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哲学と科学の違い

stomachmanの回答

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  • stomachman
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回答No.9

科学は哲学の一分野です。 科学も哲学も、ある種の「問い」に答えようとする活動です。 でも、迷子の子猫ちゃんの名前を問うような問いでは面白くない。一回しっかり検討しておけば、後々に使えるようなのが面白いし重要だ。それで、何らか普遍性・再現性があるように見える現象を捉えて、その背後にある(かもしれない)本質、つまり法則を見つけ出したいというのが一つの到着点です。(例えば「法則なんか、ない。」なんて答も、あんまり役に立たないですけど、法則を主張したことには違いないでしょ。)そうすると「問い」を作り出すこと自体が哲学に含まれてきます。つまらん問い、どうしても答えようのない問い、答の出る問い。問いの内のあるものは問うたとたんにもう答が出てますし、答がまとまらない問いもあるだろうし、どう答えてもおかしくなるような仕掛けが入った問いもあります。 そういうものを見極めるにはどうすりゃいいんですか?ちゅう問いもアリです。 科学では、(ネタや発想をどこから持ってくるかは別として、)最終的に「科学的方法」という形式に従って法則を記述し、実証しなくては落第です。 哲学では、方法を科学的方法に限ったりしません。それどころか、何にでも一般に通用する方法というものはないと考えている。科学とは相反するのかというと、とんでもない。そうじゃなくて、科学を含むんです。科学で解決される問いはいっぱいありますからね。新しい方法を開発するのも哲学の内だし、その方法で手に負えない問いを出して見せるのも哲学。 最も成功した哲学の代表選手は、やっぱり理論物理学でしょう。11次元空間で記述される(まだ詳細不明の)理論から導かれる10次元空間における沢山の物理理論、という描像。物に質量が生じる機構とそれに関わる未発見の粒子、という描像。これらは紛れもなく形而上学ですよ。直接実証できる見込みなどありませんからね。  科学においては、何かを実験的に実証した、と言うことがある。ですけど客観的には、実験はただの統計の偏りを示しただけのこと。そこに理論から演繹された予言との一致を見て、「少なくとも辻褄はあってる」と言っているに過ぎない。だから確かな例外が一つ出れば全てがひっくり返ります。だからこそ、世の中的には「既に実証済み」と思われてる理論・法則が、いつまで経っても研究の対象になっています。 下記URLでも似たようなこと書いてますんで、ご参照下さい。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=53553, http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=12863

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