• 締切済み

生命の定義は可能でしょうか?

 生命の最古のものとしては、オーストラリアで発見された「シアノ・バクテリア」というのだそうです。さて、そ もそも、生物学でどう定義しているかは度外視して、生命 というものを哲理として定義しするとすれば、どのように 定義すべきでしょうか。 生物学等の既存の学問を離れて は、生命の定義は不能でしょうか。

みんなの回答

回答No.15

ネットワークトポロジーにも注目してみましょう。

回答No.14

ちょっと私見というか、議論の感想を述べさせてください どうも、生命と意識が混同しているように思います 将来、人工知能が開発されても、それは生命というのでしょうか? 意識体と生命体は違うと思います 生命の科学的定義は、以下のようだそうです 1外界および細胞内を明確に区別する単位膜系を有する。 2自己を複製する能力を有する。 3外界から物質を取り込み、それを代謝する系を有する。 私は生命の定義として、ホメオスタシス機能がなければならないと考えています

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.13

私見ですが認識機能のあるもの全て。

  • mangetu7
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.12

生命の定義は、仏教の考え方を参考として次のように定義できます。その定義は「生命とは、苦しみから逃れようとして行動を行う存在」というものです。仏教の開祖ブッダは、人間には生、老、病、死の苦しみがあることに気づき、その苦しみから逃れようとして出家して、ついにその苦しみを克服して、「さとり」を得ることができました。 そして、「さとり」得たあと衆生を見渡したとき、すべての存在が仏になれる性質を有していることに驚いたとされています。その言葉は「一切衆生、悉有仏性」という仏教用語で表されています。この意味を考えてみると、一切の存在は「苦しみ」から逃れようと行動していることに気づかされるのです。私は、腹が減って苦しいから、飯を食うという行動をとります。あなたも同じではないでしょうか。そして、あなたがおなじであれば、サルであれ、魚であれ、アメーバーであれ生物全体は、腹が減って苦しいから餌を取るという行動を取るに違いないのです。 この関係は、ただ単に生物界に限らず、物質界にも適用出来るのです。それは、物質界においてはエネルギー準位が高い場合、それは「苦しみ」が高いのです。136億年前に宇宙はビックバンで創造されましたが、それ以来宇宙はエネルギーの高い状態から、低い状態に移行し続けてきました。これはエントロピー増大の法則であり、この法則を否定する現象は観測されていません。 このように、宇宙の創造から、各生物種、そしてわれわれ人間まで共通する法則が見られるのです。ブッダは生老病死の「苦しみ」を克服して、「さとり」を得ることが出来ました。しかし、我々凡人は腹が減った苦しみを、飯を食うということで「プチさとり」を日々行っているのです。ただその「プチさとり」はブッダに近づく第一歩なのです。 以上から、生命とは「存在自身」とも定義されるかもしれません。これは大胆な仮定ではありますが、宇宙は「苦しみ」の克服をめざして、すべての存在がブッダのように「さとり」を得ることを目的として創造されたとも言えるのです。

noname#21554
noname#21554
回答No.11

私は専門家ではないので定義というほどのものではありませんが。素朴に考えてみればこのようになると思います。 生命=必要=存在=必要とする存在の内部に生まれ出て、必要とする存在に向かう未来を有するもの。 生物の肉体は進化の過程で生き延び、そして子孫を残すために必要とする機能という形を積み重ねてきたものだと考えます。私の体のあらゆる機能という形。手の指、腕、足、心臓など髪の毛一本にいたるまで、必要とされる答えを有して存在する。そして、その小さな生命たちは相互関連を有する集積体です。そのすべてを同時に認識するものが魂なのだと考えています。すべては積み重ねの連続です。私の手の指も根源的な生命という考えで言えば同じものであり、私という生命の総体の内部に生まれ出た同じ生命と考えます。肉体とは物量であり魂とは相反する認識という存在で一対なのでしょう。それは生物のみならず必要とされ生まれ出てきた存在は自動車であれ、机であれ、すべては生命という形態を有するものなのだと考えます。

回答No.10

私もNo.2さんのおっしゃるとおりだと思いますが、それに加えて、エントロピーの移動も関係している、と大学で学びました。 つまり、自分よりエントロピーの小さいものを取り入れ(食べる)、自らの体を成長(負のエントロピーを蓄え)また、負のエントロピーを増大させる(つまり、エネルギー消費)させることができるもの、ということでした。 このエントロピーについては、熱力学、統計力学、物理化学の教科書に説明されています。 これらの教科書は、理系大学図書館に置かれてあります。

回答No.9

皆様の高級で思慮深いご回答に比べたら、つまらない回答になるので、本当は回答しない方がよかったとも思ってます 系(≒世界)に存在する部分系で意識(=精神)と定義されるもの 及び、意識が直接に制御対象とするもの(=肉体)をあわせたもの この定義不完全ですね どんどん補足してやってください 生物学における生物の定義と哲学における生命の定義はかなり異質に思えます 観点が根本から違うように思います どなた様かが生物学も哲学から派生したから同じと仰ってましたが、 扱いが根底から違うと思います 生物学では生命として扱われないけど哲学で生命になるもの・・・霊、神 その逆・・・コアセルベイト、ウィルス、精子、ミトコンドリア(virusなどが意識がなかったら)など

chikyuujinn
質問者

お礼

「精子」というところで”はっ”としました。 目が覚めたような・・・・まだまだ、何もわかってなかった。 そんな気がしました。 有難うございます。

  • yoh001
  • ベストアンサー率34% (24/70)
回答No.8

>ところで「一なる大叡智者」とされる「一なる」という箇所が「森羅万象そのもの」と考えても間違いでは無いと思うのですが、どうなのでしょうか? やはり、私と類似の考え方も在り、大変嬉しく思いました。 こちらの方こそ、嬉しく思います。 ありがとうございます。 「一」といいますのは、 この大宇宙の生きとし生けるものの根源を意味し、 また生命全て同じところから生まれていることも意味し、 また生命の根源は他にはないことを意味し、 また絶大なる尊厳の中にある絶対者を意味しています。 そして、 森羅万象悉く、宇宙創造の大叡智者より発したる 「大愛」の波動の変化である、ということで、 喩えていえば、 森羅万象は、 僕達のレベルに合わせて、 スクリーンに上映されている「大愛」をテーマとした映画で、 (僕達地球人はこのスクリーン上に映写されるものしか感知できない。) 大叡智者はその映画プロデューサーである、 といえるのではないでしょうか? 僕達は、あまりにも映画に没入しているため、 自分が映画を見ていることさえ忘れている。 まして、映画のテーマも解らず、 映画プロデューサーが存在することなど想ってもみない。 と、いうようなことではないでしょうか!?

chikyuujinn
質問者

お礼

大変面白く参考になりました。 有難うございました。

chikyuujinn
質問者

補足

 「大叡智者はその映画プロデューサーである」というこ とであり、またその「映画プロデューサーを評価する観客 もまた大衆とうう「森羅万象」なのですね。 釈迦の説法 からは、このような解がでました。 これが、私の見解で す。

回答No.7

こういうのがありました

参考URL:
http://www.est.hi-ho.ne.jp/siawasesan/kokoro/rekisi/101.htm
chikyuujinn
質問者

お礼

参考サイトを紹介頂き有難うございました。

  • yoh001
  • ベストアンサー率34% (24/70)
回答No.6

僕達、地球人は、 (chikyuujinnさんもですね!同じ仲間ですね。) 三次元に展開される時間・空間の中で、その制約を受けて、 物質を認識の対象として生かされている意識的存在です。 三次元とは、 時間・空間と物質と想念波動とで構成される世界です。 僕達が経験する時空と共に存在するものの全ては、 三次元的認識の形式に過ぎず、 本質的な実在の姿とは異なるということです。 本質的な実在とは本当に存在し、不滅であるものをいいます。 この実在も波動であり、「宇宙意識」と定義します。 この宇宙意識に二つの力が在ります。 一つは積極的な作用をする力で「生命超意識」。 もう一つは消極的な作用をする力で「共同超意識」。 「超」というのは時間・空間の制約がないことを意味します。 心と物体はその根源において、 この共同超意識という共通の母体を有しています。 ですから、心の澄んだ人は、物の気持ちが判るそうです。 根源的に観ると、この大宇宙は「意識の海」といえそうです。 生命超意識は自ら振動し、想念を発します。 僕達は各々が人間という形態に宿れるまでに進化してきた、 生命超意識です。 生命超意識とは一なる大叡智者より発せられつつある、 時空を超越した永遠不滅の高次元波動です。 これが生命の根源です。

chikyuujinn
質問者

お礼

 エネルギーと波動による生命の実相把促の考え方は、大変面白く、実は私も類似の事柄を洞察しています。 釈迦の「悟り」と「方便品第二」中の「相=性=体=力=作=因=縁=果=報」を連想しました。 ところで「一なる大叡智者」とされる「一なる」という箇所が「森羅万象そのもの」と考えても間違いでは無いと思うのですが、どうなのでしょうか? やはり、私と類似の考え方も在り、大変嬉しく思いました。 有難うございます。

関連するQ&A

  • 生物って?生命って?

    こんばんは。 「生物って?」っていう表題ですが、決して生物の定義を聞きたいわけではありません。 僕は某生物系学部生です。まだまだひよっこの僕ですが、ぜひ先輩方に「生物、生命」に関して熱く語っていただきたいがゆえ、質問してみました。 あなたの生物に対する概念を教えてください。 なにか上手い言い回した定義みたいなもの「生物とは○○である」…何でもかまいません。 生物に関する学問のこ展望、これからの時代の流れみたいなのを教えてください。 これだから生物はやめられない!たまらない!そんな情熱をかけるロマン、理由を教えてください。 何でもかまいません。あなたの伝えたい「生物」に関すること、普段できないような、非常にマクロな話…を期待してはいますが、何でも構いません、教えてください。 「ピンッ」って来た方だけにお礼を書くつもりですのでよろしくお願いします。

  • 生物の定義

    生物の定義はどのような基準になりますか。また生命と生物はそれぞれの基準がありますでしょうか。

  • バクテリアはなぜ生き残ったんですか?

    先カンブリア期にバクテリアが活躍(?)しましたが、 どうしてバクテリアは恐竜やそのほかの生物みたいに絶滅しなかったのですか? 生命力が強いから!と先生に言ったが、どうして生命力が強いのですか?とまた質問されて困りました← おバカなので簡単に答えてくれると本っっっ当にうれしいです! お願いします

  • 生命はどうして誕生したのですか?

    生命はどうして誕生したのでしょうか? 大きな質問ですいません。 科学的に解明されていないと思いますが、どのような説があるのか教えてください。  生命が誕生したとされる原始地球の原始の海の中で何が起こったのか知りたいところです。  教科書では何億年もの時間をかけて生命が誕生したと書いてありました。しかし本当に時間という要因が必要なのでしょうか?条件さえそろえば短期間(数年)で変化が起こるのではないでしょうか。  生命のないところからどうして生命が誕生したのか。本当に不思議です。  疑問の前に生命とは何かという定義がなされなければならないと思いますが、よくわかりません。  ばくぜんと生命とは無機質な物質から有機質な物体へと変化し、かつ自己増殖性をそなえたものと思っています。  最初の生命(原始生物)はどんなものだったのかという疑問もあります。

  • 悪性新生物根治手術の定義

    生命保険の手術特約に「悪性新生物根治手術」というのがあるのですがこの定義を教えて下さい。ちなみに、夫が、肺がんステージ・TINOMOで左肺の上葉を切除します。(手術は今月末)画像で見た範囲では他臓器・リンパには転移はないということです。保険会社に給付金のことで問い合わせたところ、これは「悪性新生物根治手術」には該当しないそうです。では、その定義がなにか?と聞いているのですが納得できる回答がいただけません。リンパなどを切除しないと“根治手術”にはならないんですか?と聞いても、そうでもないようなことを担当者は言ってます。時間を下さいというっことで、今、回答が保留になっています。 この件で詳しい方、教えていただけませんか?

  • 「生命が住めること」  と 「生命が発生する確率」 との差について

     地球外生命の存在や、存在形態について想像する学問が 天文学のジャンルなのか?は素人なので見当違いなのかも しれません。  生物学の分野なのかもしれないと迷ったのですが、こちらの 方が、お返事が得やすい気がしたので、投稿させていただきました。 【質問の発想点】  たとえば、私が何かの分野の指導教官で、指導学生が   「衛星エウロパの地下の海でも、非酸素系の微生物なら 生存可能であるから、探査してみましょう」   というロジックで、研究を企画した場合、 (門外漢の私が、万一研究指導教官でしたら) 「君、生命が生きられる可能性と、そこに生命が発生する確率は 何十桁(いいかげんな数字です)も違うはずだろ?  君が言っているのは、『木の切り株があるところに行けば、 そこにウサギがぶつかって、つかまれられるから、その切り株の そばへ行って、待っていよう!』 と言っている猟師と同じだよ」   と、学生には返答しようもない批判をしてしまうでしょう。    ただ、現実には、そのような研究もあるわけですから、そこには 何かの、ロジックがあるはずだと考えてしまいました。   【質問】  宇宙生命の探査や存在論を研究する方は、 「生命が存在できる条件」と「生命が発生する確率」の差を どのようなロジックで説明しながら、研究を企画・推進されて いるのでしょうか?  また、上述のような、イジワルな質問に対して、どのように 理論武装しておられるのでしょうか?      よろしくお願いいたします。

  • 生命に酸素は必須?初期状態が違えば他の可能性も?

    人間に酸素は必須です。 しかし、バクテリアや細菌類は酸素を必要としません。 1.なぜ酸素は人間にとって必要なのでしょうか? ヘモグロビン?実はヘモグロビンと結合して体内のあらゆる ところへ運ばれる。ということ、までしか知りません。 どうして、酸素じゃなければだめなのか。 2.また、もし、生命の初期状態が違ったら、酸素を必要としない高騰 生物が生まれた可能性はありますか? ちょっとした好奇心から質問してみました。 回答よろしくお願いします。

  • アンドロイドのような生命は自然発生するか?

     人間は有機物を主体に進化した生物ですが、無機物を主体に進化する生物はありえないのでしょうか?  (例えば、HONDAの「アシモ」などは無機物ですよね。あれをもっと高度にしていけばそれはそれで一つの生命と呼ぶ事が出来るんじゃないかと考えています。原生電子回路が自然現象的に誕生してそれ自身が進化していって「アシモ」のような物質になるとか、生命の定義については分かれると思いますが、無機物ですので「自己保全につとめる」と「環境に合わせて進化する」の二点を満たしていればとりあえず良いと考えます。) 1.そのような生命が自然発生する確率は、普通にありえると言える程度の確率ですか?"ゼロ"に限りなく近い"ゼロ"でしょうか?それとも完全な"ゼロ"ですか? 2.上記の理由を教えてください。  自分自身では不可能だろうと考えるのですが、完全に否定できる根拠を見つけることができません、分かる方お願いします。

  • 生命情報系の将来

    ここ最近、ヒトゲノムが解読されたばかりで今は、とても生命情報が熱くなっている時代だと感じています。自分は今大学一年で2年から学科を決めるんですが、生命情報か電気か迷っています。 生命情報は単純に一番興味があるからです。人のDNAのことやオーダーメイド医療などとても興味がもてました。人のDNAは99.9%はみんな同じで、残りの0.1%で人の個性を作り出している事が分かりました。でも最近注目され始めたばかりの学問で正直、将来の就職が心配です。一方、電気系は、リハビリ工学、福祉工学にもつなげられるし、就職が良いからです。 どっちにするべきでしょうか?仮に生命情報に行ったとして、オーダーメイド医療が実現できる時代がすぐ来るのでしょうか?そういう事が産業の中心になる時代がすぐ来るのでしょうか?とにかく就職が心配です。 生物系に詳しい方。アドバイスくださいm(__)m

  • ふと思ったんですが、学問って・・・?

    おはようございます。 課題のレポートを書いていてふと思う所があって質問させていただきました。いくつかありますが、アドバイスお願いします。 まず、「学問」というのはどういう定義なんでしょうか? ~~学という言葉はたくさんありますが、それがすべて学問なんでしょうか? それから、学問の分類、というか、どこから出てきた学問か、というのがいまひとつわからないんですが、うまく調べる方法は無いでしょうか? 例えば、動物学は生物学とどういう関係ですか?生物学が派生してその中に動物学があるって感じでしょうか? 心理学と社会学なんかはよく関係してきますが、学問事態は全然違うものなんでしょうか? あとひとつ、○○論、というのは、これも学問に入るんでしょうか? 出版論とか宇宙論とか・・・。 考えていたらすっかり煮詰まってしまいました。 どなたかアドバイスお願いいたします!