• ベストアンサー

なぜ仏教は寺を山に作ったのでしょう?

なぜ仏教は寺を山に作ったのでしょう? 一方の神社は平らな地に作りましたよね。 この差って何だったのですか? たまたま最澄が辿り着いた場所が中国の天台山だったので天台宗になって、たまたま修行した天台山にある寺が天台山の山にあったので最澄は寺は山の上にあるべきものと思って、日本に帰って寺は山の上に建てるものなのですと報告して、おおそうか。寺は山の上にあるべきものなのかと言って、山の上に寺を建てた? なぜ寺は山の上に建てないといけなかったのでしょう? 理由分かりますか?

  • 歴史
  • 回答数6
  • ありがとう数6

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9578)
回答No.4

blackkigyou2017さん、こんばんは。 奈良時代までの仏教というのは平地に伽藍という計画設計でした。国分寺、国分尼寺もそうです。そして大抵、都を守る国家鎮護の思想により、都の中などにもつくられました。それは僧侶を政治勢力として台頭させる結果にもなりました。 そこで、京都へ遷都した桓武天皇は平安京には寺を作る数を制限しました。次の嵯峨天皇はそれとともに新しい中国からの仏教、つまり山岳仏教である空海の真言宗、最澄の天台宗を採用しました。彼らの修行の場は都の真ん中ではない、滝や谷や山に囲まれた峻厳な土地です。お経を読んでばかりの修行ではない自分の肉体や精神を鍛える仏教スタイルが桓武、嵯峨両朝に受け入れられたのでしょう。

blackkigyou2017
質問者

お礼

ありがとうございます

その他の回答 (5)

回答No.6

神社仏閣どちらも山にあるのもあり、平地や都会地にあるのもありますね。 あぁ現代も、昔も。 お寺の山号などは発生に何か由来があるかもしれませんね。 ほとんどのお寺は山号を上に、下に寺号をつけていますね。 神仏習合でしょうかね、多くのお寺の脇に小高い神社がありますね。 何か信仰や哲理に関係があるのかもしれませんが、山に宗教施設って多いですね。

blackkigyou2017
質問者

お礼

ありがとうございます

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9578)
回答No.5

blackkigyou2017 さん、こんばんは。 ithiです。追加です。神社の神様が仏様に化身するという神仏習合という考え方により、神社の神官さんよりも僧侶の方が力を得るようになりましたし、明治維新まで、そんな形のままになりました。たいてい、神社の隣にはお寺があって、そちらが管理している場合もありました。だから、一方の神社は平らな地に作りましたよね。そうでもありません。山の上に作られた神社もあります。

blackkigyou2017
質問者

お礼

ありがとうございます

  • suiton
  • ベストアンサー率21% (1096/5177)
回答No.3

やはり山というものに、崇高さを感じたのでしょうね。 ただこれは仏教だけではなく、神道も同じだと思います。富士山頂に神社があるように、古来から日本には山岳信仰というものがあり、多くの山の山頂に神社が祀られています。

blackkigyou2017
質問者

お礼

ありがとうございます

noname#232424
noname#232424
回答No.2

山上に寺院を建てる傾向があるのは「密教」じゃないですか(ぜんぶの宗派を調べたわけじゃありませんが)。古い法隆寺や東大寺なんかは平野にありますしね。 密教は,ぼくの印象ではオカルトじみたところがあって,山を聖なる場所とみる在来の山岳信仰とも結びついていく。だから山が好きなんじゃないですか。

blackkigyou2017
質問者

お礼

ありがとうございます

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2589/17101)
回答No.1

寺は必ずしも山にあるわけではないですけど、そういうところにあるような寺は修行の一環という面もあると思います。

blackkigyou2017
質問者

お礼

ありがとうございます

関連するQ&A

  • 最澄はなぜ中国で正しい仏教を学んで来なかったのでし

    最澄はなぜ中国で正しい仏教を学んで来なかったのでしょうか? それとも正しい仏教は日本のためにならないと判断して分かっていて嘘の仏教を日本で広めたのでしょうか? 中国の正しい仏教を理解していて日本人向けに改変して伝えたのか本気で分かっていなかったのか教えてください。 当時の天皇に嘘の仏教を伝えた理由は何なんでしょう? それとも天皇には中国の正しい仏教をお伝えしたが、天皇の意向で国民には日本独自の仏教解釈を伝えるように天皇が最澄に指示したのでしょうか?

  • 神社と寺

    近所に住みながら、申し訳ありません。近くに比叡山があります。ご存知の方もおられると思いますが、比叡山は、仏教 天台宗の総本山かと思いますが、その麓には日吉大社、または少し離れますが、近江神宮もあります。最近まで考えた事もありませんでしたが、比叡山は先の通り仏教のお寺で、日吉大社 近江神宮は神様を奉る神社ですが、何故、こうも近くに、しかも並ぶように寺院と神社があるのでしょうか?またその昔、日吉大社前の坂本というところは、門前町で沢山の民宿のようなものや、遊郭のようなもまで(織田信長による比叡山焼き討ちの原因の一つ)あったようです。ご存知の方、教えて下さい

  • 神社は山の上、寺は平地に多く作られるのはなぜですか

    神社は山の上、寺は平地に多く作られるのはなぜですか? でも有名な高僧の寺は平地ではなく山の上に寺がある。

  • お寺や神社が山におおい理由は?

    お寺や神社めぐりがすきなのですが、山にあるところが多いきがします。 理由はありますか?

  • インドの釈迦の教えを日本で最初に取り入れた人物は聖

    インドの釈迦の教えを日本で最初に取り入れた人物は聖徳太子ですか? 聖徳太子が仏教を伝えるまでは日本人の誰1人として仏教の存在は知らなかったのでしょうか? 日本の仏教の歴史は聖徳太子から始まり、最澄と空海が中国に仏教を学びに初めて国から派遣されて、最澄が空海より1年先に日本に戻ったので最澄の天台宗が日本全国に広がった? 空海はもう死んでるかも知れないので早く日本に仏教を広めたい聖徳太子は恒武天皇は先に帰って来た最澄の天台宗を国教にした? もし空海が先に帰って来ていたら空海の真言宗が国教になっていた? なんで東大寺は天台宗じゃなくて華厳宗なのですか? 聖徳太子→鑑真→華厳宗→東大寺→恒武天皇→最澄→天台宗→ って流れですか? 鑑真は何宗だったのでしょうか? 華厳宗から天台宗に移っていく流れがわからない。 天台宗に移った国は華厳宗の東大寺は忘れさられていた?

  • 最澄の教えを読み終わった。

    最澄の教えを読み終わった。 最澄は天皇からこの国の仏教僧は偽者が多いので、ちゃんとした仏教を中国で学び、正しい仏教を日本に伝えよという命を受けていたので、帰国後にそれまでの仏教の否定から入った。 今までの仏教の教えは間違っているという前提で日本の仏教を再建するのが最澄の仕事の任務だったので仕方がないが、日蓮宗も全ての他の宗派を否定する形で反吐が出たが、最澄の教えも殆どが否定的で現代で言うところのネガティヴ思考の高僧であった。 それは自分自身がネガティヴなのか、天皇の命令を推し進めるために必要だったのか分からないが、最澄の教えは全てが否定的で学ぶところがないと思ったが、最澄の寺は人気がある。 比叡山延暦寺で修行しようという気が最澄の書を読んでここで修行したいと思う僧の気持ちが分からない。 そして国民市民が比叡山延暦寺を参拝してアリガタヤアリガタヤと言っているのも良く分からない。 最澄の教えに学ぶところはない。 どこに学ぶところがあるのでしょう?

  • 自分自身仏教修行をしておりまして、もう良い年齢なので、できれば信仰心の

    自分自身仏教修行をしておりまして、もう良い年齢なので、できれば信仰心の厚い、 お寺の役職のお坊さんや、寺院そのものの跡継ぎの僧侶の方のもとに真剣に嫁ぎたい (できましたら天台宗の方)と想っているのですが、 ご縁をいただけるお見合場所(会社)やイベントやお店、インターネットサイトなど などご存知の方いらっしゃいましたら、お教えいただけませんでしょうか? 宜しくお願いいたします。

  • 神社と寺の共存

    歴史の素人です。わかりやすく教えてください。 寺の中に神社があったり、うまく共存しているようにみえます。 神道のほうが仏教より先にあったのに、仏教の力が強すぎて 抵抗できなかったのでしょうか。それとも、もともと両方とも、慈悲と恵みの魂なので、争いを好まなかったのでしょうか。 もう一つ、寺の中に神社があるのはよくありますが、 神社の中に寺のある場所もありますか? よろしくお願いします。

  • あるお寺の名前が思い出せません

    あるお寺(神社?)の名前が思い出せず困っています。 私の通っていた中学は掃除に力を入れていたのですが、ある時生徒指導の先生から「これが掃除の真の姿だ」というDVDを見せられました。 そのDVDはお寺(神社かもしれません)で修行するお坊さんたちの生活の紹介をしている映像で、写経をしたり座禅したり、当時の私でもなんとなくイメージできるお坊さんの生活だったと思うのですが、その中でお寺の掃除を黙々と、熱心に、細かいところまでしていました。 当時の私はその姿に衝撃を受け、先生にお寺の名前を聞き、大人になったら絶対に行こうと思っていたのですが、大人になった今不甲斐ないことにそのお寺の名前が思い出せません。 お寺について覚えていることは、 ・とても大きいお寺で、大きな赤い門があったような気がします。 ・その大きな赤い門の前で、新しく修行にきた人たちが自分の決意?のようなものを大声で叫んでいて、認められないと入れない、というようなシーンがあったと思います。 ・赤い門は市街地に近かったような気がするのですが、お寺自体は山中にあったと思います。 ・雪が降っていた覚えがあるので、寒い地方かもしれません。 ・修行僧さんたちがたくさんおり、修行が終われば自分のお寺に戻る、といったようなことも言われていました。 ・そのDVDではとにかく掃除を熱心にやっていたという印象を受けました。 ・観光でも入れたはず…なんですが、もしかしたら無理なのかもしれません。 自分でも記憶を頼りにいろいろ調べてみたのですが、いまいちピンとくる場所に出会えません。 何か知っている方、ここではないかと思う方、ぜひ回答お願いします。

  • 東条湖おもちゃ王国から見える山の上の寺(神社)

    東条湖おもちゃ王国から東条湖を望むと、山の上に寺か神社の屋根が見えるのですが、あれは何という寺(神社)なのでしょうか?。インターネットの検索で調べても、確証できる情報には辿り着けませんでした。水天宮という神社かもしれないという所まで解ったのですが、あれは水天宮なのでしょうか? 位置的にはダムの西側に位置し、山の上にあり目立つ存在です。 ご存じの方、情報を宜しく御願い致します。