暴力的な人間を活かす事も必要悪?

このQ&Aのポイント
  • 暴力的な人間を活かすことは必要なのか、疑問に思う経験があります。過去に暴力的な同級生や部活の顧問の存在がありました。暴力を振るうことで序列を作り上下関係を決める彼らは、組織の中で受け入れられた存在でした。
  • 運動部の体罰問題が取り上げられる中、当時の彼らの気質ならば顧問や先輩に服従し、弱者に暴力をぶつけることで組織をまとめることができました。彼らにとって、暴力を活かせる組織は必要なものだったのかもしれません。
  • 一方で、顧問や部員は非道な行為は行っていませんが、練習以外で喧嘩や暴力が嫌いな人を「根性がない」と嫌っていました。結局、暴力好きな人間を生かす道があり、暴力嫌いの人は我慢して犠牲にならなければならないという状況でした。これには矛盾を感じました。
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暴力的な人間を活かす事も必要悪?

1980年代に小学中学時代を送りました。 当時、暴力的な同級生が居り、その様なタイプの人間が居る スポーツ少年団や 部活動は 特に理由も無いが、暴力三昧の感じでした。 彼等は 1 序列を造る為に喧嘩をする 2 それで上下を決める という感じでした。 1 良く、運動部の体罰の問題が云われておりますが、当時の彼等の様な気質ならば、顧問(彼等と似た様なタイプだった)や先輩に服従し、弱い処にぶつけるが、 顧問という存在があるので纏まるという事や この競技に打ち込む事で暴れてみたい エネルギーをこの方向に持っていけるという事で、彼等にとってはその様な 組織が良かったのだと思います。 (現在60-70才位で野球選手や力士に成った人もその様な事を言っていたと 思います。) 2 唯、この顧問や部員は非道をしていないが 練習とは別に喧嘩や暴力嫌いと いう人を「根性がない」と嫌い、退部する折にも暴力を振るったりしておりました。 結局暴力好きな人間を活かす道があり、その為には暴力嫌いの人は我慢して犠牲に成らないといけないという事なのでしょうか? (1980年頃に国士館大学で特に非道はしていないが、寮やクラスで誰が強いとか  という事で殴り合いの喧嘩が続く日々に、馴染めず退学し、別の大学に入り直した  人が居りました(私もその人の気質に近いのですが)  3 小学中学時代 暴力的な同級生やこの部活の顧問は 特に非道をしていないが  喧嘩 暴力嫌い 以上でも以下でも無い人間を(私もその様な気質でした) 根性がないと云われたので これには矛盾を感じたのです。  この顧問は いじめや暴力があっても 暴力的な人間の方が「この人と思うと」  なんでも受け入れる、そして「限界を有する精神を持つ」事を第一に置いており、  その感覚に叶う者は暴力的なものが多いので好きという事なのでしょうか?)   ご回答お願いいたします。

noname#250543
noname#250543

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  • alterd
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回答No.2

実際にそうであったのかどうか知る由もありませんが 古代ギリシャの昔から軍事を重んじるスパルタと比較的民主的なアテネの対比があります。 現代日本においても、体育会系クラブ、警察、自衛隊、及び、体育会系の企業等ではスパルタ的風潮があるでしょう。 米軍海兵隊の特殊部隊の訓練は拷問に近いそうです。 勿論、殺してしまっては元も子もありませんが、短期間に強い人間を育てるには良い方法かもしれません。 但し、これはどちらが正しいという問題ではありません。 究極的にはその人の好みによると思います。 人権を尊重する民主的な人は、そういう組織を避けることです。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました 実際にそうであったのかどうか知る由もありませんが 古代ギリシャの昔から軍事を重んじるスパルタと比較的民主的なアテネの対比があります。 現代日本においても、体育会系クラブ、警察、自衛隊、及び、体育会系の企業等ではスパルタ的風潮があるでしょう。 米軍海兵隊の特殊部隊の訓練は拷問に近いそうです。 勿論、殺してしまっては元も子もありませんが、短期間に強い人間を育てるには良い方法かもしれません。 この体制があっている、この方法しか無いという人物もいると思います。 但し、これはどちらが正しいという問題ではありません。 究極的にはその人の好みによると思います。 人権を尊重する民主的な人は、そういう組織を避けることです。 成程避ける事も一つかと思います、 が同級生の彼は「避けていると」しつこく私を恫喝して来ましたが?数か月たつと諦めた様ですが?

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  • akaiyubi
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回答No.3

言葉の暴力、力の暴力どちらも傷つけるだけの理不尽なエゴだとわかってはいますよ イジメられたくなければ喧嘩に強くなれと教えられました どの道イジメは無くなりませんよね あれは何ですかね 暴力ですか?やられたらやられっぱなし? 喧嘩売られてんじゃ無いですかね~違う?社会も同じじゃ無いですか 言い返せない奴ほどマトにされる 単純ですよ世の中は、強い者が勝ち 弱い者が負ける 好きだとか嫌いだとか、嫌なもは嫌だと思い知らせる方法の1つですよ わがままを押しとうすイジですよ 黙って我慢してるんですか?オリャ~できないすっよ

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました 言葉の暴力、力の暴力どちらも傷つけるだけの理不尽なエゴだとわかってはいますよ イジメられたくなければ喧嘩に強くなれと教えられました どの道イジメは無くなりませんよね あれは何ですかね 暴力ですか?やられたらやられっぱなし? 暴力だけでなく法律とかとにかく動く事が大切だと思います。 喧嘩売られてんじゃ無いですかね~違う?社会も同じじゃ無いですか 言い返せない奴ほどマトにされる 単純ですよ世の中は、強い者が勝ち 弱い者が負ける 好きだとか嫌いだとか、嫌なもは嫌だと思い知らせる方法の1つですよ わがままを押しとうすイジですよ 黙って我慢してるんですか?オリャ~できないすっよ その様に動く事が大切かと思います。

  • habataki6
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回答No.1

昔の暴力と現代のを比較すると。悪質性が違います、 昔のはイジメといえるが、現代は犯罪です、つまり 怪我したりしているのは報道されたりしています。 何度も繰り返しているから、いくのは学校ではなく 矯正施設が妥当でしょう。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました 昔の暴力と現代のを比較すると。悪質性が違います、 昔のはイジメといえるが、現代は犯罪です、つまり 怪我したりしているのは報道されたりしています。 何度も繰り返しているから、いくのは学校ではなく 矯正施設が妥当でしょう。 兎に角動く、これが大切だと思います。 悪質な苛めは犯罪で矯正施設が妥当頷ける話です。

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  • 暴れてみたい人の受け皿は必要悪

    ①一概には云えませんが、数年前から 桑田真澄氏 古田敦也氏 落合博満氏等が 「野球の意識改革」「暴力の根絶」を説いております。 (落合氏は絶対暴力や理不尽な要求はしない代わりに 愛甲猛氏に厳しい練習を課した事等からもその事が伺われます) ② プロ野球選手になるには実力が伴わないといけません。 昔の根性論とかそれに伴うしごき等は受け容れても 相容れない人 噛み合わない処があり矛盾を生み出しているのでは 無いかと思います。 唯、相容れない人噛み合わないと思ったのは 「何か知らないけれども暴れてみたい人」が居り、 その様な人が学校や職場にいると不可解なものに映ったのです。 ③ 現在では発達障害と判断されるのですが、 昔はその様な人にとっては 「暴れてみたい→周りに喧嘩を売る→立ち位置を確認する」と いうものだったのでしょうか? そして彼等には居心地の良い感じだったのでしょうか? 仕事は実力がものを云い、秩序を守り、暴力振えば昔でも傷害罪に 成りますが、とび職や漁師でも(あってはならないが) 「暴れる」人が40年程前には居たと思います。 ④ 発達障害でそれを抑える様に現在では対応されてますが、 その気質を良き事として持って行きたいのが、故星野仙一氏 長嶋茂雄氏 清原和博氏や先述の愛甲猛氏なんでしょうか? (褒められないし許されないが、「意味もなく暴れてみたい気持ちや 周りに喧嘩を売りそれで認められたいと云う気質を認めて欲しい的な) 前に例を出した私の同級生や先輩で野球部所属のM・Y君やR・Y君も 勿論実力はそこまでなくプロには成れませんでしたし、 成人しても暴力で逮捕された事も有ります。 小中学時代暴力を振るった時に担任の先生に云った言い分が この様な事でしたので。 (学校も職場も労働条件よりも彼等の様なタイプが居るとブラック化 している様に思えますが、彼等はあれで感情がコントロールされているようですので)

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    1980年頃の体育教師は不良生徒と気質が似ていたhttps://okwave.jp/qa/q10141419.html と云う処でも質問させて戴きました。 家庭環境も大きいと思うのですが、 暴力でこの人には叶わないと思わないと基本的な事も聞かないと 云う同級生が居りました。 彼は小学校の時から女の先生が「宿題の催促をした」とか 「遅刻や私語を注意した」事に腹を立てて暴れ、 所謂怖い教師や怖い先輩が「最近たるんどる」「気合いを入れる」と 殴られても、この人には叶わないので云う事を聞くと云うものでした。 1 公立の小中学校はその地域に居るだけで   様々な子が集まって来ます。   「殴らなくても聞く子」と上述の彼の様なタイプが同じ環境に   身を置く事に成ります。彼を学校と云う枠に入れる為に、   1980年頃は「殴らなくても良い子」は所謂体育教師の言動も   我慢すべきだったのでしょうか? 2 この怖い先輩や怖い体育教師の言動で   彼を暴れさせないと云うのは良かったのですが、   この怖い体育教師の中で「殴らなくても聞く生徒」を   「彼は彼」と認めている教師はそれで良かったのですが、   その教師の一人は「殴らなくても聞く子」を「根性がない」とか   「認めない」的な事を露骨に行う教師が居りました。   その教師は自分が体育大学の寮での人間関係を全生徒に強制し、   それに付いていけない子は「根性がなく」   付いていける子で「自分が怖いから従い」「他では失礼な事を   する子」が可愛いと云う感じでした。   3 私もさぼったり 怠惰な処もありましたし、     強制や合宿や研修での根性論も時には     必要かとも思えたのですが、私の小中学時代の結論は     「普通の教師も怖い教師もここまでは聞ける、が怖い教師も     「気合いを入れる」と殴られる事は理不尽で従えない」    と思ったのです。その様な事から体罰が問題に成ったのだと    思いますが、上述の彼の様なタイプを枠組みに入れる為には    ああするしかなかったのでしょうか?     4 野球や相撲で暴力の不祥事があります。    絶対に可笑しいし、理不尽で許されないが、    「何か知らないけれども暴れてみたい」と云う気質の者が    居ります(上述の彼もそうでした)    稽古の厳しさとは別に、野球や相撲でもその様な人が居る    そうです。    (学校の運動部等でも同様)    彼等の思いを発揮させてやりたいと云うのが、保守的な    運動部の人間関係を肯定する処に成るのでしょうか? 5  彼から私は「以上でも以下でもない感覚が甘えている」    と云う理由で因縁を付けられた事があります。    彼の家は父から「喧嘩で負けると殴られ家に入れて貰えない」    「兄弟で食事を喧嘩して取らせ、     勝てば食べられ負ければ与えられない」    と云う事をされたそうです。    彼を従わせるのは暴力でこの人に叶わないと思わせないと    云う事を聞かないと云うもので、この様な感覚が次世代に    連鎖していきます。    故に結局暴力で制するしかないのでしょうか?

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    昔(1980年代)に小中学生でした。 罰則としての体罰は受け容れて居りましたし、時に根性論的な手法で 研修や運動会の練習も行っておりましたが、その賛否ではなく その事を踏まえた上で、 暴力団的感覚(この様な書き方をすると可笑しいかもしれませんが)が居心地が良く、 それで感情がコントロールされていく人も居るのでしょうか? 例えば、1980年頃に某大学の体育学科に入学すると、「誰が強いか」と云う事で殴り合いの喧嘩を行い、序列が決まると云う様な事が当時の卒業生から述べられておりました。 又、殴られてこの人に叶わないと思わないと、基本的な事も聞かないと云う同級生がおりました。 彼は、女の教師が私語を注意したり、宿題の提出を催促すると、 「女の分際で宿題の催促をしたからや」と云って暴れ、 怖い教師に殴られて云う事を聞くと云う感じでした。 反面怖い教師や先輩が「気合いを入れる」と殴っても「有難い」と 受け容れる様な感じでした。 彼は所属する野球部でも怖い先輩の云う事は聞くが、大人しい先輩や 同級生には何かと因縁を付け暴力を振るっておりました。 ① 彼には此方には解らない苛立ちがあったのでしょうか? 「何か知らないけれども暴れてみたい→それが叶わない存在に於いて 抑えられる」と云う心理なのでしょうか? ② 運動部の暴力等を顧みると、私が居た小中学時代も顧問や指導者 は「暴力や苛め」は否定的でした。が、一部の彼等の様な気質の者が いるとどうしてもその様な風潮になってくると思います。 ③ 彼は同級生に暴力を奮い、それを教師に云うと  「殴り返してこないあいつが悪い、俺なら殴り返す」  と云うものでした。 ④ 罰則や身の危険を伴う場合は別として (多分漁師等の肉体労働や警察や自衛隊もそうだと思いますが)  彼の家は父親が 「食事を兄弟で喧嘩させ勝てば与えられ負ければ与えない」 「自身が主である事を鉄拳で仕込ませる」と云う躾をされました。 彼の中に 「喧嘩で勝つ事が全てでそうしないと父親から罰則を受ける」と 云うもので彼は「勝たないと馬鹿にされる」と云う感覚が培われた様でした。結局「正しい方向に向かわせる事も→暴力で服従させる」的な感覚でしかないのでしょうか? ⑤ 自衛隊や海上保安庁で「どうしても身の危険を伴う時への 体罰もセクハラパワハラ」と云われてやり難いと云う声を聞きます。 (それを全否定しませんが)唯上述の体育大の様な気質の者が残り、 「訓練は厳しいのは解るが、理不尽に暴力を受けるのは可笑しい」と 云う者が扱いにくく、辞めて行っている様な気がします。 ⑥ 此方は小中時代から現在に至るまで出世とかは別として、 支配したいと云う気はありませんでしたが、上述の彼は 「喧嘩して勝たないと居場所が無い」的な感覚でした。 (勿論野球の実力あっての事ですが)野球選手でもこの様な感覚が少ない人は、暴力沙汰や喧嘩も少なく、多い人が暴力を行っている様な気がします。 ⑦ 所謂保守と云われる戸塚宏氏や田母神俊雄氏は私より  彼の様な子育てが望ましいのでしょうか? 「いじめ肯定→彼に殴られ私は奮起する」 「体罰で育てる→耐性 超えられる精神は身に付けている」 御回答戴ければと思います。