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旧約聖書と新約聖書
日比野 暉彦(@bragelonne)の回答
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.15です。 ★ 保護係りが捜しても捜しても見つからないから、その方にお告げを聞いてもらい、お告げ通りの時間と場所で捕獲用具を持ち待機していたら、逃げ出した動物が現れ、保護係りが捕獲できたのですから、本人や周りの人だけでなく認めざるを得ないと思いますが。。 ☆ そうですか。そこまで実現性の低い確率のことが現実に成ったとしますと なかなかのものだと思います。 それ以上は 何とも分からないとも思います。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ >その神とのカカハリは あくまで主観内にとどまります。よね。 神とその方の関わりは主観でありますが、実際逃げ出した動物がお告げ通りにその日その時間、その場所に現れ無事捕獲できたのです。どこに疑いの余地があるのですか? 普通の人間は当てられません。あなたもできないはずです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ なかなかのものだと思います。 そして もしそのお告げが神のものなのだとか・だから信じなさいとか言わない場合なら ころっと信じてしまうかと思います。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 聖書に書かれた神とサタンの存在の内、神の存在は書いてある通りに認め、サタンの存在は天使であり神の仕いだと置き換えたり、概念だと独自に曲解している。 一方は書いてある通り。一方は書いていない独自の発想であり、「書いてある通りに受け入れるものと、そうでないもの」に分かれている。 そしてその理由があの説明ではわからない。 サタンは主に仕えているようには書かれていない。。 なので、貴方がなぜ神の仕いと言い張るのかわかりません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ヨブ記では サタンは神の許可を得てやっと ヨブにわるさをすることになります。神に仕えています。 神の存在は書いてあるとおりに認めているのではありません。 《非経験の場 = 非知なるナゾ ⇒ これを受け容れる(信じる)とわが心に非思考の庭が成る(これが 信仰の動態)》という想定のもとに 神を――哲学として言えば――みとめ 聖書なら聖書の記事をどう受け取るか・またどう扱うかをつねに考えています。 天使が 神と同等だということはありません。 サタンは たしかに ひとつの顔として《神のごとくいかなる者の下にも立つまいと堅く決意した者》であり もっと具体的に言えばけっきょく《支配欲に支配された心であり 相手を・すなわちすべてのものを支配下においてその意志を踏みにじるために動いている者》です。もっと早く言えば すべてを否定する精神です。さらに ひと言では 死です。死の制作者です。 このようなサタンは 要りません。わたしは 死にカカハリを持ちません。どうでもよく 屁の河童です。神にお任せしてだいじょうぶです。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 神を見たは主観内で、その検証はしえないけれども、 普通の人間には決してできない日、時間、場所の指定という確かな預言とその事実は確定しています。 しかしあなたは(人々も)信じない。 ですので、否定する人は否定できない根拠(ここでいう普通の人間にはできない日、時間、場所の指定)を示しても否定する。ここが、難しいのでしょうね。 一部を除いて考えるから、堂々巡りしてしまう。と私は言うのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 預言ないし予言が当たったということは 神ではないですよ。起きる確率の低いけれども一般的な経験事象に属します。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >後者の一文に対応するようにして 潜在性としての健康を打ち出してもよいと考えました。 精神的或いは肉体的に後遺症的な疾患もありますし、潜在性としての健康はもはや自覚できない場合が多々あることになりますが。。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ かなしいことに本人が自覚できない場合にさえ疾患は成り得ますが 一般的には 潜在性としての健康をいちおうかかげると思います。
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お礼
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