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短歌・文学

高校二年生です。 現代の短歌の授業で阿木津英さんの「産むならば世界を産めよものの芽の 湧き立つ森のさみどりのなか」という短歌について授業をするのですが、個人で調べても表現技法や言葉の意味が分かりませんでした。 そのためこの短歌に使われている表現技法や言葉の意味、阿木津英さんの思いなどできる限り詳しく教えてくださると幸いです。  11月27日までにできればお願いします。

みんなの回答

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9724/12096)
回答No.1

>「産むならば世界を産めよものの芽の 湧き立つ森のさみどりのなか」 >この短歌に使われている表現技法や言葉の意味、阿木津英さんの思いなどできる限り詳しく教えてくださると幸いです。 ⇒だいぶ前ですが、同じQAがありましたので、ご覧ください。 https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1189397.html 一部引用しておきます。 「今までだったら、女性は子供を産んでいればよかったけれども、これからは何かもっと新しい世界(子供を産んで育てるだけの世界ではなく、女性が主体となって別な生き方を切り開いていく新しい世界)を産みなさい(つくりだしなさい)。 木や草やさまざまなものの芽が湧き立つように芽生えている森。その若草や若葉の緑のなかで、わたしはそう言いたい。」 なお、次のような辛口批評もあります。 https://blog.goo.ne.jp/kokinwakashuu/e/8207786fd34ac9aa...

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