- ベストアンサー
江戸期から明治のお墓
江戸時代のお墓1基を明治時代も使う家(江戸期郷士)ってありますか? もう文字が読めませんが、墓石には何か書いてあった跡があります でも、見た感じ全員分の戒名とかまで書くスペースがないと思いますから、おそらくは、お墓を建てた人の夫婦だけの戒名が彫られていたんじゃないかと予想します
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
関連するQ&A
- 両親の墓へ子供を合祀する場合の墓石の文字について
お墓のことで質問させていただきます。 先祖から受け継いでいる墓地があり、3基の先祖のお墓が夫婦単位で建てられています。その中の一基が私の両親の墓で、両親の戒名が墓石の前面に併記されています。このたび私の弟が亡くなりましたが、墓地の面積の関係で単独でお墓を作ることは困難なので、両親の墓に合祀したいと思います。 その場合の墓石の文字は、墓石の前面に両親の戒名と並べて弟(両親の子)の戒名を彫って良いのでしょうか。 また、子の戒名の場合は、親の戒名より1字位下げるとか、文字を少し小さくした方が良いのでしょうか。 なお、無くなった弟は離婚により単身です。 以上よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- マナー・冠婚葬祭
- 江戸時代の墓について
数年前に江戸時代後半の先祖墓が見つかりとてもびっくりしています。墓石は70個くらいでしょうか。 凄い田舎で百姓をやってたと思うのですが、墓のひとつひとつが貧農ではまずこのような墓を作るのは困難と思われるようなものばかりなのです。 しっかりとした石を使っているためか、かなりの墓石の文字がはっきりわかります。 中には墓石に仏像が彫られ、着物に赤い色が塗られているのも数体あります。女性の墓石ではないかと推察しています。 写真を添付しますので、見ていただければ幸いです。 ネットで同様の墓石を探しても見当たりません。 なぜこのような墓を作ることができたのか?どのような推察でも構わないので教えてください。 また、昔の墓の研究をしているところがあればそれはどのようなところなのか、どうすれば調べられるのかわかれば それも教えてください。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 武士でもお墓ないかたがいましたか?
決して貧しいわけでもなく、むしろ暮らしに余裕のある郷士(武士)でも 江戸時代中期ぐらいまで、お墓を建てなかった郷士のかたがいたみたいですが 江戸時代の武士は江戸時代初期から、みんなお墓は建てると思ってましたが、そうではないのですか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 両親の墓に子供の遺骨を合祀する場合の墓石について
現在父母の墓(夫婦墓)があり、墓石には父母の戒名が併記されています。この墓に子供(私の弟)の遺骨を納骨したいのですが、その場合の墓石についてお尋ねいたします。 一般に家族墓等の場合は、墓石には○○家の墓と記し、死んだ方の戒名等は墓誌に記すようですが、現在の墓石はそのまま(両親の戒名併記のまま)にしておいて、側に墓誌を設置して、子供の戒名等は墓誌へ記すということでもかまわないでしょうか。 それとも、墓石本体の文字を○○家の墓に変えた方が良いでしょうか。 現在の墓は母が亡くなった時に父が建てたものですが、父は夫婦墓を望んでいたので、その遺志を尊重して、墓石の文字はこのまま残しておきたいと思っております。 ご回答よろしくお願いします。
- 締切済み
- マナー・冠婚葬祭
- 江戸時代の家系図について
江戸時代は幕府の命令で上級武士だけではなく百姓や郷士にも家系図(系図)を作るように言われてたらしいです 明治時代に切り替わり、明治時代初期には家系図(系図)を、なぜかは分かりませんが紛失したかたがいたらしいです 江戸期の家系図を紛失した人はどのくらいいたのですか? それと、戦国時代は家系図は武士でもない人が結構いたみたいですが、これについても本当なのでしょうか? うちは江戸時代、郷士ですが、親に実家に家系図自体ないと言われましたが、おそらく明治時代初期に紛失したのかなと思います。家を継いでる人はみんな几帳面な人なんですけどね
- ベストアンサー
- 歴史
- 両墓制についての質問
江戸時代は参り墓と埋め墓の二ヶ所にお墓があったそうですが、もしそうですと武士ではないのですか? 私の先祖のもので一つある江戸中期の光明真言供養塔は文字が読め名前もはっきりわかるのですが お墓6体(内3体のお墓は、分家との借財トラブルで分家の墓石の土台になっている) あるお墓は文字が元々書いてなかったのか、わかりませんが、文字が消えた状態で読めないです 6体のお墓は参り墓であって、土地没収のため3体のお墓を墓石の土台にしたんじゃないかと、言われました 両墓制は基本的に庶民がやってたらしいです いい伝えで先祖は郷士の下級武士です だけどお墓が二ヶ所に別れてるって聞いたことないですが、昔の庶民はみんなやってたのですか? 因みに茨城の真言宗です
- ベストアンサー
- 歴史
- お墓の夢
我が家の隣には空き地があり、そこは現在、分譲中です。 とても良い土地(立地等が良い)なのですが、 良い土地だけに高いのでなかなか売れないみたいです。 本題に入りますが、最近、二晩続けて同じ夢を見ました。 その夢と言うのは、お隣の土地に個人で住宅ではなく お墓を建てられるという夢です。 大きな墓石が一基、ドーンっとあるんではなく (お墓って一基二基と数えるんでしたっけ?) 小さく区切られたスペースに5・6このお墓がある。 その土地(墓)の持ち主と親戚らしき人達がそこで 飲食している夢です。 ある日突然、墓を建てられて、次の日には外から見えない 塀で囲まれて、用具入れのような細長い扉が二つ。 取るに足らない変な夢ですが、こんな夢にも何か 意味のようなものがあると考えられますか? 良かったら教えて下さい。
- ベストアンサー
- その他(占い・超常現象)
補足
私の親の実家は、昭和までは土葬でした 江戸時代はお墓があったのに明治以降昭和までお墓がありませんでした 平成に入ってからお墓を建て、墓誌には明治時代に亡くなった、ご先祖がほぼ載ってなく一人だけ高祖母が明治に亡くなったと載ってるのみで、高祖父は大正に亡くなったと載ってます 明治に亡くなったかたが、いなかったのかもしれませんが・・ 因みに真言宗のお寺です