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言葉が1つ分かりませんでした。

「概念」 1 ある事物の概括的な意味内容。 2 〔哲〕〔英 concept; (ドイツ) Begriff〕事物が思考によって捉えられたり表現される時の思考内容や表象、またその言語表現(名辞)の意味内容。 ア 形式論理学では、個々の事物の抽象によって把握される一般的性質を指し、内包(意味内容)と外延(事物の集合)から構成される。 イ 経験論・心理学では、経験されたさまざまな観念内容を抽象化して概括する表象。 ウ 合理論・観念論では、人間の経験から独立した概念(先天的概念・イデアなど)の存在を認め、これによって初めて個別的経験も成り立つとする。〔2の意で、明治初期に作られた語〕 と辞書を調べると出ました。1の意味は「ある物事に対する考え」という風に思うのですが間違いでしょうか? 意味を理解するのに困っています。これでは意味がさっぱり分かりません。本当に申し訳ないのですが、「すべての意味」をかなり噛み砕いて平易に教えていただけないでしょうか?よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • bluespace
  • ベストアンサー率27% (15/54)
回答No.2

1 私には、あなたのご質問のトーンに符合する意見を述べることは困難ですが、少し軸をずらした意見を述べることをお許し下さい。 2 まず、概念ですが、「概」は木と発音符既(こする)とで作られており、升の上に盛り上がった米を掻き均して平らにする棒のことのようです。その機能から意味的には「おおむね」という使われ方が第1義となって広まったようです。「念」は心と発音符今とからなり、意味は「おぼえている、おもう、かんがえる」というものです。  従って、「概念」そのものの第1義が、「おおまかな考え」であります。「全体像」を意味していると言い換えれば少しは説得的でしょうか。 3 あなたが調べられた多くの「概念」は、それぞれの分野で、その特性を表現するために新たな「定義的事項」が加わっております。そこが簡単には分からないので、あなたは「概念」がますます分からないと感じておられるのだと推測します。 4 「概念」という言葉自体に説明の限界が内包されているのだから、それに各専門の意義を加えたものを含めて「概念」と言っているものが理解できないと悩むことはないのではありませんか。  お前は問いに答えていないとご不満かとは思いますが、私が言いたいのは、理解へのアプローチの仕方を変えてみると、時間が経過(すなわち何かの経験)して得心がいくことがある、ということであります。 5 参考例  ★ある(人間を切り離した抽象的な ある のことです) は、最高位の概念である。  = それ以上単純な概念はない。  = 最も内包が少なくて、最も外延が広い。  = 最高の普遍

donteitan
質問者

お礼

みなさん、とても分かりやすい説明で納得がいきましたwどれもこれも良かったのですが、こちらを選ばせていただきましたw 本当にみなさんありがとうございましたw

その他の回答 (3)

noname#170404
noname#170404
回答No.4

例えば、犬には、土佐犬やダックスフンドなど、様々なものがあり、実際に「犬」という生き物は存在しません。 しかし、犬といわれれば、あらゆる犬をごちゃ混ぜにしたような、漠然とした「犬」のイメージが、自分の中に出てくるはずです。 このイメージが、「犬の概念」になります。 細かな違いを排除した、総体的なイメージみないなものですかねー。

  • sunasearch
  • ベストアンサー率35% (632/1788)
回答No.3

辞書のどの意味も、結局は同じことを述べています。 それは、「客観的に、一般的に理解される内容」であるということです。 たとえば、いすの「概念」と言った時に、 「ポケモンの絵が描いてあって、くるくる回るものが椅子だ」 と言っても、誰も納得しないでしょう。 それに対して、 「人間が座ることができるもの」 と言えば、多くの人が納得すると思います。 このように、いろいろな「物」「考え方」などから、 個人的な主観をできるだけ排除して、 多くの人に広く理解される意味における「ものごとの捉え方」のことを概念と呼びます。

  • ysk_225
  • ベストアンサー率33% (17/51)
回答No.1

抽象的な言葉ですので、なかなか言葉で説明するのは難しいかもしれませんね。 「ある物事に対する考え」も、大きくはズレていないと思います。さらに「受け取り方」や「捉え方」というニュアンスを含みますね。 「資本主義という概念」と言うと、「資本主義とは何か」ということについての「受け取り方、捉え方」をあらわす考え、といえばわかりやすいでしょうか。

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