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八百万の神について

よく八百万の神は自然の至るところに神が宿るみたいなこと書いてますが、 どこの本に書いてあるんですか? 古神道の教えにあったとしても起源はなんでしょうか? そもそも八百万は自然のいたる所って意味にするにしては無理があると思いますし 古神道の人が間違えて解釈したとか捏造したものではないでしょうか? なんか八百万の神について書かれている文(本名も書いてくれれば幸いです) などがあれば教えてほしいです。

みんなの回答

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15359)
回答No.4

 基本的な宗教で自然その物を神として考えてきた。  神社などのご神体ですが、岩だったり、山だったり、木だったりもします。  その後、色々な文化が伝わっていく段階で今の形になっていったようですね。  先の回答があるように、多くのという意味合いが有る言葉でもあります。千なりひょうたんとかも、千ぐらい多いということで実際には千もない。ハリセンボンも針が千本もあるぐらい多いという意味です。  自然の恵みを頂くという考えが自然を神として大切にしてきたのでしょうね。  関西だと三輪山が山自体が神ですよ。

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.3

初出は古事記です。 上巻の天の岩戸の部分です。 アマテラスが天の岩戸にお隠れになり、 高天原が暗くなり、 葦原の中つ國も全く暗くなった。 萬の神の騒ぐ声は五月の蠅のようになり、 あらゆる災いがいたるところに起った。 是以八百萬神 於天安之河原神集集而、 高御產巢日神之子 思金神令思 而集常世長鳴鳥令鳴 ちなみに、800万柱の神がいるという実数の表現ではなく、 やお(八百)もよろず(萬)も数が多いという意味です。 八百は仏教の表現に影響を受けているらしいです。 八そのものが数が多いという意味を持つそうです。

  • ayzm
  • ベストアンサー率16% (175/1041)
回答No.2

八百万の神をはっぴゃくまんのかみと読んでいませんか。 これは やおよろず のかみと読んで、数字を表しているものではないです。 意味は、いっぱい・いたるところに という意味です。 キーボードで、やおよろず 打ってみてください、八百万と出てきます。

  • maiko0318
  • ベストアンサー率21% (1483/6970)
回答No.1

残念ながらないと思います。 その理由は 八百万の神は2000年も前から存在している。 でも、日本に文字が入ってきたのは奈良時代。中国が漢だった頃。 ひらがなとカタカナは平安時代に独自に作られている。 日本人は文字を持っていなかった。 日本の歴史は記憶力のいい人が聞き覚え、また人に言い伝えたのだ。 紙に書いてなければ信じられない気持ちはわからなくもないが無理っぽい。 魏志倭人伝という書物に太古の日本が出てくるが、 その時に中国は魏呉蜀の三国時代。戦争中だったわけだ。 魏は北方の国。日本が奈良か九州かという論議だが、 日本が九州方面にあり、同盟を結んでいると書けば有利な立場になる。 魏志倭人伝はそういう書物であり、わざわざ日本の歴史書を作ってくれていたわけではない。

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