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和声に重きを置く曲はいつから?

素人考えで、質問そのものが間違っているかもしれません。 和声を重視した曲ってありますよね。たとえばムソルグスキーの「展覧会の絵」の「カタコンブ」とか「大門」とか。サティの「ジムノペディ」とか。 ああいう流れはいつから出てきたのでしょうか。中世でも合唱曲とかはその傾向かもしれないですが、ああいう、音を止めて和声で勝負する歴史を開いたのは誰なのでしょうか。 「

noname#32495
noname#32495

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  • Ta595
  • ベストアンサー率57% (525/911)
回答No.6

こんにちは。ご無沙汰しております(^^ 過去にも同様の質問を拝見しておりまして,どう答えたものかな,と思っていたのですが,他の方とのやりとりの中でおぼろげなから質問者さんのお考えが分かってきたし,私の中でも整理されてきたような気がしましたので,回答させていただきます。 #内容的には他人の褌で相撲を取っているような形になり申し訳ないのですが,体系的な音楽教育を全く受けていないもので・・・(^^; まず,「大門」ですが,ムソルグスキーが巨大な建築物(の絵)から受けたインスピレーション(鐘の音をイメージさせるような部分もありますよね)が「旋律の動きが少なく和声が目立つ響き」として作品にあらわれているのだと思います。 また,「ジムノペティ」については,確かにかなり意図的に旋律の流れ(時間の流れ)を止めているようですね。ただ,これも和声重視か,というと,そうではないようにも感じます。旋律・和声・調性といった音楽理論の枠組みそのものから浮遊する表現を目指したのかな,という感じでしょうか。 さて,このように響く曲を誰がはじめたか,というご質問ですが,質問者さんが持っているイメージの表現というのは,音楽史的な流れから発生したというよりは,題材をどう選び,どう音楽として表現するか,といった作曲家の個人的な表現手法の問題であるように思います。つまり,そうしたいと思った作曲家は,そうしたいと思う曲の中でそうしていたと私は思いますので,この作曲家のこの曲が始まり,とは,正直非常に回答しにくいと思います。 ただ,確かにバロック~ロマン派あたりはそういう曲が発生する「確率」は低いようにも思います。 私の感覚では,バロック音楽は旋律の装飾が多いですし,古典~ロマン派の音楽の本流であるドイツ・オーストリア系というのは,旋律動機をどう扱うかや,和音の移り変わりがもたらす調性感を重視しているように思います。この頃の曲に響き主体の曲が少ないのは,このあたりが原因のひとつなのかな,と思います。 *例外として,これらの音楽理論を厳格に扱いつつも曲としては和音で押しまくる,ブルックナーの交響曲があると思います。教会オルガニストとしての背景から,和音の響きそのものも重視して作曲した結果なのだと思いますが。 質問者さんが例にあげたような昔の合唱曲にそういう印象を持つのは,この頃はまだ調性に関する音楽理論が確立されておらず,また旋律を装飾する作曲技巧もあまり発達していなかったからなのかもしれませんね。 質問者さんが思うような響きのクラシック音楽への「歴史的流れとしての」再登場,という事では,これは私の個人的な見解,というか,ムソルグスキー(ロシア人で,いわゆる「国民楽派」のさきがけの一人ですね)が例に挙がっていた事から思いついたのですが,ドイツ・オーストリア系とは別系統に発展した音楽(各地の民族音楽など)との出会いが,旋律・調性重視の音楽を変えるきっかけのひとつになったのではないかな,と思います。実際に体系として組み立てたのは#2さんもおっしゃるドビュッシーだと思います。 また,以上のような多彩な表現をもった曲が産まれて来るように至るより大きな背景として,自分のインスピレーションにより自由に作曲してよいという下地を作った,という意味では,#3さんがおっしゃるように,やはりベートーヴェンの名前を大きなきっかけの一人として挙げておいた方がよいのかな,と思います(「英雄」の冒頭は,まさに,ロマン派の幕開け,という感じですね^^)。 *ただし,ベートーヴェンが質問者さんが思うような曲を実際に書いたかどうかは私は分かりませんが。 --- 以上,私の聴いた感触から出発した考えで,一見学術的なようで実は完全に主観ですので,そこはご了承ください。ご参考になれば幸いです。 *余談ですが,もしもブルックナーの交響曲をまだ聴いたことがないのでしたら,ぜひお薦めします。人によりかなり好き嫌いはあるようですが,私は大好きな作曲家です(^^。初めに聴く曲としては第4番 ロマンティックがお薦めですが,他にも5~9番すべてすばらしい曲だと私は思います。

noname#32495
質問者

お礼

お世話になります。 作曲家の恣意性ということなら、たいへんすっきします。 ただ、どうも楽器性能が絡んでいる気がします。 ブルックナーは結構19世紀末ですよね。その辺が結構ターニングポイントのようかなと。 ドイツオーストリア派はなんだかんだで、「まとまっている」気がするんです。それはご回答のような理由なのかと思うと納得します。なにか小さな革新があっても、全体の大きな流れにはさして見えるものがなかったようです。 別系統の流れが合流して、始めて目に見える変化が生まれたとすると、すっきりします。 ブルックナーなんですが、12度コンサートで聞いてひどい目にあったという印象なので、怖いですね。長さがひどいです。部分的にはいいところがあるのかもしれないですが、連続全曲やられるとまいりました。

その他の回答 (6)

  • Ta595
  • ベストアンサー率57% (525/911)
回答No.7

#6です。再びこんにちは。ちょっと補足したくなりましたので,再登場です(^^ >ただ、どうも楽器性能が絡んでいる気がします。 鳴っている音よりも深層の部分(形式とか,調性とか,内面の表出とか)を重要視する「ドイツ・オーストリア系ロマン派」が発達し,作曲技巧の複雑さが頂点に達そうという時に,それへのアンチテーゼという形で「響きそのもの重視」という考え方が起こり出す,それに並行して,質問者さんがおっしゃるように,楽器の性能アップ(+演奏技法の発達)とともに,「響きそのものの美しさを聴かせたい」という欲求も大きくなる,さらに,市民階級が豊かになるに伴いクラシック音楽の裾野が拡大することで,別の系統の音楽的バックグラウンドを持つ人たちが「クラシック音楽」の作曲に取り組み出す,等々,いろいろな要素が絡み合っていると思います。私は不勉強なのでよく分かりませんが,おそらくはもっといろいろな要因があるかもしれません。 また,もともとの質問として, >音を止めて和声で勝負する歴史を開いたのは誰なのでしょうか。 という一文がありましたが,どこかに曲がり角や特定のひとつの引き金があった訳ではなく,流れの一部としてとらえればよいのではないかと思います。バロックや古典派でも書こうと思った人は書いた(と思われる)けれども,実際にはそういう曲は少なく,上記のようなさまざまな要因の中で表現の幅がひろがっていくにつれて増えてきた,という感じでしょうか。 #19世紀末あたり,というのはイメージとしては分かります。上記のような動きはちょうどそのくらいの時期ですよね。 ---(以下,ご質問とは直接関係ありませんが)--- 国民楽派,印象派,「春の祭典」,無調音楽,これらとて,ロマン派の音楽や調性音楽からの「ジャンプ」ではなく,流れの中でのある程度の必然であるように個人的には思っています(それぞれ,天才のひと押しが必要であったにせよ)。また,モーツアルトからベートーヴェンへの変化は,ドイツ系音楽内のマイナーチェンジではとても片付けられない,調性音楽から無調音楽への移行と同等(またはそれ以上)の重みがある,とも言えるのかな,と個人的には思っています。 *クラシック音楽の全体像をつかむというのは,巨大なパズルをピースをひとつずつ集めていくようなものですよね。我々が手にできる材料は本当に限られた一部分だと思います。私の回答があいまいなのは,その限られた材料の中で自分の考えを安易に固定したくないからです。変な例えですが,古代の歴史についての見解が,研究が進むにつれてどんどん変わっていくようなものでしょうか。 申し訳ありませんが,そこはご了承ください。 以上,蛇足ながら(^^

noname#32495
質問者

お礼

ご同意いただき、ありがとうございます。 いま、頭が飽和状態で、あたらしい見解も見えないので、クラシックでも適当に聞きながら、また補足させていただこうかと思います。

noname#32495
質問者

補足

前半のご見解、まったく同意です。そうであればすごくすっきりします。 裾野の広がり、観衆も対象も価値観も、ということで、新しいタイプのものがということになろうかと思います。もちろん思い込んでいるだけかもしれないのですが、少なくとも私とTa595さんは、そう思っています。 この価値観の広がりということで、気づいたのですが、作曲家の視点の広がりという目で見ると、「演劇」から「自然観光」や「自然博物館」に裾野を広げたのかなと感じました。 「鐘」を題材とした曲が目立ちます。「鐘の谷」とか薄学なので思いつきませんが、「自然音」やら「情景」を「人間内面」に絡めないで、そのまま抽出指定校という流れがあるように思います。19世紀後半と思います。これはやはり、まったく憶測に過ぎないのですが、社会の変化が効いているのではないでしょうか。価値観の広がりです。 で、音を止めた音楽が出てきた気がします。 もちろんそれだけでなく、リズムの強調や新しいものが出てきたと思いますが。 しかし、「芝居」から「自然観光」への意識の流れが一番重要だと思います。

  • yamari
  • ベストアンサー率39% (11/28)
回答No.5

これまでの質問者さんのコメントを見て「もしや」と思い、『展覧会の絵』の楽譜を確認してきました。 確かに「カタコンブ」や「キエフの大門」はぱっと見た感じ圧倒されますね。楽譜が真っ白ですから。特に「大門」は最後の部分は二分音符ばかりで黒い音符が一つもないです。しかも和音だらけ。『ジムノペディ』の楽譜は見つかりませんでしたが、この曲も二分音符だらけでしたよね。これらの楽譜を見て質問者さんは「和声を重視」と表現なさったのではないかと推測します。 しかし、残念ながらそうではありません。これらの曲はメロディ重視の曲です(サティについては自信ありませんが)。楽譜を見ただけでは一見すると和音の連打のように思えます。しかし、あの楽譜の中にもメロディとそれ以外がちゃんと含まれているのです。 ここで一つお聞きしますが、ピアノ演奏の経験はおありですか?ピアノ演奏においてはたいていの場合、一つの棒にたくさんの音符がついた和音がある場合、その中の一番高い音をメロディとして扱います。そのため演奏する場合は一番上の音を特に大きく鳴らします。そうするとその音だけが浮き上がって聴こえてきますよね。和音の連続があっても一番上の音だけを強調してつなげていくことで、メロディを内声を弾き分けることができるのです。 これは「大門」の場合にも当てはまります。楽譜には和音ばかりが書き連ねられておりメロディなど存在しないかのように見えますが、一番上の音だけをつなげていくとちゃんと旋律が浮かび上がって聴こえてきます。なかなか堂々たる旋律ですよ。 もうひとつ勝手に推測させていただいたのですが、実演、録音などで「大門」の演奏をお聴きになったことがないのではありませんか?楽譜を見ると長い音符ばかりで随分のろ~っとした曲のように思えますが、実はテンポはかなり速いです。速度表示(五本線の上に書いてあるイタリア語です)がかなり速くなっているためです。質問者さんは「音を止めて和声で勝負」と書いてらっしゃいますが、音は止まるどころか大迫力で進んでいきます。実際耳にされればちゃんとメロディも聴こえてくるし、「和声重視」などとは思わなくなると思いますよ。 ちなみにああいう曲を誰が始めたか、ということですが、世の中に「長い音符の和音ばかりを使う流派」みたいなものが存在するわけではないので、お答えしようがありません。ムソルグスキーが「大門」をあのように書いたのは、たまたま彼がそうしたかったから、もしくは曲を構成する上での何らかの必然性に基づいた結果だと思われます。 ~オマケ~ 楽譜の見た目が今回の質問と同じような曲、ということでドビュッシーの前奏曲集一巻「沈める寺」を挙げておきます。こちらは本当に和声重視の曲でテンポもゆっくりなので、とても不思議な雰囲気を味わうことができると思います。よろしければ楽譜や音源を探してみて下さい。

noname#32495
質問者

お礼

ありがとうございます。 この「白い音符しかない」というところがこだわりなんです。 旋律が隠れていようと、和声的という概念がいろいろ解釈可能であろうとも、「雰囲気」で和音の連打を主体にしている、となるとまずこの曲かなと思いました。 後思いつくところは、「沈める寺」もそうですが「雪の上の足跡」も結構その雰囲気かなと思いました。 ピアノは3年くらいやってました。チェルニー40番だったかで挫折してます。ショパンの簡単なワルツやらやったのが精一杯でした。右手和音の一番上を鳴らせと確かに習いました。 ですので、ご回答で新たに気づかせていただいたのですが、疑問というのがもしピアノ曲ならあるいはピアノ編曲されたものが「右手も含めた「大和声」を鳴らしまくる曲はいつからできたのだろう」という感じです。 というのも、この作り方というのは、楽器重視の思想がどこかにあるのかなと思えるのです。響きが豊かでないと、そんなもの作ろうと思わないでしょうね。そして、やはりこじんまりした「貴族性」から脱しようとする音楽の流れが感じられる一端ではないかなと愚考したので、なにか気になるのです。 クラシックの野蛮化というか芸術化というか…

  • d-drop
  • ベストアンサー率22% (214/938)
回答No.4

 こんにちは。再びd-dropです。補足していただいたのでようやく私もご質問のイメージがつかめました(私なりですが……解りが悪くてすいません)。要するに、和声が、旋律を飾るためのものでなくて、それ自体でひとつの“雰囲気”を作るような音楽、ってことでしょうか。  以下そういう前提で書きます。  まず、音楽の始まりは、 1 祭りの場で、神に呼び掛けるもの。神官による独唱か、1本の旋律をみんなが歌うユニゾン(一世を風靡したグレゴリオ聖歌、あれは和声でなく、ユニゾンです)。 2 やはり祭りの場で、神と一緒に踊る(トランス状態をつくる)ためのもの。これは1本の旋律の単調な繰り返しに、打楽器が入っていたでしょうね(日本の祭りの音楽を思い浮かべてください……笛と太鼓の懐かしい響き)。  この辺は、和声以前といっていいと思います。  そのうち、ユニゾンのテンポをずらすことによって、輪唱が生まれる、あるいは、ひとつの歌(旋律)の合間合間に、別の歌(旋律)をはさむことによって、歌の意味に深みを加える(リエゾンといいます、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェアー」ですよ)。シェイクスピア時代(ルネサンス)の音楽を再現したCDを持ってますが、色々な旋律の追っかけ合いという感じですね。  そして、その中から「対位法」が出てきます。違う旋律を重ねることに、より重厚な、美しい響きを求めた訳ですね。ヘンデル、ヴィヴァルディ、そしてバッハ……のちにバロックといわれる時代ですね。  ところで、この対位法(私も聞きかじった程度ですが)3度、5度、7度という和声の基本にある程度則ったものなんだそうです。美しい音のひびきを求めたらそうなったんでしょうか。後世の「機能和音」よりははるかに自由なものらしいですが。だから、お答えとしては、ここで「和声」の音楽が始まったといえるでしょう。ただ問題は、たとえばバッハが「和声」を知っていたか、ですね。これは解らないけど、私は、彼等は対位法の決め事を自由に使って作曲をしていたんであって「和声」という意識はなかったと思います。どう思います?  ともあれ、対位法というのは、ある旋律を際立たせるためというより、鳴っているすべての旋律のひびきを重視した音楽だと私は思います。ということは、「和声」中心の音楽だった、といえないでしょうかね(「和声」を意識してるしてないにかかわらず)。いい例が、パッヘルベルの「カノン」、有名な曲だから、お聞きになったことあると思います。あれは総譜をみると、ものすごい複雑な対位法的技巧が駆使されているそうです。とくに際立った旋律はない。響き合って、ひとつの音的空間を作っている。余談ですが、あれはコードでいうと、G-D-Em-Bm-C-Bm-C-Dの、「機能和音」の繰り返しです。たぶん全曲を通して。その上に色々な旋律が主張し合い、助け合いながら流れている訳です。  つまり、私の回答としては、バロック時代が和声の全盛期であるということになります。その後の時代は、旋律の時代になっていくわけですから。  でも、いま、環境音楽(好きないい方ではないですが)とか、アンビエントとかが流行ってますよね。火付け役は、ウィンダムヒルあたりからかな? あれも、古典的なそれではないけど「和声」重視の音楽なような気がします。だから、今が、バロック以来の和声音楽全盛時代といってもいいんじゃないか、なんていうふうにも思います。  和声中心の音楽は、「包まれる」音楽ですよね。音楽の中に「いる」といってもいい。対して、旋律中心の音楽は、「乗る」音楽なような気がします。馬に乗るみたいに旋律にのってどこかへ連れてってもらう。なんかそんな気がします。  横道ばかりそれて、長くなってしまいました。  ご参考になれば幸いです。

noname#32495
質問者

お礼

長文のご回答、ありがとうございます。 バロックが和声的というのは以外でした。 対位法とか「音の組み合わせ」を和声的と考えるというのは、ちょっと新鮮な感覚です。 そういう見方もできるものですね。参考になりました。

  • fabianx
  • ベストアンサー率34% (12/35)
回答No.3

パッと浮かんだのはやっぱベートーヴェンさんでしたね。 第3交響曲「英雄」の初め(クラシックマニアは冒頭とかよく言いますが・・・ど~でもいいか?)の  3拍子の一拍目を2回ジャン、ジャンとやる、アレですが(19世紀になって管弦楽がどんどん巨大化して行く産声か元祖みたいな・・)それからは殆どの作曲家がこの手をどこかに使ってる見たいですね。ウェーバーの「魔弾の射手」序曲の真中辺りに(多分)ハ長調だったかのそれこそ和音一発で気分を替える画期的な方法とかブラームスの「悲劇的序曲」 の初めの部分とか・・・でもでも、和音を長目に引っ張って神秘的な効果のようなものを企んだ作曲家達はバロック時代に多くいますよ。特にイタリア系のヴィヴァルディなど、弦合奏曲のゆっくりした楽章にかなりはっきりした形で持ち込んでますね(もっと以前にも見られるようだけどご質問の雰囲気からこんな感じかなと・・・)こんなんで参考になりますかね???

noname#32495
質問者

お礼

ありがとうございます。 未聴のものばかりなので、実感がないです。 ただ、どうなのでしょう、導入的とか部分的効果でなく、曲の大部分が「和音」を鳴らしまくることに終始するやつっていうと、ピアノ曲でも管弦楽でもいいんですが、なかなかないですかね。

  • pomocc
  • ベストアンサー率42% (142/333)
回答No.2

和声に重きをかけた時代を最初に切り開いた人は重要な人物はドビュッシーです。 また、音楽が旋律重視の時代から和声やシステムを全面に出した語法に変わっていった時代は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて起き始めました。 ムソルグスキーの「展覧会の絵」はまだ旋律の美しさにこだわっている側面があるので、和声重視とまではいっていない作品です。 ドビュッシーは1905年(だったと思う)に「和声の化学」ということを言って、旋律ではなく、響きや音響体によって音楽を書きました。 なぜそうしたのかというと、モーツァルトやベートーヴェンのように機能和声に従いながら美しい旋律のある作品を書いたら、自分の音楽にオリジナリティや革新性が生まれないからです。 過去の作曲家たちとは別の作曲の仕方で音楽を書いて、新たな音楽の時代を切り開こうと考えて、ドビュッシーは機能和声の逸脱をはかりました。 機能和声とはいわゆる、簡単に言えば、C-durの曲なら曲の終わりはソシレファという和音とドミソで終わらなければならないとか、そういう決まった和声進行によって音楽を書かなければならない和声のことです。 ドビュッシーの音楽は、そういう決まった和声進行ではなくて、たとえば、最初のセクションは3和音のみを使用するセクション、次のセクションは7の和音のみを使用するセクション、そしてその次のセクションは短2度を主体としたセクションなど、過去の音楽の書き方とはまったく異なった方法で音楽を書きました。 ラヴェルもドビュッシーに影響を受け、独自の和声法で音楽を書くようになります。ドビュッシーが「和声の化学」と言ったのと同じ年にラヴェルも同じく「わたしの音楽は今までは全く異なった響きのする音楽になった」と言って、音楽に新たな変化をもたらしました。フォーレはまだ機能和声に従っていますが、和声進行に違反した進行が数多くあり、これも響き(和声法)を中心に革新性をおこそうとしたためで、和声の時代にフォーレも重要な作曲家です。 ロシアではムソルグスキーより、和声面での革新性をおこなったのはスクリャービンです。 スクリャービンのピアノ・ソナタ6番やプロメテウスでは神秘和音という独自の和声を用いて音楽を書いていて、和声面で大革命をおこしました。 バルトークもドビュッシーの和声法に影響を受け、独自の方法論で音楽を書いています。 また、19世紀後半から20世紀初頭の音楽の運動は、こうした和声面での運動のほかに、シェーンベルクのように12音技法という新たな作曲の方法論で音楽を書いた人がいます。これは旋律の側面での革命です。 もしシェーンベルクがドビュッシーと同じように和声の領域で革新性をおこなったら、ドビュッシーと同じになってしまって、人の物まね以外にはならないですよね。それゆえに、シェーンベルクは旋律の領域で革命をおこなったわけです。 詳しいことは、とりわけドビュッシー、ラヴェル、スクリャービンの音楽を勉強すると、そしてそれは対照的にシェーンベルクを学ぶと、このあたりの時代(いわゆる両大戦間)の音楽の思想や動きが分かってくると思います。

noname#32495
質問者

お礼

ありがとうございます。 とてもよく近代音楽の胎動についてわかりました。 ただ、私が疑問に思ったのは、まさに「大門」のような曲(機能和声でも革新和声でもよい)はいつごろから起こったのかなと思ったのです。 前奏部分にというならいろいろありそうですけど、和音で押し捲るという曲は…という疑問がわいてしまいました。

  • d-drop
  • ベストアンサー率22% (214/938)
回答No.1

 こんにちは。  まず、仰っている「和声」ってなにか、ですよね。「和音」とは違うのですか? また「音を止めて和声で勝負」というのを、もう少し具体的にご説明ください。  私の理解力が足りなくて、失礼を申し上げているかもしれませんが、よろしくお願いします。  なお、思いっきり大きくいえば、洋の東西を問わず、ある音の並びが人の耳に心地よく聞こえたら、その音と音の間の関係は「和音(不調も含めて)」ですし「音楽」の誕生です。続けて鳴っても、同時に鳴っても同じです。  いかにも雑駁な回答で、すみません。  

noname#32495
質問者

お礼

私も全然博識でないのですが、ムソルグスキーの「展覧会の絵」のピアノ譜を見たとき、和音の連続っていう「大門」とかなんです。そういう「雰囲気」の曲って感じなんです。

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