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本当の「精神の個性」とは?

人間それぞれの「精神の個性」は結局「脳の神経構造の違い」でしかないですよね、 そして、脳は物質(原子)から出来ていますよね、 さらに原子(原子でも素粒子でもエネルギーでも同じことですが)には個性なんて存在しませんよね、炭素原子が2つあって炭素Aと炭素Bの両者は、化学的な性質や物理的な性質は異なりませんね、ただ単に、炭素Aと炭素Bは別々の存在として存在しているというそれだけの事ですよね、原子に個性はないですよね、 人間の「精神の個性」は、原子という何の個性も持たないブロックの組み合わせの違い(脳の神経構造の違い)でしかないですよね。 犯罪者であろうと良い人であろうと、不細工であろうとイケメンであろうと、障碍者であろうと健常者であろうと、どんな嫌みな人間と自分を比較しても、根本的な本当の違い(精神の個性)なんてないですよね、 人それぞれ自分だけに宿る特別な精神や意識なんて存在しないですよね、何の個性も持たない原子が、人それぞれ異なる神経構造の脳(原子の集合体)として、脳が沢山存在するだけですよね、 炭素Aと炭素Bが分身であるように、他人という存在は自分の分身(脳の神経構造や遺伝子の違いが有るだけ)でしかないですよね

noname#213462
noname#213462

みんなの回答

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.6

amluqhx様、こんばんは。 本当の意味で「自由」の無い状態で為された行為には、人が責任を負える範囲は限界があると思います。 (本当の意味で「自由」に為された行為にこそ、全責任を本人に問うことが、出来るのかな)

回答No.5

自らの個性。 すなわち資質を他者に尋ねようと言うのだな。 よかろう。 答えてやる。 君自身は、「セックスマシーンピストルズ」こういうギャング団の一員だ。 嫌われ者だ。

noname#221368
noname#221368
回答No.4

 以下、半分以上たとえで比喩です。比喩ですが、精神はソフトウェアであって物質ではない(個人的意見)、というところがポイントになると思います。  精神はソフトウェアなのだけれど、このソフトウェアはずいぶんと基本的なものです。コンピュータの世界ではそういうのをOS(オペレーション・システム)と言います。  現在の汎用コンピュータはノイマン型と言われる奴で、基本的にはメモリ切り替えスイッチにしか過ぎないCPUが、メモリに書かれている事を読み出し、書かれている事に従ってメモリを動的に書き換えてあたかも考えてるように見えている、という点ではどんなコンピュータも、ハードウェアとしては同じです。  しかしWindowsとかMacとか、別種のOSは明らかに違う個性を持つ。同一ハードウェアなのに、明らかに動作が違っている。それが可能なのは、それらがソフトウェアだからです。  しかも人間(犬なんかも?)は、どうやらそのOSをプレインストールされてるらしい。でもプレインストールだけではOSは発現しない。コンピュータの工場出荷後の初回起動時の、「Windowsを構成中です。電源を切らないで下さい」の時点で、具体的なインストールが始まる。それが幼少期の急速な発達なんだと思う。この時すでに、マシン環境に左右されて、その後の動作の基本部分は決定されてしまう。それはソフトウェアだから可能な事なのだが、きっとそれが育った環境なのだろう。  「人生一生勉強」という言葉が正しければ、インストールは緩慢に一生涯続く。動作は常に変更され続ける。明確な個性ができる。  しかも始末の悪い事にこのOSは、自発的に考える能力を持ち、自分自身を意識(モニター)する。自律的にインストールを変更できる。でも考えつく事の多くは、周辺環境から受けた偶然に支配されたもので、自律的なインストールの変更は、言ってしまえば「行き当たりばったり」だ。おかげでさらに明確な個性になる。  ・あいつは、どうしようもない奴だ!。 みたいな事にもなる・・・(^^;)。最後にそれは、「神経構造」に物理的に反映される。劣化(老化)という形で。  何故なら人間は、長期的には意志決定に依存する脳細胞の劣化防止機能を、物理的に持っている生物だから。  ハードウェアは同じでも、ソフトウェアの個性は存在すると思います。そしてソフトウェアが同じソフトウェアをモニターする機構を手に入れた時、自分という特別な精神や意識であるソフトウェアが生じたんだと思います。

回答No.3

「脳は物質からできています」が、精神は物質から できてはおらず、逆に物質が精神=意識の中に生じて いるものです。 そうした矛盾は、全ての物質が階層現象性の果てに (個体(脳)>細胞>分子>原子>素粒子>クォーク> 超弦(量子定常波))量子に還元され、また我々の意識 も感覚器官表面での量子相互作用(五感の違いは媒質 や感覚器官の違い)に還元され、その量子が時間軸と 空間軸の虚数関係によって相殺されたゼロの面(界面 原点)がライトコーン=光量子の描く軌跡として得ら れる事によって解決します。 即ち、存在とは仮想的な意識(時空)への無の射影で として(自我仮説(記憶=時間軸)と空間仮説(予測=空間 軸)の相補分化)。

noname#208932
noname#208932
回答No.2

分子 原子 素粒子レベルに持って行っても 精神は見えません・・・ それは 心は 物質では無いから・・・ 物質で考えるあなたには 到底理解出来ない部分に 本当の精神の個性があります・・ 

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

他人とは完全に全く同じ配置にも思考にもならない、 と理解して違うことがあって当たり前、と思えることが、自我であり個性を否定できない根元だと自覚すること。

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