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自殺の哲学

日本人の自殺者が, このところ著しく増えている, といった報道をしばし耳にします。 少しむかしの日本でも, 切腹や追い腹, 無理心中など色々な自殺が行われてきたと思います。 1)日本人は自殺が好きなのでしょうか? 2)日本人の自殺文化はどのような思想に基づいているのでしょう? 恥の文化? 死ねばどんな悪人でもほとけさん?

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.10

>なんで、キリスト教では自殺は罪なのだろう。 確か聖書に「産めよ 増やせよ 地の果てまでも繁殖しろ」って神が言ったと書いてあったからじゃないかと。 だから、カソリックは同性愛は禁止で堕胎も禁止だし、避妊も禁止なのでコンドームの使用も禁止です。 性欲があれば、それは神の意志が働いたものであり、それに逆らって(性交したいのを我慢する)は神に逆らう冒涜である って考えだったと思います。 自殺するということは神の増えろという命令に反することになるので、神様が命を召す以外は死んではならない というのがその言葉の解釈として、一般化されたらしい。 日本は違いますが、結構国教がキリスト教の国が多く、当たり前のようにそう教育されている人が文学の面でそれを軸に物語を書くので、それを読んだ日本人は自殺は罪であるとぼんやり価値観が刷り込まれたのかと。 >イエスは、全人類のために、他殺(他力)ではありますが、みずからの命をささげたのですから、自己犠牲は最も尊い愛の形なのではなかりしか。 というのは後からこの事件を解釈した人の理論みたいです。 イエスは一冊も本を書いていません。 原始キリスト教の考えを他の人たちが考え口伝えに「きっとこうに違いない そうすれば矛盾が無くなる」として、それを他の国が本にまとめた これが新約聖書らしいです。 わたしはイエスは自殺だったと思います。 確かにローマ人の手による処刑ですが、知った限りの情報を元に分析すると私の判断では自殺だったって事になります。 それを防ぐために、イエスは人間ではなく 神だったとしたら、人間は増える宿命を背負っているが、神はそのルールが適用されないので、自殺じゃなかったって事になるんじゃないかと。 従ってイエスを神にしたてあげた と。 神だったから神なんじゃなくて 人間を神に仕立て上げることで矛盾を無くそうと考えた人の理論だと思います。 >特攻隊も玉砕も愛するもののために死んだと言う点で、イエスに負けず劣らずの自己犠牲の精神があったのかしらん。 思い込み次第かと。 特攻して死ぬことは、天皇のため 国家のため 家族の誇りであると刷り込まれたら、勇気を持って飛行機に乗り込むでしょう。 洗脳(催眠)が解けなければつっこむでしょう。 解けた人はつっこめず、しかし片道の燃料しか積んでいない・・・・ >私には、あまり、国が自殺者のための対抗策をとっている様にも思えないのですが。 ううーん そこまで保障できないからじゃないでしょうか。 それにそうなってしまうと、国民の意思はどうなるのでしょう。 それすら許されないのなら、生きる代償として国はその人が望むことを解明して、その人が望むことを全部与えて、その人が死なないように徹底的にするべきってなりますよね。 国民は国家の人形ではない。 それぞれに自由意志があり、それを尊重するから、法律でがんじがらめにしない。 それに国がしなくても、回りの人がやるべき事なんじゃないかと。 その人を大事に思う人が、その人が困っていれば、心が動き手を差し伸べ、何が困っているのか興味を持たなければ、集団として機能しなくなります。 国家があれやこれややる前に 国民が考えるべき問題です。 そしてその知恵を国会とかに持っていく。 これが民主主義かと。 これが他者を生かすことで自分が生きる集団持続の宿命かも。 >社会の急激な変化によって、その軋轢やしわ寄せが、多くの人にとって負担になっているのは間違いないと思う。 自殺の理由は病気が理由から 経済的理由がトップになったと思います。 貧困はもっと下だったと思います。 さまざまな理由がありますが、確かに他の人が言うように 希望が無くなったとき、自殺するのかもって私も思います。 その人の世界で希望が消滅したら真っ暗闇ですから。 生きる理由がどこにも見出せい時、遺伝子に組み込まれた消滅の言葉が唱えられるのかも。 うさぎは捕食される動物です。 鷹がうさぎを捕まえてわしづかみにします。 その後食べます。 生きながらくわれるのだと思っていましたが、どうやら わしづかみにされた時点で、自殺の因子が働いて心臓を止めるらしいです。 だから生きながら食べられる痛みを感じないですむらしいです。 生きた人間を食って自分の栄養とする人種。 私 病気で苦しんでもがいている人に、生きろってそんな暴力的な偽善の優しさふりまきたくないです。 死んでいいよって言いませんが、自殺はいけないって言ってしまうと、それは暴力です。 どんな理由があろうと それは瀕死の人を暴行する言葉です。 だから 自殺したいって人に何の保障もなく軽々しく生きるべきだって言う人みると、腹がたつのです。 それはあなたが他人の感じる死を自分の死の恐怖と捕らえるから、相手に死ぬなっていっているにしかすぎないって思うのです。 自分かわいさに相手に自殺はいけないって言っているにしか過ぎない その程度でよくまあ いえるわって思うのです。 本当にその人の事を考えるのなら、否定するなって言いたいです。 本当に相手が大事なら、同じ目線の高さに自分の体を折り曲げ 一緒に考えてあげてほしいです。 それができない したくない 高みの見物していたいだけなら、自殺はいけないって言わないでほしいのです。 って語ってしまいました。 でも ほんと そう思います。

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  • m12
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回答No.16

1)日本人は自殺が好きだとは必ずしも言えないと思  います。1998年頃から年間の自殺者は3万人  にも及んでいますが、情報化社会の進展によって   社会構造が変化して、ましてバブル崩壊後の経済  不況の中、それについていけない人が仕方なく自  殺することが多いのでしょう。自殺が好きなので  はなく、仕方なく自殺するのでしょう。 2)人間は「そうとしか生きられない、努力しても、  自分のマイナス思考の壁を打ち破るのは至難の業  です。身勝手に生きている人間も、生まれたとき  からの両親の教育、友達の影響等で人格が形成さ  れていきますが、そういう歪んだ人格になったの  は本人の責任だけだとは言えないだろうと思いま  す。幼児虐待、不幸なめぐり合わせ、不運な言   葉・感情の行き違いから歪んだ人格になるのだと  思います。全て本人の責任にするのは残酷すぎま  す。自殺でこれ以上迷惑をかけたくないと思い自  殺するのは、ある意味仕方ないのではないでしょ  うか。せめて自殺で罪を償った人には寛大にすべ  きと個人的には感じます。

anima-mundi
質問者

お礼

遅れましたが、この場を借りて回答を下さった皆様に礼を申し上げます。ありがとうございました。 本当は一つ一つにお礼をしたいところですが、ずるずるここまできてしまいました。申し訳ない。

  • kerubim
  • ベストアンサー率13% (2/15)
回答No.15

まず最初に言えることは宗教がないことですね 二つ目に文明が急激に発達したことではないでしょうか? ホメオスタシスとトランジスタシス 維持しようとする力と変化しようとする力 これは万物がもつ法則で人間の精神にももちろん言えることです つまり文明が急激に発展(変化)したことにより人は自分の存在を意識しずらくなった(ただでさえ組織行動が好きな文化にわをかけて)さらに宗教がないのでそうなったときに自分の存在を肯定してもらえる存在も知覚できない・・・・・・・ つまり自分のひとつの命、他の存在の価値をあまりにも低く感じられるようになるわけですね そこで「苦しいなら死んでもいいや~どうせこの世界にはいる価値感じないし・・・・・」 みたいな方向へ行き行動に移す・・・・・・・ 文明が発達しても人間は変わらないので取り残される・・・私は「文明病」って呼んでますけどね 最近の少年少女が殺人を犯すなんてのもこれに該当すると思います

anima-mundi
質問者

お礼

文明病と言えば、水木しげるの漫画のモチーフというかテーマでよくあったと思います。なつかすいです。 私も水木原理主義的、楽園志向なのかもしらん。

  • f_koga
  • ベストアンサー率9% (9/91)
回答No.14

 こんにちは。  現代で考えれば、やはり暴行、脅迫、強要が癖になった、実質的犯罪者の集団が増加し、逃げ場もなく被害に会うことが問題だと思います。コマーシャルによって、劇場のイドラみたく、権威を持つようになってしまったのではないでしょうか。  チェーホフのカメレオンではありませんが、実質的犯罪者にある程度同化、迎合、似せたりしなければ、暮らしていけません。  いつまでたっても被害から逃れられず、安全は保障されず、近状付き合いすらままなりません。生活の質が悪いのです。人を見たら、餌食にしてやろう。転んだら、蹴飛ばしてやろう、見下してやろう。どういうふうに対応したら、可愛いだろうか、威厳があるだろうか。そういった集団に囲まれていると、生きていくのがイヤになる人も出るのでは?  ちょっとお互いに距離を置き、必要以上に立ち入らず、簡単な手助けなど気持ちよくできるような社会でないと、生活の質が向上したとは言えません。  江戸時代ならともかく、現代は質の時代です。いくら生きていても、自分が満足できるような質の人生を送れないと思うのなら、自殺もまたあるべき選択だと思います。とりあえず、暴行、脅迫、強要が癖になった、実質的犯罪者集団が法に守られて、ぬくぬくとしている限り、質の向上はないと考えていいでしょう。  そういった集団の被害者を無視している限り、その人もどれだけお金があろうが、野心があろうが、人の評判がよかろうが、決して質のよい人生を送っているわけではないと思います。  江戸時代の風俗は、「恥」という概念を使って、自殺を美化してきました。しかし、無理心中などは殺人です。ある意味、犯罪を美化してきました。  刑法の立場から、一度見直してほしいと思います。「いくら生きていても、このままであり、絶望だ」こういう発言は、犯罪の故なのか、生活の質由来なのか、どちらかです。

回答No.13

No.4のvagabond_0710です。 >いつの時代も、近頃の若者は~だと言う言葉はありますし どの時代でも同じ運命だろうなぁ。僕が考えるに、常に若者は無茶するけど、その若気の至りみたいな青春パワーが時代を切り開いていくんじゃないかな。だから老人や中年から見たら理解不能で「近頃の若者は~」のセリフがフと出ちゃうんだろうね。新しい時代に拒否反応を示す。安定してるほうが楽だから。また昔のことが美化される。 >昔の方がよかったと言う考え方 そうっすね。何にしても過去のことは美化され勝ちっすね。終わったことだから安心しちゃうのかな。その点、未来は真っ暗ですわ。(笑) >過去と今とで、何が変わって、何が変わらないのか。それを考えるだけでも面白いテーマのように感じます 僕のテーマでもあります。つまり人間としての普遍性の追究。 >基本は同じ人間の考えることなんだから、そんなに変わらないんじゃないかな そうっすね。人間としての普遍的なものって変わらないと思います。例えば愛とか生死の問題とか永遠のテーマだと思いまふ。 >ただ、ただ環境が変わったので、人間も変わって見えるのかしら 環境が与える影響は大きいっすね。自然との隔絶された子供の教育にいろんな問題が出ているし。問題を取り上げたらキリがないぐらい。人間の見た目は変わっても、結局は人間としての本質は変わらないと思います。肌や目の色が違えど、やはり人間として通じ合うものがあるように。たとえ縄文時代のような文明でも人間は最低限生きることができたわけです。文明って、便利により楽にそして早くするためのものであって、それ自体が人間の幸福に繋がるといえば、決してそうとはいえないと思います。 >現代の日本社会では、経済優先主義が唯一の宗教なのかな 同意でごわす。宗教色が薄い日本だと、お金がフェティッシュになっているように感じる。お金があればなんでも手にはいるという人は、お金じゃ買いない価値を知らないだけなんだろうね。 >自殺者を減らすには、未来に向けたヴィジョンが必要なのかしらん。それが宗教なのか、思想なのかはわかりませんが。 どの時代にしても未来は不安なもの。僕が考えるに、生きる希望が持てないのは、「自分」が確立できていないからじゃないかなと思ってます。生きがいの問題ですね。つまり自分の理論を、哲学を持っているかが大切だと思います。 特に日本人は、流行に流されまくり。(笑)みんながやれば俺もやる。決して俺だけの価値を持とうとしない。そのくせ、個性がどうのこうのと言う。たとえば、政治は政治家に任せてという風に考える人が多い。ひとりの人間としてまったく無自覚なんですね。別に政治家に詳しい必要はなくって、自分の政治意識を持っているのが一人の人間として当然だと思う。社会の中に生きているんだからね。 そして自分の国の伝統や文化、政治に熱くなる存在こそ、若者だと思います。海外を旅をした人が言ってました。外国で外国人からコイズミの政治どう思う?日本についていろいろと教えてよ、と問われてもなかなか答えることが出来なかった自分がいたって。 例えば「落書き」。日本だと性的な卑猥なことやケンカ文句の虚勢がトイレなど落書きにありますが、海外だと政治的なことが多いそうです。その辺りからも若者の意識の違いがあると思います。歴史的にみれば、フランスは自分達ブルジョアが革命を起こして今の市民社会を築きあげたけど、日本の場合、幕末から明治への革命は、結局は貴族層の入れ替えにすぎなかった。一般市民が底から巻き返す革命が日本にはない。だからいまだ封建的な匂いがする国なんだと思ってます。 >その他の自殺に対する要因が知りたいのです。芥川龍之介のようにぼんやりとしたその不安の原因を… 僕はなんとなく共感する。人間存在の矛盾のズレ。たとえば社会に出れば本音と建前の世界。ペルソナと自分を使いわけなきゃいけない精神的ストレス。自己疎外の問題もある。人間は素晴らしい存在だ!と思いながら、人間ほど卑しい存在はないと考えたり。いっそのこそ死んじゃえばサッパリするんだろうなと悩む…。生きる喜びと苦しみ。 たとえ社会的に成功したとしても、結局は生きることに対する疑問や虚無感を克服することはなかなか難しい。有名になればなるほど、社会は皮相な自分をはやしたて、サイン下さい、握手して下さい、とキャーキャー騒がれる。それを否定するわけじゃないけど、一人の人間としての僕を無視する…。その虚しさをみんな知らない。 三島由紀夫の自殺動機は本によりけりですが、やはり「貴様らそれでも武士か」みたいな発言があった気持ちはわからないこともないです。戦後アメリカナイズされ、精神を貫く存在がいなくなった。つまり人間としての虚しさ。卑しさ。自分の哲学を持って、人生に全責任を持って生きているヤツがどれほどいるか。スピリッツみたいなものかな。みんな流行、お金ばかり追いかけて人間としての充実、その価値を忘れてしまった。日本の文化はどうなんだろう。ひとつの宇宙観みたいなものに包まれていない。根こそぎにされた文化のむなしさ。 日本の伝統は何?親から子へ受け渡す、人間として本当に大切な何か、民族としての受け継ぐもの。それがあれば親の威厳もあるだろうに。とかく、子が親をみて「人間としてコイツはすごい、俺もこんな大人になりたい」と羨望と尊敬の目で見る親子がどれだけいるか。大人が自分のスピリッツをもって人間として全責任をおって、今まで貫いてきたその貫禄。自分の仕事に誇りを持っているか、自分の人生に誇りを持っているか。そういう人間として一番根本的なスピリッツをもっていれば、無責任に自殺する人が減ると思う。もちろん逆にそのスピリッツが自殺へ追い込む場合もあるだろうけど。とかく、生きがいを失った現代人が一番大きな問題じゃないかな。多くの人が、それを娯楽快楽で誤魔化しているにすぎないように見えないこともないです。 自殺に追い込まれるということは、それだけ共感者がいないという点もあると思います。日頃から家族や友達などと本音で問題を語り合い、共存関係を確かなものにしていけば、そういうコミュニティがあればそうそう自殺しないとも思います。

  • monkshood
  • ベストアンサー率36% (4/11)
回答No.12

WHOの資料を以前見たんですが、自殺者の割合(自殺率)は日本が特別多いという訳ではないようです。 ハンガリーとかフィンランドやロシアの方が自殺率は高かったです。(最新の数値は知りませんが) 引責自殺や心中は外国人(特に欧米)の方々には理解しづらい日本独自の文化(?)らしいですけど。 国の方では2000年あたりからちらほらと対策を始めたようですよ。厚生労働省のサイトに「自殺防止対策有識者懇談会」「自殺関連うつ病対策研究」の報告がしてありました。 何の回答にもなってませんですみません。

  • Jackle
  • ベストアンサー率0% (0/13)
回答No.11

考えてみてください。A君がB君に殺されれば他殺となり、A君の家族や友人は悲しみ、B君を恨みの対象とします。 では、A君をA君自身が殺したら(自殺)どうでしょうか、恨みの対象が存在しないだけで、A君が死んだという点は変わらず、家族・友人の悲しみは変わりません。 たまに、自殺も勇気だといいますが、それも自分という人間を殺して回りの人間に被害を与える立派な殺人なのです。 私は自殺も他殺も同じだと考えています。 論点から外れてすいません。ちょっと言いたかったので、、。

回答No.9

初めまして。 1)につきましては好きってことは、いくらなんでもないだろうと思いますけどねえ・・・ある種、耽美的な傾向のある人なら好みそうな感じはありますけども・・・ 2)に関しましては文化とか思想ということばが妥当かどうか分かりませんが・・・その一歩手前かな? 昔から、よく言われることばに「死人に口無し」というのがありますね。つまり申し開きできないようなことを仕出かしてしまったときにピシャリと扉を閉めることのできる唯一の方法ですよね。 逆に周囲の側から見れば「死者に鞭打つなかれ」というのが徳の表しかたでもある。そして死に行く者の側も「分かってくれよ~」という期待、昔から日本人が特に美意識を刺激される「惻隠の情」というやつを暗に要望している。 その点キリスト教圏で自殺が大罪とされるのは、ひとえに神の思し召しに逆らった、つまり「神に対する反抗」と見なされるからでしょう。真の忠誠というのは、いかに理不尽な仕打ちを受けるようでも、これ全て他ならぬ神からの命令として肯い「もうよし」と言われるまで、その意に従う、これこそが忠誠の証しであるという厳しい思想が根底にあるのだろうと思います。まあ「自殺しなさい」という命令が下されたものなら即、従うということなのかどうか、その辺は分かりませんが・・・。 日本人のことしか、よく分かりませんけど、自殺者にも3タイプくらいあって一つは駄々っ子自殺、要するに自分の思い通りにならないから周りが気に入らないから自殺して自分がどんなにカワイソウな立場だったか思い知らせてやる~というもの。 もう一つは最終的にパニック状態に陥って、とにかく、いまここから逃げ出すことしか考えられない切羽詰り自殺。これは周囲の迷惑なんか振り返る余裕もない。 いま一つは用意周到自殺。保険金目当ての自殺なんかも、この範疇に入るかどうか(切羽詰り自殺と半々かな)分かりませんが、けっこう自分が、この世から消えるうえで周囲への影響を冷静に計算しているふしが見られる。この点駄々っ子自殺みたいに「困らせてやる~」という計算とは対極にあるかも知れません。とは言え、どう転んでも結局は五十歩百歩なのかも・・・。 まあ昔から「死ぬ~死んでやる~」とかって大宣言して何だかショーの演出みたいなことをやらかす人もいますが反面、誰にも気づかれないように見つからないように消えて行く人もいるわけで。こういう人のほうが、ある意味、背筋が冷たくなりますねえ。 いずれにせよ日本の武士の切腹を考察するなら(時代が違うんで想像ですが)言い訳をクドクドと並べ立てるのは美しくない、と言うか言い訳もできないから「口のない」死人になりますんで、その辺ヨロシク! で主君とか、そのあたりの立場の人は「うむうむ、そうか皆まで言うな」と惻隠の情。お互いに暗黙のお約束があるという感じですかねえ。 その点ディベートが盛んな、ことばでトコトン勝負しろ!って考え方の国民性なら、ことばの責任が取れないなら、どだい発言もしないし(だから責任取れなきゃ謝らない)「言わなくても分かるだろ~」なんてのは通じないんでしょうね。ここが日本人は甘い!中途半端!って言われるゆえんかも。 「死ねば、どんな悪人でも仏さん」というのは(仏教頒布上のキャッチコピー??)確認しようがないので何とも申し上げられませんが少なくとも西洋の神様のイメージよりは鷹揚で優しいなあと思います。 個人的には、こっちのほうが好きです。悪人は助けるな、私を助けろ!ってのが本音ですけど~ハハ。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 1)三島由紀夫のような人は特別なんでしょうね。 2)ディベートは、日本人の苦手な分野ですね。最近では物怖じしない若者も増えたのか知らん。文化の違いを感じますね。ディベート文化と日本の文化、どっちが良いとか悪いという問題でもないような気もしますが、日本も輸入に頼る限りは世界中の人とコンタクトを取る必要はなくなりませんな。

回答No.8

1)日本人は自殺が好きなのでしょうか? 2)日本人の自殺文化はどのような思想に基づいているのでしょう? 恥の文化? 死ねばどんな悪人でもほとけさん? 自殺が好きかどうかというのは言い方が適切ではないと思いますが、なぜ日本人が自殺という行為に足を踏み入れる確率が高いのか?については・・・ 神様を信じてはいないからなんでしょう。 死ぬということはつまり「リセット」だから嫌なことがあれば死でリセットできるという考えになりやすいんだと思います。 そして自殺が昔に比べて増えているのは、昔と違い今は豊かだからです。どういうことかというと、貧しければ生きていくことが目的となりますが、豊かな時代では目的は生きることではなく、それ以外になります。 豊かな時代である現在、生きてることを感謝する人は少ないですよね?生きることではなく生きることについてくるステータス(付加価値)が目的となります。ですからステータスを失うと生きていても意味がないと考える。だから生きているけどリセットしたくなる(死にたくなる)ということだと思います。 2)日本人の自殺文化はどのような思想に基づいているのでしょう? 文化ではないと思いますがあえて答えるなら ステータス主義という思想?

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 神様を信じていないのも一つの要因かもしれませんが、それだと神様を信じている外国の人は自殺をしないのかということにもなってしまいます。そうではありませんね。 感謝の気持ち大事だと思います。無宗教に近いブッディストとしてもそう思います。ステータスも結構なことだけど、心も大事ですな。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.7

参考に 自殺が好きな人はあまりいないと思いますけど、 いろいろな社会環境で、環境から逃避したいという気持ちを持つ人はどの国でも大勢いるでしょうね。ほとんどの人は決して楽には生きられないですよね。 そこで、逃避の先が、死なんですよね。それを自殺というのでしょうね。理由は別としてもキリスト教徒は自殺するとお坊さんきてくれないということがあるのでそれが、抑止力になっていることは確かですね。日本の場合は、「死ねば仏」などというとんでもない教えを天台宗の開祖あたりから流したので、それがいきわたって抑止できないということですね。死んだらどうなるかということが分らないからお気軽に練炭なんかで自殺したくなるのでしょうね。テレビで細木さんが自殺すれば1000年の苦しみ地獄などといっていましたが、良否は別として抑止力にはなりますね。だれも自殺者の後の部屋には住みたくないですよね。自殺者が多い場所は不思議に続くとか、仏になるならそんなことはないですよね。ということで、「死ねば仏」の思想の影響ですね。言葉としては暗いけど「自殺は地獄」というスローガンのほうが抑止力にはなりますね。甘い言葉の先には地獄がまっているというのがありますが「死ねば仏」はこの甘い言葉なんでしょうね。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 宗教は道徳的基盤がはっきりしているから楽ですね。その代わり、因習にとらわれすぎるきらいもありますが。 日本では、ローマ法王にあたる精神的支柱は誰だろうか。

  • f_koga
  • ベストアンサー率9% (9/91)
回答No.6

自殺者の増加  ・その前に暴行、脅迫、強要事件の犯罪を疑いましたか?犯罪被害者の自殺など哲学にはなりませんよ。 むしろ、他殺なのに自殺で片付けられた人が、浮かばれません。 1)立場の弱い人間を追い詰める傾向が強いと思います。そのため、立場の弱い人間が自殺するのです。自殺は暴力です。暴力に哲学などあるのでしょうかね。 2)次にくる拷問などの被害を予想しての集団自殺はありましたが・・・どのあたりに思想がからみますか?  江戸時代の恥の文化は、風俗研究の産物です。現代の世相とは無関係と思ってください。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 犯罪被害者の心理も考えろと言うことですね。そのとおりだと思います。ただ、犯罪被害者の自殺は原因がはっきりしていますが、その他の自殺に対する要因が知りたいのです。芥川龍之介のようにぼんやりとしたその不安の原因を… 哲学のテーマは何でもありだと私は思っています。暴力も、自殺も。

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