old_sho の回答履歴

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  • ルソーの啓蒙主義の人間観

    ルソーの啓蒙主義の人間観についてどう考えますか? ルソーにとても興味があるのですが、他の方が啓蒙主義をどう考えるのかぜひ聞かせてください(><)!!

  • WebMathematicaでアニメーションにするやり方

    二次関数の平行移動の所をMathematicaでアニメーションをして思うように動いたのですが、WebMathematicaに載せると何時間も作業しているのに静止画になってしまいます。実際にMathematicaで使ったやつは下のプログラムです。これをどうにかWebMathematicaでアニメーションにするためにはどうすればよいでしょうか?教えて下さい! mp[b_, c_, d_] := Module[{a = b, p = c, q = d, k, l}, g[x_, p_, q_] := a(x - p)^2 + q;        f[x_] := a x^2; If[p >0, k = 0.1, k = -0.1]; If[q >0, l = 0.1, l = -0.1] Table[Plot[{f[x], g[x, i, 0]}, {x, -5, 5}, PlotStyle -> RGBColor[1, 0, 0], PlotRange -> {-5, 5}], {i, 0, p, k}]; Table[Plot[{f[x], g[x, p, j]}, {x, -5, 5}, PlotStyle -> RGBColor[1, 0,0], PlotRange -> {-5, 5}], {j, 0, q, l}]; Join[{i, 0, p, k}, {j, 0, q, l}]; ];

  • ブール環

    環Rの任意の元aに対して、a^2=aが成り立つとき、Rは可換環 である。 の証明について質問します。 [証明] ∀a,b∈Rについてa+b=(a+b)^2=a+ab+ba+b よってab+ba=0. ab=-ab これでは可換とはいえないですよね? a=bとすると…と続ければ良いのでしょうか?

  • 0.999・・・=1 は、現在の教科書に書いてあるか?

    私は、無限小数というものを知って以来、0.999・・・=1 は当然と思っていたのですが、高校のとき、塾の先生に、違う、と言われてしまいショックを受けました。等しい以外にあり得ない、としか思えなかったからです。 しかし、世の中は議論が続いているようです。 そこで、数学の教科書に書いてあれば、少しは議論が減ると思うのですが、日本の現在の数学の教科書(というか、指導要領)には「0.999・・・=1」は明示されているのでしょうか? ちなみに、Wikipediaでは教科書に明示されているように書いてあって、それでも納得できない生徒たちが沢山いる(それでも駄目なのか・・・)、とのことですが、その記事は基本的に英語の記事を翻訳したものらしいので、日本の場合を質問します。

    • ベストアンサー
    • noname#130082
    • 数学・算数
    • 回答数13
  • 0.999・・・=1 は、現在の教科書に書いてあるか?

    私は、無限小数というものを知って以来、0.999・・・=1 は当然と思っていたのですが、高校のとき、塾の先生に、違う、と言われてしまいショックを受けました。等しい以外にあり得ない、としか思えなかったからです。 しかし、世の中は議論が続いているようです。 そこで、数学の教科書に書いてあれば、少しは議論が減ると思うのですが、日本の現在の数学の教科書(というか、指導要領)には「0.999・・・=1」は明示されているのでしょうか? ちなみに、Wikipediaでは教科書に明示されているように書いてあって、それでも納得できない生徒たちが沢山いる(それでも駄目なのか・・・)、とのことですが、その記事は基本的に英語の記事を翻訳したものらしいので、日本の場合を質問します。

    • ベストアンサー
    • noname#130082
    • 数学・算数
    • 回答数13
  • WebMathematicaでアニメーションにするやり方

    二次関数の平行移動の所をMathematicaでアニメーションをして思うように動いたのですが、WebMathematicaに載せると何時間も作業しているのに静止画になってしまいます。実際にMathematicaで使ったやつは下のプログラムです。これをどうにかWebMathematicaでアニメーションにするためにはどうすればよいでしょうか?教えて下さい! mp[b_, c_, d_] := Module[{a = b, p = c, q = d, k, l}, g[x_, p_, q_] := a(x - p)^2 + q;        f[x_] := a x^2; If[p >0, k = 0.1, k = -0.1]; If[q >0, l = 0.1, l = -0.1] Table[Plot[{f[x], g[x, i, 0]}, {x, -5, 5}, PlotStyle -> RGBColor[1, 0, 0], PlotRange -> {-5, 5}], {i, 0, p, k}]; Table[Plot[{f[x], g[x, p, j]}, {x, -5, 5}, PlotStyle -> RGBColor[1, 0,0], PlotRange -> {-5, 5}], {j, 0, q, l}]; Join[{i, 0, p, k}, {j, 0, q, l}]; ];

  • WebMathematicaでアニメーションにするやり方

    二次関数の平行移動の所をMathematicaでアニメーションをして思うように動いたのですが、WebMathematicaに載せると何時間も作業しているのに静止画になってしまいます。実際にMathematicaで使ったやつは下のプログラムです。これをどうにかWebMathematicaでアニメーションにするためにはどうすればよいでしょうか?教えて下さい! mp[b_, c_, d_] := Module[{a = b, p = c, q = d, k, l}, g[x_, p_, q_] := a(x - p)^2 + q;        f[x_] := a x^2; If[p >0, k = 0.1, k = -0.1]; If[q >0, l = 0.1, l = -0.1] Table[Plot[{f[x], g[x, i, 0]}, {x, -5, 5}, PlotStyle -> RGBColor[1, 0, 0], PlotRange -> {-5, 5}], {i, 0, p, k}]; Table[Plot[{f[x], g[x, p, j]}, {x, -5, 5}, PlotStyle -> RGBColor[1, 0,0], PlotRange -> {-5, 5}], {j, 0, q, l}]; Join[{i, 0, p, k}, {j, 0, q, l}]; ];

  • 0のつく計算

    子供が0のつく計算でつまづいています。0のつくかけ算は全て0になると教えました。  107 × 30 ------- 000 321 ------- 3210 とちゅうで0が3つ入ってきます。 とまではいいんですが。  100 × 0 ------ 000 だと同じ要領で0が3個になったよどうすればいいのと言ってきます。 そのあと分かりやすいようにどう説明したら良いのか。 子供が理解できるように説明が分かりやすく。後、筆算もまじえて教えてくださる方いませんか?

  • ハイデガーの「存在それ自体」について

    ハイデガーの『存在と時間』を読んだのですが、 「存在それ自体」というものを追求することに疑問を感じています。 「存在それ自体」というのもやはりカテゴリーにすぎないのではないでしょうか。 以下のような箇所があるのですが、私には理解できません。 三角形は「形」の一種であり、勇気や節制は「徳」の一種です。 そして、現存在も「存在」の一種なのですから、「存在」も類なのでは? 確かに存在が、徳や形よりも探究しにくいものであるのは同意するのですが、類を「それ自体」として追及するとイデア論の二の舞になるのではと思います。 未完に終わった『存在と時間』の存在自体が、「徳それ自体」を追及してアポリアに陥るソクラテスを思わせます。まぁこれは冗談ですが。 <引用開始> 「存在」は、類と種との関係に従って概念的に分節されている存在者全体の、最上位の領域を画定する概念ではない。「また存在は類ではない」。存在の「普遍性」は、あらゆる類的普遍性を「ふみこえる」ものである。(中略)事象的実質をそなえている最上位の類概念は多様であるのに対して、この超越的「普遍者」は一様である。この統一性を、アリストテレスがすでに類比の統一として認識していた。 <引用終了> M・ハイデガー(細谷貞雄訳)『存在と時間(上)』筑摩書房、1994年、29頁

  • 小さいに限りはないですよね

    質問のカテゴリが曖昧ですみません 小さいに限りはないですよね? 大きいにも限りがないですよね? 意味分かりませんが ネコにくっつくノミがいるとします そのノミにくっつく虫がいて その虫にくっつく何かがいて その何かにく..... ってことです

  • ハイデガーの「存在それ自体」について

    ハイデガーの『存在と時間』を読んだのですが、 「存在それ自体」というものを追求することに疑問を感じています。 「存在それ自体」というのもやはりカテゴリーにすぎないのではないでしょうか。 以下のような箇所があるのですが、私には理解できません。 三角形は「形」の一種であり、勇気や節制は「徳」の一種です。 そして、現存在も「存在」の一種なのですから、「存在」も類なのでは? 確かに存在が、徳や形よりも探究しにくいものであるのは同意するのですが、類を「それ自体」として追及するとイデア論の二の舞になるのではと思います。 未完に終わった『存在と時間』の存在自体が、「徳それ自体」を追及してアポリアに陥るソクラテスを思わせます。まぁこれは冗談ですが。 <引用開始> 「存在」は、類と種との関係に従って概念的に分節されている存在者全体の、最上位の領域を画定する概念ではない。「また存在は類ではない」。存在の「普遍性」は、あらゆる類的普遍性を「ふみこえる」ものである。(中略)事象的実質をそなえている最上位の類概念は多様であるのに対して、この超越的「普遍者」は一様である。この統一性を、アリストテレスがすでに類比の統一として認識していた。 <引用終了> M・ハイデガー(細谷貞雄訳)『存在と時間(上)』筑摩書房、1994年、29頁

  • 全順序集合と半順序集合

    x=(x1,…xn) , y=(y1,…,yn) ∈R^n に対して x≦yを Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)y(i) (k=1,2,…,n) によってR^nに関係≦を導入する。 R^nはこの≦に関して半順序集合になっていることを示せ。 また、x≦(にならない)y , y≦(にならない)x となるx,yの例をあげよ。 という順序集合の問題です。 反射的・反対称的・推移的の3つを示せば良いのは分かるのですが、どのように書いて良のか分かりません。 例:推移的を示す 任意のx=(x1,…xn) , y=(y1,…,yn) , z=(z1,…,zn) ∈R^n に対して Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)y(i) かつ Σ(i=1からkまで)y(i) ≦ Σ(i=1からkまで)z(i) ならば Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)z(i)  は成り立つ。 このように、そのまま書けば良いのでしょうか・・・? それから、最後の例をあげよのところは、全順序集合にはならないための反例になっているのだと思いますが、どうしても思いつきません。 ∞を考えるのでしょうか・・・? そもそも全順序集合は半順序集合が成り立つことが前提みたいに習いましたが、反対称的の 任意のa,b∈Xに対して aRb,bRa⇒a=b ここで、aRbとbRaが成り立つことを言ってしまっているので、必ずaRbかbRaになっているような半順序集合は全順序集合という定義も意味がないような気がしてしまいます。 よろしくお願いします。

  • 全順序集合と半順序集合

    x=(x1,…xn) , y=(y1,…,yn) ∈R^n に対して x≦yを Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)y(i) (k=1,2,…,n) によってR^nに関係≦を導入する。 R^nはこの≦に関して半順序集合になっていることを示せ。 また、x≦(にならない)y , y≦(にならない)x となるx,yの例をあげよ。 という順序集合の問題です。 反射的・反対称的・推移的の3つを示せば良いのは分かるのですが、どのように書いて良のか分かりません。 例:推移的を示す 任意のx=(x1,…xn) , y=(y1,…,yn) , z=(z1,…,zn) ∈R^n に対して Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)y(i) かつ Σ(i=1からkまで)y(i) ≦ Σ(i=1からkまで)z(i) ならば Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)z(i)  は成り立つ。 このように、そのまま書けば良いのでしょうか・・・? それから、最後の例をあげよのところは、全順序集合にはならないための反例になっているのだと思いますが、どうしても思いつきません。 ∞を考えるのでしょうか・・・? そもそも全順序集合は半順序集合が成り立つことが前提みたいに習いましたが、反対称的の 任意のa,b∈Xに対して aRb,bRa⇒a=b ここで、aRbとbRaが成り立つことを言ってしまっているので、必ずaRbかbRaになっているような半順序集合は全順序集合という定義も意味がないような気がしてしまいます。 よろしくお願いします。

  • Mathematicaで一般形を平方完成するやり方

    Mathematicaで一般形aχ^2+bχ+cを平方完成して標準形у=a(χ-p)^2+qに直して、その計算過程も残すやり方を教えて下さい。お願いします!

  • アーベル群(訂正)

    H,K:アーベル群 H×K={(h,k)|h∈H,k∈K} H×K∋x1=(h1,k1),x2=(h2,k2) x1+x2=(h1+h2,k1+k2) この+に関して、H×Kはアーベル群であることを示したいんです。 アーベル群の定義 (G,+)はアーベル群⇔(ⅰ)(a+b)+c=a+(b+c)             (ⅱ)a+b=b+a             (ⅲ)∃0∈G st.a+0=a             (ⅳ)Gの各元aに対して                a+a´=0をみたすGの元a´が存在する。 自分の見解としては、上記の定義の合うようにH,Kかろそれぞれいくつかの元を取ってきて式変形をしていき、H×Kにおいても定義(ⅰ)~(ⅳ)を示していくというものです。しかし、「+に関して」というところに躓いてしまい証明することが出来ません。 また、定義の(ⅰ)~(ⅳ)全てを証明しなければアーベル群を証明することが出来ないのかというのも疑問です。

  • 全順序集合と半順序集合

    x=(x1,…xn) , y=(y1,…,yn) ∈R^n に対して x≦yを Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)y(i) (k=1,2,…,n) によってR^nに関係≦を導入する。 R^nはこの≦に関して半順序集合になっていることを示せ。 また、x≦(にならない)y , y≦(にならない)x となるx,yの例をあげよ。 という順序集合の問題です。 反射的・反対称的・推移的の3つを示せば良いのは分かるのですが、どのように書いて良のか分かりません。 例:推移的を示す 任意のx=(x1,…xn) , y=(y1,…,yn) , z=(z1,…,zn) ∈R^n に対して Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)y(i) かつ Σ(i=1からkまで)y(i) ≦ Σ(i=1からkまで)z(i) ならば Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)z(i)  は成り立つ。 このように、そのまま書けば良いのでしょうか・・・? それから、最後の例をあげよのところは、全順序集合にはならないための反例になっているのだと思いますが、どうしても思いつきません。 ∞を考えるのでしょうか・・・? そもそも全順序集合は半順序集合が成り立つことが前提みたいに習いましたが、反対称的の 任意のa,b∈Xに対して aRb,bRa⇒a=b ここで、aRbとbRaが成り立つことを言ってしまっているので、必ずaRbかbRaになっているような半順序集合は全順序集合という定義も意味がないような気がしてしまいます。 よろしくお願いします。

  • 総理大臣の命とボディーガードの命の重さ

    家族で雑談中に出た疑問です。 総理大臣のそばに立って、いつも周りを見ている人は、ボディーガードだと思います。 体格の大きな人が多いようです。 小さな人でも強い人はいるでしょうが、小さな人だと弾除けにならず、総理大臣に弾が当たってしまうから、小さい人にはボディーガードは務まらないという話になりました。 そこで、子供から出た質問が「総理大臣の命とボディーガードの命の重さはちがうのか?ボディーガードの方が軽いのか?」です。 真面目な話として説明をしたいと思います。 どのように回答したらいいでしょうか(小学校高学年向)。

  • 全順序集合と半順序集合

    x=(x1,…xn) , y=(y1,…,yn) ∈R^n に対して x≦yを Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)y(i) (k=1,2,…,n) によってR^nに関係≦を導入する。 R^nはこの≦に関して半順序集合になっていることを示せ。 また、x≦(にならない)y , y≦(にならない)x となるx,yの例をあげよ。 という順序集合の問題です。 反射的・反対称的・推移的の3つを示せば良いのは分かるのですが、どのように書いて良のか分かりません。 例:推移的を示す 任意のx=(x1,…xn) , y=(y1,…,yn) , z=(z1,…,zn) ∈R^n に対して Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)y(i) かつ Σ(i=1からkまで)y(i) ≦ Σ(i=1からkまで)z(i) ならば Σ(i=1からkまで)x(i) ≦ Σ(i=1からkまで)z(i)  は成り立つ。 このように、そのまま書けば良いのでしょうか・・・? それから、最後の例をあげよのところは、全順序集合にはならないための反例になっているのだと思いますが、どうしても思いつきません。 ∞を考えるのでしょうか・・・? そもそも全順序集合は半順序集合が成り立つことが前提みたいに習いましたが、反対称的の 任意のa,b∈Xに対して aRb,bRa⇒a=b ここで、aRbとbRaが成り立つことを言ってしまっているので、必ずaRbかbRaになっているような半順序集合は全順序集合という定義も意味がないような気がしてしまいます。 よろしくお願いします。

  • 形式論理学

    哲学カテゴリーで質問するべきなのかなとも思いましたが、以前、似たような質問が哲カテで立てられたとき殆ど回答がなく、結局、数学カテゴリーで質問し直していらっしゃったので、私も、こちらで質問してみます。よろしくお願いします。 以前、ある変なトラブルが起きたときに、ようすを見ていらしたかたが私に教えてくださったには 「論点を逸らしては別の話を持ち出し、議論を発散させてしまう」それが「「形式論理学」の亜流である、とのことでした。 私は論理学だろうが形式論理学だろうが数理論理学だろうが、いっさい知りませんので、「論点を逸らして別の話を持ち出し」「議論を発散させてしまう」(実際、そんな感じのことが行われていたわけなんですが)そういうことが、およそ「論理学」として何のために必要なのかが分かりません。 私としては、日常レベルの会話のなかで敢えて論点を逸らすといったようなことは、わざわざ「論理学」と呼ぶ必要はなく、だいたいにおいて本質的に心理的な理由が絡んでいることが多いとみております。 あるいは形式論理学の「亜流」であるというところに何か理由があるのでしょうか?

  • 形式論理学

    哲学カテゴリーで質問するべきなのかなとも思いましたが、以前、似たような質問が哲カテで立てられたとき殆ど回答がなく、結局、数学カテゴリーで質問し直していらっしゃったので、私も、こちらで質問してみます。よろしくお願いします。 以前、ある変なトラブルが起きたときに、ようすを見ていらしたかたが私に教えてくださったには 「論点を逸らしては別の話を持ち出し、議論を発散させてしまう」それが「「形式論理学」の亜流である、とのことでした。 私は論理学だろうが形式論理学だろうが数理論理学だろうが、いっさい知りませんので、「論点を逸らして別の話を持ち出し」「議論を発散させてしまう」(実際、そんな感じのことが行われていたわけなんですが)そういうことが、およそ「論理学」として何のために必要なのかが分かりません。 私としては、日常レベルの会話のなかで敢えて論点を逸らすといったようなことは、わざわざ「論理学」と呼ぶ必要はなく、だいたいにおいて本質的に心理的な理由が絡んでいることが多いとみております。 あるいは形式論理学の「亜流」であるというところに何か理由があるのでしょうか?