• 締切済み

「これは~」の使い方 日本語文法

これは~の使い方を教えてください。 今朝、友人と話をしている時に以下の様な会話がありました。 友人「…つまり、株なんてものは自分でリスクを負う物だよ、結局の所。中国でも日本でも関係ない」 私「そうだね。これは中国的だけども… 友人「中国だけじゃないって言ってるでしょうが!」(怒) 私「ちょっと聞いてくれって、これは中国…(的だけども、いざとなった時にお上がルールを改変できるのはフェアじゃないよね、それじゃ今後は株に資本が集まらないよね。)(と言いたい) 友人「これは中国だけじゃない!株全般の事だ!」 という話がありました。 友人曰く、「これは~」は前の文章・会話に掛かる物で、私の「これは~」は前の友人の話にかかっている…つまり、「彼の話は(これは)中国的だけども…」となるという主張です。 私は、「これは~」は上記の会話の中では後の会話に掛かると思っているので、「いざとなった時にお上がルールを改変できる(これは)事は中国的だけども…」となるという主張です。 どちらが正しいのでしょうか?それともどちらも間違っているのでしょうか? 有識者の方、お教えください。

みんなの回答

回答No.3

これはご友人が間違っていると断定できます。 「コ」は話し手の領域にあるものを指します。 相手の領域にあれば「ソ」を使います。 自分が持っているペンは「このペン」 相手が持っているペンは「そのペン」です。 話の内容であっても同じです。 話し手が直前にした話、あるいは、直後にする話は、話し手の領域にあるので「コ」で指します。 「世界の平和。これが私の願いだ。」(コ=世界平和) 「これが最後の忠告だ。あいつには会うんじゃない」(コ=「あいつには会うな」) 相手が直前にした話は、まだ相手の領域にあります。 従って、「ソ」で受けます。 A:おまえは金持ちだから。 B:それは違うよ。(ソ=「Bは金持ちだ」) 試しに、上の「それは」を「これは」に代えてみて下さい。 A:おまえは金持ちだから。 B:これは違うよ。 恐ろしく不自然です。 おそらくは、ご友人は勘違いに気がついてはいるけれど、怒ってしまった手前、引っ込みが付かず、へりくつを並べているだけでしょう。 こういう面倒な相手には、「曖昧な言い方をして悪かった」とこちらが謝っておくのが大人の対応というものです。

kurota0123
質問者

お礼

遅くなりましたが、ありがとうございました。

  • Nebusoku3
  • ベストアンサー率38% (1442/3776)
回答No.2

この会話の中の問題は、日本語の 「これは~」の使い方に問題があるとは思いません。 問題は相手の話を聞く耳を持たない点にあると思います。 (話題の争点がまったく食い違っていますね。 日本語では「かみ合っていない」 と言います。) 友人「…つまり、株なんてものは自分でリスクを負う物だよ、結局の所。中国でも日本でも関係ない」 ↓ 私「そうだね。これは中国的だけども…(通常は気心の知れた友人であればこの内容でも問題なく次につながる) → 提案: 私「そうだね。 ”今回の件は”、中国的だけども… と限定する。 ↓ 友人「中国だけじゃないって言ってるでしょうが!」(怒) → ここで怒るのは少し変です。 私「ちょっと聞いてくれって、これは中国… → 友人が怒った時点で,既に聞く耳を持たなくなっています。 → 言い方を変える必要があります。 提案: 株全般の事だとは知っている(と相手の言っていることをまず受け入れます。) その後、「いざとなった時にお上がルールを改変できるのは他では無いよね?」 と言えば少しは進展があるのでは? ↓ 友人「これは中国だけじゃない!株全般の事だ!」 → 失礼ですが、かなり頭の固そうな友人のようですね? まとめ: 会話は言葉の使い方、「これは~」などの問題もありますが、キャッチボールですので、相手の言っていることを「受け止めたよ」 と示しながらお互いの意見を交換していくのがいいでしょう。

noname#224207
noname#224207
回答No.1

「これは~」という日本語の使い方の問題ではありません。 英語のitでも同じ事件は起きます。 ご質問の例文は、恐らく中国株の話から始まったのでしょうけれども、「友人」が「結局の所。中国でも日本でも関係ない」と言っていますから、その後で「私」が中国株だけを指して「これ」というと混乱するでしょう。 「友人」は中国がどうであれ株取引というものはリスクがある、と言っているのに対して、「私」は今回の混乱は中国特有の現象が関与している、といいたいのでしょう。 「これ」に対応する具体的事例についての興味といいますか視点が「友人」と「私」では違うということです。 視点が違えば論拠も違ってきます。 まぁ~オレがいう「これ」は株全体ではなく中国株のことだ、と説明するほうが揉めなくて済むでしょう。 「これ」「それ」「あれ」という言葉は具体的にいうことを簡略化して日常的に使いますが、使う本人と聞く相手で具体的な事象が違うことは頻繁に起きます。 「例の件」なども同じ事件が起きます。

関連するQ&A

  • 中国語 文法

    中国語教室に通い1年になりますが、今イチ文法がよくわかりません。 (はじめての~文法書は持ってます) 過去の出来事を説明する場合は、量詞が必要で 条件文で話がまだ終わらない場合は、量詞がなくても いいようですが、こういう量詞がある時と無い時の 中国語の感覚がわかりません。 量詞があってもなくても豚は豚、冷蔵庫は冷蔵庫で 何が伝わらないのかがわかりません。 どういう感じなんでしょうか? 中国人の友達と(片言の中国語で)話すと、話がそれで終わっているのに それで?と聞き返される事がよくあります。 あと、主語の場所もどこに置いたらいいのか混乱します。 (例)花を植える ○我(植える)(一輪)花 ×(一輪)花(植える) 簡単にイメージを教えてください。

  • 中国は破綻すると言っている経済学者は、中国を日本と

    中国は破綻すると言っている経済学者は、中国を日本と同じ資本主義国家だと思っていないか?中国は共産主義国家で、お金は国が管理しているので、破綻することがないと言うか破綻するという言葉自体が存在しないと思う。国が国民からお金を没収すればいいだけの話で、中国が破綻すると言っている日本人の経済学者は馬鹿すぎると思う。自国の資本主義、民主主義国家のルールをそのまま中国には適用出来ないだろう。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(『中国人が見る日本語の「ですます調」』)

     日本語を勉強中の中国人です。文章力をつけたいので、作文の練習をしています。今日、私が2006年に書いた作文を見つけました。自然な日本語に添削していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。    中国人が見る日本語の「ですます調」  日本人の友人に次のような質問をされたことがある。中国の人はなぜ「ですます調」で話してばかりいるのか、という質問だった。友人の話では、日本の住まいの近くに、とても仲が良い同年代の中国人がいるそうだ。お互いに子どもがいる女性なので、共通の話題も多く、よく一緒に散歩したり、食事したり、買い物したりして、とても仲が良いと言っていた。ただし、友人が不思議に感じたのは、もう何年もの付き合いだったが、向こうは「ですます調」抜きの調子でしゃべってくれたことがない。  「ですます調」は丁寧、礼儀正しいというイメージを与える一方で、疎遠な間柄も感じさせるかもしれない。しかし、私はその中国人は私の友人と仲良くになりたくないわけではないと思う。たぶん、日本語を勉強した時に、「ですます調」の教科書を使っていて、もう「ですます調」に慣れてしまって、なかなか頭から離せないのではと勝手に推測した。  初対面の時に、ビジネス世界の中で、尊敬するべき相手など、「ですます調」を使うべきであると日本語の教科書で読んだことがある。礼儀正しい印象を与えるためなのか、日本語の教科書の会話もほとんど「ですます調」となっている。先日、日本語を勉強中の友人の日本語の教科書を見てびっくりしたのは、いまの日本語の教科書は単語自体も「ですます調」の形で単語一覧表に掲載されている。たとえば、「行く」という単語は「行く」のまま単語一覧表に列挙されたのではなく、「行きます」のような形となっている。  私自身も「ですます調」のすごい経験談があった。友人の主人の会社の上司に、休みの日に中国語を教えることと頼まれた。年齢的には、父と同じ年代の人なので、最初の時は、「ですます調」のような話しかたをした。その上司もたしか初対面の時は、私に「ですます調」を使ってくれた。しかし、二回目か三回目から、その上司はすでに全部「ですます調」抜きの口調になった。とても親切な人で、私のほうこそ、日本語、日本のことをいろいろ教えていただいた。たぶんその上司は私と仲良くになりたかったので、「ですます調」抜きの口調をしてくれたのではと思った。私もその上司と仲良くになりたかったので、四回目か五回目からも「ですます調」を省いた。たぶん、そのようなしゃべり方が望ましいだろうとも思った。  私の友人、私の友人の主人、その上司と一緒に食事をする時に、私とその上司はいつも「ですます調」でしゃべってるので、私の友人はもちろん私たちは中国語の授業に限って、「ですます調」ではなかったことは知らなかった。ある日、偶然に友人にその上司の中国語の上達ぶりについて聞かれた。すると、「とてもまじめに勉強しているよ、友達感覚で話すようになったし」と私は答えた。「友達感覚で話すようになったって?」と友人に聞きなおされたら、『つまり、お互いに「ですます調」抜きのしゃべり方だよ』と私は言った。「へぇ~、本当?」と友人に大笑われた。友人の話では、私は年下なので、その上司は私に「ですます調」のような話し方をしなくても良いそうだ。しかし、私から「ですます調」抜きのしゃべり方をすると、「彼女と思われるよ」と冗談混ざりに言っていた。私はこれを聞いてからとても恥ずかしくなり、そのごの中国語の授業から、また「ですます調」に戻した。その上司は私が「ですます調」を使わなくなった時も、またその言い方に戻した時も、態度はぜんぜん変わっていないのだが、きっと心の中で何かを考えているのだろう。しかし、私はもう恥ずかしくて聞く勇気がない。  友人の「彼女と思われるよ」なんての話はもちろん冗談なのだが、日本語の「ですます調」抜きのタイミングは難しいと痛感した。私はお互いに友達なら、年上の人に「ですます調」抜きの話し方をしてもいいと思ったから、上のようなみっともない話になった。その考え方は間違えたかもしれない。  面白いことに、電話の中では、普段会った時に、「ですます」抜きで話してくれた日本の人は私に「ですます調」を使うようになった人もいる。たぶん、電話は距離感を感じさせるもので、やはりもっと礼儀正しい話しかたをしたほうが落ち着けるのだろうか。  中国語の場合は、親しい人と敬意を払うべき相手によって、言い回しをほとんど変えないので、日本の人の頭の構造はすごいなといつも思っている。日本の人は言葉に出る前に、「ですます調」を使うかどうか、まず頭で判断しているようだ。

  • このおもちゃを日本語で何と言いますか?

    私の友人が、中国で「今、日本では、大人のストレス解消に『泡泡玩具』なる『成人玩具』が大変売れている」というニュースを聞いたそうです。(『 』内は中国語) その内容から、梱包材のいわゆる「プチプチ」を潰すような物かと推察したものの、日本のオモチャ屋に聞いても明確な答えが得られなかったので、具体的にどういうオモチャなのかぜひ知りたいとの事。 (彼女が中国のサイトで検索したら『泡泡玩具』だとシャボン玉が、『成人玩具』だとアダルトグッズが出てきてしまったそうです。) 私も聞いた事が無いのですが、こういうオモチャ、あるんでしょうか?売れているんでしょうか?

  • 日本語について質問があります。

    日本語について質問があります。 私は日本人ですが、日本語を勉強している外国の方と日本語で会話をしていて、この外国の方の日本語の語尾が少し変だと思ったので、初めてですがここにて質問させていただきました。 例えば「これは甘い」という文章でしたら、この外国の方は語尾に「これは甘いだ」と「だ」を付けて言います。 「これは甘いだ」は、日本人同士でも聞いたことがないので、ちょっと変だと思いました。 でも、同じ「だ」でも、例えば「これは綺麗だ」の文章は、普通に正しいと思うのです。 なので、同じ「だ」を語尾に付ける時には何かルールがあるのでしょうか? 語尾なんて物は自然に使い分けている事ですが、これを人に説明しようとすると出来なくて恥ずかしいです。 あと、因みにこの外国の方は、疑問文でない動詞の語尾にも「だ」を付けます。例えば「会うだ」「食べるだ」「聞いただ」の様に。。。面白いけども、どうしてそんなに「だ」を付けるのか私は気になって仕方ないのです。 すみません、本当にどうでもいい事かもしれませんが、宜しくお願い致します。

  • 日本語が思うようにしゃべれなくなりました

    私は今年で29歳を迎えますが未だ他人との会話が成り立ちません。 特徴としては、 ・話す途中で単語(文章)を忘れる。 ・支離滅裂になる。 ・英語が流暢に話せない人のように単語で話している。 ・言いたいことが先行してしまい、会話のキャッチボールができていない。 …等です。 きっかけとしては、何年か前、仕事で先輩に作業報告をしたのですが、支離滅裂な日本語で報告をした為に「何を言ってるのかさっぱりわからない」と言われた経験がありました。 その先輩にトラウマになるようなきつい言われ方をされたわけでもないし、思うように説明できなかった事に酷いショックを受けた覚えはありません。 しかし、その後は自分は話下手という意識が芽生え、その先輩には上手く話せないことが多々あるようになり、次第に仲の良い友人にもおかしな日本語を話すようになりました。 その上、最近は若年性痴呆症と疑ってしまうぐらい日本語の単語や文章を忘れる事が非常に多くなりました。 話す途中で頭に浮かんでいる単語を忘れてしまうので、その単語を説明することに話が切り替わり、当然相手にとって主旨が分からない内容になってしまいます。 私は小説、新聞を読む習慣はありません。ですので読書と行きたい所ですが、何か精神的なことが被さっているようで、しかも潜在的な所だと思われるのでどこから手を打って良いか分かりません。 支離滅裂な話をする時に気分的におかしくなってる意識はありません。唯、これからおかしなことを話すかもという予感みたいな物が一瞬よぎります。 一応、説明上手になる方法などのビジネス書等を読みましたが、プレゼン以外では効果はありませんでした。 どんどん、ネイティブなのに日本語を外国語を頑張って話しているような感じになってきています。 どなたか、アドバイスお願いします。

  • 日本語を使いこなせるようになりたいです。

    日本語を使いこなせるようになりたいです。 人間は歳を重ねる毎に語彙は増えていきます。 ご年配の教養のある方々のお話がわかったらどんなに素晴らしい事かと思います。 若い人の考え方もとても新鮮です。 僕はまだ子供のようです。 大人の会話が出来てませんでした。 今まで何をやってたのかと恥じ入るばかりです。 テレビジョン見て満たされても残るものがなければ無駄な時間に僕は思えます。 小学生の時教師が愚か者がテレビを見て真似をする。テレビは愚か者が見るものだ。と話していたエピソード記憶があります。 話を元に戻して日本語を使いこなすにはまずは聞き役になり、学び喜怒哀楽経験しそれから人間として会話する事でしょうか?

  • 中国語 4声(第3声)の発音について

    中国語 4声(第3声)の発音について 第3声ができなくてとても困っています。 自分で録音した物を聞いてもほぼ第2声になってしまうので、3声以外の1・2・4は発音 ができています。 状況は以下の通りです。 ・日本語で失敗した時の「あ~あ」ですら第3声にならない。 ・高さを(低)1~(高)5にした場合、2→2→4になり1まで落ちない。 ※声を落としているつもりでも、録音し実際聞いてみると高さは変わっていない。 アドバイスは正直無茶だと思いますが藁をもすがる思いですので、何か方法があればお願い 致します。 あと皆さん個人の考えをお聞きしたいのですが、 中国語ができる友人は第3声ができないのは駄目といいますが、この問題はおいておいて先に 勉強を進めた方がよいといいます。 しかし中国語での会話において「最悪できなくても何とかなる」とは言いません。 要は勉強の効率を考えて後回しにしろと言うことなのですが、発音に厳しい中国語で第3声が できない為、会話できませんでしたという事であれば勉強してる意味がなくなってしまいます。 このまま中国語の勉強を続けてもよいものか非常に悩んでおり、皆さんの色々な意見を聞いて みたいと思いました。 以上よろしくお願い致します。

  • 日本語って便利ですね

    会話の流れから「そりゃあ嬉しいよ 僕が東大に入った時より嬉しい」と来ました でも会話の相手は東大出身ではなかったはず よくよく話を聞いてみると、友達に誘われて東大の学祭に行った時に東大の学舎内に1度だけ入ったそうです。 これって厳密に言えば東大に入った事になります・・よね?? ちなみに裏口からではなく、堂々と表門から入ったと言ってました

  • 「やはり感動されてしまいます」は自然な日本語でしょうか

    「やはり感動されてしまいます」は自然な日本語でしょうか  日本語を勉強中の中国人です。  中国の友人の結婚式に参加したあとの感想的な話を日本の友人に言っています。私の「やはり感動されてしまいます」は、日本の友人が言うには「やはり感動してしまいます」に直したほうがいいらしいです。「感動される」は自発動詞として成立するのではないでしょうか。つまり思わず「感動する」という動作が起こると思います。添削理由はよくわかりません。  また、もう一つの『特に、お互いに「どんなに貧しくても、どんなに重病にかかっても、支えあう」とのような言葉を誓う時に、一番感動されました』という私の文は指摘されませんでした。もしさきほどの文がおかしいなら、この文の「一番感動されました」の「感動された」も「感動した」に添削されるはずですが、大丈夫のようです。  どなたか説明していただけないでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。