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芸妓・舞妓と侍

創作ものをしているのですが、 設定は幕末で、将軍上洛に伴って江戸から京に来た侍が、祇園の芸妓(舞妓)と恋仲になり、江戸へ連れ帰り、祝言を挙げるという筋です。 「普通の幕臣が芸妓を身請け出来る程お金持ってるわけない」 「会津藩でもないのに京に長く常駐していたらおかしい」 と言われました。 設定を芸妓でなく舞妓にしたらどうでしょう? 早めに年季が明けるとかないのでしょうか? 襟替えの前に芸妓にならず、舞妓として終える人もいると聞きました。 そんな大身の幕臣でなくても、お座敷などに行って良い仲になる事くらいあったと思うのですが? 茶屋以外、花代無しで外で会ったらおかしいですか?例えば一緒に何処かの寺へ願を掛けに行くとか、それに舞妓も休日や空き時間くらいあるでしょう? 新撰組の芹沢一派や長州の木戸・高杉のように芸妓・舞妓を妾にしてる人、お抱えにしてる人は幕臣にはいなかったのですか? 時代は違いますが姐さんのお抱えを、取って駆け落ちして旦那にしてしまった芸妓の話もありました(旦那はそんな金持ちではありません) 「芸妓はお金だけやあらへん」と 売られて来た置屋の世界が厳しい事は読みました。 幕末に限らず、芸妓・舞妓の世界に詳しい方、どうか宜しくお願いします。

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回答No.3

公家を噛ませてみたらどうでしょ? 金はないのに権威だけはある京都の公家さんがひょんな事から主人公の侍を気に入って 金はないのに花街通いが大好きな公家さんが通ってる茶屋に行く羽根になってそこで… って それがお金がない公家さんなだけに 侍の懐を当てにしてた って煮詰めると柴田錬三郎の『岡っ引き どぶ』になっちゃうんだけどね? それでも憎めないちゃっかり者の公家さんを橋渡しにすれば 短期間の京都任務でも「もっと留まっておじゃれ」で侍を特別に足止めさせることも出来るし おじゃる語は作品中でも良いアクセントになるし 世間知らずの公家さんはイイ感じの天然ボケを与えてくれるし。なにより権威だけはあるから芸妓でも舞妓でも茶屋としてはまずお目通しさせるのが当然だから割とすんなり出会う事が出来るのではなかろうかと。 問題は侍とヒロインのくっつけ方 ですが。。。 昭和の時代の話になりますが 下町の八百屋の親父が目も覚めるような 2度見どころか3度見してしまうほどの飛びっきりの美人を奥さんにしてまして。何でもその奥様は銀座のNo.1のホステスさんだったそうで 当時の銀座でも有名な 財政会や経済界から芸能界まで広くお客様を持っていて常にラブコールの嵐だったそうですが 八百屋の親父は「この女に惚れた」の一念から身代を売り払ってもなお彼女の元に通い続けて とうとうカミさんになったのだそうな。 まぁまぁ昭和らしいゴリ押し感が暑苦しい感じはある話ですが 話の軸にある「惚れるより惚れられるほうが幸せ」「決して諦めない」ってテーマで掘り下げていくと 突破口が見えてきそうですよね。まぁまぁ諦めが悪すぎるとストーカーになっちゃうんですけど。 時代劇の定番では他の方の回答にもある通り 一旦旗本・御家人や譜代大名の養女となって武家の子女として祝言をあげる ってのがありますよね。ええなにせ背中に河童の彫り物下げた女スリが同心とこの手で夫婦になるっつーハチャメチャな時代劇すら ありましたからね? 芸妓・舞妓の世界が厳しいと言ってもお客様あっての商売 で権威だけはやたらある公家さんがいると 突破できそうな気がしますよ。その公家さんが普段はぐうたらでポンコツなおじいちゃんだと さらにイイ感じになるんじゃないか と。 何かの参考になれば 幸いです。

zxc65432
質問者

お礼

有難うございました。

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その他の回答 (2)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10479/32960)
回答No.2

士農工商は教科書から削除されましたが、江戸時代に身分制度がなかったわけではありません。分かりやすくいうと「武士階級」と「それ以外」という身分は存在しました。武士はそれ以外の階級とは違うのです。 芸者(芸妓)は武士の娘はやりません。それ以外の階級の人たちです。 そして武士に嫁げるのは武士階級の娘だけです。細かくいうと武士も地方などによっては「上士」「下士」などに分かれていてその間で婚姻などタブーとなっているケースもあります。 なので、武士と芸者が結婚することは当時の身分制の常識からするとあり得ないのです。 「ちょっと待った。勝海舟の奥さんは深川の芸者だったって話があるじゃないか」 その通りです。いうたところで「武士と芸者の恋」はないわけではないです。ただしそうするためには、手続きが必要です。 先ほど「武家に嫁げるのは武家の娘だけ」と書きました。そう、だから武家の娘になればいいのです。 というわけで、まずその芸者をどこかの武家が養女にするという形で身請けをします。そうするとその芸者は名目上「武家の娘」になります。そうなれば、武家の妻になってもOKなのです。 これは間接的な政略結婚にもなりますね。これで芸者の娘を妻にしたら、身請けをした武士は「義父」になります。 江戸時代の武家というのは「家」というのがまず絶対に最優先です。当時は「個人」という概念は存在しなかったことをお忘れず。それを「いや家という概念に縛られたらストーリーも縛られるから無視するわ」となるとただのファンタジーライトノベルになります。マンガやライトノベルにはそういうのは沢山ありますけどね。 何はともあれ「御家」というのが最優先で、武士は「家」を続けなければならないのです。例えば切腹もそのひとつで、切腹をすれば武士の名誉は保たれるんですね。切腹したから責任をとったということにして、じゃあ家は潰さないでおこうとそういうことができるのです。 赤穂浪士が現代の価値観でいえば「首都でのテロ」である討ち入りをしたのもそれは「御家の名誉を保つため」です。そして彼らは本懐を遂げ、切腹をしたのでテロリストではなく「武家の鑑」として扱われることになったのです。そして彼らが武家の鑑になってしまったがゆえに「討ち入らなかったその他大勢の元赤穂藩士」は迫害を受けることになります。 なお、芹沢鴨は出自がよく分かっていません。武士っぽい感じがするのですが、そのあたりがはっきりしない。はっきりしないってことは、怪しいということです。近藤勇や土方歳三は武士ではありません。ただの農民の倅です。彼らは武士ではなかったので、幕府も武士にはやらせられない「汚れ仕事(ダーティワーク)」をやらせることができたのです。いってみれば武士階級の組織が自衛隊で、新撰組はワグネルです。 桂小五郎は、ちょっと特殊な立場の人です。長州藩というところが特殊な組織だったのでね。

zxc65432
質問者

お礼

たいへん有難うございました。

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  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6235/18587)
回答No.1

1両で8万円 身請けには500~1000両 4000万円から8000万円です。 幕臣の中で上級職の旗本は5000人 その中の上位は5000石1億7500万円 500石で1750万円 旗本の上のほうだったら なんとかいける感じですね。

zxc65432
質問者

お礼

たいへん有難うございました。

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