• 締切済み

アドバイスが欲しいです。

kaitara1の回答

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1124/8925)
回答No.3

誰でもそうですができることしかできないのです、自分を何か特別な人と考えていることが裏打ちされているのでは。あなたも普通の人なのだということでしょう。

関連するQ&A

  • 自分がどうしたらいいかわからなくなった

    自分に絶望しています。長文、感情剥き出しで申し訳ありません。 自分が絶望している原因は祖父と曾祖父の存在です。いつの間にか、誇りに思う存在ではなく、劣等感の原因になってしまいました。 この2人がどういう人かとザックリ言うと超優秀な人です。海軍兼空軍出身の曾祖父は天皇に称賛される、剣を頂いた。文章が上手い。ライト兄弟と会合。英語が出来る。 祖父は福田赳夫総理と会談、産経新聞野社員。ハーバード大学、ブッシュの息子、NTTの創立者の人とそれぞれ知り合い。愛子様からの英語の依頼、有名高校の歌詞を書く。 私は20年生きていますが、到底彼らには敵いません。学校面でも、人間関係を築けません。遊び方も知りません。ただ彼らのレールに基づいて生きてきた人間なのでそれ以外で何も考えてきませんでした。私立文系。高、大受験は全落ち。第一志望に偏差値30届かない。浪人しても補欠だけ。ヘルニア。過呼吸、不眠症に過敏性腸症候群と悪循環から抜け出せません。 挙げた人は殆ど自分の親族です。他人じゃなくて一番身近にいるから一生逃げられない「呪い」なんです。呪いは彼らのような人になるまで解けません。 自分の駄目な点はいつの日かに「周りが優秀だから自分も優秀だ」って勘違いをしたと言う事です。 何の能力も無い癖に、祖父や曾祖父のようになりたいという欲求だけが肥大化した存在になってしまいました。 自分の努力不足や幼稚で傲慢だったからこんなことになってしまいました。それに気づいて生まれて初めて「時間」について後悔した。 ずっと葛藤し続けて、祖父のようにになることを「諦め」ちゃいました。客観的な学歴も人間性も自分には何も足りないし、それを補う特技を持ち合わせていないから。自分が優秀なんて言い放っても見苦しい印象を与えてしまうだけ。 でも、自分の人生を決めるにはあまりにも年齢が遅すぎる。今から運動頑張ればスポーツ選手になれるのか?絵を描き始めたら画家になれるのか? そんなわけないだろ。 無駄にしていたロス時間分を今更取り返せる訳がない。今から、プロスポーツ選手と同じ練習をこなしたって大会に出られず結果を残せないのと同じだよ。時間は戻らないんだよ。「これからゆっくり生きながら考えます」じゃ駄目今の私には手遅れなんだよ。 達成出来ないなら、「今」に意味がなくなる。それなら別に生きなくてもいい。だから消えたいなという気持ちになる。 心の中ではある程度分かっても、自分は許さない。私は一生執着しなきゃいけない。彼ら横に並ぶ人にならないといけない。私の人生は最初から0か100しかない。0の人生に何の意味があるの? 幸せは付加価値なんだよ。形あるものじゃないと満たされないんだよ。だから上すぎる人が身近にいるとしても自分はどうしても追いつかないといけないんだよ。 苦しいんだよ。才能ある人の隣に並べられては劣等感や嫉妬に潰される。凡人じゃ駄目なんだよ。そんな生き方を絶対に自分は許さない。 何もない、何も残せない人生なんて何も意味がない。意味を求めるからこそ価値があるんだよ。 結局、私は私自身を諦めきれてないです。身分相応に生きても、ずっと満たされないから何時迄も追い続けるんだよ。 自分で納得出来ないなら誰かに認めてもらえたらいいなんていう考えもあるけど、生きてるだけでいいなんて思える人は何かを「持っている」人達だけだ。 何もないと笑われるだろ。ざまぁみろと思われるだろ。比較されるだろ。愛されないだろ。じゃあそれがなくても愛される人がいるならば、どうして自分は誰も居ないの? もう消えたい。誰か助けてください。

  • 比較について

    「質問」ですが、誰か比較することが一般的に良くない理由を教えて下さい。 長文になります。 比較の何が良くないことなのかが理解出来ないです。勿論、悪い面だけではないことは承知しています。 理解し難い理由が二つあります。 まず、環境です。他人とくらべてはいけないとよく言われるけど、皆さんも同じように、いままで誰だって比較されて生きてきた訳じゃないですか。学校、塾、プライベート限りがありませんが、その価値観をどうやって変更出来るのか不思議なんです。 何故なら、私達はたとえ些細な事でも競争意識を燃やして、誰かに打ち勝つ為に頑張ってきました。受験だって部活の大会だって芸術作品だって何だって比べ比べられて意識を高めながら自分を高めてきたからです。 中学から高校生の時は、一回落ちぶれれば二度と這い上がることは不可能だという洗脳紛いのことを言われ続けて、あっというまに兵士色に染められるものじゃないですか。その後急に比べる必要はないという考えに至る筋道を一切想像出来ません。 駄目なんです。多様性、オンリーワン、人間性の高さ、価値観の変更を「負けた人」として認識してしまいます。自分含めて。競争意識が高いからかもしれません。 それは、「付加価値」がある人が人間性が高いと言う考え方をしているからで、逆の場合はほぼ意味がないじゃないですか。人間性が高くても経済的に余裕がなければ意味なんてありません。 そして、多様性、オンリーワンなんて「嘘」じゃないですか。SNSの普及などで、比較対象がさらに細部化され、さらに行きにくくなっただけだと思います。 纏めると、競争意識という凝り固まった考えを急に変えることは至難だと思うから。 次に自分の事です。 環境の違いがあるかもしれませんが、私は生まれた時からずっと競争意識を高める場所に置かれていました。また、自分が嫉妬深く劣等感が高い人間でした。 そして、決定づけたのが祖父と曾祖父の存在で、小さい頃から優秀で、よく祖父から話を 物心ついた時から話されました。 祖父は英語が非常に上手いです。特注があったり、翻訳や大学で英語を教えていました。曾祖父は海軍で非常に優秀な方だったそうです。 こんな大きな存在が身近にいるとどうしても執着してしまいます。誰だってそうじゃないでしょうか。 でも、私は彼らみたいなスペックは持ち合わせてないのに、プライドだけが肥大化したゴミみたいな人です。 私の場合、祖父に認めてもらう為に、届かない雲の上だとしても、それでも足掻いて足掻いて、並びたい。今現在は大学受験で失敗して、失望されていますが、それでも見返したい。 私がどんなに無謀だろうと、傲慢であろうと、彼らに届きたい。無理だと分かっていても彼らと同じ実績が欲しい。いや、手に入れなければいけないんです。 もう、自分じゃなくてもいい。自分以外の何者かでも構わないです。自分なんてどうせ「建前」で生まれてきた存在です。自分を捨ててでも届くことが出来たなら万歳です。 「死にたい」という気持ちを捨てたからにはどうしても執着し続けてたいんです。 四股が欠ければ口で、口が欠ければ目で目が欠ければ気迫で抗いたい。死んでも化けて出てきて地獄の底まで引きずり落としてやるくらいの執念を持ちます。 自分に対する「未来の可能性」を捨てたくないんです。何故なら彼らの子孫だからやれるに決まっている。また、そういった期待とプレッシャーがかけられているから。 だから私は諦めたくないです。たとえ、可能性なんて無くても模索し続けてたいんです。 だって、私は始めから劣っているから劣っている人として生きろと言うのですか?弱い人は泣き寝入りするしかないの?劣っていれば、虚な目で輝く人を見なければいけないのでしょうか。そんな事は絶対に「嫌」です。 全てを否定してしまうと、「じゃあ私は何のために生まれてきたの」と考えてしまいます。 彼らを打破する為に生まれてきた「機械」が何もなし得ないなんて周りからすれば、惨め以外の何者でもないから。 正直、生きにくいです。苦しいです。何かに取り憑かれたような気分になりますが、それでも仕方ないです。 妥協点があるとしても、比較する事をやめるのは彼らを見返た後でもいいのではないかというのが考えです。 今はこういう考え方しか出来ないです。 以上が理由ですが、改めて誰かと比較することが一般的に良くない理由を教えて下さい。

  • 諦めと諦めたくないの間で苦しい。

    私は劣等感と諦めの狭間で悩んでいます。長文、私の感情剥き出しで申し訳ありません。 原因は、受験や人間関係の挫折などの失敗経験や後悔をうまく消化する事が出来ずにいるからです。 劣等感を作りやすい環境に身を置いてしまったことも原因の一つだと考えています。あと自分の努力不足。 また、私は切り替えが下手で、負けず嫌いで嫉妬深いです。この気質が今の現状を悪化させていると思っています。 その中で特に大きいのは、祖父と曾祖父の存在です。尊敬の対象と同時に劣等感の原因の二つの板挟みが辛いです。血の繋がっている人達だから一生逃げられないし、自分が今向き合わないといけない「呪い」なんです。 実際、私の人生において、何をするにも祖父や曾祖父の顔がチラつきます。行動理由、好きな物まで全部彼らの影響を受けていていますし。 自分とその2人については、 海軍兼空軍出身の曾祖父は天皇に称賛され、剣を頂いた。文章の才能がある。人間関係の潤滑油。ライト兄弟と会合。 祖父は福田赳夫総理と会談、産経新聞ハーバード大学、ブッシュの息子、NTTの創立者の人とそれぞれ知り合い。大学教授で愛子様からの英語の依頼が来るほど英語が上手い。有名高校の歌詞を書くなど。父も基本何でも器用に出来て、物事に対する向き合い方が上手いです。 私は20歳ですが、私は 人とコミュニケーションが上手く築けないコミュ障で、環境の適応力が皆無です。同世代との遊び方も知らない。趣味もない。頭も悪く、物事の習得が他人と比べて遅れがち、祖父と自分で偏差値30の差がある(自分が下)。不登校。高、大受験は全落ち。私立文系。体もボロボロでヘルニア。過呼吸、不眠症、過敏性腸症候群を引きずってます。 自分なんかゴミでしょ? 祖父本人から期待され、4/1も生きている身なのに、その期待に応えてられず、もはや取り返しがつかないまであります。 祖父から子供の頃、この事を聞かされた時はあまりピンときていなかったけど、今はこれらの偉業がどれだけ凄いかということを理解すると同時に絶望しています。 それを誤魔化すように、 どんなに辛い時や悲しい時でも、自分の無能さがちらっと見え隠れしても、頑張れば絶対に成功する、自分にやれるぞ出来るぞと自分に言い聞かせていたから頑張ることが出来ました。 でも、中学、高校、大学と失敗を重ねる度にこの万能感が消え、自己暗示が限界になって、自信が削ぎ始めました。 それでも何とかプラスに考えて抗ったけど、受験辺りから自分のあまりの差に絶望して自暴自棄になり始めて、劣等感の矛先が他人にも向かってどんどん自分が駄目な人間だと感じるようになって没落していきました。 例えば、インフルエンサーの人とか東大に行った人が周りにいて、自分が霞んで、どうして自分の周りには凄い人ばっかりいるんだよって。自分が惨めになる。比較することが良くないって分かっていても。 一番辛いのが、私はその程度の人だったと「ほぼ分かってきてしまっている」ということが心に突き刺さって、その事実に葛藤しながら理想と今の現実を生きないといけないということが苦しいです。 自身の努力不足、怠り、または努力の方向性のずれの為にこんなことになって。ずっと執着してきた事を諦めることは簡単じゃない。でも、やればやるほど自分に絶望する。もうどうすればいいんだよ。 もし無理と諦めてしまった後の人生は虚無でしかない。それでも、諦めてしまいそうな自分がいるのが苦しいし悲しい。 でも、私が諦めてしまったら彼らの生き様に泥を塗ってしまい、私が彼らの付加価値を下げてしまい、彼らへの申し訳なさと自分の無力感で潰されます。 自分という存在があるだけで、また私がたとえ自殺しても、汚点となって祖父や曾祖父の名誉に傷を付けているという事実には変わりないんです。 こんなの自分の存在否定より酷い何かです。 視野が狭いかもしれないけど、広げる余裕もない。もう足掻く気力も減ってきて死にたいを通り越し無気力になってます。 それでも、私は生きていくしかないのでしょうか? 誰か助けてください。お願いします。

  • 自分と人との比較 について

      私は比較することに苦しんでます。家系の中で落ちこぼれの私はどうすればいいのでしょうか。 他人ではなく、身内なので、尚更意識してしまいます。別に普通の家庭ならよかったのでしょうが、私の場合は祖父と曾祖父が非常に優秀な人です。 優秀な家系の中の「落ちこぼれ」の自分という背景があります。特に祖父と曾祖父の影響が大きいです。 この2人がどういう人かとザックリ言うと超優秀な人です。海軍の曾祖父は天皇に称賛される、貢物を頂いた。ライト兄弟と会合。実績も優秀。祖父は福田赳夫総理と会談、ハーバード大学、ブッシュの息子?、NTTの創立者の人とそれぞれ知り合い。愛子様からの英語の依頼、高校の歌詞を書くなど。 一方、自分は、他の人より習得が遅い。コミュ症。人間関係、学歴コンプ。無趣味。無気力。実績、資格なし。ヘルニア。過呼吸、不眠症、私立文系。高、大受験は全落ち。第一志望に偏差値30届かない。浪人しても補欠だけ。現在、大学不登校気味。 これが現実だから嫌になる。一番身近にいるから、一生逃げられない「呪い」なんです。  何処に行こうと何を考えようと、頭の中に常に染み付いて離れません。 挙げてはいませんが、親族は私以外優秀です。失望と軽蔑の眼差しで見られます。彼らの人格否定のイメージが消えません。 末路で、何も勝てない私は彼らの優秀さを「肩代わり」して自分の偽物の威厳を振り翳していた。 彼らの優秀さによる自分の希望ある未来という「可能性」の中に生きるようになった。手放したくなかった。心地よかった。だから縁を切りたくなかった。それでしか満足感を感じることができなくなったから。皮肉ながら。 やった気になってた。頑張ってるって思いこんだ。そう思わないと自分のメンタルを保てなかったからです。 言い訳に見えるか?そうだよ。彼らになれないからって愚痴を叩いてるのが自分だよ。貴方は「こんな優秀な2人にお前みたいなゴミが勝てるわけない」と言うだろ?そりゃ言うよな。 諦めさせる方法しか言いようがないよな?でも、諦めたくないんだよ。でも、勝ちたいんだよ。人生に意味なんて無くていい。それでも勝ちたいんだよ。 自分なんてどうせ、何も後先考えず、進路も全部他人任せ。「 なにもしていない自分 」を誤魔化し、楽な方に流され、「努力をするフリ」を続けるゴミなんだよ。 でも、自分を完全に諦めている訳でもなく、「自分は頑張ってるんだ」やればできるって理屈をこねくり回して、自分の非を誤魔化し、正当化した。 劣等感や苦労という痛みをずっと感じるより、比較対象を拗らせてでも捏造して自分が「勝てる」ようにして優越感を感じるようにする。そして、勝利した自分に酔う。悲しいけどこの方法以外に勝てる方法がないんだよ。 自分の傲慢な態度が招いた結果。虚勢を張ってでも届かないといけないんだよ。 私は妄執に囚われたままです。それでも、彼に並ばなければ生まれてきた理由が無くなります。彼らに勝って、初めて自分の生に「価値がある」って思いたい。 2人に並ぶことがスタートラインなのに、私はそこにすら届いてない。 自分より優秀な親族の目線が常にあるから。 見返してやりたいんだよ。落ちこぼれの自分が一発奮起するところを。 自分やりたいことは学歴、年齢、スキル不足が原因で全部潰れた。見上げた根性張った所でもう無駄だよ。どうせ、彼らと同じレベルこ受けたい職場もエントリーシートの段階で落とされるのが目に見えてわかる。 幸せは「付加価値」です。彼らと同レベルかつ、形あるものじゃないとずっと満たされないです。実績ありきの人間性であり、人間性だけ備えていても何も生産性がない。 今更何かした所で自分がどうにかなるわけでもない。もう自分にカタルシスは二度と起こらない。 自分をプロスポーツ選手として、プロになれなくてもプロになるため、スポーツを死ぬまです続けるらい執着はする。 この彼らに負けたく無いという「執念」だけが、今の自分が生きている理由です。 理想と現実が乖離しすぎて、彼らと同じレールに乗ることが出来なかった人生なんてゴミ以外の何者でもない。 結論で、私は19年間生きてきて自分がどれ程無能かがよく分かった。でも、どうしようもない。 私はどうすれば彼らに勝てますか。 自分と祖父の能力格差はどうすれば埋めるのでしょうか。助けてよ。辛い。もう死にたい。 自分は落ちこぼれのまま泣き寝入りをする日々を送るしかないのでしょうか。

  • 劣等感を克服する方法を教えて下さい

    私は、劣等感に苛まれていて辛いです。 原因は優秀な身内の中の「落ちこぼれ」の自分という劣等感と少し進路が絡んでいます。 彼らに届きたいという考えが、名誉や実績などの付加価値に執着してしまう理由になりました。 誰に相談しても、婉曲的に諦めろとしか言う人ばっかりで、また根本の悩みが劣等感だから具体的な解決法が導き出せません。カウンセラーを併用しても解決出来ません 劣等感を決定づけたのが祖父と曾祖父の存在よく祖父が幼い時から曾祖父の武勇伝を話していました。 私の場合、祖父に認めてもらう為に、届かないとしてと、それでも足掻いて、並びたかった。今現在は大学受験で失敗して、失望されています。自分も挫折半ばでどうすればいいか分からなくなりました。 一番身近にいるから一生逃げられない「呪い」なんです。 何処に行こうと何を考えようと、頭の中に常に染み付いて離れません。 この2人がどういう人かとザックリ言うと超優秀な人です。海軍兼空軍出身の曾祖父は天皇に称賛される、剣を頂いた。文章が上手い。ライト兄弟と会合。英語が出来る。 祖父は福田赳夫総理と会談、産経新聞野社員。ハーバード大学、ブッシュの息子?、NTTの創立者の人とそれぞれ知り合い。愛子様からの英語の依頼、有名高校の歌詞を書く。 私は19年生きていますが、到底彼らには敵いません。 学校面でも、人間関係は希薄です。遊び方も知りません。ただ彼らのレールに基づいて生きてきた人間なので何も考えてきませんでした。私立文系。高、大受験は全落ち。第一志望に偏差値30届かない。浪人しても補欠だけ。 現在は、ヘルニア。過呼吸、不眠症にリスカが続いていて体調が長く安定しません。食欲が無くなるくらい定期的に落ち込む日があります。無気力に日々を過ごしています。 借り物の理想をずっと追い続けるほど馬鹿な 人はいません。でも、その生き方しかなかったのも事実です。最初は何とも思わなかったのですが、時間が経つ度、彼らの事を執着するようになり、半ば自分の意思も入り混じってしまっていたと思います。 だから、自分の意思が介入した以上、全部「自業自得」です。自分の能力と努力が伴わなかった末路です。 現在は、後悔と自責の念に苛まれているのは、大学入学後に、これ以上「打つ手が自分の中で思いつかなくなったから」です。その先がどうしても考え付かないです。 彼らの優秀さによる自分の希望ある未来の「可能性」の中に生きていました。彼らになれると根拠のないことを念じて、自分を鼓舞し続けていました。 祖父達と比べられて、劣等感に包まれることが、物凄く苦しいからずっと劣等感を誤魔化し続けてそのツケが全部降りかかってきたのかもしれません。 怠惰で甘い妥協癖の自分が今を作っているのも事実です。 「一生ものの劣等感」という自分に対しての罰だと思います。 辛い苦しいかもしれないけど、当然の結果であり、自業自得と未来全てを否定してしまうと、「じゃあ私は何のために生まれてきたの」と考えてしまいます。 一年前に父から言われた言葉、「お前は祖父に対抗するために生まれてきたんだ。」その言葉がずっと離れません。それは自分は建前の存在であるという事です。 彼らを打破する為に生まれてきた「機械」が何もなし得ないなんて周りからすれば、惨め以外の何者でもない。 もう来るところまで来てしまい、今更ルート変更して所で手遅れです。価値観を変える、環境を変えた所で、頭から離れない以上無理なんです。 だから、私の人生は半分詰んでいる状態です。どうしようもない葛藤を繰り返しています。行き場のない感情を内に何処にぶつけて自分をずっと責め続けています。 もし、方法がなければ、私はこれからどうやって生きていけばいいのでしょうか?自分はずっと「死ぬ事」だけが救いだと思っていました。 何故、自分はこのような馬鹿な事をしてしまったのでしょうか。もう取り返しがつかないでしょうか。 こんな自分でも、今からでも何とか出来るならば、なんて方法は無いのかもしれませんが、劣等感から少しでも開放する策はありますか? アドバイスがあれば教えて欲しいです。

  • 劣等感をどう解消すればいいか。

    私は、劣等感に苛まれていて辛いです。 原因は優秀な身内の中の「落ちこぼれ」の自分という劣等感と少し進路が絡んでいます。 彼らに届きたいという考えが、名誉や実績などの付加価値に執着してしまう理由になりました。 誰に相談しても、婉曲的に諦めろとしか言う人ばっかりで、また根本の悩みが劣等感だから具体的な解決法が導き出せません。 劣等感を決定づけたのが祖父と曾祖父の存在よく祖父が幼い時から曾祖父の武勇伝を話していました。 私の場合、祖父に認めてもらう為に、届かないとしてと、それでも足掻いて、並びたかった。今現在は大学受験で失敗して、失望されています。自分も挫折半ばでどうすればいいか分からなくなりました。 一番身近にいるから一生逃げられない「呪い」なんです。 何処に行こうと何を考えようと、頭の中に常に染み付いて離れません。 この2人がどういう人かとザックリ言うと超優秀な人です。海軍兼空軍出身の曾祖父は天皇に称賛される、剣を頂いた。文章が上手い。ライト兄弟と会合。英語が出来る。 祖父は福田赳夫総理と会談、産経新聞野社員。ハーバード大学、ブッシュの息子?、NTTの創立者の人とそれぞれ知り合い。愛子様からの英語の依頼、有名高校の歌詞を書く。 私は19年生きていますが、到底彼らには敵いません。 学校面でも、人間関係は希薄です。遊び方も知りません。ただ彼らのレールに基づいて生きてきた人間なので何も考えてきませんでした。私立文系。高、大受験は全落ち。第一志望に偏差値30届かない。浪人しても補欠だけ。 現在は、ヘルニア。過呼吸、不眠症にリスカが続いていて体調が長く安定しません。食欲が無くなるくらい定期的に落ち込む日があります。無気力に日々を過ごしています。 借り物の理想をずっと追い続けるほど馬鹿な 人はいません。でも、その生き方しかなかったのも事実です。最初は何とも思わなかったのですが、時間が経つ度、彼らの事を執着するようになり、半ば自分の意思も入り混じってしまっていたと思います。 だから、自分の意思が介入した以上、全部「自業自得」です。自分の能力と努力が伴わなかった末路です。 現在は、後悔と自責の念に苛まれているのは、大学入学後に、これ以上「打つ手が自分の中で思いつかなくなったから」です。その先がどうしても考え付かないです。 彼らの優秀さによる自分の希望ある未来の「可能性」の中に生きていました。彼らになれると根拠のないことを念じて、自分を鼓舞し続けていました。 祖父達と比べられて、劣等感に包まれることが、物凄く苦しいからずっと劣等感を誤魔化し続けてそのツケが全部降りかかってきたのかもしれません。 怠惰で甘い妥協癖の自分が今を作っているのも事実です。 「一生ものの劣等感」という自分に対しての罰だと思います。 辛い苦しいかもしれないけど、当然の結果であり、自業自得と未来全てを否定してしまうと、「じゃあ私は何のために生まれてきたの」と考えてしまいます。 一年前に父から言われた言葉、「お前は祖父に対抗するために生まれてきたんだ。」その言葉がずっと離れません。それは自分は建前の存在であるという事です。 彼らを打破する為に生まれてきた「機械」が何もなし得ないなんて周りからすれば、惨め以外の何者でもない。 もう来るところまで来てしまい、今更ルート変更して所で手遅れです。価値観を変える、環境を変えた所で、頭から離れない以上無理なんです。 だから、私の人生は半分詰んでいる状態です。どうしようもない葛藤を繰り返しています。行き場のない感情を内に何処にぶつけて自分をずっと責め続けています。 もし、方法がなければ、私はこれからどうやって生きていけばいいのでしょうか?自分はずっと「死ぬ事」だけが救いだと思っていました。 何故、自分はこのような馬鹿な事をしてしまったのでしょうか。もう取り返しがつかないでしょうか。 こんな自分でも、今からでも何とか出来るならば、なんて方法は無いのかもしれませんが、劣等感から少しでも開放する策はありますか? アドバイスがあれば教えて欲しいです。

  • 生きる価値とは……

    こんばんは。 質問の内容は題名の通り、生きる価値とは何かということです。 こういう質問サイトで 「私には生きる価値がないから死ぬ」という人がいたりします。 生きる価値って何と考えると簡単なようで難しいです。 生きがいを見つけて、恋人を見つけて結婚をしたり、自分が好きな趣味を見つけて それに没頭する……こういうのはなるほど、「私の人生には生きる価値はある」と思います。 逆に生きる価値がない状況ですが、大学受験を失敗した、ブサイクだから……といった、どこか人生で躓いたときや、比較によって起こると思います。 ただ、生きる価値とは、この世に生まれたことに既に存在していると思うのです。 確かにつらいことも多いことは事実ですが、その分いい事と言いますでしょうか、 そういうことも存在していると思うのです。 ただ人間はどうしても欲が発生します。特に問題なのは他人との比較です。 他人と劣っているから生きる価値云々と言い出すのはないでしょうか。 ただ、この世に生まれたという価値は、他人と比較もできないし減りもしないと考えています。 ……でもブサイクだから、大学受験を失敗したとか、仮にそういう理由だからお前は生きる価値はないと言われても、生きる価値は依然存在しているように思います。 だってそういう理由だから生きる価値がないというのは、おかしくないでしょうか。 誰かがその人の生きる価値を否定できるのでしょうか? それに、それならそれで、また違う道があるように思えます。 ざっと考えてみました。うーん。纏まりはあまりないですが、 生きる価値とは何だと思いますか。生きる価値というのはそもそも無いという考えでも大丈夫です。 それでは、よろしくお願いします。

  • 落ちこぼれから脱する方法

    優秀ではない私はどうすればいいのでしょうか。 原因は優秀な家系の中の「落ちこぼれ」の自分という背景があります。 そして、決定づけたのが祖父と曾祖父の存在で、小さい頃から優秀で、よく祖父から話を物心ついた時から話されました。 この2人がどういう人かとザックリ言うと超優秀な人です。海軍の曾祖父は天皇に称賛される、貢物を頂いた。ライト兄弟と会合。実績も優秀。祖父は福田赳夫総理と会談、ハーバード大学、ブッシュの息子?、NTTの創立者の人とそれぞれ知り合い。愛子様からの英語の依頼、高校の歌詞を書くなど。 一方、自分は、他の人より習得が遅い。コミュ症。人間関係、学歴コンプ。無趣味。無気力。実績、資格なし。ヘルニア。過呼吸、不眠症、私立文系。高、大受験は全落ち。第一志望に偏差値30届かない。浪人しても補欠だけ。現在、大学不登校気味。 一番身近にいるから、一生逃げられない「呪い」なんです。 何処に行こうと何を考えようと、頭の中に常に染み付いて離れません。彼らの人格否定のイメージが消えません。 末路で、何も勝てない私は彼らの優秀さを「肩代わり」して自分の偽物の威厳を振り翳していた。 彼らの優秀さによる自分の希望ある未来という「可能性」の中に生きるようになった。手放したくなかった。心地よかった。だから縁を切りたくなかった。それでしか満足感を感じることができなくなったから。皮肉ながら。 言い訳に見えるか?そうだよ。彼らになれないからって愚痴を叩いてるのが自分だよ。貴方は「こんな優秀な2人にお前みたいなゴミが勝てるわけない」と言うだろ?そりゃ言うよな。 諦めさせる方法しか言いようがないよな?でも、諦めたくないんだよ。でも、勝ちたいんだよ。 人生に意味なんて無くていい。それでも勝ちたいんだよ。 自分なんてどうせ、何も後先考えず、進路も全部他人任せ。「 なにもしていない自分 」を誤魔化し、楽な方に流され、「努力をするフリ」を続けるゴミなんだよ。 でも、自分を完全に諦めている訳でもなく、「自分は頑張ってるんだ」やればできるって理屈をこねくり回して、自分の非を誤魔化し、正当化してるカスです。 やった気になってた。頑張ってるって思いこんだ。そう思わないと自分のメンタルを保てなかったからです。 でも、それでも虚勢を張ってでも届かないといけないんだよ。 でも、私は彼らみたいなスペックは持ち合わせてないのに、プライドだけが肥大化したゴミみたいな人です。自分は傲慢だから。 「死にたい」という気持ちを捨てたからにはどうしても執着しなければいけません。 私の場合、祖父に認めてもらう為に、届かない雲の上だとしても、それでも足掻いて足掻いて、並びたい。今現在は大学受験で失敗して、失望されていますが、それでも見返したい。 幸せは「付加価値」です。彼らと同レベルかつ、形あるものじゃないとずっと満たされないです。実績ありきの人間性であり、人間性だけ備えていても何も生産性がない。 私がどんなに無謀だろうと、傲慢であろうと、彼らに届きたい。無理だと分かっていても彼らと同じ実績が欲しい。いや、手に入れなければいけないんです。 自分じゃなくてもいい。「自分以外の何者」でも構わないです。自分なんてどうせ「建前」で生まれてきた存在です。自分を捨ててでも届くことが出来たなら本望です。 四股が欠ければ口で、口が欠ければ目で目が欠ければ気迫で抗いたい。死んでも化けて出てきて地獄の底まで引きずり落としてやるくらいの執念を持ちます。 自分に対する「未来の可能性」を捨てたくないんです。何故なら彼らの子孫だからやれるに決まっている。また、そういった期待とプレッシャーがかけられています。 だから私は諦めたくないです。たとえ、可能性なんて無くても模索し続けてたいんです。 だって、私は始めから劣っているから劣っている人として生きろと言うのですか?弱い人は泣き寝入りするしかないの?劣っていれば、虚な目で輝く人を見なければいけないのでしょうか。そんな事は絶対に「嫌」です。 全てを否定してしまうと、「じゃあ私は何のために生まれてきたの」と考えてしまいます。 彼らを打破する為に生まれてきた「機械」が何もなし得ないなんて周りからすれば、惨め以外の何者でもない。 自分やりたいことは学歴、年齢、スキル不足が原因で全部潰れた。どうせ、彼らと同じレベルの受けたい職場もエントリーシートの段階で落とされるのが目に見えてわかる。 妥協点があるとしても、比較する事をやめるのは彼らを見返た後でもいいのではないかというのが考えです。 結論で、私は19年間生きてきて自分がどれ程無能かがよく分かった。 正直、生きにくいです。苦しいです。それでも仕方ないです。比較が駄目な事はわかってます。でも私は、もう後戻りが出来ない。 私はどうすれば彼らに勝てますか?

  • 祖父のらような人になる方法を教えて下さい

    私は、劣等感に苛まれていて辛いです。 原因は優秀な身内の中の「落ちこぼれ」の自分という劣等感と少し進路が絡んでいます。 私の一生の劣等感を決定づけたのが祖父と曾祖父の存在です。一番身近にいるから一生逃げられない「呪い」です。何処に行こうと何を考えようと、頭の中に常に染み付いて離れません。 この2人がどういう人かとザックリ言うと超優秀な人です。海軍兼空軍出身の曾祖父は天皇に称賛される、剣を頂いた。文章が上手い。ライト兄弟と会合。英語が出来る。 祖父は福田赳夫総理と会談、産経新聞野社員。ハーバード大学、ブッシュの息子?、NTTの創立者の人とそれぞれ知り合い。愛子様からの英語の依頼、有名高校の歌詞を書く。 私は19年生きていますが、到底彼らには敵いません。 学校面でも、人間関係は希薄です。遊び方も知りません。ただ彼らのレールに基づいて生きてきた人間なので何も考えてきませんでした。私立文系。日東駒専、浪人しても補欠だけ。 最初は祖父達の存在を何とも思わなかったのですが、時間が経つ度、彼らの事を執着するようになり、やがて自分の意思も入り混じってしまいました。 彼らの優秀さによる自分の希望ある未来の「可能性」の中に生きていました。だから、自分の意思が介入した以上、全部「自業自得」です。 でも、自業自得と私を全て否定してしまうと、「じゃあ私は何のために生まれてきたの」と考えてしまいます。 一年前に父から言われた言葉、「お前は祖父に対抗するために生まれてきたんだ。」その言葉がずっと離れません。自分が建前の存在であるという証明です。 私は借り物の理想に届く事が使命の「機械」です。行き場のない感情と葛藤を内に何処にぶつけ繰り返し、自分をずっと責め続けています。 時間、年齢、学歴などの要素から祖父に勝てる要素が全て潰れました。だから一から全部考えないといけないのですが、何も思いつきません。 祖父達に勝つことを諦めきれないです。アドバイスがあれば教えて欲しいです。

  • 家系の落ちこぼれで辛い

    大学生ですが、落ちこぼれで死にたい。長文になります。感情剥き出しですみません。 劣等感で辛いです。消えたくて仕方ないです。自身の努力不足、怠り、または努力の方向性のずれの為にこんなことに。 原因の中で特に大きいのは、祖父と曾祖父の存在です。尊敬の対象と同時に劣等感の原因の二つの板挟みが辛いです。 血の繋がっている人達だから一生逃げられないし、自分が今向き合わないといけない「呪い」です。 自分とその2人については、 海軍兼空軍出身の曾祖父は天皇に称賛され、剣を頂いた。文章の才能がある。人間関係の潤滑油。ライト兄弟と会合。座学も優秀。 祖父は現在80代ですが、福田赳夫総理と会談、産経新聞ハーバード大学、ブッシュの息子、NTTの創立者の人とそれぞれ知り合い。大学教授で愛子様からの英語の依頼が来るほど英語が上手い。一大。有名高校の歌詞を書くなど。祖母も名家出身。でオーケストラのバイオリニスト。父も基本何でも器用に出来る人です。 私は20歳ですが、私は 人とコミュニケーションが上手く築けないコミュ障で、環境の適応力が皆無です。性格も悪いし、同世代との遊び方も知らない。趣味もない。頭も悪く、物事の習得が他人と比べて遅れがち。大学で祖父と自分とで偏差値30の差がある(自分が下)。不登校。日大高、大受験は全落ち。私立文系。体もボロボロでヘルニア。過呼吸、不眠症、過敏性腸症候群。こんな感じ。 私は祖父母本人から期待されているんです。だから答えなくちゃいけない。期待と憧れを形にしないといけない。 でも、私はもう取り返しがつかないところまでいっているでしょうか? いい大学に入りいい企業に入り活躍しなければ、祖父達のようにはなれないならば、私はもう手遅れでしょうか? 今まで、私はどんなに辛い時や悲しい時でも、頑張れば絶対に成功する、彼らのようになれる。自分にやれるぞ出来るぞと自分に言い聞かせて自分を奮い立たせていたから頑張ることが出来ました。 でも、中学生になる辺りで、自分に違和感を感じ始めて、自分の容量の悪さがチラつきました。それでも、自信が削ぎ始めても、何とかプラスに考えて抗いました。 さらに、我武者羅になって劣等感の矛先が他人にも向かうようになりました。インフルエンサーの人とか東大に行った人が周りにいて、自分が霞んで、どうして自分の周りには凄い人ばっかりいるんだよって。 私は祖父達と比べて「周りから」「負けている」と絶対に思われたくない。そうじゃないと自分を保てない。 どんどん自分が駄目な人間だと感じるようになって没落していきました。比較することが良くないって分かっていても。どうしても祖父達の顔などがチラつく。 そして、大学受験辺りから、自分と祖父の差に絶望して、その後も失敗を重ねる度にこの万能感が消え、この自己暗示が限界になりました。 現在、私ばどうすればいいかわからないです。 私はその程度の人だったと「分かってきてしまっている」ということが心に突き刺さっています。 もう自分なんかじゃ無理なんじゃないかって。 その事実に葛藤しながら理想と今の現実を生きないといけないということが今は苦しい。その度に、祖父達とのギャップを感じて絶望しています。私はどの面下げて生きないといけないんだよって。 でも、私が諦めてしまったら彼らの生き様に泥を塗ってしまい、私と言う存在が彼らの付加価値を下げてしまい、彼らへの申し訳なさと自分の無力感で潰されます。 今のままだと、自分という存在があるだけで、また私がたとえ自殺しても、「汚点」となって祖父や曾祖父の名誉に傷を付けているという事実には変わりないんです。 私は人生を楽しみたいんじゃなくて、自分らしくありたいんじゃなくて、彼らのように人生を「全う」したいんです。命を削ってでも。それ以外の人生なんて死と同じだ。 だから、私は無理だって言われることは自分の「存在否定」になるんだよ。どんなに傲慢って言われても私はなりたい。私の代で駄目になりたくない。絶対。汚点になりたくない。 誰かアドバイスを下さい。お願いします。