old_sho の回答履歴

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  • ラッセルの姿勢の推移の説明が納得できないのですが

    http://russell.cool.ne.jp/YOSIDA4.HTMの記述の中で 1912年に出た「哲学の諸問題」(The Problems of Philosophy)を一つの頂点として、彼の実在論は、唯名論に近いものに変って行く、とありますが、『プリンキピア・マテマティカ』は1910年から1913年に出版ですから、そのような推移関係にない、両書では同じ場にいる、ということにならないでしょうか?

  • マルクス主義について

    マルクスたちは自分たちの社会主義理論を何と名づけたんですか? 教えてください!

  • エピステーメーとドクサについて

    「エピステーメ(ー)」と「ドクサ」について、イマイチよく理解出来ないので、わかりやすく説明していただきたいです。 「エピステーメ(ー)」が科学的な知識で、「ドクサ」は臆見のことを言うようですが、たとえば「哲学とは何か」と聞かれた場合、「理性的な思考を通じて、様々な主題について論じて研究を進める学問」と答えたら、この返答内容が「エピステーメ(ー)」で、同様の質問をされた場合、「なんか難しくてよくわかんねー学問だよ」と答えたら、この返答内容が「ドクサ」ということになるのでしょうか?

  • マルクス下部構造(土台)の解釈

    「下部構造が上部構造を規定する」というマルクスの思想について、というか、思想史上の意義について、お教えいただきたくお願いいたします。 今まで私が思っていたのは、 「下部」(生活・経済活動・生産関係)は、従来の解釈では「結果」でしかなく、それは本質的ではないものと考えられてきた。 (たとえば「ツリー型モデル」における枝葉末節であり、その幹に相当する政治・宗教・学術(上部構造)の後に来る、その結果的な表れとしての形相・現象のようなもの)。 それが、実は逆に、上部を規定するものとして捉えるべきであるということを初めて提唱したのがマルクスの説だった。 これがマルクスの思想史上の存在意義なのかと勝手に思っていたのですが、よく考えたらただの思い込みだったので、これで合っているのかどうか不安です。 言い換えると、これだと、帰納法的なモデルを主張したという至って簡単な論理に過ぎなくも見えるし、現象学や実存主義の立脚点とほとんど同種のものになってしまう気がするので、もしかしたら違うのかな?と最近思ったのです。

  • 《ぼく(僕)》という呼び方は いいんでしょうか?

     《しもべ》って意味ですよね?  何の? 誰の? しもべなんでしょう?  たしかに漏れ聞くところによりますと ペルシャ語で バンデでしたか《しもべ》という意味の言葉が自称に使われたり あるいは アラブの人たちは 《神(アル・イラーフ)の僕(アブドゥ)》という意味で アブドゥ・アッラーフ > アブドッラーフ > アブドッラーという名前を人につけるようですが 日本語では どういう使い方をしているのでしょうか?  あるいは どういう考え方で使っているのでしょうか?

  • 《個人》の概念ないし繭は 物象化の現実に向き合うところから生まれたか

     《個人》というのは 《わたしがわたしである》ときの事態を指してその一人ひとりの存在のことを言うとのみ思っていました。  その後 この個人が《概念》でもあると聞き それは 相対主義と独我論にかかわっているのかなと思いました。つまり   ○ ひとつには 何事をも相対性のもとに捉える見方に立ち   ○ その上で みづからの考えを送信することはおこなうが他者からの意見を受信することはないがしろにするという変形鎖国政策を採る。  ○ ゆえにそこでは 《個人》はあたかもみづからが城壁をめぐらして独りで暮らすかのごとき存在として 君臨している。  ☆ これはなぜか?   いわゆる《物象化》の理論を噛み合わせると 分かりやすいかも知れないとこのたび考えました。こうです。  以前に つぎの問いをしたことがあります。まづそれを掲げます。  ☆☆ 【Q:物象化論の現在は いかに?】 ~~~~~~~~~~~  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4268347.html  ヰキぺディアで《物象化》を参照したら むつかしいものですね。  まづ 最初の定義として こうあります。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  商品経済においては、  社会的分業に基づく人間相互の関係が私的な商品交換を通して取り結ばれるので、  個々人の労働は直接的には社会的なものではなく私的なものとなり、  労働の社会的性格は商品の交換価値として現われる。  労働と労働の関係が商品と商品の関係として現われる。  この機構をマルクスは物象化と呼んだ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%B1%A1%E5%8C%96 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ たとえば日本人は 原理原則を信用せず杓子定規では動かないので 資本の論理というようなものについても 物神としてのごとく崇拝するものではないと思っておりました。  人間相互の関係は 《社会的分業に基づく》かぎり 《私的な商品交換を通して取り結ばれる》という情況に入るけれども それでもそれは 社会生活全体のそれぞれの一面なのであって とうぜん互いに結ばれていると思っていました。  ぎゃくに言えば 物象化という現象に対して人びとは もっといい加減である。あるいは そのような資本の論理には いやいやながら 従っているだけであり 回り回ってその《労働が社会的なもの》でもあることを思っている側面を持つだろうと。  現在の情況として《物象化》は 果たしてどうなのでしょうか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 結論としてですが  ○ 《個人という概念》をあたかも繭のごとくひとがかぶるのは 現実の物象化に対する防御であって その意味では 繭というより楯であるかもしれない。  ☆ 批判しつつさらに解明をしてください。

  • 《個人》の概念ないし繭は 物象化の現実に向き合うところから生まれたか

     《個人》というのは 《わたしがわたしである》ときの事態を指してその一人ひとりの存在のことを言うとのみ思っていました。  その後 この個人が《概念》でもあると聞き それは 相対主義と独我論にかかわっているのかなと思いました。つまり   ○ ひとつには 何事をも相対性のもとに捉える見方に立ち   ○ その上で みづからの考えを送信することはおこなうが他者からの意見を受信することはないがしろにするという変形鎖国政策を採る。  ○ ゆえにそこでは 《個人》はあたかもみづからが城壁をめぐらして独りで暮らすかのごとき存在として 君臨している。  ☆ これはなぜか?   いわゆる《物象化》の理論を噛み合わせると 分かりやすいかも知れないとこのたび考えました。こうです。  以前に つぎの問いをしたことがあります。まづそれを掲げます。  ☆☆ 【Q:物象化論の現在は いかに?】 ~~~~~~~~~~~  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4268347.html  ヰキぺディアで《物象化》を参照したら むつかしいものですね。  まづ 最初の定義として こうあります。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  商品経済においては、  社会的分業に基づく人間相互の関係が私的な商品交換を通して取り結ばれるので、  個々人の労働は直接的には社会的なものではなく私的なものとなり、  労働の社会的性格は商品の交換価値として現われる。  労働と労働の関係が商品と商品の関係として現われる。  この機構をマルクスは物象化と呼んだ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%B1%A1%E5%8C%96 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ たとえば日本人は 原理原則を信用せず杓子定規では動かないので 資本の論理というようなものについても 物神としてのごとく崇拝するものではないと思っておりました。  人間相互の関係は 《社会的分業に基づく》かぎり 《私的な商品交換を通して取り結ばれる》という情況に入るけれども それでもそれは 社会生活全体のそれぞれの一面なのであって とうぜん互いに結ばれていると思っていました。  ぎゃくに言えば 物象化という現象に対して人びとは もっといい加減である。あるいは そのような資本の論理には いやいやながら 従っているだけであり 回り回ってその《労働が社会的なもの》でもあることを思っている側面を持つだろうと。  現在の情況として《物象化》は 果たしてどうなのでしょうか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 結論としてですが  ○ 《個人という概念》をあたかも繭のごとくひとがかぶるのは 現実の物象化に対する防御であって その意味では 繭というより楯であるかもしれない。  ☆ 批判しつつさらに解明をしてください。

  • 《個人》の概念ないし繭は 物象化の現実に向き合うところから生まれたか

     《個人》というのは 《わたしがわたしである》ときの事態を指してその一人ひとりの存在のことを言うとのみ思っていました。  その後 この個人が《概念》でもあると聞き それは 相対主義と独我論にかかわっているのかなと思いました。つまり   ○ ひとつには 何事をも相対性のもとに捉える見方に立ち   ○ その上で みづからの考えを送信することはおこなうが他者からの意見を受信することはないがしろにするという変形鎖国政策を採る。  ○ ゆえにそこでは 《個人》はあたかもみづからが城壁をめぐらして独りで暮らすかのごとき存在として 君臨している。  ☆ これはなぜか?   いわゆる《物象化》の理論を噛み合わせると 分かりやすいかも知れないとこのたび考えました。こうです。  以前に つぎの問いをしたことがあります。まづそれを掲げます。  ☆☆ 【Q:物象化論の現在は いかに?】 ~~~~~~~~~~~  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4268347.html  ヰキぺディアで《物象化》を参照したら むつかしいものですね。  まづ 最初の定義として こうあります。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  商品経済においては、  社会的分業に基づく人間相互の関係が私的な商品交換を通して取り結ばれるので、  個々人の労働は直接的には社会的なものではなく私的なものとなり、  労働の社会的性格は商品の交換価値として現われる。  労働と労働の関係が商品と商品の関係として現われる。  この機構をマルクスは物象化と呼んだ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%B1%A1%E5%8C%96 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ たとえば日本人は 原理原則を信用せず杓子定規では動かないので 資本の論理というようなものについても 物神としてのごとく崇拝するものではないと思っておりました。  人間相互の関係は 《社会的分業に基づく》かぎり 《私的な商品交換を通して取り結ばれる》という情況に入るけれども それでもそれは 社会生活全体のそれぞれの一面なのであって とうぜん互いに結ばれていると思っていました。  ぎゃくに言えば 物象化という現象に対して人びとは もっといい加減である。あるいは そのような資本の論理には いやいやながら 従っているだけであり 回り回ってその《労働が社会的なもの》でもあることを思っている側面を持つだろうと。  現在の情況として《物象化》は 果たしてどうなのでしょうか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 結論としてですが  ○ 《個人という概念》をあたかも繭のごとくひとがかぶるのは 現実の物象化に対する防御であって その意味では 繭というより楯であるかもしれない。  ☆ 批判しつつさらに解明をしてください。

  • イデア説 実念論

    プラトンのイデア説は実念論ですが、実念論とは観念論でしょうかそれとも実在論でしょうか?

  • バルバロイという語を持っていた古代ギリシャは、他の文明の存在を知らなかったの?

    古代ギリシャ語においてバルバロイという語が存在したのは、古代ギリシャが自分たちの言語(ギリシャ語)以外を使っている(インダス、黄河、メソポタミアの)文明の存在を知らなかったためなのかしら? ついでに下記もご教示いただけるとうれしいです。 古代ギリシャ語で文化を指す語は? 古代ギリシャ語で文明を指す語は?

  • 現代社会の不安・焦燥感・閉塞感

    現代社会の不安 焦燥感に包まれる現代社会 閉塞感漂う社会 などと、すごくよく使われますが、この不安・焦燥感・閉塞感とはなんですか?それを具体的に定義、というか説明した文献ってありませんか? テレビのコメンテーターや町中の人がいう分には気にならないのですが、ちょっと有名な文芸評論家やその他の評論家の文章でも平気で使われます。格差・自殺・不況・犯罪・戦争などの文脈で使われるようですが、私は現在社会の閉塞感など一ミリたりとも感じません。ですので、何かの現象の根拠に社会的閉塞感なんていう言葉を持ち出されても一切説明された気分になりません。そこの因果関係ももちろん問題ですが。 個人がそれぞれ焦燥感・閉塞感・不安をもつのは当たり前ですが、それを「社会の」とまで一般化してしまってよいのでしょうか。共通した不安みたいなものでもっているのでしょうか?

  • 論理の間違いを説明する文の内容が、理解できません。どなたかもっと簡単に説明してもらえませんか?

    論理の間違いを説明する文 「大食いすべきかどうかを知るためには大食いしてみなければならず  大食いしてはならぬかどうかを知るためにも大食いしてみなくてはならぬ。したがって、いずれにせよ、(ひとは)大食いしなくてはならぬ」 上記の文は、すべてを網羅していないのに、網羅したと考えて結論を導く間違いの単純な例ということです。 {AのためにはBをしなければならない。CのためにはBをしなければ ならない。したがって、いずれにしてもBをしなければならない}が論理的に正しいためには、 「Aのため」と「Cのため」ですべての「~のため」を網羅していなければなりませんが、例文の場合では網羅されていないからです。←と説明されていました。 質問(1) すべてを網羅しなければならない、とありますが上記、大食いの例文での「すべて」とは何を指すのでしょうか? 質問(2) 「Aのため」と「Cのため」ですべての「~のため」を網羅していなければなりません←この文の意味が理解できません。 では「Aのため」と「Cのため」ですべての「~のため」を網羅する、としたらいったいどうなるのでしょうか? 説明できる方は、ぜひ詳しく教えてくだされば嬉しいです。 よろしくお願いします。

  • デカルトの神の存在証明

    デカルトは「我思う、故に我在り」によって、“不完全な存在である我が存在できる”のは“完全な存在である神が存在するからである”ことを証明したと聞きましたが、どうしてこのように考えられるのでしょうか。 不完全・完全とはどういうことか、なぜ不完全な存在だけでは存在できないのか、わかりません。

  • 唯名論と実在論について

    哲学はまったくの素人です。 薔薇の名前という小説を調べて普遍論争に興味を持ちました。Wikipediaで見ても専門用語が多くてよく分かりませんでしたが、私なりに以下のようなものではないかと思ったのですが、見当違いかもしれません。哲学を知らない人でも分かる言葉で説明していただけないでしょうか 唯名論:人間というのは田中さんや鈴木さんの集合体に付けられたラベルのようなもので人間という存在が入るわけではないという考え方 実在論:人間の特殊事例として田中さんや鈴木さんが存在しており、どこかに一般的な人間がいる(あるいは、かつてそういう存在があった)という考え方

  • (西欧の教会と国家)権力の分散と自由の発達との関係は?

    サミュエル・ハンチントン著、鈴木主税訳「文明の衝突」 神と皇帝、教会と国、宗教の権威と世俗の権威という二重性が、西欧文化に広く行きわたっていた。このように宗教と政治が分離していたのは、ほかにはヒンドゥー文明だけだった。イスラムでは神すなわち皇帝であり、中国や日本では皇帝すなわち神である。正教会では、神は皇帝に従属するパートナーである。教会と国の分離と両者のたび重なる衝突は西欧文明に特徴的で、他の文明にはまったく見られない現象だった。このように権力が分散していたことが西欧における自由の発達にどれほど寄与したかは計り知れないものがある。 さて、お願いです。 著者は、権力が教会と国家とに分散していたことが西欧における自由の発達に寄与したと、あっさり言っています。「権力の分散」と「自由の発達」との因果関係を知りたいです。 教会と国家の力が拮抗していて主導権を争うとすれば、両者が民衆を味方につける必要性から市民の力が大きくなり自由や平等の主張が声高になる、こういう仮説は思いつきます。一方でまた、教会と国家の力が拮抗していて強力であれば民衆は二者の圧迫を受けて忍耐の限界に早く到達するから自由や平等の主張も早い時期に声高になるだろう、こういう正反対の仮説も思い浮かびます。いずれにしても当てずっぽうの思いつきで、休むに似たりです。 人権思想の歴史や宗教改革の経緯に明るい方に著者の論理を代弁して欲しいです。もちろん、民主主義思想が西欧で進化した理由について著者とは見解を異にする説も拒否はしません。 よろしくお願いします。

  • n次元ベクトルの線型独立について。

    「3個のn次元ベクトルP1,P2,P3が線型独立なら、この内の2個のp1,p2も線型独立であることを証明せよ。」 Pnをn次元ベクトルとする。 P1(p11、p12、p13、・・・p1n) P2 (p21、p22、p23、・・・p2n) ・ ・ ・ Pn(pn1、pn2、pn3、・・・pnn) とする。 基底ベクトルを次のように定める。 i(1)、j(2)、k(3)、・・i(nー2)、j(n-1)、k(n) ベクトル外積P2XP3を次のように定める。 P2XP3 =|i(1)、  j(2)、 k(3) |  |p(21)、p(22)、p(23)|  |p(31)、p(32)、p(33)|  |i(4)、  j(5)、 k(6) | +|p(24)、p(25)、p(26)|  |p(34)、p(35)、p(36)| ・ ・ ・ ・  |i(n-2)、    j(n-1)、      k(n)| +|p(2、(n-2))、p(2、(n-1))、 p(2n)|  |p(3、(n-2))、p(3、(n-1))、p(3、n)| (と、n次元Vector外積を上記のようにしましたが これでよいのでしょうか?) とする時。 P1・(P2XP3)=C1 (C1はゼロでない) が成り立つとき、P1,P2,P3は一次独立である。 このとき (P2XP3)=C2  (C2はゼロVectorでないので。) が成り立つので、P2,P3は一次独立である。 故にP1,P2,P3が一次独立のとき 他の2個のVectorは一次独立となる。

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    • noname#111804
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  • n次元ベクトルの線型独立について。

    「3個のn次元ベクトルP1,P2,P3が線型独立なら、この内の2個のp1,p2も線型独立であることを証明せよ。」 Pnをn次元ベクトルとする。 P1(p11、p12、p13、・・・p1n) P2 (p21、p22、p23、・・・p2n) ・ ・ ・ Pn(pn1、pn2、pn3、・・・pnn) とする。 基底ベクトルを次のように定める。 i(1)、j(2)、k(3)、・・i(nー2)、j(n-1)、k(n) ベクトル外積P2XP3を次のように定める。 P2XP3 =|i(1)、  j(2)、 k(3) |  |p(21)、p(22)、p(23)|  |p(31)、p(32)、p(33)|  |i(4)、  j(5)、 k(6) | +|p(24)、p(25)、p(26)|  |p(34)、p(35)、p(36)| ・ ・ ・ ・  |i(n-2)、    j(n-1)、      k(n)| +|p(2、(n-2))、p(2、(n-1))、 p(2n)|  |p(3、(n-2))、p(3、(n-1))、p(3、n)| (と、n次元Vector外積を上記のようにしましたが これでよいのでしょうか?) とする時。 P1・(P2XP3)=C1 (C1はゼロでない) が成り立つとき、P1,P2,P3は一次独立である。 このとき (P2XP3)=C2  (C2はゼロVectorでないので。) が成り立つので、P2,P3は一次独立である。 故にP1,P2,P3が一次独立のとき 他の2個のVectorは一次独立となる。

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    • noname#111804
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  • n次元ベクトルの線型独立について。

    「3個のn次元ベクトルP1,P2,P3が線型独立なら、この内の2個のp1,p2も線型独立であることを証明せよ。」 Pnをn次元ベクトルとする。 P1(p11、p12、p13、・・・p1n) P2 (p21、p22、p23、・・・p2n) ・ ・ ・ Pn(pn1、pn2、pn3、・・・pnn) とする。 基底ベクトルを次のように定める。 i(1)、j(2)、k(3)、・・i(nー2)、j(n-1)、k(n) ベクトル外積P2XP3を次のように定める。 P2XP3 =|i(1)、  j(2)、 k(3) |  |p(21)、p(22)、p(23)|  |p(31)、p(32)、p(33)|  |i(4)、  j(5)、 k(6) | +|p(24)、p(25)、p(26)|  |p(34)、p(35)、p(36)| ・ ・ ・ ・  |i(n-2)、    j(n-1)、      k(n)| +|p(2、(n-2))、p(2、(n-1))、 p(2n)|  |p(3、(n-2))、p(3、(n-1))、p(3、n)| (と、n次元Vector外積を上記のようにしましたが これでよいのでしょうか?) とする時。 P1・(P2XP3)=C1 (C1はゼロでない) が成り立つとき、P1,P2,P3は一次独立である。 このとき (P2XP3)=C2  (C2はゼロVectorでないので。) が成り立つので、P2,P3は一次独立である。 故にP1,P2,P3が一次独立のとき 他の2個のVectorは一次独立となる。

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  • 論理の鍛え方

     他の友達、講義を受けている学生の方々をみていると、ちゃんと自分の意見が伝えられているのに、自分だけ、相手に伝えることが出来ません。  ここで言う、相手に自分の意見を伝える手段は紙です。  大学の課題に於いて、「述べよ」という自分の意見を主張する問題が多いです。 教授(講師)からは「言いたいことは分かるけど、論理的におかしい」という指摘を時々されます。  そういう指摘を受ける度に、自分は言語障害者なのか?と思ったりします。  論理を鍛える方法は何かないでしょうか?(知識でなく、実践的な方法として)

  • マルクスとエンゲルスについて

    よく左翼を語るときにマルクス・エンゲルスとセットにされていますが、両者はお互いにかなり異なる思想を持っていたと聞きます。 社会主義と共産主義の違いも良く分かっていないのですが、この二人はそれぞれどういう考えを持っていたのでしょうか?わかりやすい説明がいただけると嬉しいです。