考古学・人類学
- 人類が稲作を始めた理由が知りたい。
稲作の起源について調べていたのですが、どこでどんな風に始まったかを書いてある文献はあっても、ではなぜ稲作を始めたのか、作るのも食べるのも手間のかかる稲をなぜ作ろうと思ったのか、がいまひとつ解かりません。 「こうだと思う」と言う意見や考え方でも構わないので教えてください。
- 考古学(?)についての大学選びと学部選びで困っています。
こんにちわ。僕は今ニュージーランドの大学の工学部で勉強している18歳ですが、最近学部を変更しようと真剣に考えています。僕はもともとピラミッドやモアイ、インカの遺跡や地上絵はてはミステリーサークルや洪水伝説までちょっと謎めいたミステリー(?)などに大変興味を持っていたのですが、最近今の工学部に疑問を持つと共にそう言う昔から興味のあることを大学で専門的に勉強したいと思うようになりました。ここニュージーランドでは残念ながらそのような学部は見つけることが出来ず、自分でも出来れば日本の大学で勉強することが出来ればと思い色々と調べてみたのですが、僕の探し方が悪いのか自分の興味にぴったりと合う学部学科を探すことが出来ません。その前にそれが考古学でいいのかもしくは違う学科なのかすらもわからないでいる状態です。もしそう言う方面で勉強してらっしゃる方もしくはそう言う情報に詳しい方はぜひご回答お願いします。長々と読んでくださりありがとうございました。
- 古代の「脳内手術」?について
古代のマヤやインカの時代の物だと思うのですが(間違っていたらすみません!) 頭蓋骨に穴が開けられ、脳に手術?を施したと思われるものが出土してますよね? あれって、本当に今でいう所の「手術」だったのでしょうか? レントゲンもろくな麻酔手段や薬もない時代に、よくぞそんな無謀なことが出来たと感心するのですが。 それとも、「呪術」「拷問」などの類でそのようなことが行われたのでしょうか? 調べたところ、それが行われた後「生きていた形跡あり」と思われるものも出土しているーという記述もあったのですが本当ですか?(どうしてわかったのでしょう?)また、日本にもそのような物が出土していますか? 子供と話していて意見が分かれました。是非知りたいです。 どなたか、詳しい方の回答をお待ちしています。 よろしくお願いします。
- 家康の「伊賀越え」
「本能寺の変」のあと、家康が堺から岡崎に引き返すのに、服部半蔵の手引きで、木津からいまの307号線経由で伊賀越えした、という話(途中に記念碑もあります)ですが、 京都南部から伊賀越えするためには、伊賀忍者のライバルである、甲賀を通ることになるのですが、甲賀忍者の助けを借りた、という話はききません。明智軍から隠れて移動するのに、伊賀より京都に近い甲賀は、警戒が厳しいはずですが、服部半蔵に甲賀まで遠征させたのでしょうか。 「家康は明智の謀反を知っていた」というのは、有力な説だということも聞きますが、実際に伊賀越えしたならば、甲賀はどうやってパスしたのでしょう。
- 縄文土器・弥生土器について
僕はある高校の地歴部に所属しています。 いま、秋の文化祭に向けて土器を焼く計画が始まっています。 顧問の先生が言うには、実際に使うときに丈夫にしておくために、 粘土をこねている段階で何かを混ぜてから成型して焼くそうですが、 どの文献にも土器の焼き方について触れた文献はなく、 どうしたらよいのかわかりません。 どなたか縄文土器・弥生土器について詳しい方、 粘土の段階で何を混ぜていたのか教えてください。 「本で見たよ。」という方は、 その本の名前・著者名等も教えていただけるとさいわいです。
- 日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社について
日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社が世界遺産に指定されたのはいつだったでしょうか。お教え下さい。
- 日本語はいつから話していたのか
古代の日本で日本語はいつから話されていたのでしょうか。縄文人は日本語を話していたのか、別の言語、たとえばアイヌ語を話していたのでしょうか。 弥生人は渡来人という説がありますが、そうするとこの人たちは何語を話していたのでしょうか。卑弥呼は? 実はバルセロナの大学生たちに日本語の歴史について話すことになったのですが、ここのところがどうも分からなくて。
- 考古学かどうか分からないのですが・・・
この前フランスに行った時、フランスは土葬ということをききました。政府は火葬をすすめているそうですが自分の体がなくなることが受け入れられないらしくほとんどのフランス人が土葬をしているそうです。そこで私は国によって、宗教によって埋葬方法は違うので、いろいろな国、宗教、また古代の埋葬方法やなぜそうするのかという理由を知りたいと思いました。国や宗教による死生観の違いなども知りたいです。詳しい方がいらっしゃいましたらぜひ教えて下さい。よろしくお願いします。
- アブ・シンベル神殿について、
ラメセス2世のアブ・シンベル神殿には一年に2回朝日が神殿の奥まで届く様になっていると聞きました。1年に二度と言うので春分の日と秋分の日と思いましたが吉村作治先生監修の「ラメセス2世」創元社にははっきりと書いてありませんでした。もし詳しく知っている方がいらっしゃいましたら是非教えて下さる様宜しくお願いします。
- 考古学をせんこうして・・・
大学で考古学をならって将来なにになれるんですか? 考古学あつかった仕事を一生の仕事にしようと思ったら どんな仕事があるんですか?
- 縄文時代の民衆文化に詳しい方いませんか?
縄文時代の女子の髪型において、髪の毛を「団子」みたく固めるような結い方の1つとして、太い棒のような形に結ぶ髪型があった、というのを資料で見ました。 http://www.wnn.or.jp/wnn-history/jomon/manga/b10-10.html これの、真ん中の奴です。 しかしこれ、髪型の名前の記述がありません。それが分からなくて困っています。 誰かご存じの方、よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- noname#25358
- 考古学・人類学
- 回答数1
- フランシスコ・ザビエルはどうしてインドにいるの?
以前インドを旅した時、ゴアと言う町にザビエルの 遺体があったのですが、なぜインドにあるのでしょうか? たしかにザビエルはインドに行ったことがあると思うの ですが、亡くなったのは中国では? しかも、出身はスペインだかポルトガルでは?