一辺倒な考え方の方が単純で解り易いのでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 70才前の高田さんが指導を始めた頃は体罰あり、逞しさや超えられる精神は身につけられたが、鬱憤晴らしなど健全ではない人も存在した
  • 1980年頃、スパルタ式の子育てや組織が重宝され、東京オリンピックから高度成長時代に用いられたのか疑問がある
  • 一方で、環境に馴染めない者は駄目とされ、苛めが指導や鍛錬とされたが、この時代は解りやすくて良かったのか疑問がある
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一辺倒な考え方の方が単純で解り易いのでしょうか?

「兵庫こだま会」と云う阿部兄妹や橋本と云う選手を輩出した、 少年柔道の道場が意識改革を早い時期から行った記事が出ておりました。https://judo3.org/blog/2018/01/25/kodamakai1/ 現在70才前の高田さんという道場主が指導始めた頃は 体罰による指導があり、それについて来れない者はそれ迄という考えがあったそうです。 時代の流れの変化と云うものもあるかと思いますが、 1980年頃(この道場の始まりと同じですが)スパルタ式の子育てや その様な組織に身を置いている人(全てではありませんが)は 「逞しさ」「超えられる精神」は身に着けておりましたが、 「鬱憤晴らしに弱い者を苛める」「勝てば全て」と云う様な人も居り、必ずしも彼等が健全だとは思えませんでした。  が、東京オリンピックから高度成長の時にはこの様な重宝がられ、その様な人材を育てるのが、手っ取り早いのでこの様な手法が用いられたのでしょうか?  (1980年頃の国士舘大学の卒業生の栗山圭介氏の自伝的小説 『国士館物語』では入学後誰が強いか殴り合いの喧嘩が始まる、 非道はしないがこれに馴染めない人は退学する。と云う様な事が書かれておりました) やることをやっても、あの環境に馴染めない者は「駄目」 馴染めると、殺人や恐喝を起こさない程度の「苛め」は指導、「鍛えてやっている」と認めてもらえ、「悔しかったら上位を目指せ」と 云う方が単純で解り易いと云う事でこの時代は良かったのでしょうか? 御回答御願い致します。

noname#252998
noname#252998

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  • yaasan
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回答No.2

ちょっと回答に何を期待されているのか、理解できていないのですが。 昔のスパルタ式ってのは当時の指導法はそれしかなかった、というだけです。何が正しい指導で、どこが間違っているのか、そういう精査すら放棄した状態で、とにかく先輩やコーチ、監督という上の人の言うことを聞いて、黙々と練習を重ねると上手くなっていく、という図式だけで、部活やスポーツクラブが成り立っていた、というだけのお話です。単純も複雑も何も、それしか知らないし、違うことをして、うまくいかなかった責任を取りたくない人はその方法でやっていたというだけです。 そこからトレーニング法だとか、体罰の必要性だとかを試行錯誤し出した監督・コーチが徐々に出現して、大きな改革が始まって、今に至るという感じです。失敗したことは大きな記事にならないので、詳しくは解らないですが、そういうこともたくさんあったと思います。

noname#252998
質問者

お礼

御回答有難うございました。 >昔のスパルタ式ってのは当時の指導法はそれしかなかった、というだけです。何が正しい指導で、どこが間違っているのか、そういう精査すら放棄した状態で、とにかく先輩やコーチ、監督という上の人の言うことを聞いて、黙々と練習を重ねると上手くなっていく、という図式だけで、部活やスポーツクラブが成り立っていた、というだけのお話です。単純も複雑も何も、それしか知らないし、違うことをして、うまくいかなかった責任を取りたくない人はその方法でやっていたというだけです。 その方法しか知らない、それで脱落していく者を振るいにかけて残ったものだけが頭角を現す、人数の多かった 昭和30年頃の野球部はじめ相撲部屋等もそうだったと思います。その方法しか知らず、それに即わない人はそれ迄と云うのが頷ける事が伺われます。 現在80才の板東英二氏が高校時代その様な指導者で、 此方の意見を云うと「口答えするな」と鉄拳される 正しくは無いし、当時でもこれは可笑しい理不尽と皆思っていたが、指導者の権威でこの様な事が通っていたのだと思います。 >そこからトレーニング法だとか、体罰の必要性だとかを試行錯誤し出した監督・コーチが徐々に出現して、大きな改革が始まって、今に至るという感じです。失敗したことは大きな記事にならないので、詳しくは解らないですが、そういうこともたくさんあったと思います。 その反省があって試行錯誤の下、改善されつつあるので良い処もあると思います。

その他の回答 (1)

  • DAMSAREX
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回答No.1

当時、「スポーツは(平和ですっかり軟弱になった日本国民の)体を鍛えるのが主な目的だった」と思われます。 鍛えてやるなら縦社会、軍隊と同じシゴキ方式を取りました。 彼らは、「軍に代わる権力の構造を無意識に求め、それが欲しくて自分達の団体(軍隊)を作った」のだと思います。

noname#252998
質問者

お礼

御回答有難うございました。 >当時、「スポーツは(平和ですっかり軟弱になった日本国民の)体を鍛えるのが主な目的だった」と思われます。 鍛えてやるなら縦社会、軍隊と同じシゴキ方式を取りました。 彼らは、「軍に代わる権力の構造を無意識に求め、それが欲しくて自分達の団体(軍隊)を作った」のだと思います。 競技はルールある戦争とも読み取れます。 故に縦社会、統制の為にはそれが手っ取り早いと云うのも頷ける話です。

noname#252998
質問者

補足

高田さんは58才です。間違っておりました。訂正します。

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