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攘夷派について

bluesheep_aliiの回答

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回答No.5

[2][3]について補足します。 新選組という集団で言えば彼らは幕府の機関なので、思想関係なくとにかく幕府に従う、という活動を行っていた組織であると思います。 新選組はもともと局長・近藤勇が多摩の農民だったので、幕府直轄地に産まれたこともあり、幕府への忠義心が強く幕府を助けることを目的としていました。 しかし近藤勇自身は当時誰もが考えていたように当初は攘夷という思想を持っていたようです。鎖国・攘夷が当たり前と思っていた時代に開国を唱えた人物自体あまりいませんでした。 また尊皇思想も持ち合わせていて、当時公武合体を唱えていた幕府のもと「尊皇攘夷佐幕派」という形だったのだと思います。ただのちのち、医師・松本良順との出会いによって開国思想も持ち「尊皇開国佐幕派」でもあったようです。 一方幕府への反対思想を持っていた人たちの思想の流れを考えると、黒船来航当初は開国の道を進んでいた幕府に対し反対はありましたが、まだ幕府の威力は強く、単に「尊皇攘夷派」という形で倒幕などという思想はなかったようです。ただどんどん幕府が衰退するうちに倒幕という思想がうまれ、「尊皇攘夷倒幕」という形になります。しかし薩摩藩や長州藩という反幕思想の強い藩が外国との戦争を経験し、外国の力を目の当たりにしたことによって「尊皇開国倒幕」という思想が生まれたのです。 ちなみに私の意見でしかありませんが、歴史モノ漫画というのはものすごく史実に忠実なものでない限り、かなり都合よく書かれている場合が多いので細かい点(人同士の交流とか)に関しては参考にしないほうが賢明だと思います。

参考URL:
http://www.webvider.com/shinsengumi/
rain-bird
質問者

お礼

参考ページまでご丁寧にありがとうございました。 幕末の思想というのはやはり様々な種類があって、奥が深いものなのですね。 歴史ものの漫画を読んだのはこれが初めてなので、以後内容を鵜呑みにして考えないようにしたいと思います。 私自身も知った気でいているのは恥ずかしいですしね^^; 回答、ありがとうございました。

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