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論語の単語の意味「これ」を行うべき「者」ありや
子貢問うて曰わく、 一言にして以て終身これを行うべき者ありや。 子曰わく、 それ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ。 の 一言にして以て終身これを行うべき者ありや。 の部分を直訳したいのですが、 これで正しいでしょうか? ひとことで言って、一生行うべきことはありますか。 (1)「者」は「こと」という意味でしょうか (2)「これを」はどういう意味でしょうか お願いします。
- anon256
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有一言而可以終身行之者乎 この文は 有A乎 Aがあるか? A=一言而可以終身行之者 と解析されます。 Aは (B而C)之者 B=一言 C=可以終身行 と解析されます。 「B而C」は「B」と「C」とが並列状態であることを表します。そこで「C而B」としても同じです。 B而C BのC BでC BであるC C而B CのB CでB CであるB Cの「終身」は「行」にかかる副詞句です。そこで C'=可以行 ですが、普通、「可以」の「以」は現代中国語と同様あまり意味がなく「可以」は「可」と同じであると解かれますが、『論語』などの場合は本来の介詞の意味を引きずっていますから、「~を以て」とした方が分かりやすいでしょう。「~」が明記されず、「可」が先行していますが、普通の語順は、主語「人」を補って示せば 人以~可行 人は~を以て行ず可し 「~」は、言うまでもなく C です。 人以C可終身行 人はCを以て終身行ず可し 従って (C者人之)可以終身行(之者也) (Cは人の)以て終身行ず可き(者也) (Cは人が)それによって生涯かけて行ずることのできる(そのもののことである) さて「B而C」のB、Cはそれぞれに文を構成します。 B それは 一字一音の事柄 である。 C それは 人がそれによって生涯かけて行ずることのできるそのもの である。 BでC それは 一字一音の事柄であって、人がそれによって生涯かけて行ずることのできるそのもの である。 CであるB それは 人が生涯かけて行ずることのできる一字一音の事柄 である。 さて「有A乎」のAは名詞又は名詞句です。Bだけなら「一言」で、Cの「行」だけなら「行者」で済みますが、「B而C」の並列文を名詞句にするには、下に「之者」の2字を添えます。 有一言而可以終身行之者乎 の解訳は 人が生涯かけて行ずることのできる一字一音の事柄がありますか。 となります。 以上の分析と解訳に従ってルール通りに訓読すると、 一言にして以て終身行ず可き者有りや 「而」「之」字は訓読文に明確には現れません。こういう字は「不読字」と言います。もともと漢文の学習では 音読 iu it gen dji kaa ii chiung chin giaung chii chia koo 訓読 イtiゲンニチテ、モッテ チウngチン ギアngヅベキィ モノアリヤ と勉強しているうちは不読字があっても問題はなかったのですが、音読の習慣が薄れ、訓読文が漢文の本文扱いされるようになると、不読字を抜かして記憶する恐れが出たため、なるべく総ての字を読むように訓読法が変わります。 一言にして而して以て終身行ず可きの者有るか 1字1音の事柄、孔子の答えは「恕」です。「思いやりを以て行動せよ」 ここでは「行」は直接目的語を要求しません。不完全自動詞といったところでしょう。しかし日本の訓読文では「行」をとりあえず「おこなふ」という他動詞に置き換えます。そうすると目的語が欲しくなりますが、幸い直後によく代名詞としても使われる「之」字があるので、「べき・の・もの」という日本語としては文法破りの読み方よりは、「これを行なふ」のほうが、意味はともかく、落ち着く、というわけで、 一言にし[而]て以て終身之を行なふ可き者有る[乎]か という読み方が一般的になりました。
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- SPS700
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#です。訂正です。 >>#1で、「 原文は 子貢問曰有一言而可以終身行之者乎 で、「これを」に当たる文字はありません」と申しました。 後で、学生時代寮で使っていた「身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。」のもじり「寝台白布、之を父母に受く。敢えて起床せざるは」を思い出しました。 ここでも原文(下記)の「之」が、「これを」に当たる文字ではないかと思います。 身體髮膚受之父母不敢毀傷孝之始也。 このように、先に名詞をあげ、それを代名詞で受ける他の言語にもよくある言い方だと思います。お詫びして訂正します。したがって「これを」は、「一言」と同じ意味でしょう。
お礼
ありがとうございます
- SPS700
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1。これで正しいでしょうか? はい、正しいです。 2。(1)「者」は「こと」という意味でしょうか はい、そうです。 3。(2)「これを」はどういう意味でしょうか 原文は 子貢問曰有一言而可以終身行之者乎 で、「これを」に当たる文字はありません。昔、このような漢文を読み下す時、日本語の代名詞を補う慣習が発明されました。 これがそのまま西欧語の斜角の関係代名詞を訳する時に、Is there a pen I can use all my life? (一本にして、もって終身これを使うべきペンありや)式に残ったものです。 いうまでもなく「一本で、一生使えるペンがありますか」同様「一語で一生使える言葉がありますか」で、「これを」の意味はありません。
お礼
ありがとうございます
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ありがとうございます。 参考にさせていただきます。