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教職課程を続けるかやめるか

教職課程を続けるかやめるかで迷っています。 数学科に通う2年生です。 高校時代まで教師に憧れて、好きな数学を自分も教えられたらと思い、大学では数学を学び教職課程をとりました。 しかし、2年生の夏頃から大学院に行きたいと思い始めたり、教職以外で就職したいな、とか思い始めました。 そして、今ではあまり教職に魅力を感じません。 でも正直、企業に就職っていってもどんな業界が向いてるのかもわからないし、院試や就活が上手くいくかもわからないし、お先真っ暗です。 大学院で数学を学ぶ以外に、今後やりたいことが全くわからないです。 なんかあんなに憧れていた教職なのに、今ではなんで目指していたかハッキリしません。 教員採用試験で「なぜ教員を目指しているの?」と聞かれても、給与がいいことくらいしか思いつかず上手く言えないと思います。 とりあえずとっておくっていうのもアリかと思いましたが、 こんな中途半端な気持ちで、来年度からさらに重くなる教職課程を乗り越えられるかわからないし、 教育実習に行くのも失礼かなって思います。 続けてもやめても後悔しそうです。。 なんかまとまってなくてすみません、心の中がごちゃごちゃしてます。。 アドバイスいただけると嬉しいです。

みんなの回答

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (657/1170)
回答No.9

>お先真っ暗です。 言葉のアヤかもしれませんが、そんなことは言わない方がいいですよ。 他人と比較して安心するっていうのは低次元かもしれませんが、少なくとも、興味は失われつつも教員という夢があったり、大学院進学や企業に就職するなどの選択肢があることを、ご自分でもわかっているのですから、まったく選択肢がない、という人よりは遥かにマシな方です。 質問者さまの考えてらっしゃることは教員への期待が薄くなってきたことにより将来の不安が大きくなってしまった、ということではないでしょうか? 簡潔にまとめると、教員に対してのみ大きな期待や希望を抱けるのであれば、教員になるまでの道程が険しくても、努力して乗り越えようと思えるのに、その夢が色あせて、大学院を考えてもかつて教員に憧れていたほどの期待は持てないため院試への努力もする気がおきず、就活という選択でも自らすすんで努力しようと思うことができない、といった感じか、と。 その分析のひとつとしては、大学生になってすぐは大学を楽しむだけで良かったものの、学年が上がってそろそろ社会人となることを意識し始めたとき、「まだ社会人になりたくない」と思うモラトリアム的な気持ちが生まれたこと。それゆえに、教員という夢にも疑いを持ってしまうし、モラトリアムを自覚するところもあるから大学院へ進むということに多少は抵抗がある。そして就活を、と思っても、そもそも社会に対して興味が薄かったため、どのような職にやりがいを感じられるかあまり見当がつかない。 アルバイトの経験や、大学でのサークル活動などはありますか? 賛否はあるかもしれませんが、大学生時代のアルバイトなどが、その先の就職での興味を広げたり、選択肢を絞り込むのに役立ったりもします。またサークル活動などを通じて、多様な学生に出会って、価値観が広がる、ということもあります。 そういった経験がない場合は自分の将来像がうまく描けなかったりしますし、またそういった経験があることで、興味が散漫になってしまう、というのも逆にあるかもしれません。 ただ、いずれにしろ、社会を意識し始めたということが心理的な背景にあるのだと思うので、教員への夢や熱意がさめてしまったことは、あながち悪いこと、とは言い切れません。むしろ、自分の将来像にさまざま選択肢が増えてしまったことで、どれを選ぶべきか自分自身で選択ができない状況なのでしょう。 前置きが長くなってしまいましたが、無理に、興味の薄れた教職科目をとる必要はないと思います。 ただ、考え方を変えた方がいい、と思うところがあります。 以前は、教員というのが絶対的な目標であったのに対し、さまざま選択肢が増え、将来像を相対的に比較して考えるようになってしまったので、教員という目標への絶対性がなくなってしまっただけです。ですから、これを不安に思うのではなく、『いろいろな将来が描けるようになった』とか『選択肢が増えて迷ってしまう』などと、今の心理状況を前向きな考えに置き換えてみるといいかと思います。 とりあえず教職科目は続けて、教育実習での経験で教員をめざすかどうか考える、という方法もありますし、大学院を出てから教員になることも可能ですし、一般企業に勤めた経験から、改めて教員に魅力を感じるかもしれません。 どれかひとつの選択に絞るのではなく、可能な限りの選択肢を、どれも同時進行させてみる、という方法もあるでしょうし、今や転職するのが当たり前のような時代ですから、大学を卒業した後の、まず最初の選択を、それほど思い悩む必要はないと思います。 しかし、将来像を選択するのは、質問者さま自身です。 で、その選択の責任は、ご自身で負うものです。 ですから自分の選択を誰かに委ねるだけにしてしまわず、自分自身で熟考されるようにしてください。 ただ、選択を誤ってしまうことを恐れず、誤ったと思った瞬間に再スタートすればいい、と考えるようにしてください。 そして、もしもモラトリアム的な気持ちを強く自覚されているのでしたら、そのことを恥じないように。 誰だって学生時代はそのような気持ちを抱えています。 「自分が学生の頃は早く社会に出て仕事をしたくて、そんな子供っぽい甘い考えはなかった!」なんて言う大人であっても、実際には「大学生の頃は楽しかったなぁ」というような、青春時代へのコンプレックスは抱えてしまうものです。 ですから、質問者さまが思っていることは、誰もが一度は通る道である、と思ってください。

  • ejun
  • ベストアンサー率60% (3/5)
回答No.8

教職よりもやりたいことが見つかって、それに人生を賭ける覚悟が決まるまでは続けるべきです。 教育実習に行くのが失礼だと思うのなら、生徒たちに 「教職を目指すのか迷っているけれども、真剣に授業に取り組んでそれを見極めたいので申し訳ないが少しの間付き合って欲しい。君たちには、大学3年にもなって進路で悩む僕の姿を見て、自分の進路を真剣に考えるきっかけとして役立ててくれたらと思う。」 とでも正直に説明すれば、生徒たちも反対しないでしょう。それができないとすれば、それは失礼かどうかの問題ではなく、あなたの意気地がないだけのことと言わざるをえません。失礼だから教職課程を断念にするなどと、礼を言い訳にしないで欲しいですね。自分を犠牲にすれば、礼の尽くしようはあります。 人生の選択で悩んだときは、苦しい方を選ぶのが多くの場合正解です。 教職を諦めるという楽な選択をして、あなたの人生は開かれるのですか?

  • yoichi001
  • ベストアンサー率32% (328/1007)
回答No.7

教職課程を卒業しても、能力があれば、別の大学院に行く事も可能だし、何なら別の大学の大学院を受験する事もできると思うんだけど・・・ 中途半端な気持ちで実習に行くのを気にしてるみたいだけど 教育実習っていう制度自体は、現場を体験する為の制度なんだから、お試しなんで、どんな気持ちだろうが体験してみて問題なでしょ。 私は教壇に立ってみて、「あっ教師は無理だな」って思って教職の夢を諦めた口ですけど、教壇に教師として立つという経験はナカナカ体験できませんよ、教壇に立ってみて教職の夢を更に強くした友人も多かったですし、教育実習は体験してみて損はないです。 折角体験できる機会を無駄にすることないと思うけど。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7258)
回答No.6

あのね、自分で現実から逃げてるって、自覚がないでしょう。 ただ、将来の選択として、教職を目指していたのに、それがいやになってきた、 いや、魅力があるとは思えないって自分を妙に’納得’させていることに気がついていない。。 そしてね、大学院に魅力があるとも書いてない。 大学院へ行って、とりあえず、2年間学生を延長してみたい・・・だけです。 4年以上いて、さらに、アカデミーに残るまでの根性はないでしょう? 3年生から、いよいよ、社会人になるべく、’学生’としての方向を一歩、踏み出すのさえ、回避したい。 逃げてる人に、’職’もなく、’適性’がむこうから、歩いてくるわけでもなく、 適職が降ってくるわけでもない。 就活のひとつとして、えんえんと、教職課程を拾い集めていく’努力・実力’が、ないだけです。 ましてや、さらに学費を払って、’学生を延長’するだけの大学院なら、あなたの賞味期限が切れますよ。 人はいつかは自分の身につけた'武器’で稼いで糊口を養うのです。 ために、大学へ行き、数学を選んだ。 もう一度、原点に戻りましょう。 教員にならなくても別にかまわない。 教育実習も双方にとって、無駄にはなりません。 回避したがっているのは、あなたの実力が及ばないからではないですか? 体力も、気力も、そして方面的な能力もまた含まれることは自明ですが。 あなたが、無駄に時間と、学費とを浪費しても、誰も困らないので、とりあえず、じゃぁ 大学院へと勧める人はいるでしょう。 その余裕があるなら、尚のこと。 そしてね、大学も’企業’ですから、大学院の定員を満たす必要もあることを忘れずに。 いけそうな人は、能力がなくても、声をかけます。 お金を出してくれればいいだけですから。 それに、就職率に反映しない、大学院へ進むなら・・・、数字のマジックです。 ただ、奨学金は、はっきりと、借金であると認識してないと、’稼ぐ人’になってみてから、 こんなはずではなかったと、人生が社会にでて、一歩目から狂う。 目算が、あなたにあればですが・・・たぶん、今現在金銭的には何も考えてないでしょうね。 親の懐はいつまでも温かくはないし、親も、いつかは、面倒を見る側に回ることになります。 【来年度からさらに重くなる教職課程を乗り越えられるかわからないし、】 うん、結局、これから逃げても、教職ではない、次の作戦が とりあえずの大学院だけなら、タダの逃げであり、借金ももれなくついてきて、そうでなければ親が疲弊し、 あなたがその分、年を取る。 もちろん、親もです。 いまや、高学歴ワーキングプァーは、十分以上にありなんです。 ’院生の数’をそして大学院のある’大学’の数がどれぐらいか知れば、どれほどの価値があるかはわかりませんか? どうしても、教職をとりなさいとは、言わないし、明確に先を決めているなら、 とる必要もない・・・けど、 取れない自分を恥じなさいと私は娘に言いました。 あっても、困るものではなく、後からとるのが困難なら、取れるときにとっておく。 とりましたよ、体育系ですが。 出身校へお願いして、実習しました。 そして、高校生と交流して、いろいろ学ぶことがあったようです。 新卒で就職して、30になりました。 社会人として全然違うことをやってます、面白いことに、研修時などでは、 ’先生’として人前で語ること、’教える’ことに自信を持っているようです。 ええ、ご他聞にもれず、大学院へのリクルートもされました、かなり熱心にね。 娘に言いましたが、それほど、何か、より深く、研究してみたいようなことが大学院であるのか? 勉強が好き?と。 その先があるなら、行って・進学して見るのも、ありかな?という応答でしたので、 行った先の次に、社会へのはしごがしっかりと、かかっている保障はない。 いずれにしても、いつかは働く。 今(新卒)より、マーケットはより狭いことをわかってるか? その分、自身を先鋭化できるか? 親はもう、学費は出せない、奨学金を保証してもらっても、それは借金で、 いずれ給与をもらうようになっても、奨学金返済分、’低収入がずっと続く’ということが理解できるか? 勉強がすき、研究が好き、ならば、それはそれでokですけど、'差し引きの低収入’を後から後悔しないこと。

  • kifimi
  • ベストアンサー率72% (425/586)
回答No.5

教職に限らず、自分の将来像がはっきり描けなくなってしまって、悶々と悩んでいる感じでしょうかね。 就活をしながら院試対策もする? 就活で内定もらって、院も合格したら、どっちを取る? 院に進むとして、その後は? 博士課程まで行って研究者になる? それとも一般就職? 院を出た後に一般就職できる? という風に考えていくと、悩まなければならないことはもっとたくさんありますよね。 これを考えないのでは、教職課程履修の中断も、院進学も、ただのモラトリアムにしか思えません。 教職課程の履修については、担当の先生と事務職員の人がいるはずですから、相談してみてください。毎年、似たような学生の相談を受けているのではないかと思います。 教職課程は、途中で辞められるギリギリのタイミングがあります。いま2年生で4月から3年生ということは、そろそろ介護体験実習や教育実習の受け入れ先の打診や手続きが始まっているのではないかと思います。 大学側としては、履修を辞めるなら早めに言って欲しい、実習など学外が関係してくることの手続きに入ってしまった後はキャンセルせずにきっちり履修を終えて欲しい、というのが本音だと思います。 教職を辞めたいと思うのは、就活や院試との兼ね合いや負担を考えてのことでしょうか。 もし上級生や院の先輩に教職持ちがいるようでしたら、その人に相談してはどうですか。どの程度の負担があって、どのようにそれを乗り越えた(乗り越えている)のか、とか。 >教員採用試験で「なぜ教員を目指しているの?」と聞かれても、給与がいいことくらいしか思いつかず 最初は「高校時代まで教師に憧れて、好きな数学を自分も教えられたら」と思っていたのですよね。 今はその気持ちが冷めてしまったということでしょうか。 数学が面白いと思えないのか、それとも「人に面白さを伝えること」に興味がなくなったのか。院に進んで研究を続けるのであれば、学校の授業という形ではなくても、「数学の面白さを外に発信する」ことに無関心ではいられないと思うのですが……。 教育実習に行ってから、自分の適性を考え直す人も結構いるんですよ。 それまでやる気満々だったのに「自分は向いていない」と思い直す人もいれば、それまではそんなに意欲的ではなかったのに「自分には教職が合ってる!」と一変する人もいます。 辞めても後悔すると思うなら、辞めずに後悔した方が良いのではありませんか。 辞めずに後悔すると言っても、せいぜい「履修が大変で、就活や院試の対策が…」というくらいでしょう。つまり、自分の努力次第でなんとかなる、履修が楽な同級生と比較しなければ気にならない部類の「後悔」です。 ひとつ気になったのは、 >こんな中途半端な気持ちで >教育実習に行くのも失礼かなって思います。 一見真面目な人ほど、「こんな気持ちで○○するのは相手に失礼だ(だから○○しない)」と言いますが、これは謙虚なように見えて、実はとても無責任だなぁと思うことがあります。自分のモチベーションの問題なのに、「相手に失礼」と、相手を引き合いに出してポイントをすり替えているからです。 相手に失礼だと思うなら、失礼にならないように努力するべきです。 まあ、例えば恋愛感情のように「どう頑張っても自分の気持ちは変えられない」という性質のものもありますけどね。でも、教職課程が一種のインターンで仕事だと考えれば、そんなことは言っていられません。 心の中ではどう思っていようとも、相手にそれを悟られない程度にうまく立ち回って仕事をこなすのも、社会人になるためには必要な能力ですよ。 もちろん、責任のある教育実習ですから、「そんな中途半端な気持ちで行って欲しくない」と言う人もいるでしょうが、自分から「できないことの言い訳」に使うべきではないと思います。

noname#232424
noname#232424
回答No.4

初志貫徹して免許を取得するほうがいいと思います。ぼくは「理科」免許をとりましたが,理学系で「有無をいわさず通用するもの」ってあまりないのです。じつはぼくは,他に妙な国家資格ももってますけども。どちらも使わずじまいで終わりましたが,勉強したものは無駄にはなっていません。 やっているうちに,「これが自分の宿命だったのかな」なんて思えてきたりする。そういう意識(諦め? 悟り? 自信?)が生じるためには,一所懸命にやらないとだめですけどね。 文体からあなたは女性だと思いますが,教員は性差があまりない職業です。また,1つの職場(学校)において「数学ならdw0akr0geに聞け」というふうに,無二の存在になれる(同僚にも何人か数学教諭はいますが)。企業や役場のように,いろいろな部署を異動させられたり,同僚と同じ仕事で昇進争いをすることもない。 教員採用試験は難関で一発では合格しませんから,大学院進学しつつ毎年受験するといいと思います。

回答No.3

あまり深く心配しなくてもいいんじゃないかな。 お先真っ暗といいながら、教職を取れば教員試験に受かるし、企業への就職は受けるところに受かると思っているから、自分の気持ちを最優先の判断材料にできるのでしょう。 数学科でそこまで就職に不安を持たないのはものすごくまれだと思うので、自身の資質に自身があり、かつ、それなりの就職実績のあるところで学んでいるのでしょう。 就職先が無いという不安がなく、教員にならないのなら、教職課程は理学部では学問の邪魔なだけです。打ち込みたいことを最優先にすべきでしょう。 本来、日本で育った人は、職業の中で教員が一番身近なものだったはずです。それに対して学びだしてからブレるというのは、それだけ自身の自我が育っていないってことだと思います。小さい子って、新しい体験をするたびになりたいものが変わりますよね。自我が未熟なうちは自分の中に基準がないからそうなるんです。 ご質問者さんは、この後、いろんな職業に触れるたびに迷い続けると思います。ひょっとしたら、ご質問者にとっては、就職をし、いくつか転職を繰り返してからが、ホントの就活の始まりかもしれません。 だとすると、選択の幅が広いのは逆効果かもしれません。 何かに深く打ち込み、自我を築くことに今は専念してもいいのかも。

回答No.2

以前は憧れていたようですが、今となっては教職課程が重荷で負担に感じられていることが興味を失いつつある原因のようですね。 教師になるまでは確かに大変な道のりだと思いますが、乗り越えられられたときの満足感はそれだけ大きい様に思います。 教職課程の道を選んだ場合ー失敗を恐れているのかもしれませんが、目標を高く掲げるほど願いは叶いやすいです。仮に失敗してもそれはそれ。良い学びになると思います。 仮に別の道に進まれたい場合ー人との繋がりが重要視されるような職業、サービス業やカウンセラー等に適性やご縁があるかもしれません。

  • cactus48
  • ベストアンサー率43% (4480/10310)
回答No.1

教員を目指している理由を聞かれ、給料が良い事しか思いつかなかったと 言われますが、教員って思ったより給料は高くないそうですよ。 あなたは給料に憧れて教員になる事を目指したのですか。高校の時に数学 を教えていた先生を見て憧れ、それで教員を目指そうとして大学に進学さ たのではありませんか。と言う事は給料の高さが目的ではなく、教え子に 数学の素晴らしさを教えるために教員を目指そうと思ったはずです。 どうして教え子に数学の素晴らしさや面白さを知って貰い、どうして数学 を好きになって欲しいからだと言えないのでしょう。 あなたは2年間で数学の難しさとか怖さ、厳しさを実感したのでしょう。 でもね、その事は挑戦する前から分かっていたはずです。 挑戦を投げ出して将来的に何かを行おうとしても、直ぐに挫折してしまい また別の事をやろうと考えるはずです。 自分が希望した分野じゃないですか。試練と言う壁を自分で築き上げたの ではありませんか。その壁を壊せるのは、あなたしか居ないんですよ。 どんなに辛くても自分が高校の時に自分の目指す道を決めたのですから、 その道を頑張って進むのが大切ではありませんか。 どうしても無理なら大学を中退しなさい。ただし、何処に就職しても挫折 の繰り返しで中途半端な人生を送る事になるでしょう。結婚しても数年で 離婚して、それの繰り返しで幸せな家庭を築く事は出来なくなるかも知れ ません。努力しても、どんなに頑張っても無理な場合、それは仕方がない と思います。でもね、たった2年で心変わりが出るようではこの先も同じ 事を繰り返すだけで人生が終わってしまうでしょうね。 辞めて後悔するより、続けて後悔した方がマシ。

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