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絶対国防圏

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  • 絶対国防圏について

    絶対国防圏が崩壊したことによって敗戦濃厚となっていくわけですが、この絶対国防圏の成立経緯について詳しく知っている方いらっしゃいましたらご回答お願いします!!

    • bunn415
    • 回答数2
  • 第二次大戦について

    絶対国防圏が設定された時期、目的、範囲をおしえていただけませんか?

  • 日本の今までの歴史教育は間違っていたと思いますか?

    日本の今までの歴史教育は間違っていたと思いますか? 65年前の敗戦ショックから 絶対謝罪主義。 日本否定主義。 を徹底して日教組を中心として 日本人を洗脳してきました。 その結果 自分の国を愛せず 北朝鮮を地上の楽園といったり 自国の領土を侵略されているにもかかわらず スターリンは優しいおじさんと 報道されたりしました。 僕は小さい頃から歴史が大好きで 小1で漫画日本の歴史を入学祝にもらったのを 皮切りに、小2の終わりに父が書斎の飾り用に ブリタニカ百科事典を買うとそれで歴史を研究し、 小3の頃からには旧漢字の辞典を祖父から譲り受け 明治以降の古文書であれば読解できるようになりました。 そして読めば読むほど、報道の内容と 実際の歴史がおかしいことに気付きました。 小中で教科書どころか百科事典の知識まで 詰め込んでいましたから、歴史に関しては 左翼の大好きな言葉ですが「理論武装」が 出来ていました。 小中の教師は私と歴史で意見衝突することは ありませんでしたが、高校に入ると新設校と いうことで日教組が入り込んできていました。 ガチガチの日教組教師で 夫婦別姓 敗北主義史観 特ア絶対主義者 社会主義信奉者 セクト主義者 でした。 この教師の日本人の癖して 日本の批判ばかりを繰り返す 歴史の授業には正直閉口しました。 神話は嘘ばかり こんな嘘ばかり戦前には教えていたから 日本はウソつきで汚いやり口で 中国の東北部を奪いましただの 勝手に生命線っていってるけど 生命線だの絶対国防圏だのと さもなくちゃならないことのように ゆってるけどそんなもの最初からなかった 一部の既得権益者の利益を守らされるために 日本人は愚かな戦争をしましただの もっともらしい口調で日本人なのに 日本批判を繰り返していました。 そりゃ自己批判することは 自分を成長させるために 大事なことだし、必要なことです。 だけど、こんな話聞いて 日本人が日本を愛せますか? 率直に私はこの教師に まがりなりにも日本史の教師なら 日本人の先祖はこんなに素晴らしかった。 こんなに偉大だったと、 日本を好きになるような歴史の 教え方を考えてください。 こんな話聞いていれば 私らの祖父母の世代は犯罪者だから 祖父母なんかこえだめにはめて 殺してしまえばいいといってるようにしか 聞こえません。先祖や年上を敬わない国が どこにありましょうやといいました。 しかしそういう主張をすれば、 直ぐ右翼のレッテルを張られ 歴史は反省の上に立つものだ。 ともっともらしいことを言って 全面的に否定してくるのでした。 日教組の組織自体が異常なことは 小1の担任の行動から感じていました。 それというのも小1で入学してきた我々に対し 担任教師が6月にジューンブランドで結婚式をあげるので 結婚旅行も兼ねて、6月全休しました。 4月に入ってきた生徒を2カ月で放置? これにまず疑問を感じました。 7月に戻ってくるかと思ったら7月も戻ってこず 「産休に入りました」 という教頭の話で終業式にも出ずに夏休みへ。 夏休み明けに戻ってくるかと思ったらまだ産休。 11月まで産休で休んで、 12月からやっと出勤。 翌年2月にはまた産休に入り、 今度は交替要員の臨時教師がきました。 病弱な教師だったのかもしれませんが 私にはそうはみえませんでした。 それにしてもこれだけ休みまくっていて なんでいいのか臨時教師に聞いたら 日教組だからといってました。 日本の大事な教育を任されている教員だから その教員の健康管理を含めた福利厚生は 充実していないと心にゆとりがなければ まともな教育はできないでしょ という臨時教員の説明でした。 いちいち正しいことだし、もっともらしく 聞こえるのですが、それにしても 入ったばかりの生徒おきざりにする 無神経さが、なんとなく、そう、 のどの奥に小骨がささってひっかかるような いやな感じが残りました。 以上の様な事から私はどうも日教組による 極端な絶対謝罪と日本完全否定主義が 日本の歴史教育を間違った方向に進め過ぎた結果 特アとロシアをよいしょしすぎたために 最近の特アとロシアの増長を招いたと 思っています。 皆さんはどう思いますか?

  • 日本の戦争目的はアジアを独立させる為と言う根拠。

    開戦後間もない1942年1月21日に帝国議会で東条英機がした施政方針演説の内容があります。 http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/pm/19420121.SWJ.html ここには 「大東亞共榮圏建設の根本方針は、實に肇國の大精神に淵源するものでありまして、大東亞の各國家及び各民族をして各々其の所を得しめ、帝國を核心とする道義に基く共存共榮の秩序を確立せんとするにあるのであります」 とあります。 『大東亞の各國家及び各民族をして各々其の所を得しめ』というのは、それぞれの国・民族毎に、それにふさわしい位置づけを与える、って意味の日本語ですね。 細部はともかく、この史料にある様な、占領地域毎に(日本側が考える)適当な地位を与える、日本の領土(直轄領などの植民地)にする所もあれば独立させる所もあるし、独立させる所でも“海軍は持たせない”程度のフィリピン、“軍事・外交・経済も日本がコントロールする”ジャワ島、等と言った様な差をつけるつもりだった事の反映です。 「帝国を核心とする」と言うのは、日本を中心とすると言い換えても同じですね。 そして、上記の引用の少し後に 『此の建設に當りましては、大東亞防衞の爲め絶對必要なる地域は、帝國自ら之を把握措置し、其の他の地域に關しましては、各民族の傳統、文化等に應じまして、戰局の進展に伴ひ、それぞれ適當なる處置に出ずる考へであります 』 とあります。 大東亜共栄圏の建設に当たっては(一応ここでは日本ではなく)大東亜防衛の為に絶対に必要な地域は「帝国自らが把握し」其の他の地域に関しては「後で、適当な処置をするつもり」って言っていますよね。 「帝国自らが把握し…」と言うのを独立させるつもり、と言う意味で理解する日本人は、当時でも今でもまず居ないでしょう。 さらに1941年11月20日大本営政府連絡会議決定「南方占領地行政実施要領」 (レファレンスコードC12120209400)からの引用です 『第一、方針 占領地に対しては差し当たり軍政を実施し治安の恢復、重要国防資源の急速獲得及び作戦軍の自活確保に資す 占領地領域の最終的帰属並に将来に対する処理に関しては別に之を定めるものとす』 『第二、要旨 (略) 七、国防資源取得と占領軍の現地自活の為民政に及ぼさるるを得ざる重圧は之を忍ばしめ宣撫上の要求は右目的に反せざる限度に止むるものとす 八、(略) 原住土民に対しては皇軍に対する信倚を助長せしむる如く指導し其の独立運動は過早に誘発せしむることを避くるものとす。』 東南アジアの当面の占領地行政の主目的が、資源獲得と駐留する軍の自活だった事がわかります。 そういう軍事上の目的が最優先である以上、現地住民に掛かる重圧は我慢させ、住民の支持を獲得する為に求められる事も軍事上の目的に反さない限度に止め、独立運動が盛り上がり過ぎない様にする、と言う意味ですね。 そして、これがこの質問には一番関係しますが、占領地域の最終的帰属(=例えばいずれ独立させるかどうか)は別途考える(この時点の大本営政府連絡会議は検討していなかったので、後で、と言う意味)とあります。 これが、真珠湾攻撃約2週間前の、事実上の最高決定機関である大本営政府連絡会議の方針です。 これは有名な資料ですが、1943年5月31日御前会議決定「大東亜政略指導大綱」(レファレンスコードC12120280400)からの引用です。 ~~ 第一 方針 (略) 二 政略態勢ノ整備ハ帝国ニ対スル諸国家民族ノ戦争協力強化ヲ主眼トシ特ニ支那問題ノ解決ニ資ス (略) 第二 要領 (略) (イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム ~~ “政治戦略は、占領地の民族を日本の戦争により強く協力させる事を主眼に行う”、“その為に、現在のマレーシアとインドネシアは、日本の領土に組み込む”、って事ですね。 さて… これらの資料から『日本の対米英蘭戦争がアジアを独立させる事を目的にしていた』と言えるか…言える訳がありませんね。 『取り敢えずは軍政をひくがいずれは独立させるつもりだった』のでもありませんね。 そう言うつもりだったら、真珠湾攻撃のたった2週間前の時点で『占領地域の最終的帰属は後で考える』なんて言っていた訳がありませんからね。 独立させる事自体が目的であれば、最終的帰属は議論するまでもなく『独立』に決まっています。 では、仮に日本が負けずに東南アジアを占領したまま講和出来ていたらどうなったか、これも悩む様な話ではありませんね。 東條英機が施政方針演説で言っていた『大東亞の各國家及び各民族をして各々其の所を得しめ』、つまり日本の植民地になった所、独立した所、独立した中でも実質的な独立の度合は様々、って状況が取り敢えず実現したでしょう。 勿論、史実は日本は負けたのでそうはならず東南アジア諸国は英仏蘭と戦ったり交渉したりして独立したのと同様に、日本も戦争や交渉の結果、植民地を放棄する事になったかも知れませんけどね。 スローガンとしてアジアの“英米支配からの解放”は言っても、それらの地域の“独立”なんて事はスローガンとしても言っていませんでした。 あくまで英米支配からの解放であって、それらの地域に独立を日本が与えるかどうかは日本の判断(必要な地域は領土にする)と言うのが、東條英機の施政方針演説の様な公式発言にすら現れる日本の方針でした。 東南アジアの占領は一時的にせよ、その地域の英米(&オランダ)の支配を覆しただけで、 それを『アジアの“独立”が日本の目標』って事にすり替えている人達が《現在の》日本、特にネット上等では「東南アジアは感謝している。」とか最初からアジアの独立の為に日本は戦った「アジア解放戦争」だと言う意見が多いのですが、一体何を根拠に言っている事なのでしょうか?

  • 洋上移動の発電所と原子炉等の地震への対策について

    表題に関する疑問等を、乱文乱筆ですが色々述べたので、様々な立場からご回答いただければ幸いです。 現在、洋上風力発電所等が検討されていますが、そもそも船等にそれらを積んで移動させることはできないのでしょうか。 例えば、老朽化したタンカーやフェリーなんかを買い取ってその甲板上に風力発電機や太陽電池を並べればどうでしょう?風力発電や太陽光発電はそのときの風力や太陽光によって左右されると聞きますが、船だと条件の良いところで移動して発電できると思うのですが・・・。 沖合いで発電してケーブルかなにかで地上の変電所に接続して送電するというものです。(もっともこの送電あたりに技術的難点がありそうですが・・・。ただ、今の沿岸部の発電所の近くには送電のための変電所があるのではないでしょうか。) 甲板の狭さは船を改造してなんとかなりそうな気もします。(第二次世界大戦中に民間の船にかなり広い飛行甲板を設置した護衛空母というものがあったと記憶しています。飛行甲板のかわりに発電用甲板というものを設置し風力発電機や太陽電池を搭載することは不可能なのでしょうか。) また、原発の周辺に防潮堤を作るという話も聞きますが、上記のような船を使った発電所に原子炉を搭載して発電させることは不可能なのでしょうか。 (原潜は水没していますし、加圧水型原子炉は原潜の技術と深い関係があると聞いています。上記のような船だと原発立地のための用地買収にかかる費用等は不要でしょうし、原潜は戦闘してダメージを受けることも当然想定しているとすれば、大型船舶に原潜の原子炉を参考にした原子炉を搭載して発電すれば安価で比較的安全な洋上発電所ができると思うのですが・・・。無論この場合、老朽船では無理かもしれません。) 風力発電機や太陽光発電、各種火力発電(場合によっては原子炉)とも併用した発電用船舶というのは無理なアイデアなのでしょうか。 また、原子炉が想定外の地震がきて高波に襲われることを危惧して防潮堤を高くすることが報じられていますが、費用が高くつく割に効果に疑問がわきます。(東北地震も想定外の規模だったわけですし、貞観年間をさらに千年、1万年さかのぼれば、もっと大きな地震があった可能性もあるのではないでしょうか。) 現在の地震対策を見ていると第二次世界大戦末期の日本軍をみているような気がします。東海地震の対策の強化といっていますが、実際それ以外の地域(阪神大震災や東北地震)で大地震は起こっています。絶対国防圏といいながら米軍の侵攻地点を読みきれず、結局他の地点や陽動作戦により次々に兵力を失い、サイパンを失った日本軍のように思えます。日本全体が地震地域にあるとみるべきで、特定地域の大地震に備えるということはあまり意味がないのではないでしょうか。また、上記の防潮堤も、飛行甲板の防御ばかり厚くして戦果乏しく米潜水艦に簡単に撃沈された空母大鵬のような気がします。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%B3_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E5%9B%BD%E9%98%B2%E5%9C%8F 防潮堤を築くより、全部水没しても浸水しないように建物や機器を改造、改築する措置をした方が合理的で安価なような気がするのですがどうなのでしょうか。 (携帯電話にも防水型がありますし、防水のシートやゴムのようなもの(伸縮性のある良いもの)を建物、機器に何重にも覆ったり、建物を根本的に改築したほうが早いと思います。あるいは原子炉だけでなく、発電機や関連施設そのものも格納容器で覆ったら良いのではないかともおもいます。) 以上、乱文乱筆ですが最近の報道等を見て思いついたことを述べました。個別の部分でも結構ですので、色々回答いただけれと思います。 よろしくお願いします。

    • aegis9
    • 回答数5
  • 牟田口廉也は無能なのか?

    牟田口廉也は無能なのか? の質問があったので以下投稿しました すると不支持の方がいた 具体的に何が不支持なるのか意見を下さい 興味のある方願います 少し加筆しました インパールの失敗は 戦後しばらくは罷免された3人の師団長(佐藤、柳田、山内)が無能とされてた 現在は牟田口廉也軍司令官が悪者となっている そして独断撤退した佐藤幸徳第31師団師団長が英雄になってる この東部インドへの進行作戦は、昭和17年に南方軍が第二段作戦として準備を発令 この時、第18師団長だった牟田口は兵站困難の為反対している その後は、ガダルカナル、ニューギニア線があり、保留に その後ビルマ周囲に英中軍が兵力増強してきたため、日本軍も師団を増強 第15軍の一軍だけでは手に追えなくなるので、上部のビルマ方面軍を新設 同時に大人事異動が行われ、この時、牟田口は第15軍司令官に昇進 牟田口は師団長時代とは違い、今度はこの作戦を進行させる立場になった この異動で西ビルマ方面の地理地勢敵状に通じているのは、牟田口軍司令官のみとなる その為、参謀達を一般論として受け付けず、自ら作戦計画書を加筆したとも伝わる 作戦反対の参謀、参謀長を更迭も行った 牟田口は、陸士陸大で恩賜ではなかったものの、省部勤務が長く、部隊勤務も近衛部隊長を経験し、かなりプライドが高かった だから、特に歩兵科出身者にありがちな皇軍精神論の持主であった だから、気合と根性で人を判断し、人事をないがしろする一面があったようだ その結果は、一介の軍司令官が前代未聞の親補職の師団長解任を3人も行なった。 また、支那事変は自分が始めたので何か自分でカタをつけなければ、という思いがあった だから、牟田口はビルマ方面軍、南方軍、大本営に、インパール作戦を強く要望している 牟田口には、全体像の日本国、全陸軍の情報がなく、自分の担当範囲のビルマ、インドが全てで、そこに猛進していた それでカタをつけた事になると思っていた 大本営の思惑としては、南東方面、中部太平洋方面が押されているので、 絶対国防圏外郭での作戦成功で、戦果の自負と国民の戦意高揚を欲していた一面がある これは大陸打通作戦にも期待されていた また、たった3コ師団くらい現地軍まかせて、どうでも良いと考えていた インパール作戦は日本陸軍が大好きな攻勢防御 と言うか 陸軍大学でそういう教育をしている 日本軍勢力下の外郭要地を望むのは当たり前の事 現在の牟田口廉也像は、生還者、作戦に反対派だった参謀、部隊長達が、一部の牟田口の言動をとらえたり、生還した士官に皇軍士官としての敬礼、軍装品の不備を叱責された事を恨めしく思った一部の極端な一面のようだ また牟田口は作戦にあたり、自動車、輜重兵中隊、合わせて300コを南方軍に要求している その数は全陸軍が保有する中隊数を超える数であった 要求数は、ビルマ方面軍により減らされ、減らされたその数も南方軍の手持ち数を超えており、 南方軍の答申は要求数の2割りだった しかし、この兵站部隊が減らされたのに作戦は実行しなければならなかった ここは、牟田口の責任ではなく、ビルマ方面軍、南方軍の責任である 苦悩の末、参謀のアイデアを採用して、物資を水牛に駄載運搬、必要時に食料に使う、一石二鳥のジンギスカン作戦を採用する 結果はこの地方で徴発した動物は物資運搬には適さずアイデアは成功しない 良く誤解されるが 上部司令部の作戦命令に、第15軍には兵站の不足の状況があったが、命令を達成するために苦悩の末、採用したアイデアである 牟田口が個人的に先走った作戦ではない 日本陸軍は与えられた兵力で目的達成しなければならない 開戦時のフィリピン作戦の失敗が良い例だ 実際問題として、作戦中の3個師団の報告、命令、事務を一人の人間が行うことは不可能だ 作られた作戦計画は、奇襲により短期で敵地を抜き、敵根拠地で食料を得るという、日本陸軍の通例の作戦だった 特に牟田口だけが採用した特殊な作戦ではない 結果の敗戦は牟田口が軍司令官でなくても大同小異 たまたま、そこに牟田口が居ただけ 特に牟田口だけ能力が劣っていたわけではない 第15軍司令官という職責がそうさせた 牟田口自身は、後年作戦失敗を、天皇に詫びる気持ちと、戦死戦病死した将兵に詫びたい気持ちだったようだ ただ、戦後に英軍が危機だったことを聞き、自分の作戦は正しかった事の主張が多くなった。 これが嫌悪感を高めているようだ ただ、出身の北九州では兵を可愛がる良い将軍と人気があった 牟田口は、司令部に家を建て、芸者を呼んで宴会をしていた これが戦場帰りには不快に感じられたようだ 命令違反退却して英雄視されている佐藤幸徳第31師団長は、 食料不足で苦しんでいるときに、前線に慰安所を設置しようとしたり、 兵達がテントを過ごしている中、師団長の為の豪華な家を建てさせている 軍司令官、師団長という親任官は、感覚がズレていた たとえ戦場においても、そういうものなのだ 特にビルマだけ、おかしいものではない 兵隊と同じ兵食を食べたり、減食すること等、庶民の兵隊と同じ生活をすること自体、おかしいと考えられていた 上官ほど良いものを食べ、良い生活するのは、高等官は当たり前の事 特に親任官は、戦場においても、それだけの格式、優雅な生活をしていなければならなかった これは、現在の官僚体質や、国会議員、大臣と同じと言えるかもしれない 戦場で刺身を作らせた事や、担当兵に梅干樽を担がせて移動したこと事を、大問題と投稿されている方もいるが、この戦場の生活スタイルは、当時は当たり前のもの 平等という考えは存在しなかった 軍司令官、師団長は親補職であるから兵にとっては天皇と同じ 兵と一緒にとか、同じなんていうのは、映画で作られた虚像 ただ、100%そうだったかと言うと、一部にはそういう考えの人もいたのは事実 でも内容は違った 感覚はズレていた 本当に兵の生活を理解している人は居たかどうか…。 少尉だって学校出ただけで奏任官であって、それだけの待遇があって当たり前 戦時国際法でも、捕虜の兵は使役に使っても良いが、少尉の士官は免除された これが当たり前 まして、軍司令官、師団長の中将なら当たり前 捕虜になっても、軍司令官、師団長の中将は、その格式の食事給養がされる 捕虜収容所の所長が中将より階級が下であったら、たとえ相手が捕虜でも、所長から先に敬礼しなくてはならない 参謀は作戦に反対意見を述べる事はできるが、どの意見を採用するかどうかは軍司令官の判断 実際米軍と違い、日本軍の主義として、司令官が直接主導権を取らず参謀長が決定するのが通例 これは師団長も同様 司令官自ら決定しなければならないのは、参謀長をもたない旅団長まで 軍司令官により決心された作戦を、細部計画を立案するのは参謀の仕事 これも師団長も同じ 決定に逆らった参謀は罷免、更迭されるのは当然 同じく、決定、命令に従わない師団長が罷免、更迭されるのも当然 また、部下は意見具申はできるが決定事項に従うのは当然 米軍は、作戦が計画通り進まないのは戦意が欠けると、戦場で師団長解任が行われている 日本の場合は、師団長が親補職だから大きな問題として注目されている 実際は、本当に牟田口司令官個人から発せられた解任かどうかも不明 日本軍は、米軍と違い、参謀、参謀長を無視して軍司令官が直接命令を発する事は不可能 師団長に命令伝達するのは軍参謀長 師団長が報告行うのは軍参謀長宛 結局、慌てた南方軍が解任された佐藤師団長を精神異常として処理、予備役編入されている 同じく、牟田口廉也も作戦失敗の責任を取らせる形で予備役編入されている ただ直ぐに召集されて予科士官学校長になっている また佐藤幸徳もすぐに召集されている 陸軍の評価としては、作戦失敗の責任で予備役編入しているが、それ以上のおとがめ無しですぐに召集している これは親補職であったからと言われる 牟田口の予科士官学校長は、軍司令官経験者としては格下、かなり責任を取らされた形である 戦後の評価は、佐藤ら3師団長だったが、現在は牟田口軍司令官に変わっている しかし、牟田口廉也が無能で佐藤幸徳が有能とは一概に言えない 失敗=最終的な作戦立案した参謀の問題 第15軍のインパール作戦失敗は結果論 更に言えば、一番の問題は、作戦開始を命令し作戦中止命令の遅れた上部のビルマ方面軍司令部 個人を言うならビルマ方面軍司令官の河辺正三大将 だから牟田口個人を一概に無能とするには当たらない 誰が司令官でも結果は大同小異 内容はガダルカナルやニューギニアと同じ 問題は3人の親補職の師団長が作戦中に解任になった事 親補職であることが問題 ガダルカナルでも川口清武旅団長が戦場で解任になっているが、親補職でないので全然問題になって無い 牟田口廉也無能論は、戦後随分たってから発生した結果論 当時の一般的な軍司令官 中将で師団長のあとに予備役にならず、軍司令官に昇進できただけで大したもの。 結局、日本の軍司令官の資質ってこんなもん そういう教育しか受けていない だから牟田口廉也個人を無能とするには当たらない どうでしょう? 私の意見 師団長時代と違い今度は進行させる立場になった 自動車、輜重兵中隊、合わせて300コを要求 与えられた兵力で目的達成しなければならない 敵地で食料を得る通例の作戦 牟田口だけが採用した特殊な作戦ではない 個人的に先走った作戦ではない たまたま、そこに牟田口が居ただけ 職責がそうさせた 当時の一般的軍司令官 誰が司令官でも大同小異

  • 歴史のif、絶対国防衛圏

    「絶対国防衛圏」って、ここを破られたら国を守れない、ってことですよね? その線引きをしておきながらそこを破られた時点で戦争を終わらせられなかったことが悔やまれます。色んな事情があったにせよ。 もし「絶対国防衛圏」を破られた時点で、天皇陛下の聖断が下って、降伏(その時点ではカイロ宣言受け入れ?)した場合、その後の歴史はどうなりますか? 史実でも宮城事件(クーデター未遂)があったのだから、クーデターが起こるのは想像できますが、それを鎮圧できずに内戦になるでしょうか?また、B29によって全国が焦土にされないこと、特攻隊などの作戦が行われないこと、その後の玉砕戦もなくなるなどで、多くの命が助かり、その後の復興にどう影響したか、やはりソ連に侵攻されるのか、アメリカは原子爆弾をどこで最初に使うことになるかなど、その後どんな歴史になったでしょうか? その時点で聖断なんてできない、などの質問の前提否定はご遠慮ください。タイムトラベルして天皇陛下や陸海軍大臣、参謀総長、軍令部総長などを説得してでも聖断してもらいます。また歴史のifを認めない方もご遠慮願います。

  • 尖閣国有化って何のこと?

    尖閣を国有化した、っていう意味がよくわからないので。 状況は同じことじゃないのか? と。 何が、同じこと、かっていうと、 尖閣に限らず、日本の土地は誰が所有権を登記していたにしても、その土地の領有国はもともと日本なのでは? だからこそ、今まで日本は尖閣を地権者から借り上げていて地代を支払っていたのだけど、 その借地権者は日本国で、日本国が栗原家に地代を支払っていたのだろうと。 つまり、日本国は今まで栗原家に対して地代を支払っていたのであって、中国に対して地代を支払っていたわけではない。それは、中国は地権者でもないし、領有国でもないからだろうと思うんですが。 それに、栗原家は領有国である日本国とか沖縄県とかに対して固定資産税なんかも払ってたんだろうし・・・まさか栗原さんは、中国に対しては、何か税金とか手数料とか、払ったりしてないですよね? 今回もし、石原さんが問題を起こさず、それに釣られて野田さんが苦し紛れに買い取りなんてことをしなかったとして、 もうしばらくして、失礼ながら、もし栗原家が断絶して遺言もなく、遺産を相続する者がいなくなれば、 当然ながら尖閣も自動的に、国有化されることになるんでしょう? その場合には、権利の混同っていうのかな、底地権者と借地権者が同じになる。 その場合とどう違うのかと。 その場合にも、日本が国有化したみたいなことになるのは同じだし、そうすると中国はやっぱり大騒ぎするのかと。 あらかじめ言っときますが、 回答は、なんかわかりにくくなりそうな気がするし、 国際法的にとか、国民感情的にとか、いろいろ分けて答えていただきたいけど、 どう分ければいいかわからないし、どのジャンルで質問したらいいかもわからない。 だいたい質問内容もどうもあいまいな感じだけど、問題の整理の仕方もよくわからないし、 それも併せて、こんな質問でも答えてもらえたら嬉しいです。 質問文に指示代名詞多くてすみません。これもよくわかってないないことの表れです。 とりあえず、このジャンルで質問しますので、いろいろ関連の回答も含めて、よろしくお願いいたします。

  • 国防軍と徴兵制について

    日本に国防軍は必要ですか? それから、徴兵制は必要ですか? 徴兵制にするなら、女子も徴兵の対象でよね?

  • 山本五十六はアメリカのスパイ?

    真珠湾とミッドウェイの作戦はアメリカに筒抜けだった様ですし、山本五十六が「連合艦隊長官を辞任」と脅かし両作戦を強行したとか。アメリカが望む様に日本が開戦し、その後は負ける様に仕掛けた感じがしますが、山本五十六はハーバード大学にいる間にアメリカに洗脳され、スパイにでもなってしまったのでしょうか?その後も陸軍の脚を引っ張るように海軍は負け続けるし、何だか臭い感じがするんですが単なる気のせいでしょうか?そもそも陸軍の思惑通り、ロシアの南下を防ぐ為に満州に駐留し、東南アジアの資源を確保すれば国防上は十分だった筈なのに、どうしてアメリカに戦争を仕掛けたんでしょう。アメリカ通の山本五十六にしては、とても不可解な仕業だと思います。それに最期も暗殺された様な形だし、アメリカのスパイだったんでしょうか?

  • 日中間の武力戦争発展への恐怖心がおさまりません・・

    日本と中国は武力紛争に発展してしまうのでしょうか・・・? 昨今の中国の、日本に対するデモなどのニュースを見て、 毎日おびえています。 誰も、紛争に発展する可能性などわからないと思いますが、 私は今、不安でどうしようもない気持ちでいっぱいになってしまっています。 戦争で死ぬのは絶対に嫌です。 大切な人を戦争で失うのもはもっと嫌です。 どうすれば、この気持ちは落ち着くのでしょうか。。 考えても仕方のないことなのに、怖くて涙が出てきます。

    • noname#160981
    • 回答数16
  • なぜこの時期、野田政権は尖閣諸島購入契約を実行

     なぜこの時期、中国国内の反日行動がエスカレートし易い、満州事変(柳条湖事件)直前の時期に、野田政権は尖閣諸島購入契約を実行したのでしょう。  おそらく野田政権は、今回の中国国内の反応を予見していた筈です。  それなのに、あえて実行した理由が分かりません。  何か、日本国民に知られたくないことがあるのでしょうか?  それとも、民主党首選の再選に有利に働く筈と考えているのでしょうか?  何故この時期を選んで、購入契約を実行したのでしょうか?

    • noname#212854
    • 回答数8
  • 日本の製造業はもう危機的?(空洞化撤退中国移転

    こんにちは。前置きが長くなりすいませんがお聞き下さい。 まず、日本の製造業が空洞化して日本から製造業が消えつつあるという記事をちらほら見るようになり気になって調べました。シャープという日本を代表する企業が台湾に買収という程度のことだと思っていたら、そうでもないようです。 日本の製造業は総崩れです。専門家が言ってますので http://engineer.typemag.jp/trend/2012/04/post-31.php ソニーですら大赤字なのです。 次のデータ示します。ソニーの連結決算の推移です。 http://profile.yahoo.co.jp/consolidate/6758 3年前40億の赤字だったのをはじめ、今年は4000億の赤字です。すさまじい。トヨタは確か数年前7000億の営業利益だったったのですよ。4000億という数字は大企業としてもすさまじい赤字、危機的だといえます。日本一の企業が。 幸いトヨタは黒字推移のようです^^;ま領土問題で一気に冷え込んだと思いますけど、結果が出るのは次です。 ここまで来るともう日本の企業はだめですね。 テレビが日本ではもう作られなくなった。半導体はピンチでルネサス(確か日本一)という合併会社が作られもののそれすら経営が苦しく危機的。しかも半導体はきわめて高度が技術がいり、日本の代表的な生産物だったことを考えればもう目も当てられないくらいです。教科書でも習いました。 ps2を持ってますが、ああいう高度な機械ですら今日確認したら中国製で、残念ながらまったく故障をしておらず品質がいいです。東芝のテレビ、東芝のDVD,シマムラとアベイルの服を持ってますが、残念ながら全部中国製です。残念ながら?何の故障もしてません。 エプソンの最新のプリンター、これはフィリピンです。かつて話題だった100円ショップから始まり、最新の高額機械まで中国製になってます。中国でなければ日本ではなく、ほかのアジアって感じです。 質問した趣旨はこうした現実を知らない人には知ってほしいと思ました。 さて質問なんですが 本当に日本の製造業は危機的で、空洞化が激しいのか? 日本から今後製造業がほとんど消えてしまうのか? 皆さんの周囲ではどんなことが起きているのか? どうやったら復活するのか? 今後日本、特に政治はどうしたらいい? というのが私の質問です。前置き長くてホンとすいません。よろしくお願いします。

    • noname#163776
    • 回答数15
  • 山本五十六や山口多聞が生きていたら

    僕は二人とも名提督だと思うのですが、仮に彼らが生きていたらマリアナ沖(恐らく起こると勝手に予想しました。)や戦争の行方はどうなったと思いますか?。。。。アメリカ海軍も二人とも名提督と認めているみたいですし…また史実どおり講和がならず日本が降伏した場合、二人とも戦犯で裁かれる可能性はあったのでしょうか?

  • 祖父から聞いた戦争エピソード

    祖父や近所のおじちゃん?から直接聞いた戦争のエピソードを教えてください。 祖父は私が中学生のころ亡くなりました。 もっといろいろ聞いておけばよかったと思うのですが、うっすら覚えている戦争の話があります。 ・土手のようなところで敵(中国)と遭遇したけど怖いからみんな土手から手だけ出して銃を打っていた。だからちっとも当たらなかった。 ・補給部隊に所属しているときトラックで移動中爆破されて意識も飛んだ。気づいたら原っぱで祖父は血まみれ、一緒に乗っていた人はほとんど死んでいた。それで内地に戻されて九州の温泉で治るまでゆっくりできた。 ・小笠原諸島に配属されて敵の飛行機を撃ち落としていた(もしかしたパパブッシュ大統領を撃ち落としたのはうちのおじいちゃん?)。 ・軍服の徽章や靴下がないと上官に殴られた。で、仕方なく夜同僚のを盗むしかないから、結局盗み盗まれ・・・で、みんな大事なものを布団の下などに隠しながら寝た。 決して精鋭?ではなかった祖父ですが、体に数箇所の銃創を負い(ひざは貫通していた)、何度も死にかけて戦い抜いたそうです。勇ましい話だけでなく、もっといろいろ聞いておけば良かったなぁと思います。

  • 「わたしは貝になりたい」あまりにショック

    「わたしは貝になりたい」のビデオを見ました。大変ショックでした。なぜ、直属の上司は有期刑で命令で仕方なく実行した二等兵が絞首刑なのでしょうか。わたくしはこのビデオを見て、「戦争は二度としていはいけない。」という感情より、「アメリカが憎い。」という感情が先に経ちました。B29によって街を焦土とされ、多くの犠牲者を目の当たりにした日本兵が、森に逃げ込んだ米兵をリンチ殺人した。たしかに、国際法で捕虜の命を奪ってはいけない。たしかにそうだか、敗戦の色濃い日本人、目の前で家族が焼かれる姿を目の当たりにした日本人が、感情的に撃墜して落下傘で森に逃げ込んだ米兵を血祭りにした。許される事ではないが、自らがその場にいて、そうしなかったと断言できる人がいますか。なんらかの刑は仕方ないとしても、絞首刑はあまりにも酷ではないか。確かに、殺された米兵の家族にとっては殺しても飽き足らない相手であっただろうが。ここで、アンケートです。 1.このドラマを見た人は、どんな感情が湧きましたか。私と同じ感情が、湧きませんでしたか。 2.空襲で、街が焦土と化す姿を目の当たりにしながら、捕まえた米兵をリンチしなかったと断言できる方はいますか。 よろしくお願いします。

    • kkanrei
    • 回答数11
  • 太平洋戦争 終結のタイミング

    戦争を肯定するつもりは、ありませんが、太平洋戦争は戦争をしないでいたら、戦争犠牲者以上の餓死者に、国家分断、主権も失い植民地化に陥っていた、との定説 あの時代、戦争突入も否定もできない選択だったのでしょう (この点、誤りがればご指摘ください) ただ、末期の、沖縄戦や東京大空襲等の本土空襲、更には広島・長崎への原爆投下 非戦闘員である民間人に、多くの犠牲者が出ました そこまで至ったので、敗北を認め、終戦に至ったのでしょうか? あるいは、もっと早い時期に終戦(敗北)させ、上記の多大な非戦闘員の犠牲を回避出来ていたタイミングは、あったのでしょうか?

  • 降伏

    第2次世界大戦について疑問に思ったのですがもし日本が原爆をおとされるよりももっとはやく降伏していたら日本はどうなっていたと思いますか?あと日本は事前に何度か降伏するように要求されていたのですか?よくおもわない質問かもしれませんが回答していただけると嬉しいです。

  • 太平洋戦争中の軍事参議院。

    西浦進 元軍務局軍事課長からの聞き取り記録『昭和陸軍秘録』によれば、太平洋戦争中に数回開かれたそうです。 たとえ1回でもよいですから、いつ開かれて、どのようなことを決めたのか、項目だけでよいですから教えてください。 特に知りたいのは、陸軍の軍旗の扱いについてです。 よろしくお願いします。

  • 昭和18年ごろの中国戦線。

    太平洋地域での戦いはある程度分かるのですが、中国戦線の状況がさっぱり分かりません。 1943年(昭和18年)9月、イタリアが降伏しましたが、大本営は少なからず衝撃を受けたようです。 そこで、中国に対して講和後全面撤兵という方針も検討されたそうです。 当時(1943年ごろ)の中国戦線の状況や日本の方針を教えてください。 この当時、支那派遣軍は百万人ほどいたそうですが、何をしていたのですか。 占領地の警備が主たる任務ですか。 日本軍は、負けているとは思っていなかったでしょうが、勝てる見込みはあったのでしょうか。 よろしくお願いします。