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格言ぽく訳すなら故意に分かりにくくするものなのか?

その昔、(ローマ軍の背後からあがった雄叫びがローマ勢を怖がらせたので。)ローマのユリウス・カエサルがガリア戦記にてこう記しました、、 omnia enim plerumque, quae absunt, vehementius hominum mentes perturbant. なぜなら(そこに)不在であるものすべてはたいてい、人間の心を激しく混乱させるものであったからである。 https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%88%A6%E8%A8%98_%E7%AC%AC7%E5%B7%BB#84%E7%AF%80 つまり、「目に見えていないものは、(もしくは遠くにあるものは)実物以上に怖いものだ。」(ラテン語absuntは辞書によると「不在、遠く」の両方の意味があるので、)と、別に一般常識ポイ事を言っただけのように思いますが。 https://en.wiktionary.org/wiki/absum#Latin (ラテン語のabsuntの語義) 英語では、このように訳されています。 for, as a rule, what is out of sight disturbs men's minds more seriously than what they see. http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Caesar/Gallic_War/7G*.html for generally all evils which are distant most powerfully alarm men's minds. https://en.wikisource.org/wiki/Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_7#84 まあ、ここまでは「不在か、遠くにか」で意見は割れているもの普通の意見だと思うのですが、 カエサルのこの言葉は、モンテーニュ随想録抄でも引用されていて、以下のように英語には訳されています。 as Caesar says, things often appear greater to us at distance than near at hand https://www.gutenberg.org/files/3600/3600-h/3600-h.htm#link2HCH0019 モンテーニュ随想録抄、関根秀雄訳によれば日本語訳は、 「物事は往々近くて見るよりも遠くから望む方がかえって大きく見えるものだ。」 もう、パッと読んだ感じだと何を言っているのか全然分からなくなっています。でも、ありがたみは「目に見えていないものは、(もしくは遠くにあるものは)実物以上に怖いものだ。」というよりも何十倍もあるような気がします。 このように分かりにくく訳せば訳すほど、何事も格言ぽくなるのでしょうか? 回答者様達は、 (1)翻訳するうちに勝手に一般常識が格言になったように思いますか? (2)ガリア戦記でのカエサルの言葉(英文)をどのように訳しますか? (3)また、モンテーニュ随想録抄にでてくるカエサルの言葉(英文)の訳もどのようになるか教えてもらえますか?(やっぱり、格言ポクなってしまいますか?) (4)どの言い方が一番好きですか? できれば、この4つについてご意見をいただけたらと思います。 よろしくお願いします。

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9728/12101)
回答No.5

いつもながら、興味あるご質問をありがとうございます。 >(1)翻訳するうちに勝手に一般常識が格言になったように思いますか? ⇒「玉を磨きたい」という翻訳者の、あるいは、その昔、印刷術が発明される以前の筆耕者の無意識裡の願望のなせる業だったのかも知れませんね。古代ギリシャの人々は、「頭を鍛えることに力を注ぐと体がおろそかになり、逆に体を鍛えることに力を注ぐと頭がおろそかになる」という二者択一を嘆いて、「健全なる肉体か、さもなくば健全なる精神か」と言ったそうです。それが、いつの間にか、「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」という「立派な格言」になったのだという話を聞いたことがあります。 >(2)ガリア戦記でのカエサルの言葉(英文)をどのように訳しますか? ⇒「通則ながら、目にさやかに見えるより漠としているものこそ人心を騒がすものだ」。  「遠くにほの見える悪魔の化身こそ、なべてこの上ない警戒を要するものの印だ」。 >(3)また、モンテーニュ随想録抄にでてくるカエサルの言葉(英文)の訳もどのようになるか教えてもらえますか? ⇒お訳とほとんど同じですが、「物事は、往々にして手元のものよりかえって遠方のものが大きく見えるものだ」。 >(やっぱり、格言ポクなってしまいますか?) ⇒少し視点を動かして、例えば、「災難は忘れたころにやってくる」。 ゲーテは、晩年とみに視力が衰えていた。加えて、石造りの家屋は窓が小さく、少ない。それで、「もっと明かりが欲しい」と言ったらしい。それが、後年彼の金言として知られる「もっと光を」となったというのが実情のようで、「やっぱり、格言ポク」なりますね。 >(4)どの言い方が一番好きですか? ⇒すみませんが、中から選ばず、似たような「格言」を外から補充させていただきますね。コンラッドが言った言葉らしいですが、「人間は、自分の想像したものに最大の恐怖心を抱く」。私はこれがいたく気に入っています。

lived_in_room13
質問者

お礼

お忙しい中、ご回答ありがとうございます。 格言にお詳しいですね!  「玉を磨きたい」と言う気持ちについては、考えるに至っていませんでした! どおりで、カエサル→モンテーニュ→現代日本語と、時代を経るにしたがって、同じ言葉がどんどん「ありがたく」なってくるわけですね。 訳していただいた和訳を読ませていただいて、やっぱり、モンテーニュ経由の言葉が一番「格言っぽく」なってると思いました。 磨きすぎちゃったんでしょうかね? それでも、ご紹介いただいた「もっと光を!」にくらべたら、まだまだ磨き方が足りないのかも知れませんけど。(笑) やっぱり、ものごとは往々にしてもともと大したことない言葉が時代を経るにしたがって「立派な格言」になってしまう事はあるのですね! >「人間は、自分の想像したものに最大の恐怖心を抱く」 それでもやっぱり、格言はカッコイイので好きです。  今回もありがとうございました。 英語カテで回答する時に私は、無駄に熱くなって後々後悔する事ばかりのダメ回答者ですが、今後ともよろしくお願いいたします。

その他の回答 (4)

noname#236835
noname#236835
回答No.4

またまた見当違いのコメントになりますが、「訳書を読んでいると時々意味不明な箇所に出くわす」という嘆きの言葉を目にすることがあります。 「読んでみて意味がわからない」箇所は、たいていの場合訳した本人にも意味がよく分からなかった箇所だと考えてよろしいでしょう。 また、いわゆる哲学の入門書的文書では、あまり明快な書き方や訳し方をすると、せっかく哲学書を読んでいるのに有難味が無くなってしまうという考え方もあるようです。

lived_in_room13
質問者

お礼

お忙しい中、再度のご回答ありがとうございます。 >「訳書を読んでいると時々意味不明な箇所に出くわす」という >嘆きの言葉を目にすることがあります。 ありますね!(笑) >「読んでみて意味がわからない」箇所は、たいていの場合訳した本人 >にも意味がよく分からなかった箇所だと考えてよろしいでしょう。 一般小説の類では、おそらくその通りなのだと思います。(笑) 実際に、翻訳小説でそのような文章に遭遇した時に英語原文を調べてみると、多少なりとも難しい表現が使われていて、この翻訳者のレベルでは難しかったのかな?(笑)と思ったりします。(笑) >いわゆる哲学の入門書的文書では、あまり明快な書き方や >訳し方をすると、せっかく哲学書を読んでいるのに >有難味が無くなってしまうという考え方もあるようです。 モンテーニュを翻訳した方は、間違いなくこっちですね。(笑) 一般常識レベルの事を、「こんなにもありがたい格言にしおって!」と個人的には思いました。(笑)

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.3

 ラテン語の点が、あまりよくありませんでしたので、一から四までのご質問にお答えする資格が自分にあるかどうか甚だ疑問に思っています。  でも、ローマのおじさんが気づく二百年ほど前、見えないものの力に気づいた中国人が使ったのが、格言かどうか知りませんが「四面楚歌」だそうです。

lived_in_room13
質問者

お礼

お忙しい中ご回答ありがとうございます。 確かに、「四面楚歌」も見えないものを勝手に憶測してしまって、自滅が早まった感じでしたね。 しかも、ローマのおじさんよりも、二百年も早いのはすごいことだと思います。 ただ、個人的には古代中国人やローマのおじさんが記さなくても、だれでも気が付きそう、、、な感じがします。 ただ、書き方によっては「りっぱな格言」になるのがなんとも、、な気分です。

回答No.2

高名な人々にまじって,東洋人の半ぼけ老人が口をはさむ余地はないでしょう。 しかし,「英語で講釈をたれろ」と私が銃口をつきつけられれば, The biggest horror lies in the darkness. 「疑心暗鬼」のパクリといえなくもない(笑)。 ことわざとしては, Out of sight, out of mind. という逆の観点もあります。

lived_in_room13
質問者

お礼

お忙しい中ご回答ありがとうございます。 >The biggest horror lies in the darkness. なんか、カッコイイ! >Out of sight, out of mind. 格言とは真実を言いえているようでいて、ほぼ必ず正反対の意味をもつ格言も無数にあるものなのですよね、、、、。

noname#236835
noname#236835
回答No.1

> ローマ軍の背後からあがった雄叫びがローマ勢を怖がらせたので。 富士川の合戦で、水鳥の羽音に驚いた軍勢が総崩れになって敗走した、というような話がありますね。遠くだから怖いのではなくて、目に見えないから怖いということだと思います。 イラクやアフガニスタンに派遣されたアメリカ兵が、いつどこから狙撃されるかわからないという恐怖のあまり、住民の些細な動きに過剰に反応して銃撃してしまうというようなことが日常的にあったと言われていますね。戦前に中国の上海で日本軍が中国人を大虐殺したと未だに言われているのも、蒋介石軍の兵士が軍服を脱いで一般市民に紛れ込み、ゲリラ戦を展開したのが原因であると考えられます。 つまり、見えない敵ほど怖いものはありません。 回答になっていなくて申し訳ございません。m(_ _)m

lived_in_room13
質問者

お礼

お忙しい中、ご回答ありがとうございます。 回答者さんが、格言シリーズのご質問を最近されているのを拝見して、私も格言物の質問しちゃいました。 私も戦に関しては、「遠くにある」よりも、「目に見えない」物の方が怖いと思います。 その意味ではラテン語のabsuntは、「遠く」じゃなくて「目に見えない」の方だったんじゃないかと思う反面、よくある空き缶を使って作ったアートオブジェみたいなのは、遠くから見たい方がたいそうなものに見えるのも確かですし、外国語で本を読むというとたいそうなものに感じますが、ご存じの通り実際に(英)単語の意味をを一つずつ理解して読むのはそれほどすごい事には思えません。 out of sightか、which are distantかは、英語や日本語的にはだいぶ違うように思いますが、ラテン語で両方の意味を含んでいたのなら両方って事でいいんじゃないかと思う次第です。(ラテン語は、全く勉強した事ありませんので、詳しい方からしたらとんでもない事言っているかもしれませんが、、。)

lived_in_room13
質問者

補足

(1)~(4)全てに回答してくださいとは言いませんが、せめて。(1)とか、(4)についてのご意見もいただけますと、嬉しいです。

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