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記憶と過去世界

hw4183の回答

  • hw4183
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回答No.7

質問を記憶と過去世界に限定して、 時間と空間によって存在あらしめられるものが3次元ですが、 多次元世界においては過去と現在を区別するものがありません。 これが魂の常駐場所ですね。過去の記憶を呼び出すと、今現在のことであるのですね。心が独自に描き出すエネルギーが、独自の世界を造っている、と言えるのです。これが実相世界、イデア観、天国地獄といわれるものの、 おおよその基本原理です。 鳩は鳩の魂として難しい思考はなかろうが、鳩としての実体、としての思考が過去現在を通じて存在しているのですね。 記憶が脳みそだけに存在するという考えかたが科学的と思われる事もありましょうが、狭い閉ざされた世界の考えであります。脳みそはコンピューター のメモリーでしょうか、ハードは魂と言えなくもない、メモリーが無くとも実体としてハードは存在している。コンピューターが故障して壊れても ハードを入れ替えれば甦る。あまりいいたとえではありませんが。 記憶は脳ではなく、魂に存在しているという事です。 過去考えた事、今考えている事、これから考えるであろう事が魂の本質であり魂とは「永遠の思考するエネルギー体」である、といえると思います。 生命あるものは全て例外がない、と考えます。

corpus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >多次元世界においては過去と現在を区別するものがありません。 私は多次元世界をあまり信じていませんが、じっくり考えてみると区別するのが困難なことがよくあるのはたしかだと思います。 過去とか現在というのは実は人工物かもしれませんね。 記憶がどこにあるのかというのも面白いですね。もし魂にあるとしたら、脳がやっていることは何なのでしょうか?

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