシュタポやSDなどとほとんど差がないと考えてよいでしょうネ。
旧西ドイツと旧東ドイツが対立を続けたということはありません。NATO対ワルシャワ条約機構軍の対立という点で対立はしていましたが。
旧西ドイツは日本と同様に経済的な復興が非常に速やかであり、世界でもトップクラスの経済大国となりました。日本と異なっているのは戦後も数十回に及ぶ憲法改正を行い、自由主義国の義務としてのNATO軍への参加を行い、軍事的にも義務を果たしたということでしょうか。
一方、旧東ドイツは経済レベルも低く、人々は貧困に喘いでいましたネ。
これは、社会システムの差によるところが大きいでしょうネ。
簡単に述べてみました。
以上kawakawaでした
  • 回答No.3
レベル13

ベストアンサー率 23% (256/1092)

kawakawaさんの言うことでほぼ間違いないので、新たな情報を。 終戦時にポーランドという国をどこに配置するか、ということも東西で議論の対象となりました。 スターリンは、従来のポーランドを西側にずらし、その結果、ドイツの領土も西側に動いたのです。そして、ポーランド領からはドイツ人を強制移住させました。 そんなことがあるので、ポーランドの都市にはドイツ名がついている場所もあります。 >社 ...続きを読む
kawakawaさんの言うことでほぼ間違いないので、新たな情報を。
終戦時にポーランドという国をどこに配置するか、ということも東西で議論の対象となりました。
スターリンは、従来のポーランドを西側にずらし、その結果、ドイツの領土も西側に動いたのです。そして、ポーランド領からはドイツ人を強制移住させました。
そんなことがあるので、ポーランドの都市にはドイツ名がついている場所もあります。

>社会主義と資本主義の対立がドイツでも起こっていたのですか?
そういうことです。
>ドイツ人はどのような生活をしていたのか・・・
社会主義の東ドイツでは貧困に苛まれ、西ドイツはアメリカの支援もあって速く立ち直ることができました。そういうことで生活水準の差はあると思います。
>なぜそんな社会になってしまったのか?
要するに、戦後の領土分割によって、陣営が敷かれたからです。それを後からチャーチルのフルトン演説で「鉄のカーテン」という表現で冷戦としただけの話です。

ほとんどkawakawaさんに持っていかれたのでもう語ることがありません。何か他に聞きたいことがありましたら、補足かお礼でお願いします。
補足コメント
tetuharu

お礼率 4% (18/423)

だいたいはわかりました。
僕が読んだ本では東ドイツでは子供の時から軍隊に入れるようなことをしていた~みたいなことガかいてあったのですが・・・こんな感じの国だったのでしょうか?
また東ドイツの徹底的な管理はナチスドイツの時と同じとありますがナチスドイツの時はどんな感じだったのですか?
ナチスドイツ似ついてのイメージがまったくわかりません
そのころの社会情勢みたいなものも教えてください
ナチスというと・・・ヒトラ~とムッソリーニが独裁政治をした。って言葉だけ覚えていますが。実際どのようなものだったのでしょうか???その後の冷戦に至るまでのいきさつとかが知りたいです。
投稿日時 - 2001-11-03 23:56:29
  • 回答No.4
レベル13

ベストアンサー率 23% (256/1092)

>東ドイツでは子供の時から軍隊に入れるようなことをしていた~みたいなこと 僕は詳しいことはわかりませんが、あり得ないとも言い切れませんね。 というのも、東西冷戦のさなか、東と西を区切るのはやはりドイツだったのです。軍事力でソ連が西側を威嚇したかったということはあるでしょう。 >東ドイツの徹底的な管理はナチスドイツの時と同じ イデオロギーは全く別ですが、管理のされ方という面ではそうい ...続きを読む
>東ドイツでは子供の時から軍隊に入れるようなことをしていた~みたいなこと
僕は詳しいことはわかりませんが、あり得ないとも言い切れませんね。
というのも、東西冷戦のさなか、東と西を区切るのはやはりドイツだったのです。軍事力でソ連が西側を威嚇したかったということはあるでしょう。

>東ドイツの徹底的な管理はナチスドイツの時と同じ
イデオロギーは全く別ですが、管理のされ方という面ではそういうことになるでしょうね。ユダヤ人の排斥や民族主義を楯に支配していたナチスとは、根本的に違うでしょう。要するに、ナチスはいくら独裁と言え、自分達の内部から出てきたものです。それに対して、ソ連の社会主義は、もちろん東ドイツの人間に執政を任せてはいますが、もちろんソ連の方針に従わなくてはならないというのが基本姿勢。つまり、外部から支配されているようなもの、ということになります。

>ナチスドイツ似ついてのイメージがまったくわかりません
ナチスドイツは上にも書いたように、ユダヤ人排斥であるとか、民族主義を訴えて台頭した右翼政党であると言えます。第1次世界大戦の敗戦により、国民が混乱しているこの時期、ナチスは、党の名前を「国家社会主義ドイツ労働者党」として、労働者の支持を多くとりつけました。多額の借金を背負ったドイツは、借金を払えないことによりフランスにルール地方を占領され、ますます弱体化していました。経済状態も悪くなったので、ナチスは1923年にミュンヘン一揆を指導してワイマール政府を打倒しようと目論みましたが、失敗。ヒトラーも捕らえられ、投獄されました。(この時に「わが闘争」という書を著しています)ちなみに、24年には獄中生活も終わります。
33年にはヒトラー内閣が成立します(このへんがあっという間ですが、世界恐慌ということもあり、混乱に乗じることがいくらでもできるわけです)。時の大統領ヒンデンブルクは内閣の操り人形となってしまいます。国会議事堂放火という事件が起こり、ナチスはこれを共産党の仕業として弾圧し、さらには全権委任法というものを出して、一党独裁が成立します。
その後は、国際連盟の脱退、再軍備宣言、ベルギーやフランスとの条約(ロカルノ条約)を一方的に破棄、オーストリアを併合、と国際社会の中で強硬な政策をとっていきます。しかし、イギリスもフランスも指をくわえたまま何もしないでいる。そのうち、チェコスロヴァキアも解体して、併合してしまう。そして、最後にポーランドに侵入し、世界大戦が始まるのです。

ドイツとソ連は不可侵条約を結んでおり、ポーランドを分割するということで話もついていたのですが、やがてドイツはソ連にも侵攻します。それで独ソ戦が開始します。ドイツは西側にも敵を持っており、大変な状態にありました。最終的にはドイツが劣勢で、敗れたのはご存じの通りです。

戦後をどうするかということで、東西(この時はそういう言い方ではないですが)の首脳の会談によって決められました。もちろんドイツの意志とは無関係に。

アメリカが核兵器で世界の中での首席を取ろうとしているのに、スターリン政権のソヴィエトは我慢がならなかったのでしょう。これが冷戦の根本的なところかと思います。実際、スターリンが死んで、フルシチョフによってスターリンが批判されるようになると、冷戦も緩和していきますしね。
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