• ベストアンサー

科学とは何でしょう?

突然ですが科学ってどういったことでしょうか?生きていく中でどう必要とさらるのでしょうか。ご意見願います。

  • JBL
  • お礼率9% (24/259)
  • 科学
  • 回答数8
  • ありがとう数1

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • First_Noel
  • ベストアンサー率31% (508/1597)
回答No.7

>突然ですが科学ってどういったことでしょうか? 一言で言えば, 「事象と解釈とを普遍的に一対一対応させる」 ことが目的の一思考方法です. #「科学」と,科学的思考法により得られた「結果」,  そしてそれを有効に応用した「科学技術」とは厳密に区別する必要があります. その意味では,自然科学以外にも,人文科学や社会科学と言うジャンルも発生します. しかし普遍的に,つまり「いつ」「どこで」「だれが」思考しても 表現形態は異なっても結局は「一対一である」ことが「自然科学」には必須です. さらに言えば,科学のすごいところは,それ自身が「自己修正能力」を持つことです. 誤った解釈がはびころうとすると,必ず反例が持ち出され,待ったをかけます. これはひとえに,「批判的精神」の賜物です. (「批判」と「否定」とは異なります.) 徹底した批判と言う洗礼を受けることによって, 普遍的,客観的に一意の事象と解釈との繋がりが見出されます. (似非科学は,不都合な部分を無視し,批判を受け付けないので,  誤った結論に至ってしまいがちです.大概は,物事を解明することが目的ではなく,  自分の願う結果に至らしめることのみ目的としているからです.) >生きていく中でどう必要とさらるのでしょうか。 科学を物理学や工学技術のみだと捉えると「私は関係ない」と思われる人も いることと思われますが,実際は「科学」と言う「思考法」ですので, みなさまおっしゃるように誰しも日常的に行っていることです. また時代を問わずありますが,最近また話題になっていますが, 科学的思考法が鈍れば,詐欺に合う可能性も高くなります.

その他の回答 (7)

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.8

哲学の一分野です。哲学とは真理を求める学問ですが、そこに実験などによる帰納法的な手段を用いて仮説を実証的に証明しようとするのが科学です。 生きて行く中で、絶対になくてはならないものとは言えません。なぜなら19世紀初頭に科学が誕生する以前も、人間は長いあいだ生きてきたからです。 しかし今の人口を支えるには科学は絶対に必要不可欠でしょう。

JBL
質問者

お礼

意見をくれたみなさん、こちらでまとめてお礼させていただきます。みなさんの意見とても参考になり助かりました。本当にありがとうございました。

  • BLUEPIXY
  • ベストアンサー率50% (3003/5914)
回答No.6

科学とは、 物事の理を知る学問のことじゃないでしょうか? ある事象があって、それは、なぜそうなるのかを考えて、 仮説を立て、仮説を検証する実験をし、仮説を確かめます。 生きていく中で、 『ある事象があって、それは、なぜそうなるのかを考えて、 仮説を立て、仮説を検証する実験をし、仮説を確かめます。』 は、普通に誰もが行っていることではないでしょうか? 例えば、 事象:「彼女が、朝から口をきいてくれない」 仮説:そういえば、昨日は、彼女の誕生日だったが忘れてた 実験:「プレゼントを用意して謝罪の言葉とともに反応を見る」 理由が判明するまで、仮説を立て実験を繰り返す。w

  • tkr1977
  • ベストアンサー率20% (80/395)
回答No.5

こんばんわ。 「(有形無形問わず)技術(道具)」を生み出すのもが「科学」です。 また、その「技術」を正しく使う・導くのも「科学」です。 人間で言うと、心=科学 体=技術 でしょうか。 >生きていく中でどう必要とさらるのでしょうか。 平和な国の王様ならば「科学」なんて全く必要ないでしょうが、我々現代に生きる人間には現代をより良く生きるために、生き抜くためには「技術」が必要であり「技術革新」が必要です。 (我々個人の存在大小に関係なく)そのために「科学」が必要なのです。

回答No.4

征服者の友です。慧眼な征服者の推進によって科学は発展しました(ときには誤解によって)。 これをおろそかにした民族は没落せざるをえませんでした。 生きていく中では合理的な思考をするために必要なのです。 ただし、えせ科学や科学を語った誤りもあるので一筋なわではいかないのです。

  • unos1201
  • ベストアンサー率51% (1110/2159)
回答No.3

理科と科学では、後者の方が大きい概念です。 大学での講義でも、自然科学、社会科学、人文科学の分野に別れ、大部分の学問が科学の範疇に分類できます。 単純にいうと、学問として追求しなくても、文明の益を受けていること、それが、科学のかかわりで、無人島で自給自足していても科学的な知識があるかないかで、サルと文明人の差がでます。 大部分の学問に直接関係なくても、何かを考え、実験したり仮説を立てて検証したり、予想したことがうまく再現できれば、これこそ科学の基礎的な利益だと思います。 だまされる人は理論的な考えに弱かったり、どこが間違いか知識がなく判断材料が不足していることが多いみたいですが、知らない、わからないことがあれば、知っている人から聞いたり、調べたり、信頼できる第3者に依頼することも、科学の恩恵を受けることであると思います。 水道を使い、ガスで湯を沸かしたり風呂を利用する、電子レンジで解凍しても、これは、江戸時代では考えられないことです。いろいろと文明の益を受ける、携帯電話なども、かなり贅沢だと思います。

  • gugux
  • ベストアンサー率16% (68/413)
回答No.2

人間の知る欲求を満たすために、難しいことや分からないことを、簡単に説明する学問。ではないかな。 たとえば、E = mc^2というのは非常に簡単できれいな等式です。

  • jyamamoto
  • ベストアンサー率39% (1723/4318)
回答No.1

生きていることが「科学」そのものです。 私達はどうやって生きているのでしょうか? 「酸素」を吸って生きている・・・そうした、生きていくための「知識」も「科学」そのものです。

関連するQ&A

  • 科学って……???

     どうもカテゴリ違いのような気もしますが、よろしくお願いします。  ときどきいらっしゃる「○○を科学的にいうと?」という質問をする人についてです。 (この○○の中には、心霊現象や血液型占いなどが入ります)  で、普段質問してて思うんですけど、ほとんどの人は「科学的に考える必要などないのだ」という回答の仕方で分かってもらえるんですが、中に一部、怒り出しちゃう人がいますよね。  どうも会話が噛み合わないなと常々思っていたんですが、ようするに彼らにとって科学って、雑誌のキャッチコピーなんかに載ってる「科学も認めたこの凄さ!」みたいなセリフ。あれが科学なんですね(^_^;  つまり彼らにとって「科学的に検証する」とは、「本当に正しいと証明する」という言葉とイコールで、「科学では認められない」とは「間違っている」とイコールなわけですね。  今日そのことに気づいて、やっと会話が噛み合わない理由が分かりました。  そういう考え方をする人に、「科学で考える必要はない」と答えると、それは「○○なんて間違ってる」=「あなたの考えは完全に間違いだ」って言うのと同じことになりますから、まぁ、そりゃあ怒りもするわけですね。  で、そういう人達に回答するときは「『科学的に考える』とはどういうことか」を説明するところから書かなきゃいけないわけですが、どうも巧い言葉が思いつきません。  これを読んでらっしゃる人の中で、何か巧い言い回しをご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか。  最終的には答えなきゃいいってことになるんですが、それはそれとして、何かいいアイデアをお持ちの方がいらっしゃいましたらよろしくお願いします。

  • オカルトと科学について

    激しいオカルトやとんでもない宗教の信者など、科学的や現実的に考えられない人に科学的な発想を教えるにはどんなことが必要なのでしょうか。誰かなんでもいいので意見をお願いします。

  • 科学と非科学

    私は最近科学と非科学についての違いがわからなくて困っています。 そもそも科学というのはどういう事を言うのでしょうか?科学技術が進歩していることでしょうか? 先日土着の民族の事を読んだのですが、そこには土着の民族というのは非科学である。なぜなら、非科学というのは本や参考書があるわけではなく、見て経験をして学ぶものだと書かれていました。 非科学というのは、いわゆるこういう事を言うのでしょうか?? 私の説明はおそらく皆さんに伝わらないと思いますが、もし理解できなければこれを無視して、皆様の意見を聞かせてください。 宜しくお願いします。

  • 科学の進歩により不幸になったこと

    今度の文化祭でディベートを行うことになりました。 議題は「科学技術は必要である」で私たちは、否定側で「科学は不必要」と主張せねばなりません。 しかし、私には科学技術は必要ではないと言える根拠が全く思い浮かびません。 なので視点を少し変えて、「科学によって人々が不幸、幸福になったこと」を挙げていき、結果的に「人々は幸福よりも不幸になった」ので「科学は不必要」と展開していきたいのです。 科学によって不幸になったこと、どんなことああるでしょうか。いくつか意見を頂きたく思います。 私としては、命の重みが軽くなったこと(代理出産・クローン技術)、公害問題などしか思い浮かびませんでした。 意見・感想もお待ちしています。

  • 科学史について

    科学史についての質問です。ジョバンニ・リッチョーリの『新アルマゲスト』の中でリッチョーリの考えを書き表したような絵?があるのをご存知の方はいらっしゃるでしょうか。(分かりにくくてすいません) その絵に対しての科学史の観点からのコメントを考えているのですが、なかなかいい考えが思いつくません。どなたか出来るだけ詳しく解説お願いします。 また天文学の発展や変遷の中(ガリレオやコペルニクスなど)で、注目すべき事柄や問題は皆さんは何だと考えていますか? できるだけ多くの方の意見が聞きたいので、わかる方はぜひお答えください。

  • 純粋科学(基礎科学)

    純粋科学(基礎科学)の必要性はどのような点に見出せると思いますか?

  • 科学ってなに?

    変な質問ですが、科学ってなんでしょう?科学があることでいいこと、悪いことがあって・・・。なんかご意見お願いします。あと参考ページがったら教えてください。

  • 科学て何ですか?

    人間にとって科学とはなんであったと思いますか? そしてこれからの科学進歩は必要ですか? 私は科学は人間が利便さを追求するために誕生したものだと思っています。そしてこれからも進歩してよりよい社会になればいいと思っています。 出来れば詳しく教えてください。

  • 「科学」と「自然科学」と「科学的」。あいまいさ。

    元になっていると思われる外国語の背景については以下の質問で回答を戴いているところです。 「science という言葉の語弊」 http://okwave.jp/qa/q6919627.html 国語のカテゴリーでは主に対処法を相談させてください。 「科学」(Goo国語辞書) http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/37739/m0u/%E7%A7%91%E5%AD%A6/ によると、 「…、広義には学・学問と同じ意味に、狭義では自然科学だけをさすことがある。サイエンス。」 なのですが、一般的にも、専門家の用語としても、狭義の意味の方で広く使われているのが現実だと思います。 使われ具合で決めると、もはや自然科学をさす言葉としての「科学」になっていると思います。 私としては文系の学問が科学とされる事実を尊重して、広義を”全く”無視した使い方に抵抗と無責任さを感じます。狭義の科学という言葉が使われるのは、文系と対比させた趣旨でつかわれるのですから、なおさらですよね。この狭義の問題は他の言葉の狭義問題よりも、断然ややこしいのです。 そう考える私としては、自然科学という意味の「科学」を活かしにくいことになります。狭義の使用が途絶えてしまいそうなのです。 (1)いちいち「自然科学」と表記しなければならないのでしょうか。重たいですよね。 (2)「科学」は明治期の造語だと思うのですが、当初から、文系の学問に対しても使われていたのでしょうか。つまり当時の日本においては、広義の意味だけだったのでしょうか。 ★私が問題にしているのは「社会科学」という看板が存在するから使われているという建前論的な説明ではなく、学問の分類作業とは全く関係しない、文章や対話の中で、「科学」という言葉が文系学問の意味で使われるかということです。生きていたか、ということです。その意味で、今日、広義の方は死に体だと思います。 「その説明は科学的じゃないと思います。ヒトの先祖は猿と同じですよ」 「そうか、君はそんなに科学が好きなら将来、科学者になったらいいよ」 「うん、生物学者になりたいんだ。先生みたいに政治学や文学は好きになれないもん」 「私は科学は苦手だからね。だから逆に科学教育の必要さが身にしみて分かるんだよ。がんばって将来科学者になりなさい。図書館に行ったら、子供にも分かる科学の本があるよ。直接、科学の楽しさを教えてあげられなくて申し訳ないけどね」 (3)なぜ科学と言えば自然科学をさすようになってしまったのでしょうか。 (4)皆さんは日頃、「科学」の使い方に問題を感じませんか。日常会話と、説明や議論においても同じ使い方でしょうか。 こういう事を考えずに、上の対話のように使いまくってもいいのでしょうか。

  • 科学

    【問い】現代における科学の基礎研究の現状について述べた次の文章を参考に、今後の科学研究のあり方について、あなたの意見をその理由とともに簡潔に述べなさい。